シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!

プリキュアの面々がこの映画を台無しにしようと企む悪役をやっつけてこの映画を守ろうとする反物語的物語。

2012年。黒田成美監督。アニメーション作品。

プリキュアが一生けんめい戦う。


最近、散髪をしたのだが、おれというやつは「髪切りました?」なんて人に訊かれると反射的に「切ってないよ」と嘘をつく癖がある。
たとえばこんな感じの会話になるわけだ。

「ふかづめさん、髪切りました?」
「切ってないよ」
「え? 切りましたよね」
「なにを言ってるの? 切ってないよ」
「いや、明らかに短くなってますやん」
「気のせいです。本当に切ってないよ」
「いやいやいや。絶対切ってますやん!」
「そう思えるのね?」
「へ?」
「あなたにはそう思えるのね?」
「そりゃ思いますよ。だって明らかに…」
「それは幻だよ。いわゆる幻」
「幻…? だって、こないだ会ったときは前髪が目にかかってたけど、いまは目の上ぐらいの短さだし」
「そういう幻をあなたは見ているのね?」
「いや現実を見てるんですよ」
「蜃気楼です」
「蜃気楼? …前髪の蜃気楼?」
「ウン、そう。陽炎かもね」
「陽炎? 陽炎ってアスファルトがゆらゆらするやつでしょ?」
「その前髪バージョンよ、だから」
「前髪バージョンの陽炎? 前髪バージョンの陽炎ってなに? 前髪はゆらゆらしてないんですよ。短くなってんですよ」
「ほな、たぶん走馬灯やな」
「ふかづめさんの髪が短くなる走馬灯?」
「そう。認知バイアスです」
「なにをいってるかぜんぜんわからない」
「真夏の夜の夢です」
「ふかづめさんの髪が短く見えるのは真夏の夜の夢のせい? いま現実ですよ」
「あ、いま現実なの?」
「いまは現実ですし、真夏の夜の夢はユーミンです」
「あ、それよ! ユーミンよユーミン」
「ふかづめさんの髪が短く見えるのはユーミンのせい?」
「いや、逆かな。ユーミンの髪が短く見えるのはおれのせい
「ああ、人生は苛烈だ…」


一事が万事この調子で、結局根負けした相手は「なに言うたはんねやろ、この人…」みたいに小首を傾げながらどっか行かはるわ。
だいたいオレはねえ~、明らかに髪が短くなってる人間に対して「髪切りました?」なんて分かりきったことを疑問形から入って事実確認する白々しさが耐えられんのですよ。
オレだったら散髪した人間に対して「髪切りました?」なんて莫迦なこと訊きゃしないよ。だって明らかに切っとるからな。思いっきり短くなってるし。散髪したのは明々白々のハクビシンやがな。オレなら「髪切ったのね」って断定から入ったり「似おてるやん」って本質に肉薄するよね。
「髪切りました?」の一手先から始めるよね、ゲームを。

そんなことを思ううち、ある好奇心が芽生えたのよ。
「髪切りました?」に対して「切ってないよ」と言い張ってみたらどうなるんだろうっていう。どこからどう見ても絶対に散髪してるのに、あえて「いいえ」で突っ張ってみるゲームね。
でもさ、考えてごらんよ。「いいえ」の選択肢を作ったのは向こうやからな?
将棋だったら頓死してるぞ。
「髪切ったんですね」って断定から入ればよかったものを、「髪切りました?」なんて訊き方をするからこんな目に遭うんだよ~って思いながら「切ってないよ」と言い張り、相手が混乱するさまを密やかに楽しんでるオレがいます!
面倒臭いだろう。性格悪いだろう。へっへ! でもいいんだ。これがオレなんだ。「いいえ」に打たれたら詰む局面を作ったのは相手であり、オレは予定調和で白々しい会話を厭う。
百手先のつまらん会話まで見えてる「はい」よりも、何がどう転ぶかわからん「いいえ」を選んで、オレとおまえで花咲かせようや。

「あれ? ふかづめさん、髪切りました?」
「切ってないよ!!!!」

そんなわけで本日もプリキュア祭り。
過疎地で祭り。
だ~~れもおらへんわ。オレだけや、盆踊りしてんの。前回の『映画 ハートキャッチプリキュア!』評も、おまえら、どうせ読んでないんでしょ? ヘヴィ読む者のツルコプも「申し訳ないですが、今回は前書きだけ読みました」ゆうて、知りたくもないこと、わざわざ教えてくれたわ。ありがとうな。

じゃあ、まあ…『映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!』です。
一人でもオレは戦い抜くからな!



◆“たかがアニメ”が果たして人々を励ましうるか◆

 初めて観たプリキュアシリーズ『ハートキャッチプリキュア!』(10年) がえらく楽しく、その余勢を駆って『スマイルプリキュア!』(12年) 全48話を観た。
ハトプリとはずいぶん毛色の違う作品だったなー。というかハトプリが異色だったのか。
プリキュアって20年(通算20シリーズ)続いてるけど、各作品ごとに絵柄も作風も設定もテーマも人数もストーリーもぜんぜん違うのね。
てっきり金太郎飴みたいにほぼ同じフォーマットを上っ面だけ変えてプリプリプリプリ量産してる永久機関コンテンツと思ってたわ。

絵本が大好きなニッコリ娘の星空みゆきを中心とした5人編成のプリキュア『スマイルプリキュア!(通称スマプリ)』はちょっぴり複雑な筋肉を使った作品だった。戦隊ヒーローモノっぽくもあるしね。
メルヘンランドからやってきた妖精・キャンディの力を借りてプリキュアとなり、世界をバッドエンドに変えようと企む「バッドエンド王国」の三幹部、ウルフルン(狼男)、アカオーニ(赤鬼)、マジョリーナ(魔女)に立ち向かう…という充実の中身なんだ。
これ、じつは勧善懲悪の戦隊ヒーローモノという皮を被った“戦隊ヒーローモノの皮を被った勧善懲悪についての話”なんだよな。
わかりにくいだろ? へへへ!


