シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

スキャンダル

『スポットライト 世紀のスクープ』って良い映画だよねって話を信じられない熱量で語ってしまった。

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2019年。ジェイ・ローチ監督。シャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビー、ジョン・リスゴー。

 

2016年にアメリカで実際に起こった女性キャスターへのセクハラ騒動を映画化。アメリカで視聴率ナンバーワンを誇るテレビ局FOXニュースの元・人気キャスターのグレッチェン・カールソンが、CEOのロジャー・エイルズを提訴した。人気キャスターによるテレビ界の帝王へのスキャンダラスなニュースに、全世界のメディア界に激震が走った。FOXニュースの看板番組を担当するキャスターのメーガン・ケリーは、自身がその地位に上り詰めるまでの過去を思い返し、平静ではいられなくなっていた。そんな中、メインキャスターの座のチャンスを虎視眈々と狙う若手のケイラに、ロジャーと直接対面するチャンスがめぐってくるが…。(映画.comより)

 

皆おはよう。咀嚼回数の多い人間にとってタピオカミルクティーってツラいよね?

ミルクティーを飲むためにタピオカを噛んでるのか、タピオカを噛むためにミルクティーを飲んでるのか。「鶏が先か卵が先か」みたいな因果性のジレンマに囚われながら頂くタピオカミルクティーなんて、どっちにしたって美味しくないんだ。でも、だからといってタピオカ店を恫喝する僕じゃない。僕はやさしい人間だ。嫌いなタピオカミルクティーだって、勧められれば飲む。噛む。

この前書きは深酒した時にまとめて書いてるので、後になって「こんなこと書いてたん?」と愕然たる面持ちで読み返すことがあるのだけど、思えば初期はそうじゃなかった。あとで読み返しても恥じないように何度かチェックを重ねた上で発表していたんだ。でもそれだと時間を取られるので、いっそ酔った勢いでビャーッと書いてしまおうと思い始めたのが約半年前。だから取り留めのない話を今してる。

閑話休題。

そういえば最近、美大に通う読者から嬉しいコメントを頂きました。卒業制作で映像作品を作っているんだって。周りのご同輩たちが教授に気に入られるような作品づくりをしていて、そういうアティトゥ…アティチェー…アチュ…アチチュードに只ならぬ違和を感じているらしい。

これって美術と芸術の違いが如実に表れたエピソードよね。恐らく、そのご同輩たちがやってることは「美術」。美術というのは人の為のアート活動なので、いわば作り手は納品者。デザイナーとかがそうだけど、先方が気に入ってくれるものを正確無比に作るわけです。

で、そこに異を唱える行為が「芸術」。誰かの為でもなければ、自分の為でも、ましてや金の為でもなく、「それ違うだろ、おかしいだろ、こうだろ」って表現しないと気が済まないから作るもの、否、作らざるを得ないもの。だから僕は、この美大読者のことが好き。周囲の人々、あるいは世の中に対して違和を覚える。その違和感のことを「閃き」と呼ぶわけだ。ロックンロールも閃きの連続だ。

ロックといえば、昨日タワコレに行った。ロックのレコードを買った。レジの人がすごく綺麗だった。ぜひ一緒にタピオカミルクティーを飲みたいと思ったけれども、咀嚼回数の多い人間にとってはタピオカミルクティーはツラい。タピオカの代わりに臍を噛んだ。つまりタピオカの本質はロックンロールなのかもしれない。酔っ払ってきた。タピオカミルクティーを飲もう。僕はやさしい人間だ。

そんなわけで本日は『スキャンダル』です。脳細胞1個たりとも興味がないのでサクッと終わらせます。

またこのシリーズゥゥウウウウ?

