おはようございますねぇ。
本日は久方ぶりの「俳優かく語りき」。前回の『梅雨のメグ・ライアン特集』から半年以上経っての更新となります。
今回特集を組むのは『現代女優十選』で2位に輝いたティルダ・スウィントン!
好きな人は本当に好きだし知らない人はトコトン知らない…といった秘境の女優でございます。今回はそんなティルティルの魅力を広くアピールした内容というよりは、一部の人がこそこそ読みながら頷くといった真夜中のラーメンみたいな文章になっているかもしれない。
よっしゃ、じゃあ行ったるか。久しぶりにもくじ機能を使うぜ。もくじは最高だぜ。
もくじ
①神秘スウィントン
1960年生まれ(現在58歳)のイギリスが誇る神秘。
権威あるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで芝居を学ぶ。この劇団はローレンス・オリヴィエやピーター・オトゥールといったゴリゴリの英国俳優を輩出したイギリスが誇る神秘の製造元である。
で、製造されたのが彼女 ↓
ティルダ・スウィントン(通称ティルティル)の魅力は人智を超えた美しさに尽きる。
もちろん端正な顔立ちでスタイル抜群なのだが、ここで言う「美しさ」とはそういう俗的な意味合いよりも、もっと本質的な…いわば宗教的な美のことである。
キャリア初期はデレク・ジャーマンの常連俳優だったが、そこで主演を張った『オルランド』(92年)という映画では男性から女性に変身していくつもの時代を生きた主人公を演じている。
もともと中性的な顔立ちで、この世のものとは思えぬ幽玄な香りをまとった女優なので、デレクの死後にアメリカに進出したティルティルは人間以外の役を多く演じた。
ティルティルの名を一躍世に知らしめたのは『コンスタンティン』(05年)というハリウッド映画なのだが、これは悪魔祓いのキアヌ・リーブスが「ホーリーナックル」と称したメリケンサックを装着して悪魔憑きを鉄拳除霊して回る…というバカ映画。ここでティルティルが演じているのが大天使ガブリエルである。
もはやガブリエル本人よりも美しい(ラストシーンではキアヌに顔面をど突かれて鼻血を流すというサービスもアリ)。
『コンスタンティン』でのティルティル。
これまで実験映画や自主映画にしか出なかったティルティルにとって2005年は転機となった一年で、『コンスタンティン』と同年に製作されたファンタジー大作『ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女』(05年)では白い魔女を演じている。
ちなみに来日したティルティルが日本の観客に向けたメッセージがなかなかに意味深。
「もし何もすることがなくて時間をもてあましてしまったら、ぜひ『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』を観てください。でも、もし何かしなきゃいけないことがあるなら、それをまずしてから観にいってくださいね。」
要するに「駄作だから観なくていい」ということだ。
『ナルニア国物語/第3章: アスラン王と魔法の島』(10年) だけは楽しめました。
また、トム・ヒドルストンと共演した『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(13年)では吸血鬼の夫婦を演じている。
天使といい魔女といい吸血鬼といい…似合いすぎ。もはやハロウィンに仮装していいのはティルティルだけ。
この吸血夫婦はなんとも慎み深くて、めったやたらに人を襲うような乱暴者ではない。悪徳医師から血液パックを売ってもらい、それを冷蔵庫で冷やして血液アイスバーの製作に勤しみ、レコードを聴きながらそれをうまうま舐めるといった庶民的な吸血鬼なのである。
無害!
血液アイスバーが好物。
そんなわけで人間離れした雰囲気をまとう彼女だが、ティルティルを語る以上はデヴィッド・ボウイとの類似性を指摘しておかねば手落ちというもの。
デヴィッド・ボウイの生き写しとまで言われたティルティルは「The Stars」のMVでボウイと共演しており、MVの中ではボウイ的主題でもある「変身」を遂げている。デヴィッド・リンチが好きな人にはたまらない神経症的世界観!
