天使なのに胸毛ボーンなってるニコジとヒャッハー・テロリストのメグが織りなす激イタ恋愛ファンタジア。
1998年。ブラッド・シルバーリング監督。ニコラス・ケイジ、メグ・ライアン。
天使のセスは死者の魂を天国に導く役目を担っている。そんな彼は、ある日医者のマギーに出会い、恋に落ちてしまう。しかし、天使である彼は、色を感じる視覚、臭覚、味覚、触覚などの感覚が備わっていないため、彼女を抱きしめることも出来ない。思い悩んだ末、永遠の命を犠牲にして天使から人間になることを決意する…。(Yahoo!映画より)
皆おはようね~。
ほぼ同じ意味の言葉なのに3パターン用意しないと気が済まない奴っていう設定で文章を書くのが得意だから、ちょっと今から証明するわ。調子の好いときは4パターン出るかもよ?
さて、そろそろ「ひとりアカデミー賞」に取り掛からないとヤバいかもなーと思いつつ『アナと雪の女王2』(19年)を観ながら「未知の旅へーえーええー」って歌ってる。松たか子はメタル。
この手のミュージカルは原語版と吹替版で二度観たうえで評価を下す…というのがモットー、ポリシー、金科玉条。
まあ、原語版を一度観ればだいたい評価は下せそうなもんだが、この手の動きの激しい作品は字幕を追ってる間のわずか0.1秒でかなりの情報を見逃すので、吹替版で観た方が賢明、聡明、スマート、シャープ。というより吹替版でしか原理的に“観れない”わけだが、そうすると原語版の歌唱パートを丸ごと聞き逃すことになるので痛し痒し、一長一短、帯に短し襷に長し。この相克、ジレンマ、板挟みから抜け出すためには原語版と吹替版で二度鑑賞するほかあるめぇ…ちゅんが我が朝ジャポン国に生まれし公民風情の因果、宿命、星回りなのである。運命に翻弄されてるわ~。
まあ、そのぶん価値ある戦後日本映画を原語で理解できるという強み、冥利、アドバンテージがあるので、結果的には相殺、トントン、差引きゼロだが、とはいえウォルト、ディズニー、ミュージカルは億劫、厄介、七面倒なので基本的にブログでは扱わないことが多いけれど、『アナ雪2』は書くか、書かぬか、死ぬべきか。迷うなあ。
そんなわけで本日は「…でも死にたくはないなぁ」と思いながらの『シティ』、『オブ』、『エンジェル』です。辛辣、悪辣、酷評回が続くけれど我慢、忍従、辛抱してね。
◆人間に恋をした天使(ウマヅラの薄らハゲ)が勝手に女の家に上がり込んで風呂覗くサイコスリラー◆
ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(87年)をニコラス・ケイジ&メグ・ライアンでリメイクしてみたってか? さすがハリウッド。この軽薄さ。
それはそうと『ベルリン・天使の詩』は嫌いな映画だ。
もともとヴェンダース自身にきな臭さを感じながらも『都会のアリス』(74年)なんかは割と好意的に見ていたが、『ベルリン・天使の詩』を始めて観たときに「激イタやん」と思ってからはヴェンダース=激イタおじさんという図式が出来上がってしまったのだ。特に「小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーに捧ぐ」というクレジットのまあ薄ら寒いこと。ポーズだけは一丁前だが言ってることは浅いヤツ…みたいな、ちょうどそんな人種を束ねるボスって感じだ。
ヴィム・ヴェンダース…ドイツの映画監督。ミニシアターブームが到来した80年代末に『ベルリン・天使の詩』がロングランヒットしたことでサブカルチャーのアイコン的存在に。他の代表作に『さすらい』(76年)、『アメリカの友人』(77年)、『パリ、テキサス』(84年)など。小津フリークを自称。瓶底眼鏡。おしゃれパーマ。
『ベルリン・天使の詩』(87年)
『ベルリン・天使の詩』もイタいが、それをリメイクした本作はさらにイタい。
まずニコラス・ケイジが天使役。見えん。メグ・ライアンが外科医役。見えん。ちょうど2人がキャリアハイだった時期の作品なので、恐らくはワーナーのパワーキャスティングなのだろう。
さて、さっそく中身の話だ。
永遠の命を持つ天使たちは、余命わずかな人間の前に現れ、その心に安寧をもたらす存在らしい。天使は人間界の至るところに存在しており、ニコジもまた天使仲間のアンドレ・ブラウアーとともに高層ビルの屋上から街を見下ろして人間界を観察するのだが、このシーン、いかんせん風も吹かないうえに背景合成まるだし。これはイタい。こともあろうに、すでに引退していたアンリ・アルカンを口説き落としてまで“映像美”を追求した『ベルリン・天使の詩』のリメイクがこの程度のショットに充足してるの?…っていうイタさね。
まあいいや。
なにしろ、天寿を全うした人間をあの世に連れていくのが天使の仕事なんだと。
なお、人間の目に天使は見えないという設定だが、たまたま病院を徘徊していたニコジは手術中のメグと目が合った感じがしたとかいうしょうもない理由で彼女に惚れ、ステルスモードを解いてメグの前に姿を現します。
ステルスモードだとメグには見えない(随意に解除できる)。
爾来、ニコジはステルスモードのON/OFFを使い分けて常にメグの様子を観察し始めるのだが、その佇まいが端的にきしょい。
なにしろ黒のコート着た身長183cmのウマヅラの薄らハゲが四六時中ぴったりくっ付いてるんだから。
天使どころかもうすぐ死神になるストーカーの地縛霊だろ、これ。
キモ味がすごいよ。モダンホラーが過ぎるよ。それでもニコジは天使然とした顔で「ボクは神の使者」などと嘯く。何がやねん。
だいたい天使ってツラかな? 天使って中性的なルックスじゃないかな?
