話、一個もわかりませんでした。PARTⅡ
2016年。シャミム・サリフ監督。レベッカ・ファーガソン、サム・リード、アンチュ・トラウェ。
反スターリング主義の嫌疑をかけられ両親を処刑されたカティアは、ソビエト政府に対する復讐の念から、アメリカのスパイとして生きることを決める。しかし、情報を盗むため接触した外交官のサーシャと禁断の恋に落ち、任務と愛の間で揺れ動く彼女の運命は…。(Amazonより)
おはようございます。
昨日は全身筋肉痛でした。運動なんて一切してないのに。まったくなめやがって。どれだけ普段私が筋肉に感謝していると思っているんだ。その感謝を無下にして。痛くさして。
でも一晩寝たらすっかり治ったからゆるす。オレは筋肉を許していくよ。
それはそうと、本日は坊ちゃん回です。がっかりだよねぇ。しかも今回のレビューは『オーメン』(76年) 評を読んでいないとわけがわからない部分もある…というすこぶる面倒臭い構成となっております。ざんねんだよねぇ。
こんな記事を読むヒマがあるならベッドの下を掃除した方がよっぽど有意義ですよ!
でもそれはしない方がいいかもしれない。ベッドの下に殺人鬼がいるかもしれないし。
というわけで『レッド・エージェント 愛の亡命』。
◆クソややこしい映画◆
どうも、元気100パーセント坊ちゃんです!
知らない人や忘れてる人も多いでしょうが、約2ヶ月前の坊ちゃん回で私がふかづめさんを殺害してしまって、それ以降はわたくし元気100パーセント坊ちゃんがふかづめさんになりすまして『シネマ一刀両断』を運営しております。
ですが、そろそろ彼を登場させてあげないと可哀そうなので、今回はふかづめさんをゲストにお招きして『レッド・エージェント 愛の亡命』について語っていきたいと思います。
おーい、ふかづめさーん。
あ、来た来た。向こうから走ってきた。
ふかづめ「体力ないから走らすな」
ふかづめ
『シネマ一刀両断』の元運営者。特技は自慢の文章力で頭の悪さをカバーすること。
2018年11月24日の『オーメン』(76年)評の中で坊ちゃんに殺害されてブログを乗っ取られた。
坊ちゃん「お久しぶりです。相変わらず辛気臭い顔ですね」
ふかづめ「そんなことよりいま僕はどういう状態なの? どういう体で取り組んだらいいの? この状況に」
坊ちゃん「と言いますと…」
ふかづめ「去年11月にキミは俺を殺しましたね? ってことは、今ここにいる俺は霊体とか魂とか…そういう設定なわけ?」
坊ちゃん「いえ、僕のイマジナリーフレンドです」
ふかづめ「坊ちゃんのイマジナリーフレンドなの? 坊ちゃん自体が生前の俺のイマジナリーフレンドなのに? てことは、今ここにいる俺はイマジナリーフレンドのイマジナリーフレンドなの?」
坊ちゃん「そういう読みも可能です」
ふかづめ「そんな複雑なことをして…読者がついて来てくれると思う?」
坊ちゃん「そんなことより映画の話をしましょうよ。本日レビューするのは『レッド・エージェント 愛の亡命』です。もちろん観てますよね?」
ふかづめ「そりゃ観てるよ。僕はキミだからね。…違う! キミが僕なんだよ!」
坊ちゃん「一人二役で記事を書くとロクなことになりませんねぇ」
ふかづめ「ていうかこのイマジナリーフレンドのくだり、誰が楽しいんだろうな。そもそも坊ちゃん回自体がぜんぜん人気のないコーナーなのに」
坊ちゃん「否めない。坊ちゃん回=手抜き回ですからね、はっきり言って。ふかづめさんが批評を放棄する際の逃げ口上ですよ、こんなもの」
ふかづめ「否めない。っていうか『レッド・エージェント 愛の亡命』を観たんだけどさぁ…、スパイ映画じゃねえかよ、これ!」
坊ちゃん「スパイ映画ですよ。それが何か?」
ふかづめ「当ブログのワーストレビューTOP5に入るであろう『10億ドルの頭脳』(67年)の評でボク言ったよね。スパイ映画が苦手って再三言ったよね。スパイ映画って人間関係とか立場・状況がコロコロ変わるから筋がまったく理解できないんだよ。早くも『10億ドル』の二の舞確定だよ」
坊ちゃん「じゃあなんで観たんですか?」
ふかづめ「レベッカ・ファーガソンをファーガソンするためだよ!!」
坊ちゃん「『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(18年)で絶賛してましたもんねぇ。彼女を観るために苦手と知りながらも本作を観たわけですね。結果、どうでした?」
ふかづめ「さっぱり分からなかったよ!」
坊ちゃん「言わずもがなでしたね。実際ふかづめさんのようなバカじゃなくてもこの映画は難しいですよ。レビューサイトでは『話を追うのに苦労した』って意見が飛び交ってますから」
