オーディション受けりゃ済む話なのになかなか受けない映画。
1983年。エイドリアン・ライン監督。ジェニファー・ビールス、マイケル・ヌーリー、 サニー・ジョンソン。
昼は製鉄所、夜はナイトクラブのフロアダンサーとして働くアレックスは、日々プロのダンサーになることを夢みて暮らしていた。そして恋人との確執、友人の死などを経て、いよいよオーディションの日が迫ってきた…。(映画.comより)
おはようございます。
2日前に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)の評を書き始めたのだけど…面倒臭くなって放置しちゃった♡
いっやー、あれだわー、タランティーノは面倒臭いわー。どこから話していいものやら…という難しさなんだすな。1969年のアメリカン・ポップカルチャーとかシャロン・テート殺害事件とか、映画を理解するにあたって前提化されたトピックが多すぎて…またこれイチから説明するのかーと思うとゲンナリしちゃうン。映画好きは大体知ってる事でも、基本的に『シネ刀』は映画を観ない人向けのくそぬるいブログを目指しているので、やっぱり解説は必要だと思うんですね。メンドクサー。
でもアレなのよ、昭和キネマ特集以降は書きたいことが少しずつ書けるようになってきてる気がしてるの! これまでは意図的に排してきた思想とか持論を出していけたらいいなって思ってる。
知ってたかい、ぼくは人間なんだ!
そんなわけで本日は『フラッシュダンス』をボコボコ!
◆映画が商品だった時代◆
世界中で驚異的なヒットを記録した『フラッシュダンス』は80年代の花形的な映画である。ミュージックビデオのような映像表現を初めて映画に取り入れたMTV映画の走りで、同じく社会現象となった『フットルース』(84年)の追い風もあって「映画と音楽のメディアミックス」を確立させた作品なのだ。
メディアミックス。要するに既存の音楽を映画のなかでガンガン流すことによって映画のチケットとサントラCDを同時に売りつけるというやくざな商売である。仕掛け人は『ビバリーヒルズ・コップ』(84年)や『トップガン』(86年)を世に送ったことで知られるハリウッドの名物プロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーとドン・シンプソンの悪童コンビ。タイトルを見ただけでテーマ曲が聞こえてくるでしょ? これが映画と音楽の抱き合わせ商法。
80年代アメリカ。それは映画が「作品」ではなく「商品」だった時代。
金儲けのことしか頭にないプロデューサーたちはくだらない流行歌で映画を犯し、それがヒットしたと知れば翌日には続編を作り始めた。当時のアメリカの若者はバカばっかりだったので粗末な映画にも喜んで飛びついた。
日本にもジェリー・ブラッカイマーのような男がいた。角川春樹である。この角川書店の社長は、書籍と映画のメディアミックスを狙って角川映画というわけのわからない映画会社を立ち上げ、薬師丸ひろ子や原田知世といったアイドル女優を使って客を釣った。テーマ曲も本人に歌わせたので、映画がヒットすれば曲もオリコン上位にのぼり、ついでに原作本も売れる…というカラクリだ。
要するに誰も映画の質など気にしちゃいないのである。かわいい女の子が出ていて、たまに人が死んで、ゴキゲンな音楽が鳴る。知能低下と感覚麻痺を起こしていた当時の人民にはそれで充分だったのだ。しょせん映画などデートの口実、ただの暇潰しなのだから。なんて素晴らしい時代なのだろう。涙が出る。
『卒業白書』(83年)のトム・クルーズ先生。80年代を象徴する一幕である。
◆受けりゃ済む話◆
そんな80年代を象徴するのが『フラッシュダンス』である。
アイリーン・キャラの歌う「Flashdance... What a Feeling」は目ン玉が飛びでるほど激烈にヒットした。シンセサイザーという私の大嫌いな電子音がふんだんに使われた素晴らしいポップソングである。この曲は日本でも爆裂ヒットし、麻倉未稀、岩崎宏美、安室奈美恵ほか多数のすてきな歌手によってカバーされている。
そんな本作は、昼は溶接工として、夜はナイトクラブのエロダンサーとして頑張っているアレックスというヒロインが夢への切符を掴むまでを描いた青春ダンス映画。
