アクション映画に非ず。これはニューシネマが奏でる破滅のラプソディーだ!
1974年。マイケル・チミノ監督。クリント・イーストウッド、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディ、ジェフリー・ルイス。
銀行強盗のサンダーボルトはかつての仲間レッドとエディに追われる身。そんな彼が出会ったのが風来坊の若者ライトフット。意気投合したサンダーボルトとライトフットはレッドとエディも加え、現金輸送会社を襲うことに。しかし小さなミスが生じて…。(映画.comより)
おはよう。
一昨日、酔っ払いながら食器洗いをしてるときに誤ってグラスを割り、指をスパッとやっちまいました。酒飲んだあとに食器洗いなんてするものじゃないですね。
私は自分の血を見るとすぐに気分が悪くなるへなちょこボーイです。
酔いと貧血でふらふらになりながらも、まるで失われた血を取り戻すかのようにアクエリアスを飲みました。美味しかったです。たぶん体内でアクエリアスが血液に変わっていい感じに血を補填してくれたと思います。これで指の出血はプラマイゼロ。そのあと絆創膏を貼って猫のように眠りました。
そして昨日はプラスチックのコップを買いに行ったんだ。グラスはもういい。懲りた。
そんなわけで本日は発掘シリーズ第三弾、取り上げるのは『サンダーボルト』。イェイ、イェイ、イェイ、イェイ。イーストウッド主演作!
パッションほとばしるレビューになっているので7600字です。もうね、膨れるだけ膨らんだ。
◆チミの名は◆
みだりに「傑作」という言葉を使うタイプではないので「良作」という語に留めておくが、残念ながらこれが良作ということすら世間ではあまり知られていない不遇の作品『サンダーボルト』のHDマスター版がリリースされたのでどうか再評価をお願いしたく、まずは私がその先陣を切って参る。
本作には20ミリ機関砲で金庫をぶち破るシーンがあるが、配給のユナイテッド・アーティスツはこのイメージだけを切り取ってアクション映画として本作を宣伝したために多くの観客が肩透かしを喰らい、とりわけ即物的な娯楽映画を消費する術しか持たないヤンキーやオッサン層(ニホンザル程度の知能指数しか持たない)などから低評価されたことで映画史の辺境に埋没してしまったのである。
かくいう私も、学生時代に初めてこの映画を観たときは「ぜんぜん機関砲撃たねーじゃん。ダマしはやめろ!」などとブー垂れて「退屈な映画」の烙印を押してしまった罪科があるのだが、今にして思えば当時の私がいかに映画を観ていなかったかを如実に物語る判例であろう。
ポスターやコピーに先入観を植え付けられて本質を見失い、あまつさえ「思ってたのと違った」という手前勝手な理由で駄作扱い…。
死刑!!
学生時代の私は市中引き回しからの電ノコ打首の刑に値する。
そんなわけで、たっぷり猛省したうえで改めてこの映画を再評価しようと思っているんだ!
本作は70年代のクリント・イーストウッドの出演作10作品をサポートしたロバート・デイリーを擁して、イーストウッド自身が設立した映画会社「マルパソ・カンパニー」が製作した作品である。
自らメガホンを取るつもりだったイーストウッドは、当時無名のマイケル・チミノの脚本に惚れ込み、眩しそうな顔をしながらチミノに向かってこう言った。
「チミの名は?」
これがイーストウッドなりのギャグとも知らず、馬鹿真面目に「マイケル・チミノです」と答えるチミノ。するとイーストウッドは「あんさん、撮ってみるかい…?」と提案。
「エッ、いいんですかい!?」とハナを垂らして喜んだチミノに「チミの才能を信じてる」と尚もしつこくチミノギャグで返すイーストウッド。
「僕なんかに務まるでしょうか?」と言われた際も「マーイケルだろう」とひとつも面白くないギャグで返したイーストウッド。まるで私みたいだね。
ジョーク好きのイーストウッド。ばちくそハンサム。
かくしてイーストウッドの粋な計らいであっさり監督デビューしたマイケル・チミノ、次作『ディア・ハンター』(78年)は第51回アカデミー賞を荒らしまくってベトナム戦争映画の金字塔を打ち立てた。
ところがどっこい、その次に撮った超大作『天国の門』(80年)はゴリクソに酷評されただけでなく、「史上最悪の赤字を出した映画」としてギネスに載るほどゲロ滑りする。この世紀の大失敗によって歴史ある映画会社ユナイテッド・アーティスツを倒産に追い込んだことから「映画災害」と呼ばれ、当然チミノは「チミの映画はもういい!」と言われて干されてしまった。5年後に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85年)で監督復帰するも、その後ヒット作が出せないまま2016年の私の誕生日にこっそり亡くなっている。
