話、一個もわかりませんでした。PARTⅢ
2017年。トーマス・アルフレッドソン監督。マイケル・ファスベンダー、レベッカ・ファーガソン、シャルロット・ゲンズブール。
オスロに初雪が降った日、1人の女性が姿を消し、彼女のスカーフを首に巻いた雪だるまが発見された。捜査を開始したハリー・ホーレ警部は、過去10年間で女性が失踪した未解決事件が多すぎることに気づく。やがてハリーのもとに、「雪だるま」という署名の入った謎の手紙が届き…。(映画.comより)
おはようございます。
ごま油を買うといい気分になるよねって話。私はごま油をこよなく愛するアブラーである。この世には安室奈美恵を愛するアムラーという人種がいるように、ごま油を愛するアブラーと呼ばれし奴らもいるわけです。たまに「あっ、ボクはごま油の匂いを嗅ぐために生まれたのかな」って。
また、私は炊飯マスターとしての裏の顔もあるのだけど、米を炊く際にごま油を少々加えるんですョ。そうすっと内釜に米が張り付かないという仕組みになっております。
将来、ごま油風呂というのが若い人たちの間で流行るかもしれませんね。
さてさて!
今回も昨日に続いてレベッカ・ファーガソンの出演作を扱って参ります。『スノーマン 雪闇の殺人鬼』を観てヘロヘロになったのでその報告。貶しまくっております。
◆15%の未完映画◆
スノーマンはスノーマンでもホッコリする方のスノーマンではないので注意されたい。
そこだけは本当に注意して頂きたい。
ホッコリする方のスノーマン。
本作のスノーマンは殺した人間の顔を雪固めにしてしまうというクセを持った恐ろしい殺人鬼なのだ。注意が肝心だぜ。
犠牲者にこういうことをしちゃう殺人鬼。
さてそんな本作。犠牲者を雪固めにして消えるシリアルキラーを追う…というだけの話なのに、やけに分かりづらくて贅肉の多い映画であられる。
ある少年の過去に始まるアバンタイトルがなんら説話的な情報を提供してくれないことに関してはこの際不問に付す。問題は最初の失踪事件が起きるファーストシーンだ。
夜道を歩く女が何者かの気配を感じ、慌てて車に乗り込んで家路を急ぐ。後方から一台の車が後を尾けてくるが、この時点で3本は立てられたであろう死亡フラグはことごとくへし折られ、女は無事に帰宅を果たす。
深夜の読書中に家の窓に雪玉を投げつけられたりもするのだが、ここでも女は「ひぇっ」という声を発しただけで、べつに外の様子を窺いにいって何者かに連れ去られたわけでも、侵入者が家に押し入ってきたわけでもない。
だが翌朝、娘が母親を起こしにきたときには既に母親の姿はなかった。
長いっ、無意味っ、まどろっこしい!
なんでこんなに思わせブリトニーなんだ。
女が家に着いたシーンから初めてもよさそうなものだが、ご丁寧に夜道のシーンから初めて帰宅コースをいちいち追うことで思わせぶりサスペンスの手数を増やしているわけだ。
そんなことをしているから最初の事件発生までに10分近くもの尺を使ってしまい、酔いどれ刑事のマイケル・ファスベンダーとその相棒レベッカ・ファーガソンが捜査に乗り出す頃にはすでに映画中盤。あまつさえ明らかに不必要と思われるキャラクターがひっきりなしに画面を出入りし、ファスベンダーはその場にいない人物の名前を連呼し、カメラはさまざまな人物の過去をその都度フラッシュバックしてみせる。
ファスベンダーの元妻を演じたシャルロット・ゲンズブールをはじめ、ヴァル・キルマー、J・K・シモンズ、クロエ・セヴィニーが起用されているのでいちいち豪華なのだが、よくよく考えてみるとほとんど不要なキャラクターなのである。
やたら豪華な出演者。クロエ・セヴィニーの画像は下にあります。
そんなわけで話が前後に行ったり来たりして、左右にもぽんぽん飛ぶ。何やらガチャガチャしているようだがその実まったく話が動いていないという、まるで雪に足を取られて歩けない奴みたいな映画であった。
また、さほど重要でもないことをモッタラモッタラ描いておられた。だから肝心のクライマックスがロケット鉛筆式に押し出されちゃって、うまく消化されていない。
それだけならまだしも、放置されたエピソードや整合性が取れないシーンも散見され、いまいち話が分からないという大変ユニークな現象が巻き起こっている。
どうやら本作は撮影日数が足りずに15パーセントが未撮影に終わったらしいので、話が分からないのも当然なのである。ハナから未完成なのだから。
…って そんなものを世に出すな!
