家の中にいるのは霊か殺人鬼か…それとも忍者か?
2012年。ニコラス・マッカーシー監督。ケイティ・ロッツ、キャスリーン・ローズ・パーキンス、ヘイリー・ハドソン。
家の中になんかいたという意味内容のホラーさくひんである。
ホラー映画は苦手と言ってるのに、やなぎやさんからゴリゴリのホラー映画『ディスコード』のリクエストを頂きました。
ちなみにホラー映画が苦手というのは映像技法に目が行きすぎて物語世界に没入できない=怖がれないから苦手なのです。
↓こちらの序論に詳しいです(読む価値ないけど)。
霊や殺人鬼がどのタイミングでアタックを仕掛けてくるか…というのはホラーの定石と映画理論に照らし合わせれば大体わかることなので、ホラー映画にスリルや恐怖を感じるには私はあまりに夢がなさすぎるのです。
あと、ホラー映画に出てくる人間って動きが緩慢じゃないですか。たとえば物音が聞こえた部屋を確かめに行って電気をつける…というシーンひとつ取っても、観客をドキドキさせるためにわざと緩慢な動作で勿体ぶるでしょう、あいつら。
こちらとしては「どうせ何かが起きそうで何も起きないブラフのシーンだ」とか「何も起きないと見せかけて何かが起きる不意打ちのシーンだ」ということがおおよそ分かっているので、そうなると緩慢な動作をしてる間が死に時間っていうか、ただ退屈な時間でしかないんですよ。ずいぶん手前勝手な言い草で申し訳ないけれど。
もちろん、こっちの予想が裏切られたときは「あっ」と思うけど、それは恐怖心というより感心で。「うわーそう来るかー。そう来ないと思ってたけどそう来るかー。一本取られたかー」みたいな。
やべぇ。今からホラー映画のレビューをするというのに、ホラー映画そのものをディスってやしない?
してる。
してるね。たっぷりディスったねぇ。
恐らくやなぎやさんがあまり好きではないであろうあらすじ追跡型のレビューです(全部ネタバレしてます)。
おまけにこの映画の怖さを伝えることに1ミリも寄与しないような文章です。間違えてコメディ映画を紹介するときのような文章で書いてしまっています。
申し開きができません。
◆どうやら家の中に何かがいるらしい系ホラー◆
たぶん面白いし、たぶん怖いし、たぶん評価も高いのだろう。
実際、無名監督の低予算映画とは思えないほど撮影といい演出といいなかなか好調なのである。
母が死んで実家で遺品整理をしているアグネス・ブルックナーが、夜中にビデオチャットで娘と話している最中に回線が遅くなってノートパソコンを持ったまま家中をうろつくファーストシーン。彼女の背中を追うステディカムの粘着的な動きが不気味さを煽りつつ、主舞台となる家の間取りを観る者に提示していく。ホラー演出と舞台紹介を兼ねた、簡潔にして合理的な導入部だ。
「ちゃんと映ってる? ママンが見える?」と訊ねるアグネスに、画面の中の娘が答える。
「見えるけど…ママンの後ろにいるのは誰?」
フゥ~~!
どうやら家の中に何かがいるらしい。なんだろうな? 忍者かな?
数日が経ち、妹のケイティ・ロッツが実家にやってくるが、姉が行方不明なので一人で母の葬儀に参列する。ここで早くもヒロインの交代だ(というより今考えるとアグネスはヒロインに見せかけたスケープゴートだったのだろう)。
ちなみに棺に入れられた母親の顔がいかめし過ぎて笑いました。
もうなんか、威厳バッキバキなのよ。死人ならもう少しリラックスせえよ、というぐらいいかめしい。もうちょっとカジュアルにいこうよ。
死に顔でこの威厳ということは生前はどれだけ威厳たっぷりだったのか。
◆ルンバ「ジューダス! ジューダス!」◆
その日からケイティはしばらく実家で暮らすことになるが、どうやらこの家には何かがいるようで(忍者?)、夜になると見えない力で突き飛ばされたり宙に浮かされたりして、とにかくケイティがむちゃむちゃな目に遭う。
にも関わらず、なぜか彼女は家を出ようとしない。まるで「私の実家はここだから」とでも言うかのように。ルーツを重んじる奴は尊敬に値する。私は一気にケイティのことが好きになった。
それにしても、霊のアタックがかなり物理的かつ豪腕なのである。通常のホラー映画におけるアタックとは「鏡に映り込む」とか「物を軽く動かす」といった恐怖を掻き立てるための心理装置として描かれるが、本作の霊はケイティの身体を持ち上げたり引きずり回すなどして、もはや暴力なのである。
嫌いやわぁー…。
なにこの体育会系的なノリ。たとえ霊であっても暴力を振るう奴は大嫌いだ。なめやがって。あんな夜中にケイティを振り回して家中をドッタンバッタンすんなよ。近隣住民の迷惑も考えられないのか、この霊は。殺したろか!(まぁ死んでるか)
だいたい近所の人から苦情がきた場合、叱られるのはケイティなのである。霊だからアタックをかけるのは構わないとしても、もう少しモノを考えてやれ。ちょっとテレキネシスが使えるからといってむやみやたらに既得権益を振りかざしやがって。子供か、おまえは。子供の霊か?