したがって世間的には『ディア・ハンター』の一発屋というイメージが定着しているチミノだが、私はこのイメージもどうにか覆したいと考えているのだ。
『サンダーボルト』があるから!っていう。
チミノは一発屋ではない。いわば1.5発屋だ。先ほども申し上げたように、決して傑作とまでは呼べない『サンダーボルト』だが、だからといってここまで不遇な扱いを受けていい作品ではない。いい映画なんだぞっ。
※クリント・イーストウッドの呼び方についてだが、監督として呼ぶときは「イーストウッド」、俳優として呼ぶときは「クリント」と表記しております。
チミノといえばこの2本。
◆70'sシネマファン垂涎のキャスト◆
この映画はタイトルやパッケージから想像するようなアクション映画ではない。そもそもサンダーボルトというのはクリントの役名なのだ(人名かよ!)。
先に言っておくと、本作はアメリカ中西部を舞台に男同士の連帯や衝突をニューシネマ・タッチで描いたロードムービーである。
どういうことか。こういうことだ。
銀行強盗のクリントが牧師になりすまして西部の片田舎で遁世していると、かつての強盗仲間3人が自分たちを裏切ったと勘違いして命を狙いに来る。寸でのところで通りがかりの車に飛び乗って九死に一生を得たクリントは、追手の1人を轢き殺した車の持ち主と意気投合してアイスを買ったり女を買ったりと道楽三昧。やがて2人の追手とも決着をつけて誤解をとき「今度は4人でもう一度強盗しよう」というバカみたいな結論に着地する。
彼らが考えた強盗計画とは対戦車兵器のキャノン砲を撃ちまくって金庫をぶち破るという知性の欠片もないもの。金庫破りは金庫破りでも物理的に「破る」のである。なんたるパワーアイデア。バカか、こいつら。
そして元手金を集めるために日雇いバイトを始める4人(やけに実直)。
連帯と衝突を繰り返す4人の関係性が米中西部の大自然のなかに描き出された詩的かつ大陸的な作品、それが『サンダーボルト』だというのか!
まずはキャストから見ていきたい。
70'sシネマに思い入れのある人間にとっては非常に感慨深いキャストで、彼らの顔を見ているだけで涙がちょちょぎれるというサンダーボルト・マジックが仕掛けられた本作。
クリントを窮地から救った女好きの若者はジェフ・ブリッジスが演じている。
ジェフといえば当然『ラスト・ショー』(71年)が思い出されるが、中年期以降もコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』(98年)や『トゥルー・グリット』(10年)ほか数えきれない代表作を持つ。『アイアンマン』(08年)でMCUのファーストヴィランを飾ったのもこの俳優。
今でこそ重厚感をまとったベテラン俳優だが、本作のころは陽気なチンピラ風情であった。
いくつになっても笑顔がキュートなジェフ・ブリッジス。
そしてクリントの命を狙っていた強盗仲間の一人はジョージ・ケネディだ。
出ました、キング・オブ・バイプレーヤー。デブ、ハゲ、ブスの三拍子を見事に揃えた焼き芋みたいなオヤジである。
『エアポート』シリーズ(70年~)が最も有名だが、ポール・ニューマンの『暴力脱獄』(67年)やイーストウッドの『アイガー・サンクション』(75年)など、いつも大スターの横にいる巨漢オヤジとして記憶している読者も多かろう。
その活躍ぶりはアメリカ国内に留まらず、『人間の証明』(77年)や『復活の日』(80年)といった角川映画にもよく顔を覗かせていた(安いギャラで便利使いできる外国人俳優の筆頭!)。
なんとなく芋焼酎が似合う俳優である。
なんやこの宣材。演歌歌手かオマエは。
そして強盗仲間の片割れがジェフリー・ルイス。
この人は『デリンジャー』(73年)や『風とライオン』(75年)といった代表作を挙げるよりも娘がジュリエット・ルイスと説明した方が早いだろう。
ジュリエット・ルイスは『カリフォルニア』(93年)や『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94年)など、とにかく殺人鬼の恋人をよく演じる女優で、90年代にはジョニー・デップやディカプリオといった錚々たるスターと共演。ちなみに元カレはブラッド・ピット。最近ロックバンドをなぜか組んだ。
そのパパがジェフリー・ルイス!