銃を構えるマイケル・ファスベンダー。髪型どうにかならんのか。
◆ちゃんと雪撮れ◆
未完成にして不明瞭な『スノーマン 雪闇の殺人鬼』をお作りなさったのはトーマス・アルフレッドソンというナイスガイだ。
スウェーデンからひょこひょこ現れたこの男は『ぼくのエリ 200歳の少女』(08年)でもてはやされ、英仏独合作のややこしスパイ映画『裏切りのサーカス』(11年)で更にもてはやされ、図に乗って『スノーマン』を撮ったところ撮影日数が足りず、ある意味『裏切りのサーカス』よりも難解な映画を作ってしまったというわけ!
ブルーレイの特典映像を見たが、主要キャストが口を揃えて「トーマスは天才だ」とか「現場のことを誰よりも正確に理解している」と言ってしきりにヨイショしていた。
現場のことを誰よりも正確に理解している天才なら撮影日数をオーバーすることもないと思うのだが。
なお、「ちょっと話が分かりづらかったかもしれないね」といった謝罪の言葉は誰からもなかった。大した特典映像である。
そもそも雪を主題化した作品にも関わらず雪を撮ることから逃げている時点で終わっていると思います。
レベッカ・ファーガソンは「失踪事件が起きた日には必ず雪が降っていた!」と言うが、それを聞いて雪の心象が浮かび上がった観客が果たして何人いるだろう。この映画がカメラを向けるのはもっぱら積雪であり、降雪に関してはコンピュータグラフィックスで白くモヤをかけただけで、それを「雪が降っていた」とするのはいくらなんでもお粗末ではないか。
『スノーマン』と冠する以上は雪ぐらい撮れよ。
もっとも、「天才」トーマスがスウェーデンの映像作家にも関わらず雪が撮れないことなど『ぼくのエリ 200歳の少女』を観れば一目瞭然なのだが、『スノーマン』では目に見えてその「才能」が後退している。ハッ!!
撮らねばならない降雪を意地でも撮らないトーマスは、逆に撮らなくていいものばかり撮ってしまうという謎の才能を手にした監督である。
マイケル・ファスベンダーが犯人の根城に踏み込むクライマックスで失踪した女のケータイに電話をかけるというシーンひとつ取ってみても、やはり天才トーマスは撮らなくていいものをしきりに撮る。
家の中から着信音が聞こえたことで女はここへ連れ去られてきたのだと確信したファスベンダーのアップショットの次に電話を切る手元のクローズアップを挟んでいるのだが、そんなものは省略してしまえばいいわけで、いちいちワンショットを使ってまで見せなくてよろしい。
まぁ、いま挙げたのはかなり細かい瑕疵なのだが、一瞬でも「ん?」という違和感を抱いた以上瑕疵は瑕疵。こうした0.1グラムの違和感が雪のように積み重なったところから映画は綻び始めるということを肝に銘じて頂きたいと思います。
「積もった雪」はいいから「降る雪」を撮れ!
◆悪趣味や好し◆
何から何まで手際の悪い119分のなかで唯一「おっ」と思ったのは容赦なきゴア描写。
犯人が殺害時に愛用するワイヤーガンはガジェットとして大変楽しく、思わず殺しのシーンを応援してしまったものです。
ドリルのような物の先端に輪っかになったワイヤーが装着されており、これを被害者の首に回してトリガーを引くとワイヤーが閉まって頭部を切断できるという実に便利な殺人グッズなのだ。これを使ってクロエ・セヴィニーは生首死体になるし、レベッカ・ファーガソンは人差し指を切断されてしまう。
また、ショットガンによる死体損壊を堂々と見せてしまうあたりも実にトーマスらしい。
ヴァル・キルマーが「ヴァルキルマー!」って言いながら椅子に縛りつけられてショットガンで頭部を吹き飛ばされる瞬間を背中からではなく正面から見せ切った勇気。これぞ蛮勇。しかも無くなった頭のかわりに雪だるまを生首のうえに乗せる…という犯人の粋な計らい。プライスレス。
逆に、頭部を切断されたクロエ・セヴィニーは雪だるまの胴体に生首を装着されてしまう。この役にクロエ・セヴィニーを配置するという点も含めて実にハイセンスであるよなー。
首を切断されたうえに雪だるまと合体させられたクロエ。
いつも午睡感覚のマイケル・ファスベンダーは相変わらず一本調子でつまらない。ただ無感動な芝居を「抑えた演技」と言って有難がる人民が多いから困ってしまう。なんだかリーアム・ニーソンに似てきたな…と思ったものです。無感動で淡々と犯人を追う。だけど身体性に乏しい。もはや佇まいだけで勝負している俳優というか。
私が贔屓にしているレベッカ・ファーガソンだけはさまざまな顔を見せながらよく動きもするのだが、芝居が事務的だったので悲しかった。なんというか「役をこなしている」という官僚主義的な演じ方で、映画に何かをつけ足すこともなければ何かを奪うこともないという、人畜無害の安牌演技ザッツオールである。ムラの多い女優だなぁ。
そんなわけで無念千万の作品でありました。
トーマス・アルフレッドソンは真冬のストックホルムの広場で乾布摩擦でもして精神力を鍛えるべきだ。あと雪を降らせるならちゃんと降らせろ。