妖精のキャンディ(CV大谷育江)。

つまり、世界中に絶望を巻き散らすことで『スマイルプリキュア!』という物語をバッドエンドにいざなおうとするバッドエンド王国VSその野望を阻止して『スマイルプリキュア!』をハッピーエンドに導こうとする5人のプリキュア…という図式、それ自体が当シリーズの“物語”になってるわけで、いわば物語論的な物語なんだよ。
第一、星空みゆきが憧れてるのは絵本やお伽噺だからな。“物語が好きな物語の主人公”なのよ。そして敵の三幹部は狼男に赤鬼に魔女…。いずれも絵本に出てくる典型的な悪役。
「笑顔こそが希望の源」と唱えるみゆき達と、世界を絶望で染めるために笑顔を奪おうとする三幹部が激突する。いわば笑顔の奪い合い。
でも笑顔ってそんなに大事か?
大事やで。
…ここ、先後関係を見誤ると、それこそプリキュア鑑賞前のおれみたいに「ただの子供向けアニメでしょ?」で終わるから、十分に気をつけられたい。
笑顔こそが希望の源。つまり、「希望があるから笑顔になれる」ではなく「笑顔でいれば希望は見えてくる」というのがスマプリのメッセージで。
当シリーズの放送時期は2012年。東日本大震災の翌年に放送が始まったわけです。
語弊はあろうが、3.11の影響をモロに受けた前シリーズ『スイートプリキュア♪』(11年。視聴済) の仇を討つかのように“物語と笑顔”をテーマに掲げて世に放たれたスマプリは、震災後の日本へ贈られたささやかなエール。

“たかがアニメ”が果たして人々を励ましうるか…という、劇中のラスボスを倒すことより難しい“物語の宿命”を背負ったシリーズなんである。

それを踏まえたうえで、この底抜けに明るいスマプリを見ると…もう口が裂けても「ただの子供向け」だなんて言えないわ。

スマプリの5人+1。

そんなスマプリ。
ハトプリと大きく違うのは“一話完結型”なのでエピソードが充実してる反面、一年通して描き上げる大きなテーマや物語のうねりはない(一年通して描き上げるうえでは弥が上にも震災にアタッチせざるを得ないのであえて回避したのかもしれない)。
※ここでいう「一話完結型」の定義では、各話ごとに物語の繋がりがないこと以上に、キャラクターが前話の記憶を引き継がない(毎話リセットされる)という意味合いを重視する(この原則によりキャラ描写の自由度が格段に上がる)。

まあ、良くも悪くも単発系なので、人気の回だけかいつまんで視聴する邪道人間ベムも多いらしいが、裏を返せば全体の流れを追わずともよい気軽に鑑賞できる)というシリーズ構成が間口の広さに繋がったともいえる。
また、スマイル(笑顔)がモチーフになってるからか、コメディやパロディ要素が色濃く、キャラクターも敵味方問わずバカが多い。全体的にかなり陽気なムードに包まれてますよ。
それじゃあ、キャラクター紹介…、いってみよっか!?


【登場人物紹介】

星空みゆき(CV.福圓美里)

キュアハッピーの中身。
当シリーズの主人公。絵本が大好きな元気闊達のメルヘン少女。
おっちょこちょいで慌てんぼうな性格で、戦闘ではたびたび着地に失敗し、頭やお尻から派手に落下する。でもポジティブだから「あ痛っ」で済ます。
必殺技はハート型のビームを浴びせる「プリキュア・ハッピーシャワー」だが、命中精度に欠き、しょっちゅう外す。ちなみに、スマプリの必殺技は1キャラ1回の変身につき1発しか撃てないため、外した時点でほぼ終了。
取り柄はスマイル。
モットーもスマイル。
座右の銘もスマイル。
戒名さえスマイル。

森羅万象から幸せを発見するウルトラハッピーの求道者であり、いかな苦境も笑顔で跳ね返すナチュラルボーンにっこりボーン。学力は無に等しいが、たとえテストで赤点を取っても、楽しみにしてた抹茶ソフトクリームを地面に落としてもなぜか挫けない。
心配になるくらいポジティブ。
バカのくせに絵本の造形には一日の長があり、愛読書は『シンデレラ』、初恋の相手はピーターパンと、童心を忘れない。…というより童心から抜け出せない。永遠の子ども。
みゆきといえば顔芸だよなー。
死ぬほど楽しみにしてた修学旅行先の京都で意気揚々とおみくじを引いた結果大凶だったときの凄まじい顔は、当時TVの前の女児たちに強烈なトラウマを与えた。

これはアカン。

やめとけ、みゆき。
すーごい魚眼。
このカット…昔からコラ画像とかがネット上によく出回っててさ、「元ネタなんだろ?」と思ってたけど…お前かい。
魚眼レンズ+ローアングル+クローズアップが生み出した女児殺しの怪物。