ジェフリー・ルイスの説明になってねえな。
たこわさみたいな顔をしたジェフリー・ルイス(左)。娘のジュリエット・ルイス(右)は90年代に大活躍。
◆明日なきアメリカ◆
さて。映画はクリント牧師の教会に一台の車がやってくるロングショットに始まる。このファーストショットはリマスタリングの恵みを受けたこともあって大変美しく、本作に通底する心象風景として後のイメージにも繋がる重要なショットである。
追手の襲撃を受けて脱兎の如く教会から逃げだしたクリントは黄金に輝く草原を走りまくるのだが、このシーンには単なる逃走劇を超えてどこか神秘的な趣きを感じる。追手の銃弾はクリントの腕をかすめた一発を除けばすべて空を切った。この草原はまるでクリントを庇護する聖域かのようだ。
この逃走劇とカットバックするのが中古車屋からまんまと車を盗むジェフ。試乗させてもらう際、ジェフは「オレ、片足が義足なんだ」と意味のない嘘をついて店員を困惑させた。
その頃クリントは草原を走り抜けて柵を越え、続いて追手も柵を乗り越えたところへジェフの暴走自動車が突っ込んできて追手を跳ね飛ばす。すれ違いざまにジェフの車にしがみついて車内に乗り込んだクリントは教会の立つ草原(聖域)から出て再びアウトローの道に舞い戻ったのである。
ジェフから「あんた気に入ったよ。友達になろうぜ」と言われたクリントは「歳が離れすぎている」と言って一度は断るが、一緒に女を買って朝食を共にするうちに奇妙な友情を築いていく…。
そのあとにジョージ&ジェフリーが次なる追手として二人の道楽生活を脅かすわけだが、そのシーンではかつてクリントとジョージが朝鮮戦争をともに生き延びた戦友だったことが明かされる。ここらでようやく話が見えてきた。
これは朝鮮戦争を経験したクリントとベトナム戦争世代のジェフを通して「二世代間の戦争によって失われたアメリカの原風景」を描き出そうとした作品なのだ。
ヒッチハイクに失敗して立ち往生するクリントとジェフ。
本作のイーストウッドは「朝鮮戦争の英雄」という設定で、このモデルは『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(86年)、『グラン・トリノ』(08年)、『運び屋』(18年)などに連綿と受け継がれている。
義足だとウソをついて傷痍軍人になりすましたジェフもイーストウッド的モデルで、実際『ブロンコ・ビリー』(80年)ではイーストウッド自身がベトナム戦争の兵役を拒否した脱走兵を、『ファイヤーフォックス』(82年)ではベトナム戦争の後遺症に苦しむパイロットを演じている。
クリント・イーストウッドは後年になって第二次大戦を扱うようになったし、若いころには南北戦争を背景とした西部劇にも出演しているが、やはり彼の作品に絶えず影を落としているのは冷戦下での二つの戦争なのだ。
とりわけ『サンダーボルト』はニクソンがベトナム戦争終結を宣言した翌年に公開されており、ニューシネマ独特の渇いた空気と変わりゆくアメリカに対する寂寥感がタイムリーに照射されている。
レビューサイトでは「ストーリーがはっきりしない」といって低評価をくだすレビュアーをチラホラ見かけたが、たしかに本作には一本筋の通ったストーリーラインはないので、観る者によっては徒然なるままに旅をしたり強盗をしたり…といった恣意的な筋運びに眠気を感じるのも止む無し。
だが、この「当てもなく進んでいく感じ」はニューシネマの閉塞感そのものなのだ。
つまり本作は『ランボー』(82年)と同じく遅れてきたニューシネマ。ベトナム戦争で満身創痍になったアメリカ、その無残な姿を克明に記録することで戦後アメリカを成仏させようとした作品なのである。
敗戦の傷癒えぬ70年代アメリカの疲弊と、それゆえに上辺だけでも明るく努めようとするポップカルチャーやメディアの空々しさ。陽気なジェフや、徐々にコメディリリーフと化していくジョージ&ジェフリーが明るく振舞えば振舞うほど、それは時代が要請した空元気に過ぎないことが露呈していき、やがて4人の強盗計画も狂い始める。それは取りも直さずアメリカン・ニューシネマが奏でる破滅のラプソディーだった。
殺すつもりだったクリントと連帯を築いて愛嬌すら見せていたジョージは逮捕を恐れるあまりクリントを裏切り、かねてより犬猿の仲だったジェフを瀕死寸前まで殴りつける。無能だがどこか憎めないジェフリーは警官の銃弾に倒れ、相棒のジョージは「どうせ助からないんだ…」と言って死にかけのジェフリーを走行中の車から投げ捨てた。
ここへきてクソ野郎の本性を剥き出しにしたジョージが狂犬に食い殺されるのは妥当な末路だが、その「死の連鎖」がジェフにまで及ぶのがなんとも悲しい。ようやく大金を手にしてキャデラックで逃げおおせたクリントの横顔を助手席から眺めていたジェフが見る見るうちに衰弱していくラストシーンは落涙必至。資金調達のために皆でアルバイトしたシーンや意外とセクシーなジェフの女装シーンといった楽しい思い出が、まるで走馬灯のように観る者の記憶に立ち現れては消えていく…。
若き友の亡骸を乗せてハイウェイをひた走るクリントの表情は、巨大な喪失感を抱えて明日を見失った当時のアメリカ人の顔そのものだっただろう。
こんなに楽しそうだった4人が…。
◆ジョージ論考◆
「男同士の旅」や「友の喪失」という共通点から『真夜中のカーボーイ』(69年)、『断絶』(71年)、『スケアクロウ』(73年)といったニューシネマとの類似性がみとめられる気だるげロードムービー。
とはいえ鬱々とした内容ではなく、むしろフィルムの皮相で描かれているのはユニークな人間関係だし、気の抜けるようなカントリーソングも鳴りまくっているので老若男女に勧められる一本だと思います。
ある意味、これは『運び屋』の4人組バージョン!!
