シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

女性上位時代

'60sガーリーカルチャーの潮流。逆にオシャレなカルト作!

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1967年。パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督。カトリーヌ・スパーク、ジャン=ルイ・トランティニャン、ジジ・プロイエッティ。

 

若い未亡人が、夫の隠れ家を発見した。それは、夫がセックスを楽しむために誂えた部屋だった。彼女は早速、その部屋を利用して様々な男を引っ張り込む。最終的に彼女が目をつけたのは、男性的とは言いかねる医者。彼女はその彼を下僕のように扱って楽しむ…。(Yahoo!映画より)

 

おはようございます。

最近めっきりレビューリクエストにお応えしなくなってきました。せっかく色んな方からリクエストを頂いてるのに、どうもすみません。もはやレビューリクエストという制度があったこと自体忘れてました。

現在、頂いたっきり放置しているリクエスト作品は『恋愛小説家』(97年)『アイズ ワイド シャット』(99年)『超強台風』(08年)『セッション』(14年)『メッセージ』(16年)など。ほかにもいくつかあったのですがメモし忘れたので失念しました。

いつかは必ずお応えするので気長にお待ち頂きたいと思います。そうですね、20年以内には必ずレビューします。約束します。どうか諦めないで。元気をだして。

そんなわけで本日は『女性上位時代』をさらりと語っていくで。「こんな映画観てる暇あったらリクエスト作品観ろ」って話ですよね。その通り!

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◆60年代の「KAWAII」は垂れ目にあり!◆

カトリーヌ・スパークとの出会いは学生時代に毎日通っていたビデオ屋で偶然手に取った『太陽の下の18歳』(62年)。どうしようもないアイドル映画なのだが、カトリーヌの愛らしさに一撃でノックアウトされた私は続けざまに『狂ったバカンス』(62年)『禁じられた抱擁』(63年)などを漁っていき、気がついたら『現代女優十選』の第9位にねじ込むほどカトリーヌ愛をスパークさせる男になっていた。

カトリーヌもそうだが、60年代ヨーロピアン・アイドルのレベルって異常に高かったよなー。『あの胸にもういちど』(68年)のマリアンヌ・フェイスフル*1とか『早春』(70年)のジェーン・アッシャー*2とか。

そんな彼女たちの共通点は垂れ目。結局 垂れ目かぁ~。

やっぱり垂れ目なのねぇ、アイドルは。乳と尻だけは垂れまいとするのに目に関してはここぞとばかりに垂れていく。垂らしていく。それがアイドルだとでも言うのか~。

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カトリーヌ・スパーク(上)、マリアンヌ・フェイスフル(左)、ジェーン・アッシャー(右)。

 

こうしたアイドルも含めて、60年代にKAWAII文化を世界に発信していたのがイギリスとフランスだ。すなわちスウィンギング・ロンドンとフレンチロリータの大流行。歌手、モデル、女優問わず、さまざまなファッショニスタたちが往年の映画女優のような品格とは真逆の「キッチュな少女感」を打ち出したのだ。

また、我が国を指して「ロリコン大国」などと揶揄する人民が一部にいるが、当時のガーリーカルチャーは全世界ロリコン化の嵐を巻き起こしていたので「世界なめんな」ということが言えると思います。上には上がいる。

そんな中、フランス人のカトリーヌ・スパークはロリコン後進国のイタリアで活動しており、人気が落ち始めてきたところをパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレに拾われて本作に出演した。カンパニーレといえばイタリア式コメディの名匠。

イタリア式コメディというのは50年代末のイタリアで生まれた艶笑モノの他愛のないコメディ映画のことで、当ブログでは『三月生れ』(58年)『青い体験』(73年)を過去に扱っている。

低俗と卑猥を売りにするイタリア式コメディだが、カンパニーレは性に対する問題提起を作品に織り込むことを好むため薄っぺらいのか奥深いのかよくわからないというペテンじみた映画をよくお作りなさる。

代表作は『女性上位時代』ほか、『裸のチェロ』(71年)『SEX発電』(75年)『尻たたき』(74年)など。

もう邦題のズサンさがすごいよね。

『尻たたき』って。

 

◆逆にオシャレ◆

それでは『女性上位時代』の話に参ります。

内容は至極単純。未亡人になったカトリーヌ・スパークが夫のセックス専用部屋を見つけたことでアブノーマルな性癖に目覚めていく…といった救いようのない中身である。

『変態性欲論』みたいな学術書でセックスの奥深さを研究したカトリーヌは「実践あるのみよ」とばかりに男遊びをはじめる。会社の同僚、テニスのコーチ、街のナンパ師など、手当たり次第にスパークするのだ。

こう聞くとただのスケベ一直線のソフトポルノと思うだろうが、意外や意外、なかなか洒落た映画なのである。

全編を彩るのはモダンなインテリアやファッションの数々。シーンごとにコロコロ変わるカトリーヌの髪型も目に楽しい。この美的感覚は男性より女性観客の方が鋭く掴めるのかもしれない。特にオールドファッションに精通するレトロ趣味のそこのおまえ!