そんなキュアハッピー。戦闘時の口癖は「気合いだッ! 気合いだッ! 気合いだッ! 気合いだッ!」。もはやキュアアニマル。
また、自らのダークサイドを具現化した敵・バッドエンドプリキュアの力に屈したあと、絶望を跳ねのけて絶叫しながら必殺技を放った際の「ネガティブな私……どいてぇえええええええ!!!はプリキュア史に残る名セリフだと思うわ。プリキュア史なんて知らねーけど。
このセリフ、不覚にも泣いてしまったのだよねぇ~。
絶望の窮地にあって、自らを鼓舞するために発したワードに「どいて」という言葉を持ってくるかー…って。ネガティブな自分自身に対して「消えて」ではなく「どいて」と言えるのは、ともすると究極の自己愛よ。ネガティブな自分を否定せず、弱さを受け入れたうえで「でも今は…お願い。どいて」ってことだからね。
すごくいいよ。さすが主人公。でも、どうしても大凶顔がチラつくんだよなー。


変身すると髪型がゴ〇〇リっぽくなる点を唯一の欠点とするキュアハッピー。主人公なので最もベーシックな変身バンク。これを基本形として、他の4人のバンクと見比べて頂きたい。

 

日野あかね(CV.田野アサミ)

キュアサニーの中身。
大阪出身、実家はお好み焼き屋のちゃきちゃき娘。学校ではバレー部の次期エースアタッカー。
関西弁で突っ込むムードメーカーであり、天然ボケのみゆきとは相性がいい。キュアハッピーがピンチに陥った際、妖精キャンディの力を借りてキュアサニーに変身した2人目のプリキュア。

みゆきがピンチに陥ったときは真っ先に駆けつける相棒的な役回りだったが、回を追うごとに後述する緑川なお(キュアマーチ)とのコンビネーションも目立つように。
このへんの友人関係が妙にリアルなんだよな。もちろん5人全員仲よしだし、各々の関係値もなるべく均等に描こうと制作側はしてるんだけど、唯一あかねの人間関係だけは“みゆきとなおは頭一つ抜けて特別”として、残りの2人よりも密な親愛描写が散見されるわけ。
戦闘では炎を自在に操り、バレー部よろしく火の玉をスパイクする「プリキュア・サニーファイヤー」を必殺技に持つ。
根性の娘やね、サニーは。どれくらいド根性かというと、ボロボロの体で大岩を持ち上げて敵に投げつけるくらいド根性。

サニーとっておきの大岩もちあげ。敵のウルフルンから「正気か、テメェ!?」と神経を疑われた。たしかにプリキュアらしからぬ身振りだが、これがサニーの戦い方。

おれの推しキュアはサニー。
元気印のド根性ガールってだけじゃないのよ、サニーの魅力は。あかね当番回を見れば、それがわかるぜ。
お好み焼き屋を営む父ちゃんが入院した際、父に代わってあかねが店を切り盛りするも、どうしても父ちゃんの味が再現できないと悩む第10話『熱血!あかねのお好み焼き人生!!』の結末であかねが見つけ出した“父の隠し味”とは!?
また、色恋とは無縁のあかねがイギリスからやってきた留学生・ブライアンに淡い恋心をいだく第36話『熱血!?あかねの初恋人生!!』は涙なくしては見れないぞ! 帰国するブライアンに別れを告げるべく、満身創痍になりながら空港へ向かうあかねの足取り!!!

仲間たちの応援を受けて空港へ走るあかね(作画と演出が水際立った回でした)。

極めつけは第40話『熱血!あかねの宝探し人生!!』
来週のホームルームで自分だけの宝物を発表することになった際、あかねが「ウチには宝物と呼べるもんがない…」と悩んでいると、バレーの試合の前日にみゆき達から“あかね型の手作りお守りフェルト人形(プライスレス)”をもらい「明日がんばってね!」と応援され、思わぬサプライズに目を潤ませて大喜びしたあかねはこのフェルト人形を宝物にしようと決めたが、翌日、試合直前にウルフルンに急襲され完膚なきまでに叩きのめされた挙句、大事なフェルト人形までぐちゃぐちゃに壊されてしまい絶望の底に突き落とされるも、みゆき達のもとへ向かおうとするウルフルンの行く手を瀕死状態で阻むんだよサニーはああああ!

「待たんかああああい!!!
…行かせへん

打ちのめされ、侮辱され、宝物を踏みにじられても敵に立ち向かうサニー。

サニーは気づいた。本当に大事なものはフェルト人形ではなく、それを作るために絆創膏だらけになった手を隠して笑顔でサプライズしてくれた、みゆき達の存在そのものだと。
「皆がおったら、どんなときでも、百倍も千倍も力が湧いてくるんや! それが…ウチの一番の…宝もんやああああああ!
そしてウルフルンは業火に焼かれた。
後日、「やっと見つかったんや、ウチの自慢の宝もん」と言ったあかねに「なになに~?」と興味津々の4人に対して「それはウチだけの秘密や!」と返した笑顔の幕引きまで完璧。

ファイヤーガールなので変身バンクのSEも爆発音。変身後のお団子ヘアーと、束ねていた後ろ髪がほどかれる感じがよい。パフをつけたあとに微笑む悪戯娘のような表情も大変よい。

 

黄瀬やよい(CV. 金元寿子)

キュアピースの中身。
当代きってのへなちょこ。
気弱く、泣き虫な性格で、おまけに怖がりで運動音痴なため、戦闘時もビィービィー泣きながら逃げ回ることしかできなかったが、体を張って敵に立ち向かうキュアハッピー達を見習い、徐々にバトル嫌いを克服していく。
必殺技はピースサインした指先に雷を蓄電したあと敵に向かって放電する「プリキュア・ピースサンダー」。
絵や漫画を描くことが趣味で、自作の魔女っ娘キャラクターのように自分も強くなれたら…と日々願っている。あと髪型が異常にエアリー。
他方、見た目のイメージに反し、へなちょこのくせに超合金ロボや特撮戦隊モノを好む。

