シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

バーフバリ 伝説誕生

これを観て熱狂しないという、鉄の心を持つラストワン。それが私。

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2015年。S・S・ラージャマウリ監督。プラバース、 ラーナー・ダッグバーティ、タマンナー。

 

巨大な滝の下で育った青年シヴドゥは、滝の上の世界に興味を持ち、ある日滝の上へとたどり着く。そこでシヴドゥは美しい女戦士アヴァンティカと出会い、恋に落ちる。彼女の一族が暴君バラーラデーヴァの統治する王国との戦いを続けていることを知ったシヴドゥは、戦士となって王国へと乗り込んで行く。そこでシヴドゥは、25年もの間幽閉されている実の母の存在と、自分がこの国の王子バーフバリであることを知る。(映画.com より)

 

『バーフバリ』二部作を2日に渡って取り上げます。

いっやー、久しぶりにインド映画を観たなぁ。インド映画って大体150分~180分と尺が長いうえに作りが大雑把というか、はっきり言って韓国と同じく映画のノウハウを持たない国なので、正直なところ若干ナメている節がある。誰の中に? 私の中にね。

たしかに、インド映画にはさまざまな娯楽が詰まっているから即物的なおもしろさは約束されているが、あまり映画理論に基づいていないので良くも悪くもデタラメなおもしろさだ。まるでマイケル・ベイ映画のようだ。

ちなみにインド映画にはナヴァラサと呼ばれる「9つの人間感情」をすべてブッ込む、という基本理念がある。

笑い、驚き、恋愛、悲しみ、勇敢、恐怖、嫌悪、怒り、静寂。

これらすべてをひとつの映画の中で表現しなきゃならないわけ。だから平気で上映時間が3時間を超えたりするのだ。『バーフバリ』なんて二部作合わせて約5時間半だからね。

ある程度まとまった睡眠時間だよ!

 

もくじ

 

滝壺に落ちたくないから…。

先日、知人から「おまえは『バーフバリ』を観ましたか?」と訊かれたので「観てません」と答えた。

知人曰く、もはや『バーフバリ』を観たほとんどの人間は信仰の域にまで達して大絶賛しているので、ぜひ私に冷静な批評を頼みたい…とのこと。

 

SNSやレビューサイトを覗くと、なるほど、どいつもこいつも「バーフバリ! バーフバリ!」と連呼するばかりで完全に自分を見失っている。ここまで映画ファンを狂わせたのはマッドマックス 怒りのデス・ロード(15年)ぶりだ。

おまけに、暇さえあれば映画評を読み漁っている私が知りうる限り『バーフバリ』を酷評しているレビュアーは全体の1%にも満たない。

これは異常事態である。

いったい何が人をそこまで『バーフバリ』に狂わせるのか…。この目で確かめなければなるまい。

あと、『バーフバリ』を観ていない人間は滝壺に落ちて死ぬらしいし。

そんなわけで、死ぬのは構わないが滝壺には落ちたくないので『バーフバリ』を鑑賞した。

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我ながらさすがと言うべきか、思いきり平常心です。

100人中99人がドハマりして大熱狂して自分を見失うような映画を観ても、うんともすんとも言わない、鉄の心を持つラストワン。それが私(どうぞよろしく)。

面白おかしく突っ込みながら楽しいレビューを書ければいいのだけど(また、そういう記事を書いた方がウケがいいことも分かっているのだけど)、今回はそういうことはしません。なぜなら思いきり平常心だからです。平常心なのに熱狂したフリをして面白おかしいレビューなんて書けるか!

したがって今回の批評は「『バーフバリ』を観たけどイマイチだったな。でも正直に感想を言うと『バーフバリ』絶賛派に集団リンチされそうだな…」と感じている超少数派の人たちの孤独な魂に寄り添う内容となっています。

『バーフバリ』イマイチ派の皆さん、援護射撃します!

まぁ、そんな人がいればの話だけど。

とはいえ良かったところは素直に褒めるけどね。

 

②血沸き、肉躍り、口元緩む。

『バーフバリ 伝説誕生』は、古代王国の王位継承争いの顛末をインド映画最高額の製作費で描いたスペクタクル超大作である。

圧倒的なエンターテイメント性突っ込みどころ満載のバカ描写が大ウケして、観た人間は漏れなく過度な興奮状態に陥り、気が違ったように「バーフバリ! バーフバリ!」と連呼する…という症状が報告されている。

個人的におもしろいなと感じたのは「この作品がまともに評論されていない」こと。支持派も否定派も論理的な批評を放棄していて、もう感情論だけでまくし立てているという、この…バーフバリ磁場?