霊の既得権行使によって全身打撲したケイティ(本当に可哀想…)、「こらかなんで」といって霊感の強い同級生ヘイリー・ハドソンの協力を仰いで家に来てもらったが、霊はおまえだろってぐらいヘイリーの顔が病的で心配になりました。
おまえが一番怖ぇよ。
チャンピオンだよ。
すると急にブッ倒れたヘイリーは、床の上をルンバみたいにむいーんむいーんと水平移動する。ルンバの真似をしてゴミを集めているのかと言えばそうではなくて、またしても霊のテレキネシスによって動かされているのだ。
強制的にケイティ宅の床掃除をさせられたヘイリー、お次は鬼のような剣幕で「ジューダス! ジューダス!」と連呼する。
ジューダス・プリーストのことを言っているのだろうか?
ジューダス・プリーストといえば、メタルヴォルテージ全開の名曲「PAINKILLER」で知られるイングランド出身のヘビメタバンドである。ボーカルのロブ・ハルフォードは「メタル・ゴッド」の愛称で慕われており、その歌声は4オクターブを越えるというよ。
とはいえ、私にとってジューダス・プリーストの音は少々激しいため、普段あまり聴くことはないのだけど、相当ムシャクシャしてるときに『ペインキラー』や『背徳の掟』などを聴くとたいへん気持ちよいのである!
で、何の話だっけ。
そうそう。床にぶっ倒れたルンバがむいんむいんしながら「ジューダス! ジューダス!」と連呼して天井を睨みつけるので、なにかと思ってケイティが天井を見上げると女の霊が浮いていたのである。
この画はなかなかセンスがある。
まぁ、デヴィッド・リンチ意識しましたという感じがモロに出ているが、その後にまたすぐ出てくる霊のショット(画像下)といい、ホラーというよりもセンス・オブ・ワンダーなビジュアル設計が際立っている。
どうやら既得権を行使してケイティをいじめていたのはこの霊のようだ。
というか、あれだけ人をドッタンバッタン振り回していた豪腕ゴーストの正体が女性だったとは。しかもオバハンやないか。
◆言えば済む話系◆
ヘイリーは怖い目に遭ったのでそそくさと帰ってしまった。まぁ、無理からぬことである。ルンバにもされたしな。可哀想に、たぶんヘイリーの背中は埃まみれであろう。
ヘイリーは帰るまえにこのようなことをケイティに告げた。
「女性の霊があなたと話したがっている」
「下にいる!下にいる!」
「ジューダス! ジューダス!」
どうやらこれが謎を解くためのキーワードらしいが、私はヘイリーに腹を立ててしまった。とかくホラー映画では、ヘイリーのような霊感キャラが主人公に断片的な助言をしたりヒントを仄めかしたりするが…
知ってるなら全部言えよと。
なぜかなぞなぞ形式で「ヒントは教えるけどあとは自分で考えてね」という具合に、やたらと答えを出し惜しみするのだ。ましてや協力者なのに。
なんだ、その小出し感は。おまえは1話だけ立ち読みできるマンガか?
断片的なヒントだけ提示したヘイリーは、ビビるあまり半泣きで帰ってしまう。ケイティが「ねぇ、ジューダスって何? ジューダス・プリーストのことなの? 話を聞かせて」と言ってるのに「いやむりむりむり。話したくない話したくない…」といって取り付く島もない。
要は作劇として不自然なのよね。「教えてあげたくてもそれができない事情」があれば納得できるけど(教える前に死んじゃうとか)、ヘイリーみたいに恐怖で話せなくなるというのは作劇としていかがなものか。
このように、事情を知っている者がなぜか説明しないせいで回りくどい話になったり面倒事が増えたりするような説話効率の悪い映画のことを言えば済む話系と私は呼んでいる。『借りぐらしのアリエッティ』(10年)とかね。
とはいえ素顔は美人のヘイリー。
ヘイリーが頑なに真相を口にしないせいで、ケイティはインターネットを使って調べ事をするはめになる。
「ジューダス」という言葉をググったケイティは、それが1975年から89年にかけて7人を殺した連続殺人犯の名前だと知る。「ジューダス」なんて死ぬほどアバウトな検索方法でそんなことまで分かるなんて。すごいね。ちなみに検索結果にジューダス・プリーストはひとつもヒットしなかった。
しかもそのジューダスなる殺人鬼は、なんと死んだ母の兄だった!
さらに驚くことに、生前の母はジューダスを家の地下室に匿っていたのだ!