実際、この二人は「前衛アートへの接近」という点において非常によく似ている。アルバムを出すごとにさまざまな音楽性を横断したボウイがジャンル分け不能の液状音楽だったように、ティルティルもまた出演作によって別人のように姿を変えるのだ。
次章では、ここで述べた「神秘性」とは正反対のティルティルをご紹介します。
死の3年前に発表された曲。
②生身スウィントン
中性的な顔と彫刻のようなプロポーションを持ち、まるで妖精や仙人のような身振りで俗世と距離を置くティルティルだが、一方ではこのうえなく卑近で平凡な人間を演じることも。
『ミラノ、愛に生きる』(09年)や『胸騒ぎのシチリア』(15年)では不倫に走る中年主婦のありふれた心情を生々しく表現なさった。
『フィクサー』(07年)では隠蔽工作や主人公抹殺を企む悪徳弁護士の役にも関わらず、不正が発覚することを恐れるあまりトイレの個室で爪を噛みながら貧乏ゆすりをする…という小心者まるだしの小悪党を演じている。脇汗もすげぇ。
不安そうに爪を噛む黒幕。
そして、やはりティルティルといえばノーメイク。
私生活では全きスッピン。だがスッピンがすでに完成形。
映画によっては化粧が必要な役もあるが、その際は原型を留めないほどの厚化粧で別人に化ける。ティルティルは一般的な女優のように「程よい化粧」をすることがない。メイク率が0か100かという極端すぎる女優なのだ。
ジェンダー的なコンテクストにおいて、化粧とは社会とコミットするための儀式である。ジェーン・スーいわく「女は毎朝 社会に自分を釈放してあげてる」らしい。
スッピンは もはや囚人!
だから外に出るために化粧をする。化粧とは仮釈放の手続きである。
だがティルティルは化粧という手続きをスキップして外に出ることができる稀有な人物だ。なぜなら囚人ではないから。むしろ刑務所慰問をおこなって「スッピンでもいいじゃない!」と囚人たちを勇気づける側の人間なのである(比喩が重なってわけがわからないね)。
ティルティルが化粧をするときは進んで醜くなるときだけだ。
次の章ではそのあたりについて詳しく語る。
③ティルティルは変態する
ティルティルは美の隠蔽工作員である。
わざと美を隠し、自ら進んで醜悪な姿に変態するのだ。
『フィクサー』では脇腹を弛ませていたし、米韓合作の列車映画『スノーピアサー』(13年)では小汚い歯抜けババアを、『グランド・ブダペスト・ホテル』(14年)では84歳の成金老婆を演じて人民を驚かせた。
紛うことなきババア。
スーパーモデルのようなプロポーションにも関わらず、脇腹をぶよぶよに太らせたり歯抜けの老婆になったりと、進んで肉体の醜さをさらけ出す。この「美に執着しない姿勢」がなんとも脱俗的でティルティルらしい。
奇しくも「美しさと醜さは等価である」という私の持論にも結びつくのだが、おそらくティルティルは表面的な美醜になど関心がないのだろう。
そして美しい俳優が美しさを武器にすることのリスクも承知している。
映画俳優にとって美人とかハンサムといった属性はハンデでしかない。なぜなら美人は美人の役しか出来ないが、不美人は化粧や照明次第でいくらでも美人になることができるからだ。監督に求められるのは「いかに削ぎ落とすか」という素質だが、俳優には「いかに付け足すか」という素質が必要なので、持つ者よりも持たざる者の方が圧倒的に強いわけだ。
背の低い人間は厚底を履いたり台のうえに乗ることで長身のように見せられるが、背の高い人間は低身長にはなれない。そういうことである。
だから「持つ者」のティルティルは美を隠蔽することによって「持たざる者」へと姿を変える。ハンデをアドバンテージに変えることができた数少ない女優なのだ。
『めぐりあう時間たち』(02年)のニコール・キッドマンは特殊メイクを使ってヘンな鼻にしたが「別にキッドマンじゃなくていいじゃん」と言われたし、シャーリーズ・セロンも『モンスター』(03年)で醜怪なババアになりきったが観る者をただ不快な気分にさせただけだった。
ニコール・キッドマン (画像上2枚)とシャーリーズ・セロン(下2枚)。
つまり美人は変態できない。当然といえば当然である。世の人民の変身願望(憧れ)の対象なのだから変態されちゃ困るのである。だがティルティルだけが自由気ままに変態しており、人民も「ティルティルなら許す」と言ってにっこり笑っている。
なぜか?