裏を返せば、観た者を失語状態に陥らせるほどのキチガイじみた熱量がある作品、とも言えるわけだが。


たしかに、すこぶる楽しい映画だったね。

血沸き、肉躍り、口元緩む…みたいな。

べつに私は『バーフバリ』に対してゴリゴリの否定派というわけではないので、良いところは素直に褒めますがな。

主人公のバーフバリに漂う「オモシロ感」が徐々に「カッコイイ」に変わっていく…という色彩豊かなキャラクター描写が第一の魅力。とにかくこのバーフバリという男、「人格分裂してんのか?」と思うぐらい、各シーンごとにさまざまな表情を見せてくれるのだ。

同じくアクションシーンも、キメキメの殺陣で見栄を切るシーンがある一方で、プロペラカッターを装着したチャリオットで敵兵を惨殺していく大バカ極まる荒唐無稽シーンがあったりと、真面目(オンビート)とオフザケ(オフビート)が常に細かく切り替えられているので、観る者は「格好良さにシビれながらもバカ描写に突っ込み続ける」という、受動的でありながら能動的でもある映画体験に理性のフューズが飛んでしまうのだろう。

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プロペラカッター付きチャリオットを優雅に乗り回す! 時代考証もヘチマもないバカ炸裂のシーン。

 

インド映画なので当然ミュージカルもある。

『バーフバリ』名シーンランキングの五本指には入るであろう、バーフバリが一目惚れしたヒロインを踊りに合わせて脱衣&化粧し、一曲踊りきった頃にはすっかり両想いになっているというミュージカルシーン。

あれよあれよという間にヒロインが脱衣&化粧されるシーンの面白さばかり話題になっているけど、ここでは「ミュージカルに説話機能を担わせる」というなかなか凄いことをしていて。ヒロインと結ばれるまでのプロセスを一曲のミュージカルの中だけで小気味よく語りきっているのだ。説話的にはこの上なく経済的で、おまけに笑いまで誘発するという一挙両得の超合理的な語りだ。

 

あと、アクションシーン全体に漂うピタゴラスイッチね。

アクションが単発として終わるのではなく前後のアクションと細かく連動しているので、ひとつのアクションシーンの中にもちょっとしたストーリーがあるというか。

また、キャラクターたちは大真面目にやっているのに傍から見るとなんだか笑ってしまうというバカ格好いいを極めたビジュアルの数々も。

特に日本では「シリアスな笑い」に対して感度の高い人が多いので、尚のこと『バーフバリ』の熱に浮かされやすいのでしょうね。

 

最後に、「ほとんどの『バーフバリ』ファンには理解されないだろうけど私が最も気に入っているちょっぴりマニアックな美点」を激賞しておきます。

それはズームイン

フルショットで切り取られた人物の顔をギュン!とズームインする箇所がいくつかあるのだけど、これがまた死ぬほどダサくて最高なんだよ。

70年代のカンフー映画ではよく使われていて、いまや過去の遺物と化した映像技法である。これは、上手くピントを合わせないのがポイント。通称「香港ズーム」

今なおコレをやっているのはタランティーノぐらいだが、まさか『バーフバリ』で見れるとは!

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全編プロモーションビデオ化。

ここからは手放しで絶賛できない理由をあげつらっていきます。

 

私が冒頭5分で「ああ、これはキツい…」と思ったのは、スローモーションの濫用による全編プロモーションビデオ化

正直、『300 〈スリーハンドレッド〉』(06年)ジャスティス・リーグ(17年)ザック・スナイダーよりも酷い。

この世には、96分ほぼスローモーションのバイオハザードV リトリビューション(12年)という限りなく映画に似たプロモーションビデオが存在するのだが、『バーフバリ』を手掛けたS・S・ラージャマウリは、このバイオハザードシリーズのポール・W・S・アンダーソンの邪悪な精神をガッツリと受け継いでいる。

もちろん映画監督としてはS・S・ラージャマウリの方がはるかに腕はあるし、バイオハザード『300 〈スリーハンドレッド〉』などという産業廃棄物に比べれば『バーフバリ』は宇宙最高峰の傑作ということになるのだが、系統的にはこの二人のようなショットをビジュアルとして捉える一派に属するでしょう。

彼らの特徴は、(1)スロー大好き、(2)背景合成大好き、(3)質感や重力を無視したがる…など。

 

あと、先ほどミュージカルシーンにおける合理的なストーリーテリングを褒めたけど、全体的にはかなり鈍重で中弛みしているので、いくつかあるスマートな語り口が見事に殺されているのが惜しい。

クライマックスに時間を割くのは構わないとして、第一幕の「セクシー美女の幻影を追いかけて滝を登りきる」までのまあ長いこと!

