シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

はなれ瞽女おりん

志麻ちゃんがずっと目つむってる映画。

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1977年。篠田正浩監督。岩下志麻、原田芳雄、樹木希林。

 

大正7年、はなれ瞽女である盲目の少女・おりんはシベリア戦争の脱走兵・平太郎と出会う。互いの過去を知らないままふたりはあてのない旅を続けるが…。 (Amazonより)

 

 おはよう、高等遊民のエルフたち。

一身上の都合により近頃ほとんど映画を観れていないのでレビューストックが減る一方だ。加えて『ひとりアカデミー賞』の準備にも時間をとられるので、今月は更新頻度を落として騙し騙し運営せにゃならぬ。ジリ貧みたいに。

まぁ、時間稼ぎ用の特集記事をサラッと書いたので、これで少しは凌げるのだけど。ちなみに特集内容は当ブログにちょいちょい登場するキャラクターたちを紹介するという実にメルヘンなもので、読者にとっては損にも得にもならない無意味そのものといった記事である。混じりっけなしの無意味。

さてさて、あちこちで大反響を呼んだ 「志麻ちゃん特集」の始まりです。第2弾は『はなれ瞽女おりん』をピピピピ・ピックアップ!

まぁ、反響を呼んだというのは嘘だがな。混じりっけなしの嘘。あとコメント欄やトゥトゥトゥトゥ・トゥイッターの返信は今しばらくお待ち下さい。

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◆くじけるな志麻ちゃん◆

志麻ちゃん特集第2弾は『はなれ瞽女おりん』。志麻ラーを自称する以上は遅かれ早かれ扱わねばならない作品だと思っておりました。

本作は岩下志麻扮する不幸な瞽女(ごぜ)の一生を描いた瞽女映画の金字塔であり、監督は志麻ちゃんの夫・篠田正浩

瞽女というのは明治から昭和初期にかけて北陸地方を回りながら唄と三味線で門付をしていた盲目の女旅芸人のことである。越後を中心に複数のコミューンが形成され「長岡瞽女唄」というポップソングを広めていたが、やがて高度経済成長と共に瞽女芸能は衰退。しかし現在でも保存会の尽力により「瞽女芸能まつり」などが開催され、日本の伝統芸能として連綿と継承されている。

最もポピュラーな瞽女映画といえば綾瀬はるかの『ICHI』(08年)だろうか。これは『座頭市』の主人公を女に置き換えるというむちゃくちゃなリメイクであった。

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門付に出る瞽女コミューン(迷子防止策として前の人の荷物に掴まりながらのドラクエ歩き。したがって先頭の者が道を間違えたら終わりである)。

 

本作の志麻ちゃんは生まれつきの盲目。映画は彼女の幼少期から死までを網羅するので、ファーストシーンでは瞽女のコミュニティで育てられるさまが描かれているが、これがなかなかに壮絶なのである。

瞽女のコミュニティは部落同然の扱いを受けているが、コミュニティ内にもヒエラルキーがあって、ニューカマーの志麻ちゃんはよりよい瞽女になるための修行を課せられる。盲生活に慣れることはもとより、三味線の稽古、ボイストレーニング、人様にへりくだる法、神への祈り…。彼女たちは世間から受ける猛差別を少しでも軽減するために人一倍の礼儀作法を身に付け、かかる境遇に耐えられるよう精神的支柱(信仰)を持たねばならなかった。また、時には売春(実質レイプ)に応じることも覚悟せねばならない。

あまりに苛烈な境遇ゆえに、瞽女たちは「醜い浮世を見なくて済むように神様が眼を奪ってくれた」と考えている。そう解釈して、多くのものと折り合いをつけねば生きていかれなかったのだ。

そして最大のタブーは男との性交渉。男に抱かれた瞽女は必死で堕ちるというのが瞽女界の定説で、志麻ちゃんも思春期を迎えたころに瞽女流の性教育を叩き込まれます。

ただでさえ疎外されてるウチらに性のスキャンダルなんか出たら一発アウトだで。ましてや妊娠なんかしたら人生終わるど!