そんなやよい、見た目の愛らしさからオタク受けが大変よく、某イラスト投稿サイトや二次創作からも圧倒的な人気が窺い知れる。
変身バンクでは「ピカピカぴかりん! じゃんけんポン♪」の掛け声で毎回異なる手のじゃんけんを繰り出すことから、ファンの間では同じ日曜アニメの『サザエさん』を仮想敵に据えた「日曜じゃんけん戦争」がネット上で話題となった。
キュアピースVSサザエさん。
図らずも戦後最大の拡大家族、磯野家のパーマ代表を敵に回してしまったキュアピースだが、ヒマな人が集計したところ、キュアピースの成績は10勝9敗16分らしく、結果キュアピースがじゃんけんマスターの磯野サザエを下すというジャイアントキリングを達成。
これでもまだピースのことをへなちょこと言えますか!?

5人が子供化する回では、無敵の禁じ手「グッチョッパー」を出しサザエと総ての視聴者に反則勝ちをおさめた。

やよいのパワー当番回といえば、第19話『パパ、ありがとう!やよいのたからもの』で決まりだろう。
幼少期に父が他界してからは団地暮らしの母子家庭に育ったやよい。父の記憶が年々薄れてゆくなか、学校で「自分の名前の由来を親に聞いてこい」という課題が出る。やよいの名付け親は亡き父。消えゆく父の記憶を手繰り寄せながら名前の由来を調べていくうち、いつしか忘れ去った父との思い出が徐々に蘇ってくる…という、TVの前の親御さんを全力で泣かせにかかった父娘回である。小津である。
細かい内容については多く語らないが、父に対するキュアピースの愛を侮辱した敵を「プリキュア・ピースサンダー」で屠るシーンが実に感動的で。

「あなたに愛がないのならッ、パパからもらった愛を受け取ってッ!
プリキュア・ピースサンダァああああああ!!!」

これの何が感動的かって、わざわざこのエピソードの為だけに必殺技バンクが描き直されてるのよ。
泣き虫なピースは毎回「ピースサンダー」のバンクで涙目になりながら技を撃っていたが、この回は違うのよ。幼少期に父と交わした“ある約束”を思い出したことで、今までおぼろげだった父という存在、そして父から受けた愛情に気づいたことで、ようやく自分のなかで父を成仏させられたやよいは、そんな父との思い出を侮辱する敵に対して、今回だけは涙を堪えてピースサンダーを放ったのである。
悲しみを乗り越えたピースサンダー!
きみの瞳は一万ボルト!

いつもはここで涙目になっている。

だいたいな~、感傷的なシーンで視聴者のもらい泣きを誘う演出―いわば”涙の恫喝”に満ち満ちた日本の映像コンテンツにおいて“泣かないことで泣かせる演出”は一際光りますよ、それは。すばらしいですよ。
この第19話みたいに、劇中キャラが堪えたぶんまで視聴者が泣く…というのが本来の意味の“感動”ではないかしら。
だってそうだろ。劇中キャラがスンスン泣いて、それにつられて視聴者もスンスン泣くのは感動でも何でもねーよ。ただのもらい泣きやん。一青窈やん。それは感動じゃなくて共感やん。ミラーニューロンやん。神経細胞の活動に過ぎませんやん。だってサルでも反応するからね、ミラーニューロンなんて。
だからこそ、人は、涙を堪えてのピースサンダーに涙するんじゃないのかよぉおおおお!!


「ポヨン♪」でヤシの木ヘアーになるさまの愛らしさに定評のある毛量爆増型プリキュアの一人。じゃんけんの茶目っけも忘れずにおきたい。

 

緑川なお(CV.井上麻里奈)

キュアマーチの中身。
サッカー部に所属しており、90度の壁を走り抜けるほど足が速い。
性格面では、まとまりに欠ける4人を抜群の指揮能力でまとめあげる姐御肌タイプで、異常に正義感が強い。
みゆき達がお弁当を食べようと腰をおろした中庭のベンチを上級生に横取りされそうになったとき、毅然とした態度で「たとえ先輩でも、あとから来て場所を横取りするのはおかしいと思います!!!」と喝破したように、何事にも理非曲直を正す“一直線”の直(なお)。
「ちょく」
と呼んでもいいかもわからない。
存外かわいいかもわからない。緑川ちょく。

敵との戦闘でも“直球勝負”を好むが、それゆえに奇策を弄する敵…、たとえば複数体に分裂した敵にも「考えても仕方ない。直球勝負だ!」と叫び、一度しか使えない必殺技「プリキュア・マーチシュート」(サッカー部なのに敵の顔面に向かってボールを蹴るという普通にファール沙汰の大技)を当てずっぽうで撃つなど、一直線な性格が転じてただただ“愚直”になるという弱点も併せ持つ。
また、7人兄弟姉妹の長女という家庭環境から、面倒見がよく責任感も強くて、マジョリーナの魔法で5人が子供化した回でも注意散漫の4人を見事引率してのけた。

空っ風女のマーチシュート!