ふかづめ「この映画、レベッカ・ファーガソンが一人二役を演じるというので二通りの髪型が楽しめるんだな。だから髪型評論家としては無視できない作品ではあるよ。ところが筋がチンプンカンプン」
坊ちゃん「本作は米ソ冷戦時代の女諜報員の恋路を描いた内容となってますが、1960年代と1990年代を交互に見せていくんです。60年代を生きた女諜報員のカティアと、90年代に生きる若き芸術家ローレンという二人の女性がいて、それをファーガソンが一人で演じている。どうやらこの二人には血のつながりがあるというので、ローレンがカティアのことを調べるうちに過去の秘密が明かされていく…という仕掛けになってます」
ふかづめ「さすがの僕でもそこまでなら理解できるんだけど、問題は登場人物のややこしさなんだよな。顔と名前の不一致にたいへん苦しめられました。だってカティアの恋人がサーシャという男で、その友達がミーシャだぜ? 嫌がらせだろ!」
坊ちゃん「確かにややこしいですね…。しかもサーシャ役が60年代パートと90年代パートとで別の俳優が演じていたり、60年代パートにしか出てこないキャラクターの名前を90年代パートにしか出てこないキャラクターが連呼したりするので早い段階でキャラ情報を頭に叩き込まないと置いてけぼりを喰らう。おまけにスパイ映画ということもあって『顔』と『名前』に加えて『立場』も把握しなきゃいけない。そしてその立場がコロコロ変わるという…」
ふかづめ「僕の持論だけど『その場にいないヤツの名前は呼ぶな』だよ! 映画なんてたかだか2時間そこらの付き合いでエンドロール迎えりゃハイサヨナラなんだから役名なんていちいち覚えてられるかっつーの。全キャラの名前を覚えないとロクに物語理解すらできない映画なんてエゴ。作り手のエゴ! ド厚かましいんじゃ!」
坊ちゃん「自分が理解できなかったことを作り手のせいにしてキレておられる…」
ふかづめ「たとえば『ゴッドファーザー』(72年)はこの映画の5倍近くのキャラクターが出てくるけど、どっちが筋を追いづらいかと言えば断然『レッド・エージェント』だと思うんだよね。『ゴッドファーザー』はキャラクターをシンプルに造形して運んでるし、出し入れも的確。『あ、このキャラは覚えなくていい』ということも直感的に分かるように作られてるんだよ。だからボーっと見てても物語理解につまずくことなくスルスル見れる。これが名監督の業ですよ。究極までいくとジョン・フォードの映画なんて字幕&音声ナシで観ても話わかるからね」
坊ちゃん「まじめな映画論になりますが、情報過多になった21世紀の映画を観ていく上では『どこまでサイレントに近づけるか』というのがひとつの視座になり得ると思うんですよ」
ふかづめ「あ、そういう面倒くさい話はしたくないな…」
坊ちゃん「思いきりハシゴを外された気分ですぅー」
カティアとサーシャ。…ミーシャだっけ?
◆役者を生かすも殺すも撮影次第!◆
ふかづめ「とはいえ、物語というのは映画を構成する数あるエレメントのひとつに過ぎないから、僕なんかは筋が追えないなら別のところを観てやろうと思うわけ。わけのわからないストーリーさん、どうぞ好きにやってくださいと。こっちはこっちで勝手に楽しむから、という感じで」
坊ちゃん「ならばファーガソンを凝視してやろうと」
ふかづめ「そうそう。ファーガソンしてやるぞと。結果として『レッド・エージェント』は現時点でのレベッカ・ファーガソンの代表作になったと思う。個人的には90年代パートのミシェル・ウィリアムズ風ゆるふわショートがたまらないんだけど、何と言っても60年代パートですわなっ。この髪で映えるのはよほどの美人だけ」
ファーガソンが演じ分けたカティアとローレン。
坊ちゃん「画像上はナタリー・ウッドとか、ある時期までのオードリー・ヘップバーンを思わせますねー」
ふかづめ「この映画のファーガソンは凄いさ。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(15年)も『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(16年)も、あるいは『ライフ』(17年)でさえもファーガソンだけが撮れてなかったのに」
坊ちゃん「この人って5年前から売れてるのに未だに認知されてないですよね」
ふかづめ「撮影がひどいからだよ。特に『ライフ』のシェイマス・マクガーヴェイというカメラマンは『少年は残酷な弓を射る』(11年)や『アベンジャーズ』(12年)を手掛けているように、映画ではなく顔を撮る人で。でもこの人を以てしても『ライフ』のファーガソンは誰でもない顔になってしまっている。ことによるとファーガソンの方に問題があるのかなとも思っていたんだけど、本作を観て確信しました。レベッカ・ファーガソンはなかなかの逸材。だけど撮るのがすこぶる難しい!」
