シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

人生の動かし方

丁度いい何も起きなさ。

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2017年。ニール・バーガー監督。ブライアン・クランストン、ケヴィン・ハート、ニコール・キッドマン。

 

スラム街出身で職もなく妻子にも見放されたデルは全身麻痺で車椅子生活を送る大富豪フィリップの介護人として働くことになる。秘書のイヴォンヌをはじめフィリップの周囲の人々はキャリアも教養もなくお調子者のデルを雇うことに否定的だったが、周囲の反対をよそに、フィリップとデルは互いにひとりの人間として接し、充実した日々を送る。しかしフィリップは誰にも言えない秘密を抱えており、ある日ふたりの友情を揺るがす出来事が起こる。(映画.comより)

 

おはよう、 かつては汚れなきキッズだったみんな。

昨日の前置きではわけのわからないことを書いてすみませんでした。どろどろに酩酊して書いたものなのでほとんど記憶がなく、ついさっき読み返したら「煙の神様になりたい」みたいなことが書かれていて「くー」って思いました。

あと、近所のスーパーのポイントカードが2000円分ぐらい溜まってて、ポイント値引きで5キロのお米を0円で買ったときの全能感はすごい、ということだけ付け加えておきます。米の覇者みたいな気持ちがするよ。

というわけで本日は『人生の動かし方』です。特に語るべきところのない作品なので無理やり書きました。

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◆あのにんき映画のリメイク◆

続編やリメイク、またはマンガの映画化が厳しい評価に晒されてしまうのは比較論で語られるためである。オリジナルに比べてここが違う。これが足りない。そんな幼稚な間違い探しをして評価した気になっているが、それは評価したのではなくただ比べただけザッツオール。

また、基本的に人民というのは果てしなくアホなので、あたかもオリジナルを「正解」かのように思い込み、そこから逸脱した分だけ減点法で評価していく。オリジナルが本当に優れているかどうか検討もせずに。オリジナルにも作品的な瑕疵はあるだろうに、そこを映画版で「修正」しても「改竄」と受け取られてしまう。

つまるところ誰も映画など観ていないのである。

たとえば前作と比較して続編にケチをつける人間は、映画を観ているのではなく前作越しにその続編を見ているだけ。続編であれリメイクであれ「自律した一本の映画」であることには違いないのに。まずはスクリーンに目を向けろ。

かかるアホみたいな現象の根底にあるのは「好きな作品を穢された」という被害妄想が生んだヒステリックな当てこすりである。程度が低すぎて涙が出ちゃう。女の子だもん!

 

さて、今回取り上げる『人生の動かし方』は日本でもヒットしたフランス映画『最強のふたり』(11年)のハリウッドリメイクである。頸髄損傷で首から下の感覚がない大富豪が前科持ちの黒人を介護士として雇う…といったハートフルな意味内容。

先に断っておくと『最強のふたり』は嫌いな映画です。

そして今回Amazonプライムでたまたま見つけた『人生の動かし方』、リメイクと知らずに観てしまったけど嫌悪感はまったく抱かなかったので、ひとまず私の中ではリメイクの方が好きという結論が出ております。

また、本作はAmazonプライムビデオで独占配信されており、2019年12月20日から『THE UPSIDE 最強のふたり』と改題されて全国公開される予定。

邦題クソややこしいわ。

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やたら評価の高い『最強のふたり』

 

主要キャストはなかなかいい感じですぞ。

四肢を動かせない富豪をブライアン・クランストンが演じている。

80年代からテレビドラマを中心に長い下積み生活を続け『ブレイキング・バッド』(08年-13年)でようやく日の目を見、爾来『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15年)『潜入者』(16年)などで絶賛活躍中の63歳である。

『トランボ』は本当にすばらしい作品だった。ブライアン・クランストンが演じたのは赤狩りによってハリウッドでの仕事をすべて奪われ、やむなく偽名での執筆活動を余儀なくされて後年栄光を手にしたダルトン・トランボ(『ローマの休日』の脚本家)。長い下積みを経てようやく認められたブライアンの実人生と重なるようで嗚咽必至!(しなかったけども)