その間、ハナシ一個も進んでないからね!

ていうか何なんだよ、「セクシー美女の幻影を追いかけて滝を登りきる」って!

ちなみに、われわれが観た海外配給版の上映時間は138分。それでも充分長いけど、オリジナルは159分マイケル・ベイ・タイムだよ!

ポスプロの段階で各シーケンスをタイトに詰めて、スローモーションの使いどころを見切っていれば、もっと鋭利で力強い映画になったと思うんだよな(詰め込んでなんぼのインド映画は概して上映時間が長いので、指摘するだけ野暮かもしれないが)。

ポスプロ…「ポストプロダクション」の略称。撮影後におこなわれる編集作業のこと。フィルムを切ったり繋げたりして映画の呼吸やリズムを作る超重要な仕事です。

 

さらに言えば、回想シーケンスの配置(入り方と終わり方)が唐突すぎて時制が混乱するし、映画としてかなり観づらくて不細工なルックに…というウイークポイントも抱えている。

おまけに回想シーケンスが1時間近くあり、回想の中で出てくるバーフバリの父親がハーブバリ役と同じ役者が一人二役で演じているのでクソややこしい。

要するに、回想パートと現代パートのメリハリがない。

たとえば映画全体を二部構成にして「ハイ、ここからは回想パートですよ!」と明確に章分けした方がよかったのでは。それこそ本作が影響を受けたであろうベン・ハー(59年)のように。

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その他、細々とした瑕疵は6つぐらいあるけど、もういいです。細々とした瑕疵をあげつらうほどこの作品に悪感情は持っていないので。

ただ、「イマイチだったなー」と感じた人の気持ちは大いにわかる。「なぜこんなものに映画ファンがこぞって熱狂しているのか?」という疑問は、心配すんな、俺も持ってる。

 

だいたい出たけど残尿感。

総括すると、『バーフバリ 伝説誕生』は、おもしろいかつまらないかで言えば断然おもしろい。でも上手いかヘタかで言えば断然ヘタ。

そしてヘタな部分がおもしろい部分の足を引っ張っていて「アガりたいのに、どうもアガりきれんなぁ…」というノイズになっている。

だいたい出たけど残尿感だよ。

当方、「アガる映画」は大好きだけど、ただアガる要素をドカ盛りされただけでは満足できなくて、アガる映画を上手に見せてくれないと心の底から喜べないタチだ。これぞ、うるさ型。

たとえば、大好きなバンドのコンサートに行って自分が一番好きな曲をやってくれたら大いに気分はアガるけど、肝心の演奏がムチャクチャだったら怒りさえ沸くよね、なまじ一番好きな曲だけに。「アガりたいのにアガりきれなーい」っていうか。だいたい出たけど残尿感だよ、だから。

したがって私はマーティン・スコセッシタクシードライバー(76年)に対しても「最高の映画になったはずなのに、どうしてこんな風に撮っちゃったんだ…」という愛と怒りのハーフ&ハーフみたいなもどかしい思いを抱えてござる。

 

だから、こういうお祭り映画にケチをつけねばならないとき、私は自分がシネフィルになったことをたまに後悔するときがある。そして我が身に染みついた批評癖に因果を感じてしまう。純粋に「バーフバリ! バーフバリ!」と叫べない自分に。

はっきり言って、映画通もしくはシネフィル(映画キチガイ)なんてロクな人間ではないし、そもそも映画なんてめったやたらに観るものではない。年に12本ぐらい観るのがいちばん幸せなんだよ。

「最近映画にハマってるんですぅ~」という人あらば、いつも私はグダッとした身振りでこう返している。

「映画なんか観るな」と。

映画好きの成れの果て。それは映画の裏側に頓着するあまりホラー映画に怖がれなくなることであり、技術的な瑕疵が気になって『バーフバリ』で自分を見失えなくなることだ。

菊地成孔の言葉を借りるなら「私は幸福な観客ではない」だよ。畜生めが!

 

さて、次回は『バーフバリ 王の凱旋』(17年)を取り上げます。

果たして私は「バーフバリ! バーフバリ!」と叫ぶのか…!?

これほど続きが気にならない次回予告もまたとないが、次回も読んでくだされば嬉しい嬉しい!