シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ハケンアニメ!

土曜17時のアニメ枠を代打の新人が任されるわけねえだろ 。アニメ警察出動!「前のハケンアニメ止まりなさい! 威張った物語はやめなさい!」~いま取り締まる!アニメーター過労死最前線から緊急独占激撮ルポ~

2022年。吉野耕平監督。吉岡里帆、中村倫也、柄本佑、尾野真千子。

覇権をかけてアニメ作るで。


話は変わるけどよ。
そっと俺に教えてくれや。
「岩田剛典」ってなんて読むん。
ええんか?
もう「ゴウテン」でええんか?
知らんど?
ずっとわからんままやけど、調べてまで知りたいとは思わへんから、もう「ゴウテン」で突っ張ってる。
絶対違うって、わかってるけどな。
ゴウテンなわけあるかい。どこの世界に我が子にゴウテンってつける親がおんねん。なに親やねん、それは。毒親でもなければバカ親でもなく。ならばなに親!
絶対ゴウテンやない。ありえへん。でも、かといって他の読み方もわからんし。
ほなもうゴウテンやろ。
もうゴウテンに張るしかあらへん。
絶対間違うとるけどコレしか浮かばへんから一応指してみた詰将棋や、こんなもん。

…はぅあう!!
ひとつ思いついたけど…どうせ違うしなぁ。
まあ、一応発表だけさせてもらおかな。
「つよしのり」とか?
剛は「つよし」って読むし、典は「のり」やろ?
岩田つよしのり。
…いや。ないな。
ゴウテンやな。
これならまだゴウテンや。「つよしのり」と「ゴウテン」を天秤にかけたら「ゴウテン」がドーン!や。わかるけ。言うたらドウテーン!や。言うたらな。
同点やん。
まあでも同点か。
どっちもありえへんしな。名前として。「つよしのり」と「ゴウテン」だと同点~!か。ゴウテンかと思いきや同点~!か。くだらね。

一応、もう一個あんねん。
まあ、これも絶対間違うとんのは最初からわかってんねんけどな。おれの想像力をMAXまでこじ開けて考えたから、聞くだけ聞いて。
実は「剛」じゃなくて「岡リ」だったっていう。
もうラストチャンスやな。
よう見ると漢字の「岡」とカタカナの「リ」に分離してたっていう、可能性という名のラストチャンスや。
つまり「岩田 岡リ典」。
オカリテンだったっていう。
岩田オカリテン。
もう目糞鼻糞やな。ゴウテンも、つよしのりも、オカリテンも。なんでもええわ。もうなんでもええ。
どないもならんわ。
フアンの子おったらごめんやで。ほんまに分からんし、ほんまに調べてへんねん。しまいにこんなことなってもうた。
なんて読むねん、岩田剛典。おれを苦しめてる原因、たぶん「剛」やろ。どうせちょっとだけ特殊な読み方すんねやろ。典は「のり」で合ってると思う。問題は剛や。なんやのん、剛て。「ごう」以外出てこんわ。
ごうのり?
どうせ違うよなぁ。
埒あかんし映画いこか。もうええ。

そんなわけで本日は『ハケンアニメ!』です。まあまあ怒ってる。



◆派遣やのうて覇権やで◆

 残念ながら失敗作だと思うな。
本作はアニメ業界をモチーフにしたバックステージものだが、この世には既に『SHIROBAKO』という素晴らしいアニメがあって(当ブログでは劇場版を扱いました)。
『SHIROBAKO』はアニメの制作現場を描いたアニメ作品だが、それとほぼ同じ内容を実写映画でやるからには然るべき“映画的優位”が必要だと思うんだけど…なかったな~。
なかった、なかった。
まあ、あるとは思ってなかったけど、いざなかったらなかったで「なかったな~」と嘆かざるをえないのは、取りも直さず“アニメ業界を扱った映画”という時点で、程度の差こそあれ映画vsアニメという対立構図が生じてしまっているためだろう。
つまり本作は、アニメを表現することを映画で表現できてなかった。
ちゅうこって、映画の負け!
それどころかアニメまで怪我した作品だと思う。詳しくは後述するが、アニメに興味ないヤツが本作を見て「アニメっておもろ」とは到底思わないだろう(そう思わせなきゃいけないって大会してんのに)