おまえ胸毛ボーンなっとるやないか。
天使なんだと。
だが、当のメグはまったく警戒せず、むしろニコジの綺麗な瞳に心を奪われて一瞬で両想いになる。恋愛感度ジャックされとんのか?
ニコジと別れたあとも「アドレス聞きそびれちゃった。私のバカバカ!」って浮かれてやんの。
おい、当のメグ!
しっかりせえよ!
まあ、「ニコジと別れたあと」と言っても、ニコジはステルスモードでメグを尾行してるわけで、勝手に彼女のアパートにあがり込んでいるのだが。
それを『インビジブル』(00年)と人は言うんだよ。
そのあと、うっとりしながら泡風呂に浸かるメグを間近でガン見しながら「人生は美しい」みたいな恍惚フェイスを浮かべる、その居様のキモキモしさ。
前後の文脈がなかったら全きサイコスリラーだね。
いや、前後の文脈がなくてもこの画ヅラはサイコスリラーだよ。だって十分サイコスリリンだもん。
だが、当のメグはステルスモードの覗き魔ニコジに気づかず、このハゲとの出会いを「ウフフ♡」と噛みしめてる。なんなら両手ですくったシャボンに息を吹きかけてププププ~ともする。
オイ、当のメグ!!
しっかせーよ! むちゃむちゃ見られとんぞ!
メグへと送られた熱視線。
2人の関係はすこぶる良好かに思えたが、天使のニコジにはモノを感じる能力―すなわち触覚、味覚、嗅覚がなく、メグを抱きしめたり髪の匂いを嗅いだり身体をペロペロするといったことができず、そのことがとても悔しいのだという。観る者は皆一様に「知らんがな」と心の中で小さく思う。
ゆえにメグからキスされたときも、ニコジは唇に何も感じないので「は?」みたいな顔をしてしまい、そのリアクションに深く傷ついたメグは「もういい!」と怒りだし、同じ病院に勤めている外科医の恋人コルム・フィオールの家に行ってセックスをおこないます。
おまえ恋人いたんかい。
傷心のニコジは、メグとコルムがイチャイチャしているさまをステルスモードで監視しながら「うそーっ」みたいな顔をした。まあ、無理もないか。先言うといてくれんと。
だが、コルムと愛し合ってもメグの心は満たされなかった。ぽっかりと空いた彼女の心の穴からはニコジがコンニチハしていたのだ!
ほなコルム噛ませ確定やないの。
恋の噛ませ犬…主演カップルの身勝手な惚れた腫れたに振り回される脇役たち。
頭のいいコルムは、メグの浮かない顔を見て、きっと好きな男がいるのだと察し「僕はハートのことには疎いけど、きみを愛してる」と先手必勝でプロポーズする。「ハートのことには疎い」という部分はシャレになっていて、「心臓外科医のキミとは違って」という意味が込められてるわけだ。コルム、しゃれたこと言うやん。
恋の岐路に立たされたメグは「どっちにしようか迷うー」などと勿体ぶって逡巡した。どうせニコジにいくんやろうがオマエは。分かりきったクイズなのに迷ってるフリすな。白々しいのう。
後半のエピソードは次章にて。驚きの展開があなたを待っていますぞ!