絶えず流れるポコチャカしたイタリアンポップスがダサくてかなわないが、よく聴いてごらん、いまの時代に聴くと一周して逆にオシャレに聴こえるね。


超低予算のゴミ映画を得意とするカンパニーレならではの映画術もそこかしこで炸裂しており、その筆頭がしょっちゅう白飛びする画面。

カメラの露出の絞りを間違えまくってて、野外ロケのシーンでは太陽光をモロに吸い取ったせいで画面が真っ白に飛んでしまっている。そこで芝居をしている役者たちも幽霊のように真っ白になっちゃって…、さながら謎のスピリチュアル映像と化してしまうのである。

逆にオシャレ。

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飛んでますねぇ。

 

さすがカンパニーレ。ただの撮影ミスをオシャレにまで昇華させる、このペテンぶり。

また、当時のイタリア映画はアフレコが主流なのだが、カトリーヌのリップシンクがまったく合ってないという雑すぎる音声処理も見所。唇の動きに対して別録りした音声がズレまくっているのだ。オシャレですね。

そして当時のヨーロッパ映画には多かった懐かしのボイスオーバー。心の声というやつである。口にした言葉とは真逆の本音を観客だけに聞かせるカトリーヌだが、本来ならば芝居なり演出なりで心の声を表現してこその映画であって、それを言葉でベラベラ語るのは映像言語に反する。ゆえにこの演出は自然淘汰されていったが、いま観るとこれはこれでオシャレです。


そもそも性に目覚めた未亡人が男遊びに狂い始める…という二面性がルイス・ブニュエルにも似たシュールさを連想させる時点でオシャレだし、それを撮ったパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレなんて名前からしてオシャレそのものとは言えまいか。名前に「フェスタ」が入ってるんだぞ。オシャレの極みではないか。

はい、本作はオシャレ映画ということで満場一致ですね。ありがとうございます。

だが『尻たたき』はオシャレとは程遠いネーミング。なにをトチ狂ってこんな邦題を…。

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お馬さんごっこに終わる伝説のラストシーン

カトリーヌはどの男にも満足しなかったが、最後に出会った医者だけは彼女の変態性欲を満たしうる逸材だった。この医者は物腰柔らかなインテリだが、本性はサドでカトリーヌの服を引きちぎって執拗にビンタをお見舞いする。

ちなみにその役を演じているのがジャン=ルイ・トランティニャン

『男と女』(66年)『暗殺の森』(70年)で知られるフランスの超ベテランで、当ブログでは『激しい季節』(59年)においてヒロインの顔を気持ち悪いほど凝視していた海パン野郎としてお馴染みの名優である。近年でもミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』(12年)『ハッピーエンド』(17年)で主演を張るほどの長寿ガイ。

とにかく隙あらば女を凝視する俳優なんだ。

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見てますねぇー。さすがは凝視の鬼トランティニャン。首すわらんのか?


ところがカトリーヌ、トランティニャンからサディスティックな仕打ちを受けても一向に快感を覚えない。

彼女もサドだったのだ!

ここから先はマウントの奪い合い。

おもしろいのは遺跡デートをした帰りの車で不意にカトリーヌが服を脱いで窓から投げ捨てるシーンだ。「頭のおかしい全裸女を助手席に乗せた男」としてトランティニャンに恥をかかせようと企んだのである。

ところがこれを逆手に取ったトランティニャン、必要もないのにガソリンスタンドに寄って「コーヒーを買ってくる」と言い残して車を降りた。やがて店員や客が車のまわりに群がり、助手席に取り残された素っ裸のカトリーヌをニヤニヤしながら覗き見る。辱めるつもりが辱められる形に!

すっかり裏目、がっかり涙目。手で胸を隠しながらしくしく泣くカトリーヌがなんとも愛らしい(やってること自体はバカの極みだが)。

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羞恥心の畳返しを喰らったカトリーヌ。


その後、男におんぶしてもらうことに快感を覚える…という自らの性癖を発見したカトリーヌは「毎晩お馬さんごっこをすること」を条件にトランティニャンのプロポーズを受け入れる。

そして伝説のラストシーン、下着姿のカトリーヌが四つん這いになったトランティニャンに跨って「ハイヤー! ハイヤー!」と尻を叩きながら家中を歩かせたところで「FINE」の字が。

サドのマウント合戦に勝ったのはカトリーヌだった!

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男が女に跨った『甘い生活』(60年)の逆。そして左の男は飛びあがりすぎ。

 

さしずめ、このお馬さんごっこは「女が上になる」という主題を身体化したものだろう。

劇中でも「夫はよそで浮気するのに妻は淑女でいなきゃいけないの?」という台詞があるように、本作はいつの世にも付き物の男女同権をさり気なく忍ばせた艶笑譚なのである。

いや、「男女同権」という語を用いるほど真面目ぶったものではなく、もっとシンプルに「女だってヤりたいのよ!」と大声で叫んだ映画なのだ。

特にアメリカなんて、性科学者のアルフレッド・キンゼイが1953年に『キンゼイ報告』を世に出すまでは「女性に性欲はない」とされていた国ですから。『キンゼイ報告』以降はそれまでタブー視されていた女性のセクシャリティを大々的にフィーチャーした『噂の二人』(61年)『沈黙』(63年)『マドモアゼル』(66年)などが作られ(カトリーヌ主演の『禁じられた抱擁』も)、その流れを受けてちょっぴりエッチなイタリア式コメディや『エマニエル夫人』(74年)のようなセクスプロイテーション(エロ映画)が世界的に流行したのである。


『禁じられた抱擁』でさえ裸体の上に大量の紙幣を撒いて胸を隠していたカトリーヌ・スパークが惜しげもなくヌードを披露した本作。しかしそのあと人気は下降線の一途を辿り低予算映画の端役が増え、まるで部屋を間違えた空き巣のようにひっそりと表舞台から姿を消した。現在も慎ましく生命活動を続けており、御年74歳。

だが私の心は未だにスパークしているよ。

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*1:マリアンヌ・フェイスフル…全裸にライダースーツでバイクにまたがる『あの胸にもういちど』で一世風靡したブリティッシュ・アイドル。『ルパン三世』の峰不二子のモデルとしても有名。

*2:ジェーン・アッシャー…ポール・マッカートニーと浮名を流した女優。「All My Loving」「We Can Work It Out」「For No One」などジェーンを歌ったビートルズの楽曲は多い。