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◆双頭龍カズ・ヒロによる一人メイクアップコンテスト◆

作品の概要については映画.comからパクってきたあらすじ紹介を読んでくれ。

残念ながら本作には映画の語り代があまり無いので、おそらくロクなレビューにならないだろう。なんといっても、TVドラマのようなモンタージュの連鎖と、ただ事象に沿って“進行”(展開ではない)するストーリーの素っ気なさ。

FOXニュースの女性職員3名を中心に、FOXの創立者ロジャー・エイルズ(演ジョン・リスゴー)をセクハラ被害で提訴するというアツい話だが、部署もキャリアも異なる3人(シャーリーズ・セロンニコール・キッドマンマーゴット・ロビー)の連帯はまったく描かれず、もっぱら“同一人物によるセクハラの被害者”をほとんど唯一の共通点とした絡まない群像劇が描かれる。なるほど。特定のコミュニティを形成しないことで、“FOX女性職員たち”ではなく“女性たち”の怒り…とする普遍的な対象性の中にこそタイムリーな問題提起は成されるのかもしれないが、だとすれば3人が偶然同じエレベーターで一緒になるシーンや、ニコールとシャリセがわざとらしく目配せするラストシーンは果たして必要だっただろうか。

演出の練度が高いとか低いとかではなく、そもそも“練る”という作業自体が存在しない演出不在の108分は“映画を観るつもりでスクリーンに臨んだ人間”の眼には何も起きてないも同然なので、ある意味では私は108分ほぼ気絶してたと言えるのかもしれません。いや、してないけどね? 気絶なんてしてないけど実質的には気絶してたも同然なのかなあって。

監督のジェイ・ローチは、前作の『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15年)がよかったので今回の『スキャンダル』も楽しみにしてたんだけど、改めて考えると告発事件が起きた2016年から本作公開までの期間がわずか3年にも満たないことから、よほど短兵急に企画が立ち上がり、見切り発車&突貫工事で撮影にかかったのだろう。そう考えると演出不在にも合点がいくけど。

物語は大した危機も葛藤もクライマックスもなく淡々と進み、最初から切り札を隠し持っていたニコールがごく穏当にカードを切って地滑り的大勝におわる。これはこれでワンサイドゲームを見る楽しさはあるが、それにつけても「ふうん」の感がすごい。なんというか、親戚の子どもがスマブラでCPUをぼこぼこにしてるのを隣で見てたときの気分を思い出した。「ふうん」って。

あとニコールとシャリセを別人たらしめた辻 一弘による特殊メイクだが、今回はちょっとやりすぎかな。だって画面に映ってるのが顔じゃなくてメイクなんだもの。いくら2人が演じたキャスターが「世界で最も影響力のある100人」に名を連ねているとはいえ、『スキャンダル』はゲイリー・オールドマンをチャーチルに仕立て上げる事とは明らかにベクトルが異なる作品なのである。これじゃメイクアップコンテストだ。

しかも辻 一弘…現在はカズ・ヒロに改名してるからね。

1人の名前の中に2人いるみたいになっとるやないか。

なまじカズとヒロの間を「・」で区切ったことによってあたかもカズ君とヒロ君みたいな名コンビを彷彿させる名前に仕上がってはいるが実はカズとヒロで1人の人格だったという! 何この双頭の龍みたいなシステム!首は2つあるけど1体としてカウントしてね、やあらへんねん。

ちなみに、本作が撮り漏らしたショットや決め損ねた演出の大部分は『スポットライト 世紀のスクープ』(15年)という映画が余すところなくやってくれているので、ここからは『スポットライト』を論じることで婉曲法的に『スキャンダル』評を補完したいと思う。

驚かれるかもしれないが…私自身なにをいってるかぜんぜんわかってない。

f:id:hukadume7272:20201113031659j:plainそんなわけで『スキャンダル』評は終わり。

 

◆おれのスポットライト評◆

『スポットライト』は、神父による児童への性的虐待の真相を暴かんとするボストン・グローブ紙・調査報道班のジャーナリズム精神を描いた社会派映画である。

何をおいても驚くべきは過度に強調された純白の画面だ。新聞社のオフィスも白ければ、身につけたシャツも白い(マイケル・キートンとジョン・スラッテリーに至っては髪まで白いという!)。

