シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

旅愁

不実の力学が不倫カップルを引き剥がしてゆくでー。

f:id:hukadume7272:20200120093229j:plain

1950年。ウィリアム・ディターレ監督。ジョーン・フォンテイン、ジョゼフ・コットン、ジェシカ・タンディ。

 

旅客機内で知り合い、ふとした巡り合わせで愛が芽生えたことから、互いにかつての生活を捨てて新しい人生を歩まんとする技師と女性ピアニストの顛末を描いたメロドラマ。(Yahoo!映画より)

 

どうもおはようございます。

私は就寝時に音楽を聴かないと寝付けないので、昨日なんかはオリビア・ニュートン=ジョンを聴きながら安眠していたのだけど、途中で目が覚めたときにはアルバムが一周して全き静寂が自部屋を包んでいたため、もっぺん頭からアルバムを再生して目を閉じますと、ちょうどウトウトしかけた折に意識の彼方からシャラシャラとした美しい曲が聴こえてきて、「あれ…こんな曲あったっけ?」と思いつつもコッテリ、熟睡を遂げた私、翌日になって「そういえば昨夜まどろみながら聴いた曲って何だったんだろう?」と首を傾げ、今度はバキバキの覚醒状態で同じアルバムを聴き直してみたのだが……そ、存在しなーい! 昨夜まどろみながら聴いた、あの美しい曲が存在しなーい!

だとしたら私は混濁せし意識の中で幻聴ミュージックを作り出していたのか?

ボーナストラックとして私が書き下ろした幻聴ミュージック、題して「神秘のシャララ」。言わばそれをオリビア・ニュートン=ジョンに楽曲提供したのである。

本当に素晴らしい曲だったので是非もう一度聴きたいのだが、どうしても思い出せず、先ほどから「シャララー、ラン、ラン」とテキトーに口ずさんではいるのだが一向に再現できず。乱。

そんなわけで本日は『旅愁』です。

f:id:hukadume7272:20200120095141j:plain

 

◆男と女は幽霊として生きることを決めた◆

はっきり言って結婚生活は「真実の愛」の汎化作業に他ならないし、そもそも制度化された愛に真実を求めること自体が虚偽の身振りに他ならないと俺なんかは睨んでる。

よって、冷めきった家庭に疲れてイタリアを旅していたジョゼフ・コットンが帰国する飛行機の中でアメリカ公演を控えたピアニストのジョーン・フォンテインと出会い、燃料ポンプのトラブルでナポリに不時着した際に「ナポリ観光しませんかね!」と誘いかけた身振りが軽薄とは思わないし、彼が妻帯者であると知ったジョーンが多少躊躇しながらも「いいですとも!」と返した言葉が乱倫の誤答とも思わないわけです。

アメリカでジョゼフの帰りを待つ妻ジェシカ・タンディは「息子には父親が必要」との考えから離婚に応じようとせず、そのためにジョゼフは飛行機の修理が終わるまでジョーンと過ごすことになった4時間が少しでも長く続けばいいと思い「時間を伸び縮みさせる能力ほしい」などとアホの子みたいな夢想に耽るが、さて4時間後に空港に戻ると、すでに飛行機は二人を置き去りにしてプ――ンと飛び立っていたのでした。

ジョゼフ置いて行かれとるやないか

ジョーン公演、間に合わんやないか

 

そんなわけで、ナポリ観光を延長した二人は「これぞ旅愁」とか言いながらバカンスを楽しみ、数日経ったころには割と大胆なキスをするほどの情愛を結んでいた。二人を巡り合わせた「セプテンバー・ソング」も効果的に使われる。

だがジョゼフが妻子持ちである限り、いずれはジョーンと別れてそれぞれの暮らしに回帰せねばならない。ただでさえ背徳感に苛まれていたジョーンは有限の愛に耐えられず「本気になる前に愛の幕を下ろさせて!」と叫ぶが、こういう時にニブいのが男、アホのジョゼフは「どういう意味ぃ? それよりもう一度キスしようじゃないか」などと言って彼女の肩を抱き寄せる。

だから「それがでけへん」言うとるんやないか。

頭悪いのか!