ということはつまり…
家に中に殺人鬼がいる。
冒頭で登場した姉アグネスの娘がビデオチャットしながら「ママンの後ろにいるのは誰?」と話していたのはジューダスのことだったのだ。その直後に行方不明になったアグネスはジューダスに殺されて家の地下室に捨てられたのである。
…という衝撃の事実をケイティに教えてあげたのは、散々ケイティをいじめ抜いた霊だった。その霊の正体はジューダスに殺された7人目の被害者らしい。
ケイティがコックリさんを駆使して事の真相を尋ねると、霊は「イエス! イエス!」なんつって、すげぇあっさり教えてくれた。どこかの出し惜しみ霊感少女とはえらい違いである。さすが体育会系の霊。さっぱりしたものだ。
そこへジューダスが地下室から現れたから、さぁ大変。物語はいよいよ感動のクライマックスへ…。
◆怖い目に遭った直後に美容院◆
一階にあがって牛乳を飲んだりジャムを食ったりしているジューダスの様子を覗き穴から窺う視感ショットや、ケイティとジューダスの壁一枚隔てた構図が緊張感を煽る。
このシーンでのカメラワークは本作最大の見所である。端的に巧い。
このあと、結局ジューダスに見つかってバトルになるのだが、霊が助太刀してくれたことでどうにかケイティは辛勝した。
ケイティが勝った瞬間、霊は「おめでとー」と祝福するかのようにドアというドアを霊力で開け放って家の中に温かい日光を注いだ。霊にしては粋な計らいである。
そして、ジューダスとの戦闘中に髪がバサバサになったので、彼を倒したケイティは警察に行くまえに美容院に寄って髪を直した。
綺麗にシャンプーしてもらい、カット&カラーで流行を先取りした。たぶん爪もやってもらっただろうし、会計時には10%OFFのクーポンだって使ったかもしれない。
さすが女子である。幽霊と殺人鬼がいる家でドッタンバッタンやった直後だというのに、いの一番に美容を意識するとは。
丁寧な施術を受けて大満足のケイティは、綺麗な髪をなびかせながら姪を迎えにいった。おわり。
殺人鬼をぶち殺した直後だというのに美容院で丁寧な施術を受けるケイティ(予約ナシの飛び込み)。
◆両方いるという贅沢仕様◆
このように低予算の有象無象ホラーとは一線を画したハイセンスな映像とキレのある演出を楽しめるが、私は鑑賞中に何度か眠くなったので自分でルドヴィコ療法をやりながら89分という長丁場を走破した。
いい映画だけどそんな一幕もあったよっていう事実報告です。
ルドヴィコ療法…『時計じかけのオレンジ』(71年)にて、目をこじ開けてむりやり映像を見せ続けるという拷問。
また、ヒロインのケイティ・ロッツがタンクトップ姿で胸の谷間をぶりぶりに強調する…というのはホラー映画の常識だが(恐怖と官能は表裏一体なのです)、太ももまでサービスするというあたりを見るにつけ、監督のニコラス・マッカーシーはよほどの太もも愛好家だとお見受けしました。
太ももホラーの急先鋒。
B級ホラーの割にはかなりの高評価を受けている本作だが、少し気になったのは幽霊と殺人鬼の同居…という欲張り仕様。
幽霊の仕業と思わせておいて実は殺人鬼が犯人だった…というホラー映画は稀にあるが、本作の場合は両方いるというむちゃんこ欲張りな映画で。
ジューダスが現れる後半では幽霊の存在意義が薄れてしまうのでヒロインを助太刀するという役に回るものの、だとしたら前半でヒロインをイジめたのはなんで? という疑問が生じるし、そもそもテレキネシスが使える幽霊(ジューダスに殺された犠牲者)なら自力でジューダスに復讐できるんじゃないの? とか、よくわからないところは多々あるけれど、いちばん気になったのはこちら。
ケイティ宅の地下室にずっと殺人鬼が隠れてた…って、さすがに無理があるくない?
基本的にケイティはずっと家にいたのに、実は地下室でジューダスが細々と暮らしていましたとか言われても、運よく一回もケイティと鉢合わせすることなく生活してたの? とか食事や排泄はどうしてたの? とか、いろいろと謎が残る。
だって、たまにジューダスは一階に上がってきて牛乳飲んだりジャム食ったりするんだよね? 冷蔵庫の食料が見るからに減っていってるんだよね?
さすがに気づかれるのでは。
むしろ階上のケイティに一切気取られることなく何日も過ごしていたジューダスの隠密地下生活にこそ興味があるよ。忍者か、おまえは。
まぁ、とはいえ今言ったのは重箱の隅ツンツンレベルです。
演出よし、太ももよし、ホラーとしても多分普通の人が観たら相当怖がれるレベルで、プロットもツイストが効いている(やや剛腕ではあるが)。なんといっても物語の裏設定が緻密だし、何より太ももがいい。
ちなみに続編の『ディスコード/ジ・アフター』(14年)を観る予定は今のところありません。
よっぽどステキな太ももが映ってるなら話は別だがな。