 アニメ制作会社「トウケイ動画」の新人監督・吉岡里帆は、冷徹プロデューサー・柄本佑に抜擢されたことで初監督作『サウンドバック 奏の石』を手掛けることになったが、同じ土曜17時枠の真裏では「スタジオえっじ」の敏腕プロデューサー・尾野真千子ですら持てあます天才監督・中村倫也が送る『運命戦線リデルライト』が虎視眈々と“覇権”を狙っていた。かつて中村が手掛けたデビュー作『光のヨスガ』に衝撃を受けた吉岡は、彼を超えたい一心で『サウンドバック』の制作に取り掛かるが…。
 といった大筋ね。同時間帯にオリジナルアニメを放送することになった2つのアニメ会社が「覇権アニメ」をめざして熾烈な視聴率レースを展開する…といった作品なんだわ。

ちなみに「覇権アニメ」というのは、本来の意味だと「各クールで最も円盤(DVDやBlu-ray)の売上が高いアニメ」を指す言葉だが、転じて「各クールで最も話題となったアニメ」と広義に解釈される場合も(本作ではこっち)。
それにしても、この映画のタイトルさぁ。漢字表記の方がよかないか? 『ハケンアニメ!』なんてカタカナ表記にしたせいで「派遣アニメ」と変換した人民がこぞって勘違いしてるやないの。『バクマン。』に引っ張られて全部カタカナにしたんか?
『バクマン。』にしたって当初オレは「満腹になるまでバクバク食う大食い青春譚」だと思っていたというのに!


また、速水奨堀江由衣小林ゆう潘めぐみ梶裕貴花澤香菜高野麻里佳高橋李依木野日菜などベテランからアイドルもどきまで、今をときめく人気声優たちが本人役で出演、または劇中劇のCVを担当しているのが呼び物。
そんな劇中劇…、つまり吉岡が手掛ける『サウンドバック 奏の石』と、中村の『運命戦線リデルライト』のアニメーション制作を白組Production I.Gが担当。
そしてナレーションに朴璐美の姐さん。こないだTwitterでキレたはったな。一般的には『鋼の錬金術師』の主人公エドや『進撃の巨人』のハンジ役で有名だが、私は『エアマスター』というマンガがたいへんなお気に入りで、そのアニメ版で主人公・相川摩季の声を演じてて。
あと、小林ゆうは凄惨な絵ばっかり描くのよね。
…って、そんな話はどうでもいいか。

凄惨な絵を得意とする小林ゆう。

◆土曜17時のアニメ枠をこんなヤツが任されるわけねえだろ◆

 物語は「トウケイ動画」の吉岡×柄本Pと、「スタジオえっじ」の中村×真千子Pの関係性を見つめたカットバックを通して両作品の作業進捗を追っていく。
今日もバタバタのトウケイ動画。質だけを追究する新人監督の吉岡里帆は、新人であるがゆえに“無名”というディスアドバンテージを生まれながらに背負っているため、柄本Pが企てたアイドル声優の起用、くだらない聖地巡礼イベント、食品メーカーとのタイアップといった形振り構わぬプロモーション戦略に腹を立てながらも、こうでもしないと『リデルライト』は倒せないのだと自身に言い聞かせ、我慢を重ねる。
柄本P「完成度の高いアニメが必ずしもヒットするわけではない。むしろ逆です。宣伝次第では、どんなに不味いアニメでもヒットしうる。だからまずは人々に“届け”なければならない。その為のプロモーションです(意訳)」
ふうん。

一方のスタジオえっじ。
デビュー作『光のヨスガ』で一躍イケメン天才監督として世に出たあと長期活動休止していた中村倫也がこのたび復帰作に選んだ『運命戦線リデルライト』だが、突然の失踪やイベントぶち壊し事件など、天才ゆえの気まぐれに翻弄されどおしの真千子Pは、「最終話でヒロインを殺したい」と言いだした中村と「土曜17時枠でヒロインが死ぬアニメなんて作っていいわけねえだろ!」と激怒する上層部との板挟みに…。


覇権をかけて激突する『サウンドバック 奏の石』『運命戦線リデルライト』。あなたはどっちが見たい!?

