シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

移動都市/モータル・エンジン

想像力の死体安置所。

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2018年。クリスチャン・リヴァース監督。ヘラ・ヒルマー、ロバート・シーハン、ヒューゴ・ウィーヴィング。

 

「60分戦争」と呼ばれる最終戦争から数百年の時が過ぎ、わずかに残された人類は地を這う移動型の都市で生活することを余儀なくされた。巨大移動都市ロンドンは、都市同士が捕食しあう弱肉強食の荒れ果てた地でその支配を拡大させ、小さな都市を捕食することで成長を続けている。そんなロンドンの指導者的立場にあるヴァレンタインに対し、過去のある出来事から復讐心をたぎらせる少女ヘスターは、ある小都市がロンドンに捕食される騒ぎに乗じてロンドンに潜入。ヴァレンタインに刃を向けるが…。(映画.comより)

 

みんなおはよー!

『ONE PIECE』は空島編の途中でやめた、と言ったにも関わらず空島編以降の話をメチャメチャしてくる知人に対してある種の破壊衝動を覚えたふかづめです。

空島編以降のことは何も知らないので、そんな話をされても付いて行けるわけがなく。この知人は何を思って私に空島編以降の話をしたのだろうか。

(1)ただ自分が喋りたかっただけ。

(2)空島編以降の話をすることで『ONE PIECE』に対する私の興味を再燃させたかった。

(3)実は私のことが大好きで、何の話題であれ私とお喋りできることに無上の喜びを感じていた。

(4)もともとそういうタイプの人だった。

 

たぶん正解は(4)じゃないかな、と思っている。

この世には相手が興味ないと思っていたり場がシラけている事に気付かないまま「既に死んでる話題」を延々続けようとする粘り強い人たちがいるのだ。

逆に私なんかは「粘り強さ」が足りない人間で、親切な人から映画の話題を振られても全然映画トークができないのである。「気を遣って話を振ってくれているだけでは?」とか「ほかに話すことがないから無理して私の趣味に合わせた話題を選んでくれているだけでは?」などと勘繰ってしまい、映画トークより申し訳なさが先に立ってしまうのである。それに傲慢な言い方をさせてもらうなら「たぶん話せば話すほど相手は付いて来れないだろう、私の話に」というナメた思いもある。

これは私自身の欠点だと思っていて、この知人のようにもっと堂々と「話したいことを話す」という肝っ玉を身につけねばならない。今のままだと、きっと映画オフ会に行っても一言も話さないまま一人で勝手に注文した刺身だけ食って宴の時を終えてしまうだろうし。

これは映画に限った話ではないが、どうも私の根底には「言ってもどうせ伝わらない」という擦れた考えと「人から誤解を受けたい」という被虐趣味があるようだ。これは幼少期の家庭環境に起因しているのだけど、この話はまあいい。

何が言いたいかというと今後、私に空島編以降の話をした人間は、その動機、思惑、性格、国籍、人種、性別、年齢、趣味、政治的思想、性的指向、納税額、軍歴、犯罪歴、戦闘経験の有無、ペットの有無、配偶者の有無に関わらずブン殴るということです。

俺の中の『ONE PIECE』はエネル戦で止まってるんだよ!

 

というわけで本日は『移動都市/モータル・エンジン』

とんぬらさんから「最近、映画評に優しさ成分が多めになった?」とおっしゃって頂いたので「そんなことはないですよ」というところを見せていきたいと思います。

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◆移動都市というバカワード◆

タイヤを取り付けた都市がゴロゴロ走るという実におめでたい映画である。

物語の舞台は核戦争により文明が完全崩壊したあとの近未来で、人々は移動型都市の中で生活していた。

のっけから意味がわからない。文明が崩壊したのに移動型都市を開発する技術はあるんだな。

移動型都市とは書いて字の如し、びっくらこくような超巨大なタイヤを「タイーヤマルゼン、タイヤマルゼン♬」と口ずさみながら都市の四隅に装着、家から出ずとも都市ごと移動しちゃえば楽チンじゃん、というファンシーな発想を可能たらしめたハイテク都市である。早い話が『ハウルの動く城』(04年)だ。

この世界ではさまざまな都市が四六時中ゴロゴロ移動しており、資源を獲得するために都市同士のデスマッチがおこなわれている。とりわけ余勢を駆っているのが弱小都市を捕食して巨大化したロンドン。その指導者ヒューゴ・ウィーヴィングはトースターの鉄クズなんかを集めて化学兵器の開発を企むようなイケないおじさんであった。

一方、ヒューゴに恨みを持つ少女ヘラ・ヒルマーと、歴史家見習いの青年ロバート・シーハンが出会い、空に飛行型都市を構えてロンドンと戦う「反移動都市同盟」と結託してヒューゴの野望を打ち砕かんとするのであった!!!

 

話聞いてるだけで知能指数が下がりそうでしょ。

 

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これが移動型都市だ! (お空にも飛行型の都市が浮いているんだッ!)