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ブライアン・クランストン。

 

彼の手となり足となる介護士役にはケヴィン・ハート

スタンダップコメディアンを経て俳優に転身したピカピカの40歳である。『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』(17年)で一躍脚光を浴びたと思う。

アメリカ映画には「お調子者の黒人俳優」という椅子が存在するが、おそらくケヴィン・ハートはこの椅子取りゲームに勝利するだろう。なんといっても貌がいい。ちょっぴり生意気だが、生意気さのなかにも愛嬌があり、さらにその奥には知性が宿っている。まるで何層もの微妙な風味を醸すオマール海老の酒蒸しみたいな俳優である。身長や体躯もちょうどいいしね(コメディだけでなく様々な映画の適性を持つ、という意味だ)。 

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ケヴィン・ハート。

 

また、ブライアンと強い絆で結ばれた秘書を演じるのが神出鬼没のニコール・キッドマン

こんな所にもいやがったのか!

「こういう映画には出なさそうだよね」という映画に限って出ているよね。特に近年ね。オーストラリアやイギリスと共同出資した非商業ベースのヨーロッパ映画で「さすがにこんな映画にニコールのような大スターは…」と思うんだけど、蓋を開けたら「出てるゥー!」みたいな。

『LION/ライオン ~25年目のただいま~』(16年)とか『聖なる鹿殺し』(17年)とかさ。あと『アクアマン』(18年)の出演も意外だったし。

そんなニコちゃん、年に3本も4本も出演するので(キッドマニアとしては嬉しいけど)追うのが大変。ちょっと仕事減らしなはれ。

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ニコール・キッドマン。

 

◆だったら何の為のあのプロミス…◆

職を見つけないと刑務所に戻されてしまうケヴィンは、軽いノリで面接に訪れた高級アパートでブライアンに採用される。ロクに仕事内容も確認してなかったケヴィンに「手足の動かないブライアンを介護するのがおまえの仕事よ」と教えてくれたのは秘書のニコールだった。彼女はケヴィンの素行の悪さに呆れ「彼には任せられない」とブライアンに進言するが、当のブライアンは「彼でいい」と言った。

これまでにブライアンを受け持ったプロの介護士たちは身体障害者として彼を丁寧に扱ってきたが、ケヴィンにはその配慮が足りていない。だからこそブライアンは彼を選んだのだ。身体障害者ではなく一人の人間として見てくれるケヴィンを。

 

ここから先はアパート内の蜜月が多幸感たっぷりに描かれていく。

気難しいブライアンが少しずつ心を開き、ケヴィンはテキトー人間を卒業。ケヴィンに不信感を抱いていたニコールもいつの間にか彼のジョークにニコニコしていて(ニコールだけに)…といったハートウォーミング疑似ホームドラマが湯たんぽのごとく観る者の心を温めていく。

頑固一徹だったブライアンはケヴィンとマリファナを吸って数年ぶりに笑顔を取り戻し、ケヴィンはブライアンの趣味に付き合ううちに絵画やオペラ鑑賞のよさに気づく。互いに影響を与え合い、やがて無二の親友になる白人裕福層と黒人貧困層…。

はっきり言って綺麗事だが、一瞬でも綺麗と思わせることができたら映画の勝ちなのだ。

また、二人を結び付けたものがカーステから流れてきたアネサ・フランクリンというのがいい。やたらいい。女性解放運動や公民権運動の象徴として知られるソウルの女王・アネサ・フランクリンは、白人歌手の持ち歌を多数カヴァーして「音楽の再分配」をおこなった偉大なシンガーである。余談だが、エルヴィス・プレスリーも黒人の音楽であるR&Bと白人の音楽であるカントリーを一体化したことで、黒人音楽にルーツを持つロックンロールから人種主義を払拭した。

音楽は人種や階級を超えうるただひとつの芸術だ。

ケヴィンはブライアンの誕生日会でオペラとR&Bをゴタ混ぜにした即席の曲をつくって指揮を取り、遂には「私は踊れない」と渋っていたニコールを躍らせたのだ!(実にへたくそな踊りだった)

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根は優しいケヴィンがアイスクリームを舐めさせてあげます。

 

まぁ、しかし雑な映画ではある。

ケヴィンが出来心で書斎から本を盗んでしまった件はブライアンとの信頼関係を崩しうる材料にはならず、いともあっさりと許されてしまう。ケヴィンが描いた絵をブライアンが5万ドルで買い取ってその金を元手に起業する…というサブストーリーも途中でどこかへ行ってしまった。

最も致命的なのは「ブライアンの身に何かあっても人工蘇生はしない」と約束したにも関わらずブライアンの身に何も起きないことだ。

何も起きねえのかよ!

