私の心の中のイヤリングがチリンチリン鳴って仕方ないんだわ。
2017年。S・S・ラージャマウリ監督。プラバース、アヌシュカ・シェッティ、ラーナー・ダッグバーティ。
蛮族カーラケーヤとの戦争に勝利してマヒシュマティ王国の王に指名されたアマレンドラ・バーフバリは、クンタラ王国の王女デーヴァセーナと恋に落ちる。しかし王位継承争いに敗れた従兄弟バラーラデーヴァは邪悪な策略で彼の王座を奪い、バーフバリだけでなく生まれたばかりの息子の命まで奪おうとする。25年後、自らが伝説の王バーフバリの息子であることを知った若者シヴドゥは、マヘンドラ・バーフバリとして暴君バラーラデーヴァに戦いを挑む。(映画.com より)
前作『バーフバリ 伝説誕生』評を読んでくれた皆さん、まことにアリス!
バカみたいにPV数が伸びたわりにはいまいちスターが付かなかったことから、きっと多くの『バーフバリ』ファンの神経を逆撫でしたであろうことが推測されます。
こちらとしては絶賛派の人たちの意見が聞きたかったので、あえて挑発するような文章を仕掛けてみたのだけど、今回は不発に終わってしまいました。
また、コメント欄やブックマークコメントですてきなご意見を頂いた方々にも感謝申し上げます。
私は筋金入りの議論好きなので(口論や口喧嘩が好きという意味ではなく、多様な意見を自由に言い合える言論空間を尊重するという意味です)、その取っ掛かりとして「申し訳ないとは思いつつも人を挑発することでその人のボルテージを高めて色んな意見を引き出す」という、あまり性格のよろしくない技を得意としていて、実際『映画好きが一生され続ける質問TOP10』ではそれが上手くハマったんだけど、前回の『バーフバリ 伝説誕生』評では思いきり空振りしてしまいました。
いやー、さすが皆さん、大人であるよなぁ。
「『バーフバリ』絶賛派だけど、言ってることはよくわかる」とか「続編を観ても飄然としていられるかな…?」といった50代のジェントルマンのごとき成熟したコメントを頂きました。
ファンの「荒くれ」を焚きつけるつもりだったのに、逆に私の方がいなされている…という。
これはこれでチョー恥ずかしいんですけど!
そんなわけで、二部作の後編にして最終章『バーフバリ 王の凱旋』評。
参ります。
もくじ
①ついに感覚が麻痺しました。
前作『バーフバリ 伝説誕生』(15年)は映画としてのガサツさが目についてあまり楽しめず、数少ない『バーフバリ』イマイチ派の肩を持つようなスタンスで評を書いたが、ついにイマイチ派の人たちを見放さねばならないときがやってきました。
まさにカッタッパのごとき裏切り。
というか「イマイチ派の人たち」が実在するのかどうかすら分からないのだが。
まず前作を観たことで耐性が身についたというか…、感覚が麻痺しました。
前作からの改良点といえばスロー濫用が幾分マシになったというぐらいで、基本的には相変わらず語りは鈍重だし、ショットもガサツ、そして前作から輪をかけて長尺化している。
つまり本作の欠点は前作の欠点とほぼ同じなので、その都度いちいち同じ疑問を呈したり同じ瑕疵を論っても仕方がない…という、言い換えれば論理的に批判が封殺されている状態で。まさに暖簾に腕押し。
しかも「続編は一作目を超えられない」という映画界のジンクスを打ち破り、前作に比べて映像のダイナミズム、切れ味のいい演出、スペクタクルな物語と、すべてがグレードアップしている。そうなるともう無敵でしょう。
決して減点はされず、ひたすら加点方式でポイントをがんがん稼ぎまくる…というチートみたいなシステムが確立しているのだから。これは端的に奇策といっていい。そして穿った見方をすると、このバーフバリ・システムこそがファンを狂熱させる呼び水になっているのでしょう。
いやぁ、こりゃ参った。
内容がどうこう言う以前に映画としてのフォーマットが独創的で、インド映画の…というよりは『バーフバリ』という映画の美学が叩きつけられている。
「バーフバリですが、何か?」だよ。あのドヤ顔で。
もちろん「映画の美学」など突き詰めていけば「ハッタリ」と同義なのだが、ハッタリを愛する身としては称揚しないわけには参りません。
何度でも言うが、映画に必要なのはハッタリだ。
②全編クライマックス化。
さて、完結編となる本作は、前作の回想シーケンスの続きから始まる。
伝説の英雄・父バーフバリが王位継承争いに巻き込まれ、母親や従兄弟の権謀術数にかかって暗殺されるまでを描く。
その後、現代シーケンスに戻り、息子バーフバリが父を殺した従兄弟に仕掛けた弔い合戦の決着をもって物語は終わる。
この続編の最大の魅力は、一作目を超える「バカ格好いい」アクションシーンがパッツパツに搭載されていながら、一作目では踏み込めなかったキャラクター造形をその中に深く描き込んだという点に尽きるでしょう。
前作の唐突な回想シーンではいまいちピンとこなかった「いかに父バーフバリが人民に慕われる大人物だったか」を、満艦飾のアクションやコメディに乗せながら優雅に語ってゆく身振り。