顔のベースがスッピンだからにほかならねえ。
通常、有名人というのは髪型・化粧・服装のスタイルがパブリック・イメージとして固定化されている。ニコール・キッドマンといえば金髪ロングだし、仲間由紀恵は黒髪ストレート、ブラッド・ピットはベリーショートでデニムが似合う…という風に。だからそのイメージに合った広告のモデルとしてCMなどに起用されるわけだ。
だがティルティルは公私ともにスッピンがデフォルト。いわばティルダ・スウィントンという絵は人物画でも風景画でもなく、油絵でも水彩画でもない。何も描かれていないキャンバスなのである。
だから何を描いてもOK。厚化粧ギャルも描けるし、歯抜けババアを描くことだってできる。ティルティルは如何様にも姿を変えてスクリーンの前に現れる。実体なき美という概念そのものだ!
④ティルティルの不思議な世界
ティルティルは俳優業をする傍らモデルとしてもさまざまな写真を発表している。
どれも世界観全開で大いに理解に苦しむので、皆さんと一緒に観ていきたいと思います。
余計なコメントはせずにおくので、写真だけを存分に楽しまれたい。
やりたい放題やないか。
事程左様にすてきな写真を残しているティルティルは、俳優・モデルのほかにも謎多き芸術活動をおこなっており、美術館に展示されたガラスケースの中で8時間眠り続けるという睡眠パフォーマンスを大成功させた(頻繁にやってるらしい)。
人々に見守られながらの熟睡。
⑤ベスト・スウィントンTOP5
最後は、ティルダ・スウィントンがティルティルしている映画を5つ選びました。ご紹介させてください。
5位『フィクサー』(07年)
黒幕なのに小心者、という妙にリアルなキャラクター造形を評価しての5位であります。
爪を噛んだり、脇汗を拭ったり、腰を抜かしたり…といった小心者演技が人民の感動を誘い2008年のアカデミー助演女優賞を受賞なされた。
映画自体も非常によく出来た社会派サスペンスなのでぜひ観ろ。ちなみに主演俳優は調子クルーニー。
4位『胸騒ぎのシチリア』(15年)
声が出なくなった女優がシチリアで療養生活という名の優雅なバカンスを送る…という某ベルイマン作品を彷彿させる内容で、飾り気なしのティルティルがシチリア生活を謳歌しておられる。
能天気な三角関係がダラッと描かれるが、映画後半では「そっちにいくの!?」という急展開が控えております。半ばティルティル専属監督となりつつあるルカ・グァダニーノは『君の名前で僕を呼んで』(17年)や『サスペリア』(18年)で絶賛ブレーク中だが私の見立てだと才能ナシ。
3位『オルランド』(92年)
もはや「美しい」と口にすることすらおこがましい…。
ルネサンス絵画かよ。
『オルランド』は、歳を取らない少年が150年の昏睡状態を経て女性に変化する…という不思議な歴史映画である。
まさに性を超越したティルティルの面目躍如。映画自体は大して面白くはないのだが、中世英国の雰囲気とレンブラント・ライトに照らされるティルティルを堪能する分には上出来でしょう。
監督は某魔法使いを連想させることでお馴染みのサリー・ポッター。
なめた名前だ。
2位『少年は残酷な弓を射る』(11年)
「大好き!」という人も多いのでは。今を時めくエラ張りミラー エズラ・ミラーの出世作であるから、美少年ウォッチャーには大変ウケのいい作品となっております。
そんなエズラ坊は猟奇的な不良分子で、その母親を黒髪ショートのティルティルが演じている。道で出会った人からいきなりビンタされるシーンが強烈。『コンスタンティン』といいコレといい、ティルティルはよく顔を叩かれてしまいます。
1位『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(13年)
1位は迷ったけど結局こうなったわぁぁぁぁ!
初期作を期待された方には申し訳ないが結局こうなるのよ。ティルティルは40代からが真骨頂だから。
永瀬正敏、ウィノナ・ライダー、スティーヴ・ブシェミといい、ジム・ジャームッシュはある種の俳優を使いこなすのが本当に達者ですねぇ。ティルティルとは『ブロークン・フラワーズ』(05年)と『リミッツ・オブ・コントロール』(09年)に続く三連続起用にして念願の主演抜擢であります。
吸血鬼夫婦のティルティルとトム・ヒドルストン(MCUのロキ) がトラブルメーカーの妹ミア・ワシコウスカに振り回される…という物語の骨格だけで既に面白い。こういう「どう考えても良い映画にしかならんだろ」というような発想をさせたらジャームッシュの右に出る者はいないわけです。
物言わぬ吸血夫婦をナトリウムランプのような橙色の照明が夜のデトロイトに解き放つ。なんと心地のいいティルティルムービーであろうか。