映画のグルーヴに微妙なアクセントを加えているのがジェフ・ブリッジスだ。物語前半では彼が出てくると画面がパッと明るくなるのだが、逆に物語後半は彼が出てくるだけで歪んだ空気が生まれ「もしかしてこのあと…ヤなこと起きる?」と予感させる。そしてラストシーンではこちらの涙をきっちり搾り取る!
そうそう。かつてクリントが大金を隠したという小学校をやっとの思いで探し当てるクライマックスのショットが黄金の草原に囲まれた教会に追手の車がやってくるファースト・ショットとまったく同じ構図におさまっていることを指摘しておかねばなるまい。
本作に通底する心象風景、それはクリントを庇護する聖域として屹立する教会=小学校のイメージ。教会と小学校。どちらも純心を持つ者だけが訪れる地。そのふたつの聖地を横断したクリントは、強盗犯であると同時にアメリカの純心を訪ねて回る巡礼者なのかもしれない。
北野ブルーならぬチミノブルー。どのショットも雲がよく撮れてます。
最後にジョージ論考を少し。
彼はちょっと面白いキャラクターで、映画序盤ではクリントの命を狙う敵だったが、中盤ではよき友に変わり、終盤では裏切り者に身を堕とす。
かつてはクリントと同じ隊で朝鮮戦争を戦い抜いた戦友で、一度はクリントに命を救われたこともあってか、奇襲が成功したときも彼はクリントを撃たずに素手の決闘を申し込んだ(あっさり返り討ちに遭った)。
無骨で素っ気ない男だが、私は彼がクリントに向けた瞳の奥に敬意や友情を超えたものを見たのだ。
そんなジョージ、ジェフとは犬猿の仲だが、「バイト中に素っ裸の女に迫られたぜ!」とジェフが猥談を始めると「ど、どんな感じだった…?」と異常な食いつきを見せ、金庫番の家に侵入して一家まとめて縛り上げるシーンではボーイフレンドとセックスに耽っている娘の裸体をまじまじと見続ける(きもちわるい)。
つまりジョージは童貞で、やり場のない愛を代償行為のごとくクリントへ向けた男である…というのが私の推論。
クリントへの「敬意や友情を超えた眼差し」がホモソーシャルなのかホモセクシャルなのかは分からない。いずれにせよ内心ではクリントを慕っていたことだけは確かだろう。だからこそクリントに可愛がられていたジェフに嫉妬するあまり死に至るほど殴打したのだ。ジェフより自分こそがクリントの相棒に相応しいのだ、と言うように。
だからクリントを裏切って大金を独り占めしようとしたのは、決して欲に目が眩んだからではなく、それがクリントを超えるチャンスだったからだ。彼はクリントを愛する一方で「この男には絶対に敵わない」という妙な劣等意識すら感じ取っていた。
劣等感に苛まれるほどの愛ゆえに何が何でもクリントを超えねばならなかったジョージだが、クリントを超えようとすることは「悪の側に立つ」ということに他ならない。だがジョージは生まれながらの悪人ではない。クリントを超える為にあえて悪の道を選んだ男なのである。この役にジョージ・ケネディという善人役者を起用した意図はここにある。
まぁ、一見ただのクソ野郎に映るが、よく見ると恐ろしく屈折していて、英雄クリントに憧れ、彼に認められようとして失敗した男…と考えると何とも味わい深いキャラクターではないか。
以上、おそらく世界で唯一のジョージ論考でした。こんな脇役キャラにここまで紙幅を割く映画レビュアーなんて俺ぐらいのもんだ。感謝せえよ、ジョージ!
何かに疲れ果てたジョージ。
さぁ、そろそろ締めねばなるまい。
冒頭でも申し上げた通り、今回HDマスター版がリリースされたのでどうか映画ファンの皆様には再評価をお願いしたい作品です。
せめてマイケル・チミノと聞いて「一発屋!」というワードが浮かんだ後でもいいので思い出してあげてください、この映画を。
「アクション映画だと思って見たら全然違った。期待外れ!」などというカスみたいな理由で低評価をくだされる罪なき映画が一本でも減りますように!
クリントとジェフを銃で脅すジョージ(中央)。
「言うこと聞かないとひどいぞ!」