翌日、ようやく別れを決意して空港に向かった二人は何気なく開いた新聞を見てぎょっとした。あの時たまたま乗り遅れたナポリ発の飛行機が墜落したのだ。ぎょ。搭乗者は全員行方不明。つまり二人が死んだことになったわけで、ややあってジョゼフは決意の視線を、ジョーンは抵抗の視線を交わらせながら「…何を考えてるか分かるだろう?」「いけないわ、そんなこと!」と言外の議論を重ね、最後はやはり愛を選んだ。この皆まで言うなのアイコンタクトがいい。

かくして過去を捨て去り“幽霊”として生きることを決めた二人は、結婚・不倫といった愛の制度から解き放たれ、フィレンツェに買ったボロッボロの屋敷で新しい生活を始めるのだった…。

 

監督はウィリアム・ディターレ『ゾラの生涯』(37年)『ノートルダムの傴僂男』(39年)を代表作を持ち、もちろんハワード・ホークスに比べれば下の下だがホークス同様にジャンル関係なくさまざまな映画に手を出した節操なき勇敢者である。

50年代には赤狩りのターゲットにされ、イタリアや西ドイツを転々としながらリタ・ヘイワース主演の『情炎の女サロメ』(53年)やエリザベス・テイラー主演の『巨象の道』(54年)といったカラー大作を撮り散らかして得意満面、だがその後は映画界から退き、1972年に誰も見ていない所でスン…と息を引き取った。

f:id:hukadume7272:20200120095327j:plain

『旅愁』の名シーンやで。

 

商業映画の予感

さて、ここからが批評のお時間です。

U-NEXTとAmazonプライムビデオに転がっている『旅愁』を「旅愁が転がってる!」と発見した私は一も二もなく飛びつき初鑑賞。全体としては大変ドラマチックな作品だったが、ちょっぴりばかり人をナメた部分もあった。

無反省に降り注ぐ南部の陽光を浴びながら、カプリ島の青の洞窟、火山灰に埋もれたポンペイ遺跡、フィレンツェのヴェッキオ橋、ミケランジェロのダビデ像などを見て回る記録映像風のバカンスシーンがことごとく汚く、ティベリウス帝の別荘付近で休憩する場面に至ってはスクリーン・プロセス(背景合成)を使う暴挙にも出ているのだ。旅愁もヘチマもない。何の為のロケなのやら。

つまるところ、美しいのは風景ではなく主演二人なのである。

 

ジョーン・フォンテインと聞いて人が真っ先に思い浮かべるのはヒッチコックの『レベッカ』(40年)だが、オフュルスの『忘れじの面影』(48年)やワイルダーの『皇帝円舞曲』(48年)も忘れてはいけないと思います。

憂いを湛えた美貌がアメリカの観客にはあまり受けなかったのか生涯を通してさほど役に恵まれなかったが、『断崖』(41年)ではヒッチコック作品で唯一オスカーを手にした女優として人民に記憶されている。

相手役のジョゼフ・コットンは「ふかづめが発表するスーツが似合う俳優ランキング」において堂々の57位に輝いて憚らず、ウェルズの『市民ケーン』(41年)、ヒッチコックの『疑惑の影』(43年)、キャロル・リードの『第三の男』(49年)といったノワール調の作品で刀身のような佇まいを見せた男だ。

女優の美しさがソフトフォーカスによって決まり、男優の美しさがパンフォーカスによって決まるのだとしたら、本作のジョーン・フォンテインとジョゼフ・コットンは間違いなくイタリア南部のいかがわしい美景よりも遥かに美しいといえる。

そのあと二人の愛の日々が延々30分続いたとしても、それを退屈に感じるのはよほど美しさに無頓着な者だけなので脚本的瑕疵になどなるはずもなく。

f:id:hukadume7272:20200120094947j:plain

ジョーン・フォンテイン(左)とジョゼフ・コットン(右)。

 

だが二人の愛はあくまで不実なのです。

ジョゼフは自分が生きていることを妻ジェシカ・タンディに知らせず、むしろ墜落事故をこれ幸いと死の偽装に利用してイタリアの片田舎でしっぽり不倫。その間、妻と息子が涙ながらに彼の無事を祈っているにも関わらず。これぞ10万人に1人のアルティメット身勝手。東出か、おまえは。

ジョーンの方も、ジョゼフの妻子に対する仕打ちを重々承知しつつも自分の幸せを優先させ、あまつさえ妻子への後ろめたさを払拭するべく「彼女はジョゼフを苦しめた悪妻なのよ!」などと暴論を展開、ジェシカ批判を免罪符に己が罪をセルフ減刑するのであった。唐田か、おまえは。

勿論こんなロマンスが長続きしないことぐらい二人にも分かっているし、観る者もすでに予感しているわけです。大勢を殺したギャングの罪はやがて自らの死で償われることになるし、法の目を掻い潜って財を築いた成功者は遅かれ早かれすべてを失う。これが商業映画の予感=論理だ。

おもしろいのは、「予感」を運んでくる“ある二人のキャラクター”が不実の愛を演じ続けるスクリーンとそれに苛立つ観客との緩衝材になっているあたりだ。

ひとりはジョーンのピアノのお師匠様であるフランソワーズ・ロゼー女史で、何かにつけて「こんな卑劣な愛では幸せにはなれないから今すぐ別れなさい」とジョーンに忠告する世話焼きおばさんだ。いまひとりはジョーンとジョゼフが酒場で仲良くなった若い米兵で、彼はアメリカに恋人がいながらイタリアでも女を作り、どちらと結婚するかで逡巡しているスケコマシ小僧。ジョゼフに「どちらか選べ」と迫られ「やっぱり同郷の娘だな!」と答えるが、この言葉はジョーンの心に大きな不安を掻き立てた。アメリカに残した妻子を思い出しては茫然とするジョゼフに、この見ず知らずの米兵の恋愛事情を重ね合わせてしまったからだ。

この辺りから二人の立ち位置も物理的に離れていく。この「予感の演出」もうまい。

出会った日と同じぐらい…いや、それ以上に愛し合っているはずなのに、まるで恋の神様が「おまえらは結ばせないよ」とでも言うかのようにスクリーン全域を凶兆が覆い、目に見えぬ不実の力学が真実の愛で結びついた二人をべりべりと引き離していくのだ!

われわれは「真実の愛」が再び制度化されゆくさまを手をこまねいて静観するのみザッツオールです。

f:id:hukadume7272:20200124041301j:plain

「セプテンバー・ソング」によって結ばれたジョゼフとジョーン。画像中央はピアノの師フランソワーズ・ロゼー

 

サンキュー・グッドバイ

今でこそド低俗な不倫映画なんて腐るほど存在するし、我が国においても昼顔だか朝顔だかといったテレビドラマが世の主婦たちの潜在願望に秘められた夜顔を呼び覚ましたらしいが、50年代当時にあっては不倫映画であること自体がセンセーショナルだったので「不倫とは何か?」について自己批評した物語的強度を持つ作品が多い。次回取り上げる『黄昏』(51年)も然りやで。

ちなみに「ふかづめが発表する不倫映画ベスト3」は、ありきたりながら『ライアンの娘』(70年)『マディソン郡の橋』(95年)『リトル・チルドレン』(06年)です。どんなもんでしょうか。

 

先述した通り、このカップルの不実ぶりはなかなか堂に入ったもの。

てっきりジョゼフが死んだものと思い込んだ妻ジェシカは、墜落事故の2日前に夫の口座からジョーンという女性の口座に大金が振り込まれていることを知ってジョーンなる人物に会うべく二人の屋敷に向かい、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と周章狼狽したジョーンはロゼー女史にジョーンを演じてもらい、自分は女史の娘になり切ってこれを迎える。

果たしてこの夫人はジョーンが悪妻と批判していたような人物ではなく、むしろジョーンより深く真っ当にジョゼフのことを愛していた良妻だと知る。この事実に打ちのめされながらも真実を告げられぬまま夫人を見送ったジョーンは不実の熟した果実ということが言えると思う!(分かりにくい例えですまん)

このあと、ジョゼフが生きていることを知った夫人は彼を責めるどころかその無事を泣いて喜び、愛するがゆえに離婚を受け入れたが、大学生になる息子は父の無事を喜びながらも「母を騙して悲しませた父を一生許さない」とジョーンに言う。ここで彼女は、身勝手な愛のために傷つけてきた者たちの苦しみを初めて知るのだ(おそーい)

だが、事ここに至っても男はニブくて、アホのジョゼフは「これにて障壁は取り除かれた。今度こそ一緒になろーう」とばかりに小躍りしてジョーンに永遠の愛を誓うが、ジョーンは妻子への申し訳なさからアホのジョゼフに別れを切り出し、三発の手裏剣を投げます。

 

一発目。

あなたから先に別れを言ってほしかった…

 

二発目。

私たち、過去を捨てようとしたけど出来なかった。人をあざむく愛は終わりにしなければ

 

三発目。

愛してるなら行かせて

 

ジョゼフどういう意味ぃー!?

f:id:hukadume7272:20200124040857j:plain

愛を終わらせた女、それが理解できない男。

 

つまるところ不倫とは借金みたいなもんだよな。報償の義務からは逃げられず、借りた分に利子をつけて愛を返済せねばならない。結果だけ見れば「得たもの・育んだもの」よりも「失ったもの・傷つけたもの」の方が多い。それが不倫=結婚制度の反動現象なのだ。

感動的なのはジョーンが三発の手裏剣を放つ手前のクライマックスです。

彼女はアメリカ公演のため、ジョゼフは仕事を再開するために二人で帰国し、すでに別れを決意していたジョーンが夢のカーネギーホールでラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を痛切な表情で弾き倒して喝采を浴びるのだ。愛より表現(芸術)を選んだ女が、渾身の自己表現によって人生最大の愛を終わらせたのであるるるるるるるr。

凡人なら爆泣きして命尽き果てたに違いない

※干乾びてしまうのだ!

私はその道のプロなので間一髪で落涙は免れたが、それでもかなり危なかったな。

というのも、曲の演奏中にこれまでのキャラクターが順繰りにディゾルブされるのである。憂愁の中でこれまでの結婚生活に思いを馳せるジェシカ、別れ際に「アンダンテはゆっくりね!」と言ってくれたロゼー女史、舞台袖から自分に向けられた最後の「愛の調べ」に耳を傾けるアホのジョゼフ、父が愛したピアニストを目に焼きつけんとする客席の息子。

1950年製作の映画ではまず見られないであろう、このきわめて現代的演出に不意打ちされたことが何より感動的なのだが、やはり決定打となるのはジョーン・フォンテインの表情だった。

憑物が落ちたような晴れがましさと、妻子への申し訳なさ、そして夢を見せてくれたジョゼフへのサンキュー・グッドバイ!!

旅愁であります!!!

締め方がわかんねーから「旅愁であります!!!」って叫んだったわ。

f:id:hukadume7272:20200124040702j:plain

ピアノ協奏曲第2番『逢びき』(45年)『七年目の浮気』(55年)、また漫画『のだめカンダービレ』やフレディ・マーキュリーのソロアルバムでも使われた恋愛曲の定番なんだって。