とはいえ魑魅魍魎のクソ野郎どもにとって瞽女は簡単に犯せる慰み者。顔を見られずに済むので逮捕される心配もない。多くのクソ野郎がドロのごとき欲望を吐き出し瞽女の身体を穢した。

ちなみに志麻ちゃんを酔わせて犯したクソ野郎役に西田敏行指も折った。

何してけつかる、おどれ!

魚だけ釣っていればいいものを、よりによって志麻ちゃんを釣るなんて。この野郎…。

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西田敏行(邪悪な魂)。

 

事程左様に壮絶な瞽女人生を歩む志麻ちゃんは、西田ファッキン敏行と姦通したことでコミュニティから追い出され「はなれ瞽女」となる。

集団行動によって辛うじて生活基盤を保っていた瞽女が独りぼっちになることの人生難易度たるや…ということである。「人生ハードモード」とかナメた口を利いてるヤツの横っ面をスパナでブッ砕いてやりたくなるような地獄がここにはありました。

志麻ちゃんガンバレ!

くじけるな志麻ちゃん!

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全国ツアーをおこなう様子。

 

◆かがやけ志麻ちゃん◆

阿弥陀堂で餅ばかり食って暮らしている志麻ちゃんがさすらいの原田芳雄と出会い、瞽女として生きてきた過去を(餅を食いながら)打ち明け、これに興味を持った原田が彼女の旅に同伴する…というのが主な筋である。

本作の志麻ちゃんは全編目をつむっての演技。キラキラしたお目めが見られないのはまことに無念であるが、目をつむっていても相変わらず別嬪で、つむりの志麻としての新たな魅力を放つことに成功している。どうもおめでとうございます。

そして彼女は前章で紹介したような暗澹たる瞽女デスティニーを微塵も感じさせないほど明朗快活なキャラクターで、コワモテの原田に臆することなく飄然たる態度で旅の同伴をゆるすのである。華のある佇まいとお国言葉のチャーム!

岩下志麻が百花繚乱する!!!

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対する原田芳雄は『ツィゴイネルワイゼン』(80年)同様、大正時代の男がよく似合う。

三船敏郎と同じく野性味溢れるタフガイで、どことなく文化的な香りをまとったアングラ系の俳優である。まるで人生を悟った刹那主義の文化人。三船敏郎が神保町の渋い古書店だとすれば、原田芳雄はサブカル御用達のヴィレッジヴァンガードだ。なぜ本屋に喩えたのか分からんが。

この時代錯誤の大男は荷車に二人分の所帯道具を積み込んで志麻ちゃんに追従する。共に旅をするうちに身体が疼きだした志麻ちゃんが「抱いとくれ」と言っても「ノン」と断るような奴であり、柏崎に居を定めた際には彼女を浮世の差別から守るために自分を兄と呼ばせて兄妹のふりをした。

原田は志麻ちゃんの中に観音様のごとき美を見ており、それゆえに男と女の関係にはなれないのだと言う。だが、これに不満の志麻ちゃんは「わしゃ仏さんでも妹でもないやい!」と言って膨れるのだが、この二人の掛け合いには確かなる萌えが秘められている。ツンツンしてる原田とデレデレの志麻ちゃんに「いいなぁ、いいなぁ」と鼻を垂らしながらの鑑賞でありました。

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愛や友情を超えた不思議な関係。

 

その後、原田が日本軍に追われている脱走兵であることが発覚したり、志麻ちゃんを犯した香具師を原田が殺害してしまったりと悲惨な展開がひたすら続くが、不思議と画面が暗くならないのは志麻ちゃんの愛嬌ゆえだろうか。どう思う?

また、志麻ちゃんの過去と現在を並行的に提示するストーリーテリングがなかなかの妙技であった。たとえば血だらけの足で雪道を歩いた幼少期のエピソードと、真冬でも足袋を履かずに歩き回る現在のエピソードが対になるように配置することで、志麻ちゃんの内的変化を観る者に想像させるという寸法なのである。彼女がいつもニコニコしているのは幼少期の過酷な経験から気丈に振舞う癖が身についただけなのかもしれない…みたいなね。

 

そんな志麻ちゃんに、米騒動、シベリア出兵、関東大震災といった大正の風が容赦なく吹き荒ぶ。そして北陸の土俗信仰と、波打つ日本海のダークパワァ!