今となっては二推しにまで上り詰めたキュアマーチだけど、正直、なおのキャラクターを掴むには相当時間がかかった。
甲斐性のあるちゃきちゃき娘…という点でサニーと被るのよね~、キャラが。最初の15話ぐらいまでは、どっちがサニーでどっちがマーチか分からないほど混同していたが、ようやくマーチの唯一性に気づいたのが第18話 『なおの想い!バトンがつなぐみんなの絆!』
運動会でリレーに出ることになった5人を描いた回なんだけどさ、オレはこの回でぽろぽろ泣いたのよ。不覚にも。
ことの発端は、なおの強い希望で「5人で力を合わせて何かを成し遂げたい」という思いから、運動音痴のやよいを半ばむりやり誘う形でリレーにエントリー。
だが、足の遅いやよいはクラスメイトから「うわぁ、やよいが出るならビリ確定じゃん…」などと心ない陰口に傷つきながらも、このリレーを一番楽しみにしているなおの為に駆けっこの特訓をするわけさ。そんなやよいの思いを、なおは知っていた。だから、やよいに対して「順位なんてどうでもいい。アタシは皆と走りたいんだ」と言った。
そして本番。あかね→みゆき→れいかへとバトンが繋がれ、やよいの番。他クラスの走者にバンバン抜かれながらも、渾身の走りを見せたやよい。ドンケツは免れたままアンカーのなおにバトンを繋いだ。
えらいぞ、やよい!
そこからは俊足自慢、なお全身全霊の巻き返し。足よ千切れよとばかりに、アッという間に他クラスを捲ってゴール直前。足がもつれた。ズコーッ。まさかの転倒…。
結果はビリ。
なおは茫然自失。あかねも、みゆきも、れいかも、何より「自分がいたら足を引っ張る」と自己嫌悪していたやよいがあんなに頑張ってくれたのに、最後の最後で自分がトチってしまった。情けないやら、申し訳ないやら、大粒の涙を流すなお。すると4人が駆けてきて、なおに抱きつくのよ。

「すごかった!すごかったああああ!」
「カッコよかったよ、なおおおお!」
「ぶわああああ!」

ぶしゃああああああああ!!!

もらい泣き文化を否定した直後にもらい泣きする男。まあ、ミラーニューロンのせいやな。
これは、ぜひ放送回を見てほしいね。
ハナから、なおに競争心などなかった。
結果より過程。「何位でもいい。順位はどうでもいい。ただ皆と走りたい」という思いだけ。
でも、自分が言い始めたリレーのために、4人が全力で特訓してバトンを繋ぐさまを目の当たりにしたなおは、みんなの為にも1位を獲りたいと思い始めた。競争心の目覚め。過程より結果ということに気づいたのだ。
だからこそ、自分のせいでビリになったことを悔い、恥じたが、そこへ集った仲間たちは、なおがバトンを繋ぎきったことを祝福した。結果より過程だと祝福したのである。
およそ凡百のアニメでは、なおが一着でゴールして「やっぱ結果! 努力は実を結ぶ!」つってハッピーエンドに落ち着けるところを、あえてビリにすることで結果と過程を複雑に去来させながらも、結果的に「やっぱ過程」に着地するあたりがスマプリなんだろうね。これが10年前なら、なおの一着ゴールで結果主義が称揚されたんだろうな…と思うと、スマプリが2012年に放送された意義と必然性が見えてくるってもんよ。

なおの魅力は物語中盤から加速する。死ぬ気で弟妹を守る家族愛を見せつけてきたり、虫とおばけが苦手というギャップが素敵だったりね。
ただ、こんなに素敵ななおなのに、物語後半からは不自然なくらい急に大食いキャラへシフトしていくの。
まあ、事情はなんとなく分かるけどな。女児向けアニメにおいて緑担当のキャラは不人気で、現にスマプリ以降は緑のプリキュアが登場してないし。
まあ、後づけ大食い設定で個性ドーピングされたマーチも、おれは好きやで。


決めポーズの一点透視図法の人体版みたいな攻めた構図と、背後からゴオオッと突風が吹くスペクタキュラーな好演出。風がモチーフのキャラなので、髪やリボンなど「揺れもの」がよく動く。

 

青木れいか(CV.西村ちなみ)

キュアビューティの中身。
弓道部に所属する生徒会副会長。
眉目秀麗にして優美高妙。学年トップの成績と真っ当な道徳観から、敵味方問わず正道へと導くスーパー常識人。プリキュア変身時には氷を扱う。必殺技は光波状の冷気を放射する「プリキュア・ビューティブリザード」。
この手の知性キャラって割とありがちだし、ステレオタイプになりがちだし、フォーマットもガチガチだけど、れいかの面白さって“面白味がないことを自覚してる点”だと思うのよね。
れいかみたいな成績優秀のブレーンタイプって、3人組なり5人組なりの漫画/アニメには大抵1人はいるじゃない。でも、そういうキャラって往々にして主体性や自己実現や目的意識に乏しいのよね。
れいかもまた“優等生”という記号におさまった生徒会副会長である。それゆえに、いっさいの行動原理は「何が正しくて、何が間違ってるか」というモラルとイデオロギーだけ。そこに自らの意思はない。成績は学年トップだが、それゆえに“何のために勉強してるのか”という根本的な疑問にぶち当たってしまうのだ。
進むべき道がないわけよ。
笑顔を愛するみゆきの生き方も、直情的なあかねの熱さも、好きを貫くやおいの趣味も、道理を重んじるなおの信念も、れいかにはない。ただひよこ鑑定士みたいにイデオロギーに沿って物事の善悪を仕分けするだけ。

だからこそ、れいかは「道」という言葉に憧れる。自分は何がしたいのか? 本当に好きなものは? 目指すべき進路は?
とどのつまり『スマイルプリキュア!』とは青木れいかが時間をかけて己の道を模索する物語なのかもしれません!
三幹部よりも強い中ボス・ジョーカーをキュアビューティ単騎で撃破した戦闘シーンはスマプリ屈指の名場面。
「道を見失いましたか!」と煽るジョーカーに対して「いいえ、“見つけた”のです!」と返したあとのビューティの言葉が突き刺さる。

「寄り道、脇道、回り道!
しかしそれらもすべて道!