だったら何の為のあのプロミス! ここまで鮮やかにフラグを素通りした映画も珍しい。

またオリジナルとリメイクの両方に感じた不満は二人が最初から仲良しという点である。勤務初日から意気投合した二人は特になんの摩擦もなくじゃれ合い続ける。仲良しごっこを見せられるのは実に苦痛です(映画でも現実でも)。

それにこの映画、気難しい皮肉屋というキャラクターにしてはブライアンを笑わせすぎだと思う。こういう人間はたまに笑うから好いのであって。映画後半に至っては表情筋がバカになって笑い続けてるぞ、ブライアン。「私の身に何かあっても人工蘇生はしないでくれ」だって?

爆笑するあなたは元気そのものですよ。

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笑顔がすてきなブライアン。

 

◆根詰めてショットを観るような映画ではない◆

基本的には何も起きない映画である。何かを起こそうとする努力は見えるが、それがなかなか苦しいの。

映画後半では、ケヴィンの粋な計らい(あるいはお節介)によって文通相手の女性と会うはめになったブライアンだが結局その女性とはうまくいかず、ケヴィンに八つ当たりして大喧嘩の末に彼を解雇、ニコールのことも遠ざけて自分の殻にこもってしまう。だがしばらくしてケヴィンが現れると「待ってたよ。あの時はすまんかった」とばかりに笑顔で迎え入れて和解。終わり。なんやこれ。

筋書きがあまりに恣意的で、我々はただブライアンの気分に振り回されるだけ。第一ブライアンは人に八つ当たりするほど乱暴な人物ではないし、すぐに反省して和解するほど素直な性格でもない。表情筋がバカになって笑い続けるような柄でもない。つまりキャラが定まっていない。

この役を演じたブライアン・クランストンは、物語上、首から下の演技が封じられているので、監督ニール・バーガーと脚本ジョン・ハートメアは「だったら感情型のキャラにしよう」ということでこのような人物造形に行き着いたのだろうが…誰がどう見てもブライアン・クランストンは感情型の役者ではない。だが愚かなニール・バーガーは彼の感情を搔き乱すことが「何かを起こす」ことだと信じてやまず、『最強のふたり』をそのままなぞったエピソード群をいくぶん過剰に演出する。結果、ブライアンが不自然なキャラクターに見えてしまう。

ニール・バーガーはバーガーというより馬ー鹿ーであった。『幻影師アイゼンハイム』(06年)『ダイバージェント』(14年)の監督と知って得心。大した馬鹿野郎だよ。

 

しかしえらいもんで、昔に比べて「何も起きない映画」を好むようになった現在の私にとって、この映画の丁度いい何も起きなさには驚くべき癒し効果があった。

「観る」というより「眺める」ことでよさが観えてくる映画というか。まぁ、ボーっと見る分にはいい映画なんちゃうけ。私のようなアホほど「フツー楽しめる」映画だと思う(褒めてるようで思いきり貶してるけど、でも褒めているんですよ)

少なくとも根詰めてショットを観るような映画ではないよね、っていう。

硬派なブライアン・クランストンがじゃれ合いのなかで軟らかさを見せ、軟派なケヴィン・ハートは徐々に硬い芝居を見せ始める。二人の化学反応に触発されたニコール・キッドマンもまた固形状の芝居から液状の芝居へ…。俗にいう演技アンサンブルというやつだろう。

喩えるなら、そうだな…少女が暇で吹いてるフルートみたいな映画である。決して綺麗な音色ではないが不思議と心が落ち着くフルート。まあ、そんなもんだ。

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