 

「移動型都市」という極限までバカを突き詰めた設定、スチームパンクの世界観、『マトリックス』三部作のエージェント・スミス役で知られるヒューゴ・ウィーヴィングの起用、それに製作・脚本が『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソンなので、ある種のSF好きには垂涎モノの大作映画だと思うのだが…これがまったく盛り上がってない。

制作費を回収できず1億7000万ドルもの大赤字。批評も散々。切ないぐらい話題にならなかったからかレビューサイトには登録されずウィキペディアには粗筋すら載ってない状態で…。非常にトホホな結果に終わっている。

デジタル処理に予算を使いすぎてキャストが薄くなってしまったのも興行的失敗の一因だろう。有名キャストが一人も出ていないので華がないことおびただしいのよ。だってMAXでヒューゴ・ウィーヴィングでしょ。ネオもトリニティもモーフィアスもいない『マトリックス』を見せられているようなものだよ。

今回はまったくやる気がないのでサクサクいきたいと思います。

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ヘラちゃんかわいい~。

 

◆クソの役にも立たない主人公◆

巨大都市ロンドンが四輪駆動でバリバリと弱小都市を捕食するアヴァンタイトルを見て大体わかった。これ残念なやつかも、って。

その後、ロンドンに潜入したヘラのヒューゴ暗殺計画がロバートの妨害によって失敗する第一幕。ここで早くも「これ残念なやつかも」という推量形は「これ残念なやつだ」と断定形に変わる。都市の最下層部を逃げ回った果てにヘラとロバートがダストシュートへ突き落とされるまでの活劇がまったくダメなのです。高低差に富んだ空間はまったく活かされず、コンピューターグラフィックスで作られた巨大な機械がエラの顔をかすめても髪すら靡かない。今日日、ビデオゲームのムービーシーンの方がよっぽど「映画」しているのではないだろうか。

 

さて。都市から排出された二人は荒地を彷徨うが、このシーケンスでは一応本作の主人公であるロバートの無能っぷりが露わになる。

①「オレは方向感覚の化身」とか豪語した直後に道を間違える。

②物欲しそうな目つきでヘラの食べているトゥインキーを見る。

③人間狩りをする小型移動都市サウジーに「助けてー」と手を振って命を狙われる。

ロバートをころしたい。

なんだろう、この主人公なのに足手まといという野放図なキャラクター造形は。

「付いてくるな」と言うヘラにしつこく付きまとってはトラブルを起こし何度も命を救われるロバート。しかもサウジーに襲われた際にヘラは足に大怪我まで負ったからね、こいつを救うために。目の上のタンコブとはお前のことだよ!

そもそもロバートがヘラの暗殺計画を妨害しなければ開幕20分で万事メデタシだったのよね、この話。

こいつが巨悪のヒューゴを(善人と勘違いして)救ったせいで厄介事が増え、やがて多くの都市がすげえ破壊されたり、おびただしい数の人民が死んじゃいます。お前はアルティメット・トラブルメーカーか?

ほかにもロバートは色とりどりの失敗をやらかしては映画を彩ってくれるわけですが、やがて観る者はあまりの鈍臭さに愛想が尽き始める。

二人は悪い連中に何度も捕まり、そのたびにロバートは「彼女に手を出すな!」とか「ヘラ、僕の後ろに隠れて!」なんつって男らしさをアピールするもののお腹をグーパンチされて「うぼぉぉー」って蹲っちゃうような非力メンズなのでした。

災いは招く、足は引っ張る、戦力にはならない。おまけに特技と称した方向感覚も虚偽だった。

何なの、この子…。何だったら満足にできるの?

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主人公なのにクソの役にも立たないロバート(無駄にジェダイ顔)。

 

一方のヘラは、ヒューゴにママンを殺されたあと「シュライク」というサイボーグに育てられた少女で、辛い過去から解放されるために自身もサイボーグになることをシュライクと約束した。シュライクに一度殺してもらった後にサイボーグとして復活する…という人生設計を立てたのである。

シュライクはその約束を果たそうとしてヘラを地の果てまで追いまくるのだが、ヘラの方は反移動都市同盟とコネができてロンドン打倒計画を進めているのでシュライクから逃げなくてはならない。一度死んでサイボーグ化する事にやぶさかではないけれど今はタイミングが悪い…というわけだ。

だがヘラはこうした事情をシュレイクに説明せず、ただ黙々と逃げ続ける。

話したら分かってくれるんちゃう?

「ごめんシュレイク、もうちょっと待って。この件が片付いたら約束通り殺されるから」ってシュレイクに言えば済む話じゃない。要相談でしょ。曲がりなりにも家族なんだから。

シュレイクの方にも問題はあって、鬼の剣幕でヘラを追う意味がさっぱり分からないんだよね。一旦冷静になって「なんで俺から逃げるんだろ?」って考えてみろよ。サイボーグだから頭がすっトロいのか?