そして、氷の矢を引き絞っての新技「ビューティ・ブリザード・アロー」が、ジョーカーの体を鏡の盾ごと貫くのよ~~。もちろん“鏡を割る”というイメージは“自問自答していた自分との決別”のメタファー。

「私が歩く私の道。私が決める私だけの道…。例えそれが遠回りだとしても、これはウソ偽りのない私の思い…、私のわがまま…の“道“です!!!


れいかのベストファイト。すばらしい剣戟演出だ。

余談だが、夏休みを遊び倒して宿題をしなかったれいか以外の4人が補習授業を受けさせられる場面もお気に入り。
ちゃんと宿題を終わらせたれいかは「~クル」を語尾とする妖精キャンディを頭に乗せ、イヤイヤ補習を受ける4人の様子を教室のドアから覗き見てるのよ。



キャンディ「れいか。みんながこっちを見てるクル」

 



れいか「きっと『心配しないで』と言ってくれているのですよ^^」

バカ4人(助けてれいかちゃん…)


これ、2枚目のカットがべらぼうに味わい深くて大好きなのよね~。無言の眼差しでれいかに助けを求める補習組のしょぼくれた顔。
いいカットだわ~。
みんながこっちを見てるクルカットね。

こっち見んな。
前向いて勉強せえ。
しかも…あっ!
よく見ると4人のペンと筆箱がそれぞれのイメージカラーになってるゥ~~。
なおちゃんよぉ、なんぼイメージカラーが緑でも、文房具くらいもっと可愛い色使えばいいのに…。


パフを直接つけるのではなく、そっと口で吹き、そのパウダーが氷晶化して五体を彩る…というビューティらしい優美な演出。片や、氷を扱うプリキュアなので髪はふわりと伸びるのではなく氷柱のようにシュッと鋭く伸びることで外柔内剛な性格をうまく表現している。

 

これで全員分の変身バンクを見ましたね。
これを踏まえたうえで、5人が子供化してしまう第38話『ハッスルなお!プリキュアがコドモニナ~ル!?』の変身バンクを見ると実に微笑ましいから、貼っつけとくな。


ちびキュア達が一生けんめい変身します。決め台詞が揃わず「せーの!」でむりやり合わせて喜ぶ5人の汚れなさ。

◆おとぎ話マルチバース◆

 ほんでようやく映画の話ですよ。薄々気づいてるかもしらんが、TVアニメの劇場版を扱うときって映画評書くより作品紹介してる方が楽しいねん。
そんなわけで『映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!』。非常に充実した71分を過ごすことができました。
正直、鑑賞前はみゆき達が絵本のキャラクターになり切ってるビジュアルを見て「おもんなさそ…」と不安視しててんけどな。どうせ絵本の世界に迷い込んでドタバタしてるだけの取っ散らかったお祭り映画なんやろな~って。
認識を新たにせねばなりません!
すごくよかったですよ。『映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』(10年) よりおもしろかった。



 物語は、幼少期のみゆきが図書館の処分本コーナーで題名のない絵本を見つける場面にはじまる。その絵本はニコという心やさしい少女が争いごとを解決してみんなに笑顔をもたらす物語だったが、なぜか途中からぺージが破り取られていたので未完のまま。みゆきは「いつか私が続きを描いて完成させてあげる!」と絵本の中のニコに誓った。
時は流れ、「世界の絵本大博覧会」にやって来たみゆき達は、絵本シアターのスクリーンから飛び出してきた謎の少女(CV.林原めぐみ)を、追っ手の金角と銀角(『西遊記』の悪役)から守る。少女は助けてもらったお礼にみゆき達を「絵本の世界」に招待し、そこで絵本の主人公になって物語を追体験できるツアーに招待する。
絵本マニアのみゆきはせんど悩んだ挙句、バイブルである『シンデレラ』を選択。あかねは「チビやのに度胸あるやん。買える」との理由で『一寸法師』を選び、やよいは金斗雲に乗りたいという飛行願望を露わにしての『西遊記』、食い意地がすごいなおは竜宮城でご馳走にありつけるという欲にまみれた理由で『浦島太郎』、れいかは正義感が強いので『桃太郎』を選び、鬼の殲滅に意気込んだ。それぞれの物語を進めるべく、別行動をとる5人。
5人を笑顔で見送ったあと、謎の少女はぽそりと呟く。

「みゆき…やっぱりあの約束忘れてるんだ」

絵本の主人公になった5人。画像下が謎の少女

5人の絵本追体験ツアーは楽しく始まったが、次第にそれぞれの物語に違う絵本のキャラクターが現れるようになり、辻褄が合わなくなるほど支離滅裂な筋になってゆく。シンデレラみゆきの前に桃太郎が現れたり、金斗雲に乗って天竺をめざす孫やよいの前に一寸法師が現れたり…。
おとぎ話マルチバースやん。
そうこうするうちに桃太郎、一寸法師、シンデレラ、孫悟空らが狂暴化し、這う這うの体で合流した5人を襲い始めるのだが、そこで助けに現れたのが『西遊記』の牛魔王と『一寸法師』の鬼と『桃太郎』の鬼。
80年代女子プロレスかよ。
ヒールが事実上の善玉になってみゆき達と共闘するっていうね。
さて。かかる「絵本ツアーカオス化事件」を仕組んだのは、このツアーをプランニングした謎の少女…もといニコだった。
昔、みゆきと出会った破れし絵本の主人公・ニコは、みゆきが幼心に発した「いつか私が続きを描いて完成させてあげる!」という約束を反故にしたことで逆恨みし、絵本を追体験できるツアーなどと甘言を弄して「破れし絵本」の世界にいざなったのである。
みゆき達は「破れし絵本」に閉じ込められ、そこから脱出することができなくなった。なぜなら後半のページが丸ごと破かれてるので結末がない…、いわば結末を迎えられない物語の幽閉者になってしまったからだ。
さらぬだに、ニコの背後には“魔王”がいる。
魔王の目的は、物語内のあまねくキャラクターから感情を奪い、ハッピーエンドもバッドエンドもない“終わりなき物語”を続けること。
果たして5人は激おこニコを鎮め、魔王に打ち勝つことができるのか!?