また、母親との愛憎劇や従兄弟との確執がより一層ヘヴィネスに紐解かれ、欲望、忠義、誤解、憎悪といったドロッドロの人間関係が大河ドラマのようにうねっていき、絢爛豪華なマヒシュマティ王国の腐敗した内部事情が徐々に露呈していく…というディープな人間模様。
前作が「歴史アクション映画」だとすれば、本作は「歴史アクションの中で語られていく、きわめて純度の高いヒューマンドラマ」である。
そしてそのヒューマンドラマが、つるべ打ちと言っていいアクションシーンの中に混ざり合って、驚くべき痛快さで語られていく。
なんというか…、3時間ずっとドンパチしてる『ゴッドファーザー』(72年)というか。
いや…、やっぱ嘘。この喩えは忘れてくれ。ポピュラー・ミュージックに喩えましょうね。
最初から最後までずっと大サビ。
それでいて、イントロのトキメキ感、Aメロ・Bメロの期待感、ギターソロの箸休め感、Dメロの高揚感、アウトロの余韻…といったさまざまな情感をくまなく網羅している。
ごく控えめに言ってこれはすごい。最初から最後までずっと大サビなのに、サビ以外の情感まで細やかに表現されているからだ。
インド映画における「ナヴァラサ」が限りなく自然な形で表出している…という意味では現時点でのインド映画の最高峰に位置づけられるかもしれない(インド映画をそれほど観てないので断言こそ避けるが)。
表面的に見ると「うっふゥー、高まるゥゥゥゥ!」みたいな全編クライマックス状態だが、各シーンを個別で見るときちんとヒューマンドラマになっているし、物語も絶えず動き続けているという理知的な作りで。
一作目に比べて「これ、同じ製作陣が作ったの?」と思うぐらい大化けてしています。
③チリンチリーン…。それは恋の音色!
アクションシーンに関しては、「ヤシの木を使った人間樽」とか「象と協力して弓矢を放つ」など、いよいよエスカレートしたバカ格好いいシーンが映画後半を賑やかせるが、当ブログでやってることは一応「映画評論」なので映画論に立脚して褒めるとすれば、やはり「クンタラ王国の城内での迎撃戦」に言及せねばならんでしょう。
象と協力して弓矢を放つバーフバリ。「なんだかよく分かんねえけど、その手があったか!」と思わされる、強烈なシーン。
クンタラ王国の姫・デーヴァセーナに一目惚れした父バーフバリが、彼女の城を襲う敵兵たちを迎撃する中盤のシーン。
デーヴァセーナは『メリダとおそろしの森』(12年)におけるメリダみたいに勝ち気なお姫様で弓矢の名手でもあるが、複数の矢を同時に放つ技ができなくて毎日練習している。
ところが、城内に侵入した敵兵を弓矢1本撃ちで地道に迎撃するデーヴァセーナの背中にピタリと身を寄せた父バーフバリが「こうすると3本撃ちができるよ」とレクチャーすると、瞬く間にデーヴァセーナは3本撃ちを体得する(バーフバリの教え方がよかったのだろう)。
ビュンビュンと3本撃ちする父バーフバリとデーヴァセーナ。合計6本の矢が間髪入れずに放たれるので、前方から押し寄せる敵兵は面白いようにバタバタと倒れていく。
織田信長の鉄砲隊かよ。
たった2人で弓兵6人分の仕事ぶりがまともに格好いい!
ここは「バカ格好いい」ではなく、まともに格好いい!
「こうすると3本撃ちができるよ!」
そして、デーヴァセーナの背後に迫る敵兵に気づいた父バーフバリは、突如、彼女の顔にめがけて矢を3本撃ちする。その矢は彼女の顔をギリギリのところでかすめて背後の敵兵3人を見事に捉えた。
3本の矢がデーヴァセーナの顔をスレスレのところで追い抜く瞬間、耳たぶのイヤリングをかすった1本の矢がチリーン…という美しい音色を響かせた。
もちろんこの音色は、デーヴァセーナが父バーフバリにトキめいたことを祝福する音だ。
いわば「キュン♡」だよ。
「キュン♡」としてのチリーンだよ!
かくして、城内での迎撃戦を勝利に導いた二人は深い愛情で結ばれるのだ。
ロマンスさえもハイスピードなアクションシーンの中で簡潔に語りきってしまう…というね。最大の褒め言葉を贈ると、このシーンはビリー・ワイルダー級にすごいことをしている。
もうこれを観てしまった観客にとって「キュンキュンする」という言葉は死語!
これからは「チリンチリンする」と言いましょう。
④当時の人々が『ベン・ハー』を観て腰を抜かした感覚が現代で味わえることの悦び。
というわけで、すっかり『バーフバリ 王の凱旋』にチリンチリンしてしまった私。
私の心の中のイヤリングがチリンチリン鳴って仕方ないんだわ。
圧倒的なダイナミズムと、圧倒的なおもしろさ。そして前作に比定して圧倒的に巧い。
当時の人々が『ベン・ハー』(59年)を観て腰を抜かした感覚が、2010年代の現代で味わえることの悦びに感謝。思わず業務スーパーで買ってきたカレーのルーを一気飲みしてしまった私がここにいるよね。
爆アガり&爆笑必至の歴史スペクタクル…だけではなく、怪物的に急成長しているインド映画の「今」を見る…という意味でも必見の超大作歴史スペクタクルだ。
なお、前作の評とは文章の温度がまるで違うことは私が一番よく分かってるから!
別人が書いたのかよ!