 

そんなシュレイクに最期が訪れる愁嘆場は見てるこっちが恥ずかしくなるほどベッタベタのメロドラマが畳み掛けられる。シュレイクは完全停止する前に初めて人間の心を理解し、ヘラに向かってこう言います。

「おぬし、ロバートを愛しておるな」

あ、そうだったんだ…。

観る者はこのセリフで初めてヘラがロバートを愛していたことを知る。それぐらい二人の関係性がロクに描かれてこなかったのだ。さすが、いまわの際に人間の心を理解したシュレイク。人間である我々観客ですら知り得なかった男女の機微に気づいていくゥー。

それにしても、一体ヘラはロバートのどこを見て惚れたのだろう。トゥインキーへの物欲しそうな目つき?

あと、映画が進むにしたがって移動都市感がなくなっていくなぁー…。だんだん移動しなくなってきた。

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ヘラを育てたシュレイク。どう見てもT-800です。

 

◆想像力の死体安置所◆

そんなわけで…CGはガチャガチャ、活劇もダルダル、主人公にイライラ、極めつけはチンプンな物語にカンプンな設定…と贅の限りを尽くしたSF超大作である。すんごーい。

また、数百年前の機器のパーツから量子エネルギー兵器を生み出そうとするヒューゴのように、あるいは都市を捕食するごとに巨大化するロンドンのように、『移動都市/モータル・エンジン』はあらゆる映画の断片的なイメージを借景しています。早い話がパクり倒しております。

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(77年)

『ターミネーター』(84年)

『未来世紀ブラジル』(85年)

『天空の城ラピュタ』(86年)

『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(99年)

『スチームボーイ』(04年)

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年)

パッと出てきただけでもこのラインナップ。

『ターミネーター』に至ってはテーマ曲の旋律まで鮮やかに模倣!

だがその模倣精神は上っ面のパスティーシュに終始するばかりで映画の魅力に繋がっていない。模倣の仕方が粗いというか、お洒落じゃないんだな。まるでいろんな有名人から譲ってもらった高級品を全部合体させて無駄にでかいガラクタ作りました、って感じの出来栄えである。

借り物のデザイン、出来合いのイメージ、据え膳の創作意欲。

要するに想像することを止めている。

この映画は想像力の死体安置所である。誰かのイマジネーションを搔き集めただけのハリボテ映画なので特に何の刺激も受けないし、そもそも何も生み出していない。プロだかアマだかよく分かんねえ奴らが歌ってるミックスカバーアルバムってあるでしょ? あれ聴いてる感じ。

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ヒューゴ・ウィーヴィングとジヘ(『マトリックス』ごっこをしてます)。

 

じゃあこの映画のオリジナリティはどこにあるの? と言えば「移動都市」というワンアイデアに集約されるわけだが(これとて原作小説が生み出したものだが)、この見せ方も上手くない。

たとえば『スター・ウォーズ』がおもしろいのは、架空に過ぎない様々な惑星の政治体制、都市構造、文化位相、生活様式が徹底的に作り込まれた点にあるが、本作にはそのようなディテールがどれひとつとして立ち現れてこない。つまり世界観が薄っぺらい。

あまつさえ各都市がバラバラに移動しているという設定なのに主要都市はロンドンぐらいしか出てこないし、だったらUKロックでも鳴らしてやろうという気の利いたアイデアすら思いつかないご様子。たとえチンプン物語&カンプン設定でも映画の世界観に引きずり込む術なんていくらでもあるのになぁ。

で、クライマックスでは愛だの死別だの自己犠牲だのといった物語記号がまるで映画の教科書を見ながらおっかなびっくりなぞってみましたといった消極的な手つきで配置されていく。シュレイクとの別れや主人公たちを助ける空賊ジヘの末路なんて「こ、こういうことですよね…?」と何度もプロデューサーに確認しながら撮ったみたいなぎこちなさに満ちており、逆にこっちがハラハラしてしまう。

よって本作、題材はSFでも事実上のサスペンスです。

だいぶ手に汗握ったなー。「いいよいいよ。今のところ一番低いハードルは超えてるよ!」とか「だから違ーう! そこ俯瞰で撮る意味ねえだろ!」とか。

観る者は、だから観客というより監修なのだ。

そしていちばん驚いたのはエンジニアのローナン・ラフテリーとヒューゴの娘レイラ・ジョージがまったくもって必要性のないキャラクターだということ。主要人物にも関わらず二人の出演シーンを全カットしてもいっさい齟齬や矛盾が生じない…という存在意義絶無の奇跡的なキャラクターとなっております。

『モータル・エンジン』とはよく言ったもので、まさにこの作品自体がモータル(死ぬべき)映画でした。

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「うわっ、危ないぞー!」などと無意味なことを叫ぶロバート。

 

(c)Universal Pictures