撮影は宮川一夫『昭和キネマ特集』でしつこく何度も言及した天才カメラマンである。本作でも卓抜した撮影術を披露しておりますぞ。無力な志麻ちゃんだけでなく全ての人間がちっぽけに映るように、景色はより峻厳に、雪は大袈裟に、町は不機嫌に撮っておるのじゃ。まるで人物をよけて背景だけ厚塗りするがごとく、たとえ人物が前景にいても背景がすさまじい圧をもって押し迫ってくるのじゃ。

そうそう。全編に散りばめられた有機的な曲線のモチーフが、旅の終わりが迫るにつれて無機的な直線のモチーフに取って代わるさまも特筆しておかねばならん!

物語前半では、風に揺れるゼンマイ、初潮を迎えた過去パートの志麻ちゃんが雪道にこぼした赤い蓮(血のメタファー)、なにより二人の共同生活を象徴する荷車といった曲線豊かな円形のイメージが画面を彩っていたが、志麻ちゃんが殺人罪で追われる原田と別行動を取って瞽女仲間・樹木希林と旅を続ける物語後半では、まるで自由を抑圧するような息苦しい直線(あるいは長方形)のイメージが連鎖する。原田が拷問を受ける柏崎警察署の幾何学的な外観といったらない!

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健やかなるときは曲線で彩られていた画面だが(画像左)、破滅の気配をみなぎらせるにつれて直線に支配されていく(右)。

 

◆早まるな志麻ちゃん◆

脱走および香具師殺しの罪で逮捕された原田は、独房の小窓(やはり長方形)越しに志麻ちゃんと最後の会話を交わす。原田が連れて行かれたあとも一人寂しく唄を歌い続ける志麻ちゃんは、そのあとママンを頼って故郷に帰るも「先月死んだよ」と知らされ、全てに絶望する。

ラストシーンでは真っ暗なトンネルから技師たちが現れ、昼食を取りながら向かいの崖を不思議そうに眺めていた。切り立った崖の枝に赤い布が引っかかっているのを認めたのである。志麻ちゃんが着ていた着物だ。

カメラが崖に寄ると、枝の近くにはボロボロになった白骨と破れた三味線が転がっていて…。

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志麻ちゃんの…なれの果て…。

カラスが狂ったように鳴きながら一斉に飛び立ち、真っ赤な夕焼けを残したまま映画は終わってゆく。

救いなし!!!

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志麻ちゃん…。

 

本作の岩下志麻は滅法すばらしい。志麻ラーだから誉めているのではないぞ!

先述したような「人がちっぽけに映るほど力の入った風景」に立ち向かい、まるで大自然と共演するかのように我が身を環境に潜らせ、その中で「はなれ瞽女」の孤独な運命を体現している。もちろん目の芝居を封じたままで…だ。

もっとも、宮川が「クローズアップ」という名の助け舟を出してはいるのだが、結果的に『はなれ瞽女おりん』はとびきり贅沢な志麻ムービーと相成った。

瞽女フレンドを演じた樹木希林(当時34歳)もぴちゃぴちゃしたナマズのような存在感を放っており、数いる瞽女役のなかで唯一目を開いたまま芝居をしていて「おまえは『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』のアル・パチーノか?」と感心した。希林を希林たらしめたのは、その映画的と呼ぶほかない斜視なのである。

西田敏行のレイパー役には「なるほどなぁ」と妙な説得力を感じたし(詳しい話はせずにおく)、本作で銀幕デビューを飾った深夜食堂俳優・小林薫は原田と志麻ちゃんを尋問するブチギレ憲兵の役を気持ちだけで演じておられました。

 

また、志麻ちゃんはこの作品で第1回日本アカデミー賞の主演女優賞を、宮川一夫は技術賞をゲットして喜んだフリをした。その他の部門は軒並み『幸福の黄色いハンカチ』(77年)がかっさらっていったが山田洋次はフリではなく本当に喜んだ。

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2歳違いの二人。