牛魔王と共闘するスマプリの面々。

◆表現の落武者。その怨念による表現者への逆襲◆

 “物語についての物語”を主題化した映画って結構あるよね。有名どころでいうとスパイク・ジョーンズの『アダプテーション』(02年) とか、ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』(03年) とか、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』(06年) とか、M・ナイト・シャマランの『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06年) とか。古くでいえばフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(63年) とかな。

その系譜っちゃその系譜です。

子供向けどころか、大人が見ても頭がこんがらがるような物語論に深く切り込んだメタ創作モノというか、ありていに言えばスマプリの作り手たちが自分たちに向けて作った、とてつもなく内省的な物語構造を有するややこしい作品で。
うわぁ…ダリィな~~。
この記事、すでに1万字超えてるのに、こっからイチから全部書くのかーと思うと5杯目の緑茶ハイでへらへら浮かべたスマイルも消え失せそう。
でもスマイル保とっ。

キュアハッピーも皆に励まされてスマイル保った。

本稿の第1章で説明した通り、スマプリという作品は「絵本」をテマティックに扱ったメタおとぎ話である。ニーチェ風に言うなら、スマプリが絵本を扱うとき、絵本もまた“おとぎ話”としてのスマプリを試しているのだ。
ニーチェ風だった?
その集大成がこの劇場版。
スマプリのTVシリーズが“物語についての物語”だとすれば、本作は“物語についての物語についての物語”なのよ。ひとつ増えた入れ子構造。マトリョーシカに対するマトリョリョーシカに対するマトリョリョリョーシカやね。
物語の鍵を握るはニコ。
“破れし絵本”の序盤ではみんなを笑顔にしていた主人公だったが、絵本の続きを描かなかったみゆきを逆恨みしたことで、ニコの心は憎しみに染まる。そんなニコの魔力で“絵本の世界(世界中の絵本に登場するキャラクターが共存する異世界)”の住人たちの役割が入れ替わってしまった。孫悟空が狂暴化し、牛魔王がみゆきを助けたように、善玉と悪玉が逆転してしまうのだ。

そして本作のキーワードでもあるハッピーエンドもバッドエンドもない、終わりなき物語。

身も蓋もない言い方をすれば、全部みゆきのせいでこうなったんだけどね。
絵本の続きを描かなかった幼少期のみゆきが生み出した悲劇。でもオレはみゆきを擁護したい。幼き日のみゆきは、何度も“破れし絵本”の続きを描こうとしたが、自らの拙い画力に納得いかず、泣く泣く絵本制作を断念したのだ。
これはすべてのクリエイターにとって耳が痛い話ではないかしら。
おれはクリエイターでもなんでもないが、痛いほどわかるぞ。途中で投げ出した自作マンガや自作小説のキャラクターたち(昔マンガや小説書いてました)。左クリックでゴミ箱に入れた随筆や映画評の数々…。
創作の死体。執筆の屍。

その“怨念”なんだよ、ニコは。

テメェで始めた物語なのに、中途半端に投げ出して、結局完成しなかった絵や文章…。いわば表現の落武者。そんな“彼ら”の逆襲を描いたのが『映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!』なんだよな。
いわばニコは“物語の脱構築者”と言えていくよねえ。
※ここに震災の文脈もうっすら絡んできます。

「スマイルプリキュア? 笑顔とかハッピーとか綺麗事ばっか言ってるけど、アンタらが楽しくやってる陰ではアタシみたいに笑顔を奪われてハッピーにもなれない“物語の犠牲者”がいるじゃん。
…いいよ。じゃあぜんぶメチャクチャにしてあげる。さぁ、みゆき…。
この物語をどう閉じる?」
…ってことよ。


本作をどう終わらせるか? というニコからの挑戦状。

だから、映画中盤ではさまざまな絵本のキャラ達がマルチバースさながらに世界線を横断して物語がメチャクチャに破綻するのよ。
反物語ですよ。
つまり本作に対するアンチテーゼ。
わかるか。ニコは『映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!』という映画自体をチグハグにしてぶっ壊してやろうと企むわけ。起承転結もハッピーエンドもない、子供が飽きて泣き出すようなカオスなゴミ映画にしてやろうと。興収ボロボロで東映アニメーションが打撃受けても知ったこっちゃあるかい、と。
そして、そんなニコの暴走を食い止めようとするみゆき達は、いわば『映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!』の“映画としての体裁を保つため”に戦い、カオスと化した映画本編の落とし所(ハッピーエンド)を模索するのである。
メタ過ぎね~~?