もはや批評する気なし。
市場できのみを精査するニコジ(味覚がないから食べてもしょうがないんだけど)。
◆ビルから飛び降りるわトラックに突っ込むわ…ヤケに忙しい男と女◆
メグへの未練を絶てずにいるニコジは、メグに嫌われたのは自分に五感機能が欠落しているからであり、そのすべてを手にすれば…つまり人間になればメグと結ばれると考え、堕天使になる道を選ぶ。
すでに地上で人間生活を謳歌している堕天使の知人いわく、天使が天界から堕ちて人間になるためにはその辺の建物からテキトーに落っこちればいいんだと。
そんな物理な…。
さっそく「早く人間になりたーい」と妖怪人間ベムみたいなことを言いながらビルから飛び降りて大怪我したニコジは、見事人間になることに成功。「血だ! 痛い! うれしい! ヒィィィィヤ!」なんつってケラケラ笑いながら全身血みどろでメグのいるハネムーン先の湖畔に向かう。オネエ走りで。
タダモンじゃねえな、こいつ。
血みどろで人間になれた喜びを人に伝えるニコジ。
ニコジ「痛い! 痛いんだ! 痛いことが嬉しいんだよ! ははは!」
後ろの丸形蛍光灯がデケェ天使の輪っかに見えるという奇跡のショット。
オネエ走りでメグの元に走り出すニコジ。
オネエ走りでメグの元に走り出すニコジをやや拡大したもの。
ぼく。
ハネムーン先のコテージにはコルムと婚約破棄したメグが一人さめざめ泣いており、そこへ血みどろのニコジが現れ「アイラービュー」「アイニージュー」「ミートゥー」「トゥー」なんつった後に暖炉の前でネチャネチャとセックスをおこなう。晴れて触覚を得たニコジは「うあっ!」「うあっ!」と声を裏返して、とっても気持ちよさそうです。
翌朝。ベッドから抜け出したメグは2人分の朝食を作ろうとシャカリキに自転車を漕いで近所のスーパーに向かったが、その帰り道に幸せいっぱいすぎて目をつぶりながら天を仰いで手放し運転してる時に木材運搬トラックに突っ込んで死にます。
一番まともだと思ってたメグがヒャッハーの分野で一頭地抜いてた。
嘘でしょ。とんだ伏兵に虚を衝かれたよ。イカレキャラ担当はニコジだと思ってたけど、まさかメグがこの分野の真打ちだったとはね。
その後、事故現場に駆けつけ「ノォォォォン。ノォォォォン」と慟哭するニコジ。うるせえ騒ぐな。
瀕死のメグは、ぴくぴくしながらも「せっかくあなたが人間になれたのに…。まさかその翌日にこんな事になるとはね」と自虐気味にこぼし、観客が言おうとしてたツッコミフレーズを先に回収していく。余力を振り絞ってツッコミ封じをすな。そのあとフワ~って死にます。
それにしてもこの手放し運転のシーンはひどい。死亡フラグのつもりなのだろうが自ら死にに行ってるようにしか見えないのだ。「さあ、そろそろヒロインには死んでもらいますよ」という作り手の都合がミエミエ。
タイタニックごっこの最中にミスって死亡。このままトラックに突っ込みます(もうそういうテロやん)。
メグを失い悲嘆にくれたニコジは、天使仲間のアンドレに向かって「天界の掟に背いたオレへの罰か!?」と逆上するも「いや、彼女が死んだのは運命だ…」と諭される。
アンドレは親切なので「運命」という言葉でオブラートに包んでくれたが、ありていに言えば「自業自得」だよな。目ェつぶって手放し運転なんかしてたらそりゃ死ぬでしょうよ。
そのあと、アンドレに「人間になったことを後悔してるか?」と訊かれたニコジは「いや、まあ…」とか何とか、もにょもにょ言った。そこは濁しなや。
まあでも、たった一回の筆下ろしと引き換えに永遠の命を失ったのだから「いや、まあ…」で正解なのかな?
どうにか気持ちを切り替え、メグのいない人生をなるたけエンジョイしようと決めたニコジは爆笑しながら海で泳ぎ、そのイタい様子を天使たちが浜辺からジーッと見つめる光景を最後に映画は終わります。
ギリギリ言葉になるかならないか…ぐらいの小声で「なんやこれ」と観る者は呟く。
高尚といえるほど高尚でもないが、それでも十分なアート性(笑)を誇っていた『ベルリン・天使の詩』に比定して、『シティ・オブ・エンジェル』は甘味料と着色料でこれでもかとばかりにハリウッドナイズされたド軽薄ラブロマンスである。ベクトルは違えど軽薄という点では『ベルリン』とどっこいどっこいである、という点においては多少なりとも意味のあるリメイクだったのだろう。それに、こんなバカげた内容にも関わらず日本でもアメリカでも割と好意的に評価されてるみたいだし。
まあ、考えてみればそこまで悪い映画ではないのかもしれない。ポスター写真とか、結構いいもんね。
それにニコラス・ケイジは病気のパントマイマーみたいな佇まいが印象的だったし、メグ・ライアンもダムを作ることに嫌気がさしたビーバーのようで保護欲求が芽生えた。
なお、画質は90年代のミュージックビデオとほとんど同じ。画面サイズは上下左右にレタボの付いた額縁シネスコ。80~90年代の映画を観ていて一番ガッカリしちゃうやつね。どうもありがとう。
ちなみにこの映画に出演したあと、ニコジは『天使のくれた時間』(00年)という本作の完全上位互換のラブファンタジー作品で幾らかまともな芝居を見せ、メグちゃんは『ユー・ガット・メール』(98年)で世界中の観客から「楽しくてかわいい映画だった!」というメールを受け取った。何よりだわ。
Moviestore Collection/AFLO