坊ちゃん「『撮るのが難しい』って、どういうことでしょうか。たとえ美人の女優でもカメラマンが無能だと美しく見えないとか、どれだけ芸達者でも演出が悪いと大根のように映る…といった意味で理解してもいいですか?」
ふかづめ「そういう読みも可能です」
坊ちゃん「逆襲の…!!」
ふかづめ「よくさぁ、映画を観ていて『この俳優太ったよねぇー』とか言うじゃない。それは役作りとして実際に俳優が太っているということもあるけれど、カメラマンとか照明技師があの手この手で工夫して太ってるように見せてるんだよね。つまり役者がどう見えるかは撮影次第なんだ」
坊ちゃん「まぁ、そりゃそうですよね。多分みんな頭では分かってるけど、でもなぜか『この俳優太ったよねぇー』って言ってしまうんでしょうね。つまり我々がハリウッドスターに対して美人やハンサムと思うのは…」
ふかづめ「本人のポテンシャルが3割で撮影の力が7割! もはやプリクラの域!」
坊ちゃん「映画とは嘘の産物である、というのはそういうことでもあるんですね」
ふかづめ「だけど人民はスクリーンに映ってる俳優が90点の顔なら『この俳優は90点の顔なんだ』と信じ込むよね。でも実際は70点ぐらいなんだよ。撮影が素晴らしいから90点に見えるだけ。要は錯覚。撮影終えて家に帰ったら70点ですよ。寝起きの顔に至っては50点だよ」
坊ちゃん「映画によってカッコよく見えたりイマイチに見えたりしますからね。特に大事なのはカメラアングルよりも照明なのでしょう。光の種類や当て方次第で別人みたいになりますから」
ふかづめ「もうひとつ付け加えておきたいのは画像だけ見てもダメですよってこと! 動いてるところを見なきゃ映画の美醜なんて判断できない。画像だけで美醜の判断をしていい人のことをモデルと言うんです。でも俳優はモデルじゃないから映像で観なきゃ絶対にわからない。バカなギャルがゴシップ雑誌見ながら『これ可愛い~、彼イケメン~』って言ってるんじゃないんだから」
坊ちゃん「その話にはうまく乗っかれそうだな。以前、『シカゴ』(02年)のレニー・ゼルウィガーってとてもキュートだよねって友達に言ったら、その友達がゼルウィガーの画像をググって『超ブスじゃん』って言ったんですよ。『シカゴ』を観てから言え!」
ふかづめ「たしかにゼルウィガーは普段ブスだけど、芝居をしているときは何故かキュートだよね」
坊ちゃん「普段ブスとか言うな」
『シカゴ』のレニー・ゼルウィガー。画像だけで判断してはいけません。
◆運営者変わりました◆
坊ちゃん「マズいですよ、ふかづめさん…。もう4000字以上語ってるのにロクな話をしてません。ふかづめさんが名前問題と美醜問題について吼えただけの回になってます」
ふかづめ「何を今さら。それが坊ちゃん回の醍醐味でしょ?」
坊ちゃん「まぁ、レベッカ・ファーガソンについては語ったし、いいかぁ」
ふかづめ「それに誰も読んでねえよ、ここまで来ると。冒頭のイマジナリーフレンドのくだりで大部分の人が画面を閉じたことだろうさ。ハッハハ!」
坊ちゃん「総評として『レッド・エージェント』はどうだったんですか?」
ふかづめ「ウン、しょうもなかった。坊ちゃんは?」
坊ちゃん「僕はわりと見るべきところがありましたね。旧ソ連のセットやVFXはなかなか豊かな雰囲気を持っていたし、スパイであることを隠しながらサーシャとの愛を育むカティアの複雑な心境も…、あれ、ミーシャでしたっけ? サーシャですよね?」
ふかづめ「俺が知るかよ! ほーれほれほれ、言わんこっちゃない! 名前の罠に引っかかってるじゃないか。ダメ映画なんだよ、やっぱり。なにが『僕はわりと見るべきところがありましたね』だい!」
坊ちゃん「ぷううううううぅ!(頬を膨らませて怒ってます)」
ふかづめ「膨れっ面をしてもムダですよ。手の内は読めてます。どうせこのあと包丁持って襲ってくるんでしょ」
坊ちゃん「わああぁぁあああぁぁああ!!」
ふかづめ「見切っとるんじゃいいいい!」
坊ちゃん「あふぅ」
ふかづめ「あ、やべ。包丁を奪うつもりが誤って刺してしもた。坊ちゃん大丈夫? …だめっぽいな。『あふぅ』つって死んだ」
というわけで『シネマ一刀両断』の運営者がまた変わりました。一周回って私のターンが来た。これからは私ふかづめが約2ヶ月ぶりに復帰という運びになりまして、これまで通りブログを運営して参ります。坊ちゃんには申し訳ないことをしてしまったけどそのお陰で辻褄が合った。
とは言え、いまの私はイマジナリーフレンドの坊ちゃんから生み出されたイマジナリーフレンド。
ぜひ次回はイマジナリーフレンドの坊ちゃんから生み出されたイマジナリーフレンドの私がイマジナリーフレンドの坊ちゃんを再び召喚して、二人で仲よく語らっていきたいと思います。アデュー。
坊ちゃんが褒めていたVFXです。