勘のいい読者はすでに違和感を覚えてるだろうが、その違和は正しい。
そうなのよ。これって2人のアニメ監督がタマスィ削って悪魔みたいにおもしろいアニメを作る話ではなく、2人のプロデューサーがせっせとアニメを売る話なんだよね。
物語の主役はアニメ監督ではなくプロデューサー。作品制作ではなく商品宣伝。要は「表現」とは対極の「商売」についてのお話なのである。

悪い。ここで一気に冷めた。

石に齧りついてでも暑苦しくペンを走らせるアニメ現場の血反吐ドキュメンタリーではなく、むしろそうして完成に漕ぎつけたSHIROBAKO(成果物)をどう売るかというプロデューサー目線の威張った物語なんだよな。
プロデューサー目線の物語だからダメと言っているのではない。
この映画の問題は、あくまで上辺は監督オリエンテッドを装い、「アニメ制作は気高くて尊いお仕事!」だの「孤高の表現者それがアニメーター!」だの「アニメは誰かの人生観を変えうる、かけがえのないカルチャアぁ!」だのとまくし立てておきながら、その実アニメーターのお仕事ではなくプロデューサーのお仕事にしかスポットを当ててないのが問題だと言っているんだああ!

アニメ制作の描写なんてほとんどナイですよ。なんの苦労も努力もなく、気づいたら出来上がってた、くらい省略されちゃう。
なんですのんこれ。アニメ制作現場のバックステージ要素がまるっとスポイルされてますやんか。
『劇場版 SHIROBAKO』(20年) 評でも解説したが、アニメ制作のごく大まかな流れとして、まず企画会議のあとに膨大な量の設定資料を作成すると、脚本家がシナリオを上げ、監督or演出家が絵コンテを決め、演出家が作打ちをおこない、原画マンがレイアウトを描き、動画マンが絵の中割りを描き、動画検査が目を光らせ、色彩設定が色指定をおこない、美術が背景を入れ、仕上げが彩色を乗せ、撮影が映像加工をおこない、編集がカッティングを調整し、声優が声を吹き込み、音楽が劇伴を作り、音効が効果音をダビングする…といった作業工程があって、かかる大勢のスタッフが日夜社内をバタバタ走り回ったり、たまにこけたり、エコノミー症候群になったり、水虫になったり、昭和初期の野良犬みたいに痩せ細ったりしながら、ろくに食事もとらず、家にも帰らず、風呂にすら入らず、そうして這う這うの体でたった24分の放送1話分を完成させるのだ。おれは知ってる。京アニの近くの高校に通ってたから。おれは知ってる。

そんな世界を描くにあたって、プロデューサーの側に立ってしまった本作は、だからアニメは商品でありアニメーターは駒に過ぎず、売れる/売れないの物差しだけで作品が価値判断されてしまうような、アニメへの冒涜、否、もはや暴力によって主題化されてしまったのじゃよ。

また柄本佑が人を苛立たせる芝居をする。

愚痴ならまだまだある。
キャラクターが意味不明。

もうすこしオブラートに包んで言い直してやろうか?
キャラクターが意味不明。

まずもって吉岡里帆は本作のためにノーメイク風&お洒落とは無頓着風ヘアーで挑んでいるものの到底アニメ監督には見えない。作品制作に意見しない(というか作品制作のシーンがほぼ無い)うえ、アニメに関する持論はおろかアニメ愛も見受けられないまま現場をちょろちょろしてるだけなので、むしろ“制作進行になって初日の人”に見えて仕方ない。
しかもこの主人公、本来監督するはずだった人の代打で『サウンドバック』を任された…という設定でさ。
土曜17時のアニメ枠を代打の新人が任されるわけねえだろ。
どんな大博打やねん。社運全賭けしとる。
それに「土曜17時」という設定も気になるのう。さっきから。だいたい深夜帯やろ。今どきのアニメはだいたい深夜帯や。
加えて吉岡のキャラクター自体も意味不明でさ。
この子、基本的にはフツーの対応ができる常識人なんだけど、アフレコでダメ出し連発して泣かせてしまった新人アイドル声優に対して「どうして泣くんですか。気持ちを教えてください。私にダメ出しされて悲しいんですか」と無表情で淡々と詰めたり、中村監督とともに登壇したイベントでは、対談中、唐突に「あなたに勝って覇権を取ります!」と絶叫まじりに啖呵を切ったり、同じ会社の仲間のなにげない言葉に対して急に逆上して失神するなど、“天才=異物ゆえに他者とコミュニケーションが取れない記号あれこれ”がまぶされてて、キャラが定まらないというか…情緒不安定にしか見えないのよ。だって、基本的にはフツーの対応ができる常識人だからね。
ゆえに、この主人公の人物像がまったく掴めないまま、人はエンドロールを眺めることになります。
これに関しては脚本ではなく芝居の力量不足、というか準備不足。演技プランが見えてないままクランクインしちゃったんだろうね。 固まる前に差し出されたフルーチェなんて、そりゃ美味しくないよね。


 役作りが固まらないまま本番を迎えたフルーチェ吉岡。

片や天才監督・中村倫也。
こいつも大いに問題のあるキャラで、急に仕事を放棄して失踪したり、対談イベントでは司会者の発言に逐一噛みついてみせるなど、作り手からすれば“天才あるある”をやらせたつもりなんだろうけど…ただ単に“周囲に迷惑かけてる大イタ小僧”にしか見えなくて。
こんなヤツいねえよ。
吉岡のケースと同じ。こんなヤツが土曜17時のアニメ枠を任されるわけねえだろ。伸るか反るかの大ギャンブルやないか。
しかも、こいつがヤケにこだわってる「最終話でヒロインを殺したい」という野望も、「なぜそこまでして…?」という理由や動機が一向に見えないまま、ただ「殺したーい、殺したーい」と連呼するばかりなので、本来キャラクターに味を加えるはずのセリフによって却って薄っぺらいキャラクターに見えるというか。小っ恥ずかしくなるほどステレオタイプな天才像。凡人が一生けんめい考えた天才キャラの限界だな~って。
「こんなヤツいねえよ」で成り立ってる“アニメ”を扱う作品だからこそ、そこにはリアリアティが必要なんじゃねーの?
曲がりなりにもアニメを題材にした映画なのに、そこに出てくるキャラクターがその辺に転がってるアニメよりステレオタイプってどういうことよ。


中村倫也いうの? この子。最近えらい人気やね。初めて芝居見たわ。

◆映画がアニメに追いついてない◆

 事程左様に、アニメよりもアニメ的に単純化されたキャラクターなら、演出も演出でトコトゥン単純化されている。
仕事もプライベートも失敗続きの吉岡は、失意の果てに雨の街を走ってハデにすっ転ぶ。
トレンディドラマかよ。
いつの時代の演出やねん。失意のメタファーとしての雨、失敗のメタファーとしての転倒の、今日日クサすぎて誰もやらない合わせ技だからこそ逆にやっちゃう令和かよ?
そして若き天才・中村倫也の作業部屋には作画用紙が散乱するゥウ!
すきま風に吹かれた紙とグシャグシャに丸めて捨てた紙がゴミ屋敷のように散乱する“天才の部屋あるある”の小っ恥ずかしさありがとぉおおおお~!
映画関係者の皆さんや~。「グシャグシャに丸めて捨てられた紙」って記号、そろそろ止めよぉ~? 俺、これ、めちゃくちゃ恥ずかしいのよ。苦悩の表象としてあまりに前時代的。ホテルに缶詰めの三谷幸喜でもちゃんとゴミ箱に捨てるだろ。


また、劇中では『サウンドバック』と『リデルライト』の視聴率、および世間のSNSの声が背景化する演出が多用されている。
たとえば電車内のシーンで、乗客が両作品をスマホで視聴しており、窓の外には「第6話サウンドバック 〇%」「リデルライト 〇%」という風にその放送回の視聴率が文字化されたり、「リデルライトは安定の神作画!」「サウンドバックも嫌いじゃないけどな~」といったSNSのコメントがスクリーンの端々に可視化されたり。
『電車男』(05年) 以降顕著になった現代日本映画の病理ね。
まあ、洒落てはいるが、映画演出としては“逃げ”というか「ラクしたな」って感じで。こういうとこを工夫することから変わっていくのにね。現代映画って。

そして本作最大の瑕疵は映画がアニメに追いついてないこと。
とにかく映画表現が乏しい。どこを見渡しても“映画”がない。辛うじてあったのは、吉岡が制作デスクの前野朋哉に肩を叩かれる(無意識セクハラ)描写の反復くらいか。この手の作品で活用しやすい、走る・電話をかける・ペンを使うといった主題はおろか、何度も登場する「食べ損ねたエクレア(吉岡の好物)」でさえまったく作劇に寄与せず。ようやくラストシーンでばくばく食うて「うまああ」ゆうて。
なんやそれ。
「映画演出という言葉自体そもそも分かってないんだろうか」ってレヴェルで。


SNSの反応が可視化する演出。大根仁かよ。

これ以上瑕疵を論いたくないのだけど、どうやら私の「これだけは言いたい映画評メモ」によると、あと2つ、言わねばならないことがあります。

サブカルチャーを扱った作品の割には小ネタが少ない。
こういうニッチな映画は小ネタをまぶしてナンボなのに。
劇中、「人がゴミのようだ」「オヤジにもぶたれたことないのに」といったセリフは飛び出すが、うーん…そういうこっちゃないのよね。薄~っすいカタログ知識で誰もが知ってる名言を引用しろって言ってるんじゃなくて、もっと“ちゃんとしたアニメ好き”が「あっ!」って喜ぶような上質なパロディをだな…。それこそ『ラストナイト・イン・ソーホー』(21年) における『反撥』(65年) のイメージとかさ。
そゆことをやれっつってんの。
私がアニメに疎いだけで、既にやってたらごめんね。


そして一番の争点…。
劇中劇。
どうやら浮世では『サウンドバック』と『リデルライト』の劇中劇が「本気すぎる」と話題になったようで。たしかに気合いたっぷりだ。絵は細かいし、作画も丁寧、声優だって超豪華だ。
それだけに「映画の出来はさておき、劇中劇の作画は大変よい」という意見には耳を疑った。よく見てみろよ。本当によく見てほしいのだが、よく見ると構図は平坦、表情の動画が乏しい、エスタブリッシング・ショットの省略など、「劇中劇だからこのぐらいでOKっしょ」という姿勢が随所に垣間見える、案外ナメた作りになっていて。
わかるけ、このニュアンス。
世間はダマせるけどアニメ好きにはバレる手抜き満載の“ラクしてスゴいと思わせるズル作画”というか。
べつに俺はアニメ好きでも何でもねーけど。
とはいえ、しょせん劇中劇なので、作り手も(説話的経済性から)意図的にアニメーションを簡略化したのだろうし、その事情は察するが、とはいえ『ハケンアニメ!』。文字通り「覇権アニメ」の制作現場を描いた「アニメについての映画」なのだから、劇中劇といえども、そこはちゃんとやってくれんと。
そんなことじゃあ覇権エイガは取れないゾ♡


『サウンドバック』のメインキャラクター。いかにも「劇中劇のアニメ」というのがキミにはわかるか!?

畢竟、アニメに対する作り手の姿勢を疑いながらの鑑賞と相成った。
こんな気持ち悪いことってないぜ。作り手の熱意を都度都度たしかめながら(疑いながら)スクリーンに身を預けなきゃいけないんだからな。
監督の吉野耕平は…そうだなぁ。どんな言葉を贈ろうか。
「技術云々以前に覚悟が足りない
この言葉であの世に送ってやろう。
いいか吉野よ。よそ様の畑にお邪魔する以上は、ひとつとして根菜を踏まない意識を持つか、しからずんば全ての根菜を踏み散らかすぐらいの覚悟を持て。
YouTubeで本作の舞台挨拶映像を見たが、まずはその土瓶蒸しみたいな髪型を改めるといい。そんなことではいけない。無頼派ぶんな。とりあえず雑に髪を伸ばしてゴムで結べばアーティスト風、みたいな美意識を捨てることからすべてが始まると思うぞ。
明日、髪切ってこい。


吉野耕平監督。

(C)2022 映画「ハケンアニメ!」製作委員会