ロケーションも“鬱々たる曇天”と最悪(物語的に映えない)。

なんやかんやあって、ニコを改心させ魔王も浄化した5人。
ラストシーンで、ニコは“破れし絵本”の白紙に自ら物語を紡いでいくと決意する。
「これからは自分の物語は自分で作るよ!」
感動的な一幕だけど、これも寂しい話よねぇ。“キャラクターが作者の手を離れる”みたいなことだから。
そのあと、「みゆきが大好き!」と言ったニコの笑顔に滂沱の涙を流したみゆきを「スマイル、スマイル!」と慰める仲間たちの言葉を受け、涙でぐちゃぐちゃのスマイルで物語の結末を迎えたラストシーンも「伏線回収」なんて安い言葉で評価したくないほど胸を打つ完璧な作劇なのだが、さらにその上をいくのがエンドロール。
クレジットタイトルに流れる止め画は、“破れし絵本”に新たに紡がれた、その後の物語。
みゆきと別れたあとのニコが絵本の住人たちと楽しそうに紡ぐ笑顔満点の物語で、最後の止め画は“破れし絵本”を5人で読んでるみゆき達の姿…。
新たに紡がれた物語のページは、ニコからすれば「みゆき、読んでくれてる? 私は元気でやってます」の便りなのだろうが、みゆきにとっては「ニコちゃんの新作ページきたー! 今回はどんな展開なんだろ!?」てなもんで、みゆきも今やすっかり作り手から受け手に回った“イチ読者”なんだよね。
これはスマプリスタッフが、創作者とキャラクターの関係性を通じてウチらの物語を描きあげた作品。観客へと向けられた“そちち側にとっての物語”ではなく、作り手にとっての“こちら側の物語”ね。
それでも物語は比喩として開かれる。
絵本や童話がそうであるように。

 

~おまけのコーナー~

最後はスマプリのEDテーマ曲「イェイ! イェイ! イェイ!」を貼っ付けたいと思います。貼っ付けない方がいいかな~とも考えたのだが、貼っ付けない手はないよな~とも考えたので、まあ貼っ付けますよ。それは。
バカみたいな曲名だけど、とてもすてきなエンディングダンスなのよね。曲もいいし。歌詞はオレにはよくわからないけど、すこぶるゴキゲンで「おぉおぉ、元気いっぱいやな。何よりや」って感じだし、亡き前田健の振り付けもキューティなのよ。
かなり細かい話をするけど、まずイントロのね、マーチのキュッと結んだ口元が大好きなのよ。
↓コレな。


画面手前のキュアマーチ。キュッと結んだ口元がおまえに見えるか。

わかる? 拡大しないと分からんか。
口元に入った縦線ね。
これ、昔のマンガにはよくあった線なんだけど、今や「デブキャラの頬肉を表現するための線」ないしは「ジジババのほうれい線」として記号化されちまった“忘れ去られしキューティ線”なのよ。
そんな時代錯誤の線を2012年に復権させた…という意味でも、スマプリの絵はとても魅力的。とても上手。ミリ単位の「デブ線」1本でキャラクターを可愛く見せたんだからな。
絵の授業みたいになるけど、ためしに比較してみようか?
画像左はペイントツールを使って「デブ線」を消した加工版。画像右はオリジナル映像のスクショです。



一目瞭然でしょ。
「デブ線」を消した左マーチは、なるほど綺麗だが、ただ綺麗なだけで精巧なマネキンのようには見えまいか。それこそ一昔前のコンピュータグラフィックスで作られた「美麗だけど美麗なだけね」って感じの3DCGのゲームキャラクターみたいに。
翻って右マーチは、ちゃんと血の通った人間に見えるし、なにより愛らしい。デブ線によって頬に膨らみが出て、顔の血色が表現されたからだ。また、口元に縦線を入れることで目と口の距離が近づき童顔が強調されるという効果もあるため、より可愛らしく、より活き活きとした3Dモデルになるわけです。


次はサニーのソロパート。これは完全におれのサニー愛が狂奔しただけの余談なのだが、余談ほど語らずにはいられない男です。どうぞよろしく。
多くのメンバーが、ただ体の向きを変えながら謎のボックスステップを踏むという比較的単調な振りを披露するA~Bメロにおいて、サニーだけがオリジナルの振り付けをがっつり与えられている!
この事実をキミはどう見る!?

なんだってこんなにもチャーミンなんだ!!?

こんなにもチャーミンだったら、もうキュアサニーっていうかキュアチャーミンじゃないか!! 『チャーミングっど プリキュア』の企画書を東映アニメーションに叩き付けたた!
「たたたた!」ってことよ、もう。
なんだろな~。オレの目に、なぜサニーってこんなに愛らしく見えるんだろ。あ~、きっと他の4人に比べて頭が小せぇからだな。
他の4人ほど毛量が増えないのよ、サニーって奴は。おれの知る限り、プリキュアに変身したキャラクターって髪型が変わって毛量が爆増する。全体的にモコモコする。キュアハッピーとかね。「一回そこで結んだのに、その先そうなる?」ってぐらい謎毛量システムが駆動するのよね。


一回そこで結んだのに、その先そうなる?

それで言うたら、大幅に増毛するピースやマーチも納得してないからね、おれは。
マーチに関しては…、もう増毛っていうかピローネックの供給だろって思ってるから。

マーチの変身特典は首をやさしく包み込むピローネックの供給。

でもサニーは毛量爆増しない。むやみにモコモコしない。頭の形がよくわかるストレートヘアー。変身前と変身後であまり変わらないのよ。
これって現代的な価値観にも符号しない? 別にしねえか。キュアサニーに変身すると戦闘能力は大幅UPするけど、見た目はほとんど変わらない。格好いいじゃん。外見より中身ってことよ。ツラよりハートってことよ。
女の子が好きな“ふわふわしたモノ”も、サニーにとっては火綿。燃やしてやるぜ。
そして、そんなサニーをさまざまな面で優遇してくれた作り手もまたモノ作りに燃えていた。

「イェイ! イェイ! イェイ!」

©東映アニメーション (C)2012 映画スマイルプリキュア!製作委員会