もちろんこれは神父がまとう黒の祭服を告発するための白である。『地獄の英雄』(51年)『大統領の陰謀』(76年)『消されたヘッドライン』(09年)など、記者が主人公のジャーナリズムを扱った映画群が、渦巻く欲望や陰謀を視覚化した“黒”によって染められてきた歴史を思えば、これはなかなか珍しい切り口だろう。

だが白が正義の象徴だからといって、どこかに影を作ることで善悪の揺らぎを対比するといったありふれた技巧を弄したりはしない。本作は最初から最後まで白だけで押し通すという強引な力技でジャーナリズム映画の過去を揺さぶってみせるのだ!

f:id:hukadume7272:20201113032428j:plain白の映画、『スポットライト』

 

そう広くない「スポットライト」チームのオフィスに縦に並べられたそれぞれのデスクの構図取りは、だだっ広いオフィスでダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードの二人がウォーターゲート事件について調査する『大統領の陰謀』の空間設計の真逆を志向している。

定規を使って名簿を一行ずつチェックする。被害者の話を聞きながら手元のメモ帳に素早くペンを走らせる。膨大な資料を丁寧にファイリングする。そうした地道な手作業によって事件告発のためのアーカイブを作成してゆき、揉み消された真相を再び紙面に浮上させるべくバチカンという強靭なシステムに詰めろを掛けていく。

本作がパッとしない作品であることには変わりないが、その地味さは静的な性質によるものではなく、むしろ動的な身体性によってもたらされたものであり、だからこそ観る者の胸を静かに打つ。それは足を使って取材をおこなうという実地調査だ。

被害者の自宅を片っ端から訪問した玄関先での質疑応答。神父を弁護した人間の腹を探るためにゴルフ場や酒の席に出向く。話をしたくても着信拒否で逃げ回られたら直接相手の会社に乗り込む…。とりわけ記者のマーク・ラファロは、有力な情報を入手しては一刻も早く社に戻るために韋駄天のごとくボストン市内を駆け回る。

普段われわれが座して受信する情報の裏側には、その提供者による実にフィジカルな東奔西走のドラマが隠されているのだから、そこにこそスポットライトを当てた本作が地味であることなど必定にして無意味。地味は地味でも、よりドラマティックに地味なのだ。

f:id:hukadume7272:20201113032822j:plainバットマンとハルクがカトリック教会のタブーに切り込む!

 

人を吸い込んでは吐き出すドアはひっきりなしに開閉され、あちこちに散らばって取材をおこなう「スポットライト」の面々の去来を印象づける。

あるいは、編集長マイケル・キートンを上座=画面奥に置いた縦構図のデスクは、しかし彼の本格的な調査への参画に至って、たとえば部下のレイチェル・マクアダムスとの横並びの平面的なツーショットによる対等性、または円形に並べられた椅子にそれぞれが座ることによって連帯感が画面化するなど、細やかに計算された人物配置がチームの結束力をよく伝えている。

つまり本作は、チームの身体的な“集合と解散”を可視化することで、真相究明へと向けられたエネルギーの“拡散と凝縮”を表象する映画なのだ。

もっとも、彼らに圧力がかけられる場面がもっぱらセリフに従属しているという難点、または6人の記者を英雄視しないためにあえて内面描写を避けるといった選択は一長一短で、それゆえに作り手にとってさえやや想定外の淡味な出来栄えにおさまってもいるのだが。

だが、証拠となる公文書を発見したときに運悪く9・11テロが起きて報道の機を逸したり、ついに教会の秘密を暴いた新聞が世に配られる前夜の緊張感の盛り上げには品がある。

カトリック教徒が多いボストンにおける真相報道のタブー化、あるいは真相を暴くことが敬虔な信者たちの希望を奪うことにもなりうる…といったジャーナリズムの葛藤への眼差しもあくまで慎み深い。

「きみが公開を求めてる文書はきわめて機密性が高い。これを記事にした時の責任は誰が?」との問いに対し、マーク・ラファロが身を乗り出して答えた「では記事にしない場合の責任は誰が?」にシビレビレ!

以上、大好きな『スポットライト』をたっぷり語りました。

f:id:hukadume7272:20201113033109j:plainあー満足。

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Photo by Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC