シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

X エックス

きしむベッドの上で優しさを持ちよった老夫婦がついにジッチャンバッチャンし始めたんやけど…どんな顔して見てたらいい?

2022年。タイ・ウェスト監督。ミア・ゴス、ジェナ・オルテガ、ブリタニー・スノウ。

ポルノ映画を撮影するべくテキサスの片田舎にいった若者たちがほぼ死ぬ中身。


やろ~~~~。
今から真面目に自慢話をするけど、信じる信じないはおまえ達の勝手です。
おれって言葉の使者なのね?
昔から時代に先んじてさまざまな造語を生み出してきたんだけど、後になって世間がおれの言語感覚に追いついたのか、あたかも「おれの造語」が「世間の新語」として定着して悔しいのね!!!?
たとえば「パワーワード」という言葉。この言葉は2017年の新語流行語大賞に選ばれたんだけど、おれはもっと前から使ってんのよ。音楽に「キラーチューン」があるなら言葉にもそれと同等の表現があってしかるべきではないかと考え、「パワースポット」から取って「パワーワード」という言葉を創造したわけ!
そしたらどうよ。老いも若きもパワーワード、パワーワード…。
くっっそおおおおおお!!!
完全に盗られた~。まあ被害妄想なんだけど。被害妄想なんだけど便宜上ここでは「盗られた」と言わせてくださいよ。
えらいもんで「盗られた言葉」には愛着がなくなっていくのよ。いいだろう、パワーワードはお前らにくれてやる。おれはよそに移るから、お前らがここに城でも何でも建てたらいいじゃん、つって、ほかの造語を作り始めるわけです。当ブログだけでも、パワートピックパワーアイデアパワー登校パワー溜飲下げさせ…など、数々のパワー類似ワードを生み出してきたんだ。
ぜんぶ微妙やけど。
でもいいのよ。おれは“自分の言葉”を使いたいから。世間で流行ってる新語/俗語には興味ない。そういうのは自分の言葉を持たない奴らや、語彙に乏しい奴らが使っていればいい。
まあ、でもパワーワードはこれからも使うけどね。「おれの造語!」って思ってるから。人民にとっては『皆の言葉』だろうけど、おれにとっては『おれの言葉! おれが作った言葉!』って思い込んでるから。イタかろうが妄想だろうが、なんでもいいよ。これは一人称の話だから。おれの世界の話だからああああ。

それでいえば「忖度」もそうよ。
中学生だった約20年前。夜中にベランダで謎のプラズマを見て以来、すっかり生きる意味を見失ったおれは「生きる意味見失ったから国語辞典よもっ」と思い、難しい言葉を使いこなすための特殊な訓練をしていた。それこそ「忖度」とか「勘案」とか、あ~~~~…なんだ、「兵は神速を尊ぶ」とかね。
そしたら、2017年。森友学園問題ですよ。
猫も杓子も忖度忖度!!!
くっそ~~。誰も知らない難語だからカッコイイと思って使ってたのに森友学園のせいで誰もが知るところとなった~~~~。
こうなったら、もう使えないわけよ。俺ルールで。いちど世間に浸透した流行語は使わない。獣の掟だ。
だからせめて言い方を変えようと「忖度」のことを「ソントゥク」と韓国風に言い始めたらBTSが流行ったんですよ。図らずもBTSのブレイクに一役買ってしまったんだよな。自らの才能を恐れたおれは、もしや…と思いソントゥク(前:忖度)のことを「トゥクトゥク」と言い出したらタイでトゥクトゥクが流行ったのよ。
あとTikTokも流行ったよね。
我ながら戦慄しました。おれの発した言葉が世界を動かしてるっていうか、ぜんぶ言葉通りになっていくのよね。なにこれ、今敏のアニメ?
ほんであの夜見たプラズマは何やってん。
あれを見たせいで生きる意味を見失ったんだよな~、一時的に。危なかったわぁ。みんなは気をつけてよね、プラズマに。

そんなわけで本日は『X エックス』です。



◆性的欲求と殺人衝動の互換性あるん?◆

 本作はAmazon Prime Videoウォッチパーティで友人のサクと鑑賞しました。
ウォッチパーティというのは、Prime Video対象作品を遠く離れた存在とチャットしながら同時視聴できるオンラインサービス。ハンドルネームを使えるので、SNS上で仲のいいネッ友とも顔面・実名・肉声を明かさずしてコミュニケーションを取りながら映画やドラマを同時視聴できるという、ネットワークサービスの粋を集めたサービスなんだよね~。
そんなウォッチパーティを、ゴリゴリのリア友と、しかもLINE通話でべらべら喋りながら利用。そこで見たのが、サクがチョイスした『X エックス』というわけだ。
ちなみに、サクとは25年来の付き合いで、このオレに当ブログ『シネマ一刀両断』を開設させた陰の立役者でもある。サクがいなければシネ刀は存在せず、シネ刀が存在しなければGもやなぎやも存在せず、コンマもとんぬらもツルコプも生まれてなかったんだよな~、この世に。
この世の根源を司ってるな~。サクが。
サクってすぐ司るからな~。この世の根源を。

 さて。はっきり言ってちゃんとした評は書けないだろうな、今回は。
なぜなら酒ばしゃばしゃ飲んでピスタチオもそもそ食べて105分べらべら喋りまくりながら見たからね。
サクは寡黙な男だから、そのぶんオレが喋らないと間がもたへんのよ。べつにお互い集中して静かに鑑賞してもいいんだけど、それやとウォッチパーティしてる意味あらへんやんか。
本当に、しょうもない事ばっかりず~~~~っと喋ってたわ。

おれ「これ、舞台テキサスやろ。テキサスは牛が多いのよ。牛ばっかり。牛でさえ『牛多いな~』って思ってるんちゃう? 牛は自分が牛であることを自覚してないからね。あ、マキシーン今なんつった?」

サク「『〇〇』って言った。セリフちゃんと聞いとけよ」

おれ「ていうか、マキシーンって主人公のことやんな? 役名が覚えられへんのよ。映画の中でも実名っていうか、俳優名で呼び合ったらええのにな。主演ミア・ゴスやろ。ほなもうミア・ゴスでええやん。そっちの方がよっぽど分かりよいし」

サク「ミア・ゴスが映画の中でもミア・ゴスやったら、それはもうミア・ゴスやろ。それやってもうたら本人が本人役を演じる場合に矛盾きたすやろ。ビル・マーレイが『ゾンビランド』(09年) で本人役として登場しても『ビル・マーレイが演じたビル・マーレイってキャラクター?』って混乱するやろ」

おれ「なに言うてんねん」

サク「オマエがなに言うてんねん」

おれ「百歩譲って役名でもええけど、せめて実名に寄せてほしいのよね。ミアゴスティーニとか」

サク「ミア・ゴスがミアゴスティーニやったら、それはもうデアゴスティーニやろ。本家の」

おれ「ほなデアゴスティーニでええやん」

サク「なに言うてんねん」

おれ「オマエがなに言うてんねん」

サク「わけのわからん」

おれ「けったくその悪い」

サク「ほらもう~。しょうもない話してるから今のシーンまるまる見逃したやん。ちょっと巻き戻すで」

おれ「面倒臭いなぁ。も~~~~」

サク「牛だけに?」

おれ「うるさいなあ! やめたろかな、ウォッチパーティ。よく考えたらなんやねん、この大会。どこがパーティやねん。ただ映画垂れ流しながら電話してるだけやんけ。ロクに画面も見んとピーチクパーチクお喋りして」

サク「いや、『しよ』言うたんお前やろ。ほんで、ほとんどふかづめが喋ってるし」

おれ「あ…やばやばやば。ビールこぼしたから、ちょっとタンマな。テーブルの上にビールの水溜まりができています。こういう時さぁ? こぼれたビールを布巾で拭くか、口を近づけてズズッて飲むかで、何かが問われる気がするよね。テーブルはそんな汚くないから、飲めるっちゃ飲めるし、むしろ飲んだ方が、そのあと布巾で拭くビールの量が少なくなるから、清掃の面では却って合理的やと思うのよね」

サク「衛生面では非合理的やけどな。ていうか、ほらぁ~またセリフ聞き逃したやん。き戻すで」

おれ「もお~~~~!」

主人公のミア・ゴス。

このように、幼稚な会話をしながらの視聴と相成って候。
まともな評なんて書けると思うか? 書けたらすごいけどね。だって「映画を観た」んじゃなくて「映画を見ながら酒飲んでぺらぺら喋ってた」んだから。
う~~~~…。
がんばるぞー!!

1979年。二代目ワンダーウーマン役で一世風靡したリンダ・カーターに憧れながらも場末のストリッパーとして身をやつしていたミア・ゴスは、恋人の映画プロデューサー(以下、ポルノP略してポピー)と一攫千金を夢見て、ブロンドのポルノ女優(以下、ポ女=ぽじょ)と、巨根を誇る黒人ポルノ男優(以下、ポ男=ぽだん)。それに芸術を愛する映画ヲタクのカメラマン(以下ヲタメラ)。ヲタメラの恋人であるキリスト教徒の気弱な録音技師(以下、録音ちゃん)を集め、6人でテキサス州の片田舎に赴き自主制作のポルノ映画『農場の娘たち』を制作することに。
訪れたのは老夫婦が暮らす農場。離れのほったて小屋を借りて、さっそく映画制作が始まった。ポ女とポ男がセックスするさまを16mmフィルムが切り取っていく。ひどい出来栄えだ。

左からヲタメラ、ポ女、ポ男……えーい面倒臭え。どうせ軒並み死んでいくから覚えんでええよ。

あまつさえポルノ映画のロケが行われることを知らされてなかった老夫婦。ジジイは若者たちの無分別な振舞いに不快感を抱き、ババアは彼らの過激なセックスを目の当たりにして興奮した。
コカインをたらふく吸って撮影に参加したミア。そんな彼女がポ男と交わるさまを、恋人にも関わらず「いい画だ!」と喜ぶポピー。一方「ポルノとて芸術! ポルノとて芸術!」とばかりにカメラを振り回すヲタメラ…。
だめだっ。
ロクなのが一人もいない。

まともなのは録音ちゃんだけだった。敬虔なキリスト教徒である彼女は、このポルノ撮影にイヤイヤ付き合っていたらしい。
他方、離れの小屋からアンアン聞こえすぎて興奮しきったババアは、遥けき過去に忘れし女の心に火がついた。ぷるぷるしながら化粧キメて、ぷるぷるしながら髪梳かして、ぷるぷるしながらドレス着て、数十年ぶりにジジイを誘ったが「よさないか、ババア」とジジイ、ぷるぷるしながら妻の誘いを断った。

ババア「なんでよおおおおおおアタシだってええええええ」

ジジイ「あの若者たちのせいで女房が色気づいちゃったじゃんかいさー!」

ババア「くっそおおおおこうなったらああああああああ~」

ジジイ「あいつら殺そっ♪」

なにがどうなったらそうなるんだ!
性的欲求と殺人衝動の互換性!
欲求不満の捌け口は若者殺戮! でも分からないでもなし!
いま開幕さるる。リビドー全開でお送りするジジ道とババ道の憂さ晴らしに禿同!!!

『X エックス』!!!

エックスっていうかセックス!


何の罪もない若者をどでかフォークでやっつけたババア。

◆きしむベッドの上で優しさを持ちよりすぎ。◆

 ウォッチパーティで誰かと見る映画じゃないよな。一人で見てさえ「なんやねんこれ」とブツブツ呟くような珍作なのに。こんなもん、静かにウォッチパーティできるわけあらへんがな。
まず、本作が直球勝負のスプラッター・ホラーではないな、と人は鑑賞前から予感する。制作会社がA24だし、ミア・ゴスが斧を握ったポスターデザインも少し不可解だったしな。どうやら本作がスプラッター・ホラーであることは間違いないようだが…すると殺人鬼は誰なのか? というところから出発してるわけよね。
もちろん、普通に考えたら農場の老夫婦なんだけど、A24は“普通”じゃ済まさない映画会社だし、なにより主人公のミア・ゴス自身がポスターでは斧を持ってる。あまつさえミアは薬物漬け。映画序盤ではポピーがミアのことを「おまえってX FACTOR(未知のもの)じゃん」と称するセリフもある。この女が殺人鬼=Xだったとしても何ら不思議はないわけじゃん?

そんなオレの深読みは“突如深夜に荒ぶるババアinヘッドライト前”によって血飛沫に洗い流されるのだが、「なんだ。じゃあ、まっすぐ老夫婦なんだ」とすんなり飲み込むには、やおら若者殺しと並走し始める老夫婦の純愛ストーリーが雑情報すぎて。
なんなんこれ。『劇場版ポケットモンスター どうしても数十年ぶりにセックスしたいババアVSこれだけ言ってるんだから応じてもいいかなーと考え始めたジジイVSダークライ』か?
ここでいう「ダークライ」とは、ついに老夫婦がおっ始めたベッドの下で脱出の隙を窺うミアのことである。
見た人にしか分からないだろうけど…もう地獄だよ。
きしむベッドの上で優しさを持ちよりすぎ。
しわっくちゃの老夫婦が細っそい声で「お~お~…」とか「老~老~…」って喘ぎながらジッチャンバッチャンしてるベッドの下で、息を殺しながらミア。恐怖と気まずさと「これNANI」で極限まで感情がおかしくなり、ちょっと苦笑いしながらシュッと逃げた。

ベッドの上ではジッチャンバッチャン。

飲み込みづらいのよ。
ホルモンぐらい飲み込みづらい。
ホルモンなんかな?
ほかにも飲み込みづらい要素として、老夫婦の家の古びたテレビに神がどーのこーのと延々スピーチする男が映されるが、これはテレビ伝道師の姿だな。テキサス州の辺境に住む高齢者ほど、外界との数少ない接点であるテレビを通じて福音派のインチキ伝道師に洗脳されるのだろう。
「現代の若者は悪魔に憑かれている。聖なる力で浄化する方法を今から教えます!」
うるせえな~。
そういえば、テレビ伝道師を扱った映画としては『タミー・フェイの瞳』(21年) が記憶に新しいよね。『エルマー ガントリー 魅せられた男』(60年) なんて映画もあったけど。
なんにせよ、老夫婦がイカレ殺人鬼になったキッカケ(理由づけ)程度の扱いかと思いきや、なんとこの「テレビ伝道師」がラストシーンを覆すとっておきの切り札として使われもするわけよ!

撮影中のB級ポルノ『農場の娘たち』で映画スターをめざすポ女とポ男(なれるかあ)。

 また、本作はさまざまなホラー映画やスプラッター映画のパロディが下品なほど露骨に塗されている。
『サイコ』(60年) に関しては、湖に車ごと沈めるシーンをそのまんま借景してるうえ「サイコみたいじゃん」とまで言わせてしまうし、各シーンの描写や技法には『モデル連続殺人!』(64年)『悪魔のいけにえ』(74年)『シャイニング』(80年)『死霊のはらわた』(81年) などの悪夢が否が応でもフラッシュバックする作りになってて。
あとハーシェル・ゴードン・ルイスね。世界初のスプラッター映画『血の祝祭日』(63年)『カラー・ミー・ブラッド・レッド』(65年) あたりの偏執的なまでの人体欠損への愛と探求心を、ある意味ではコメディとして描き直してます。
60~80年代のスプラッター映画って、よく人体がバラバラになったりもしたけれど、モラルのモラールがぐんぐんに高まりきった現代、いわば人がバラバラになっちゃいけない時代において、むやみに人体をバラバラにしちゃう映画って、なんか一周して笑っちゃうじゃない。「腕もげてもうてるやん」とか。「脳見えてますやんか」みたいな。さらぬだに、最も短時間で人体をバラバラにすることのできるワニを湖に棲息させるというお膳立ても忘れない。不自然でも何でもいいんだよ。装置なんだから。

録音ちゃんはかわいい。生き残れ録音ちゃん。

かかるスプラッター・シーケンスの立役者は録音ちゃんでした。
レイチェル・マクアダムス似の気弱な淑女…と、従来のスプラッター映画の方程式ではファイナルガール(最後まで生き残る絶叫クイーン)になって然るべき存在なのだが、とても残念なことに目の前でヤリまくってる仲間たちにほだされた中盤、フリーセックスに目覚めてしまうのよね。あまつさえ恋人のヲタメラをさしおいてポ男に純潔を捧げてしまう。

この時点で録音ちゃんの死は確定しました。

当然だろ。スプラッター映画の法則だよ。
性行為で気持ちよくなった男女は、気持ちよく殺されて、今度は観る側を気持ちよくさせる側に回る。
生き残るのは決まって処女。純潔信仰よ(まあ本作…に限らず現近代スプラッターはそこをひっくり返してもいるけれど。殺人鬼側が保守過激派の老夫婦で、最終的にはセックス&ドラッグが勝つっていう大逆転展開に持ってったわけだからさ)。
それにしても録音ちゃんはいい仕事をしましたよ。
地下室で目撃した磔刑の腐乱死体はキリストそっくりだし、そこで死を予感して「ヤるんじゃなかったチキショー」って後悔しても覆水盆に返らず、ドア越しに指を切り落とされて『シャイニング』、そのあとローポジ気味のロングショットからフォートナイトみたいに散弾銃で吹き飛ばされて乙。

性欲に負けたことで生存ルートを自ら断ち切ってしまった録音。

そのあとの、ここ一番というところでジジイが心臓発作で戦闘不能になったり、ババアが散弾銃の反動で真逆に吹き飛んで戦闘不能になったりする自滅パーティについても大いに語りたいのだが、ピュッと省略。
翌日、凄惨な事件現場を捜査する保安官は『農場の娘たち』が撮影されたカメラを見つけて「どうせクソみたいなホラー映画だろ」と吐き捨てる。刹那、アスペクト比が変わってスタンダードサイズ(16ミリ規格)で『X』のタイトルバック。
決まったじゃ~ん。
綺麗に決まったじゃんかいさ~。

ことの顛末を知らない保安官の「どうせクソみたいなホラー映画だろ」というセリフが、ほかでもなく『X エックス』を観る前のわれわれ自身の本音だとして、なお、知的なメタ構造とも、楽しい入れ子構造とも、果てしなきウロボロス構造とも取れる、シンプルにして“シンプルの内奥”を突いた一撃必殺の幕引き。
“X”の意味はさまざまに読み解けますよ(さまざまに読み解ける…という自由解釈の幅も含めて巧い戦略)。浅いとこから順に行くと、X指定、次いでドラッグ、そしてジェネレーションギャップ。
おれがピッと直感したのは“映画”なんだけどね。もとより色んな意味を掛けたマルチミーニングなんだろうけど、映画についての映画だから結局“映画”だろうな。まあ、一般的には“チガウ”んだろうけど。
あ~。いろいろ語りたくなってきたけど長くなるからもういいか。
なんしか、“映画についての映画”って大好きなのよねぇ。つまるところ本作のおもしろさって見世物としてのスプラッター映画を装いながら、その実センシティブなほど内省的に“見世物たらんと努めてる”そのいじらしさにあると思うのよ。序盤あたりとか、わざとヘタに撮ってるし。「よくあるB級スプラッターですよー。よくあるB級スプラッターですよー」って。
あぁ。でも、道路で牛が死んでるシーンでゴダールの『東風』(69年) をやったのはイラっとしたけどな。そういう目配せって、若いころは嬉しかったけど、今はむかつくわ。「わかる人にだけわかるショット混ぜ込んでみました。おめでとう、気づいたあなたはシネフィルです」みたいな。たまにそういうのを見つけたりすると「やかましわ」って、なんかめちゃくちゃ腹立つのよ。
だって、今はたまたま見つけられたからよかったものの、別のシーンや、ふだん何気なく見てる映画にもそういう目配せがあったけど実は見落としまくってるのかも…と思うと無性に腹立たない?
よく知りもしねぇオマエに「おめでとう、気づいたあなたはシネフィルです!」なんか言われなくても、オレはオレで勝手にシネフィルを自負してるし、アカの他人に測られる筋合いはねえ。黙ってチューペット吸ってろ。

あとで知ったけど、ババアもミア・ゴスが演じてる。

そんなわけで『X エックス』。ウォッチパーティでけらけら笑いながら楽しませてもろた。
サクも、よう喜んどったわ。
大いに盛り上がったわれわれ。
おれ「この勢いを保持しようや~」
サク「この火、絶やさんようにせんと」

立て続けに『ザリガニの鳴くところ』(22年)を鑑賞することになりました。

次回、「注意散漫型映画鑑賞会! ウォッチパーティ第二弾『ザリガニの鳴くところ』。湿地帯にこだまするふかづめ怒涛の文句! なにかを看破したサクは急にウトウトし始めた」の巻。


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