当時オーディションで主演に選ばれたジェニファー・ビールスはイエール大学にハイール大学したばかりのただの女子大生だったが、『フラッシュダンス』のウルトラメガヒットで一躍期待の新星となる。まさに彼女が演じたアレックスと同じく夢への切符を掴んだ現代のシンデレラだったが、この話のポイントは切符という点にある。
決して「夢を掴んだ」のではなく「夢への切符を掴んだ」ジェニファー=アレックス。
世界的な注目を集めたジェニファーはその後の出演作がすべてババ滑り。誰も見ないような低予算テレビ映画でしばらく食い繋いだのち、40代で主演を射止めたTVドラマ『Lの世界』(04年―09年)で再び注目され、ここでようやく夢を掴むことになる。55歳の今でも美しいルックスをキーポンしていることでも有名。
つまり『フラッシュダンス』は夢のスタートラインに立つまでの物語なのだ。
足掛け20年、ようやく『Lの世界』で芽が出たジェニファー・ビールス。
さて、この映画。どんな中身かと言うと、ダンサー志望のジェニファーがバレエ学校のオーディションを受けるかどうかで延々悩むというゴミみたいなストーリーである。
ジェニファーは製鉄所の社長(恋人)や元ダンサーのばばあ(友達)から「早くオーディション受けろよ」と後押しされるがなかなか決心がつかず「自信がない」とか言って二の足を踏み続ける。本作の上映時間は95分だが、そのうちの85分ぐらい悩み続けちゃう。いい加減にしろと言いたい。
最終的にはオーディションに挑んで一発合格するように、ジェニファーはやれば出来る子。それだけに、やるかやらないかで悩み続けたり不貞腐れたりする自己憐憫ぶりがどうにも煮え切らないのだ。
つまりこの映画、なにか状況が動くことも環境が変わることも人が成長することもないので「物語」というものが存在しない。すべては「オーディションを受けるか受けないか」というジェニファーの気持ちの問題、いわば精神のゆらぎだけがモッタラモッタラ描かれている。受けりゃ済むハナシなのに。
これ…おもろいけ?
だいたい、ジェニファーが得意とする踊りはジャズ・ダンスであって、そんな奴がなぜクラシック・バレエのオーディションを受けようとしているのか。窓口間違えてない?
夢の切符を手にしようとするのは素敵なことだけど、そもそも切符売り場を間違えてるんだよ。しかも路上のダンサーに感化されてブレイクダンスまで取り込んでしまうからね。ますますバレエから離れていっとるやないか。
ブレイクダンス…ひっくり返った亀みたいに背中を地面につけてクルクル回ったり、逆立ち状態で両足を広げてフレミングの法則みたいなことをするステキな踊り。
ダンスがしたいのかバレエがしたいのかよく分からないジェニファーですが、踊りに対する姿勢もよくわからず。
製鉄所での空き時間に本を読んでいた彼女に、社長のマイケル・ヌーリーがヌリッと近寄ってきて「なに読んでるの」と声をかける。熱心にダンスの歴史でも紐解いているのだろう。
「『ヴォーグ』よ。フランス語版のね」
ヴォーグ読んでた。
「でも字が読めないから写真だけ見てるの」
いちばん贅沢な読み方してた。
二人はあっという間に急接近、社長と溶接工の禁断の恋が始まりました。ふたつの心が溶接されたというわけです。お熱いねっ。
ジェニファーはヌーリーとのデートを重ねた。デートをしない日はナイトクラブの仲間とつるんだ。ヌーリーが浮気したと勘違いして夜中にヌーリーの家に石を投げた。フィギュアスケーターを目指す友達を励ましたりもした。
…踊りは?
そう。踊りに対する情熱はあんまりなかった。
そうこうする内にジェニファーにオーディションを勧めていた元ダンサーのばばあが死んだ。ばばあが死んだことでようやくオーディションを受ける決意をした。オーディションを受けた。クラシック・バレエのオーディションなのにブレイクダンスを披露した。審査員たちは「すごいすごい」と言った。何がすごいのだろう。
バレエと関係ない踊りをしたのになぜか受かった。ジェニファーは「やったー」と言ってヌーリーに飛びつき遠心力でくるくるした。おわり。
おもろいんけ、これ。
◆ほぼエロ映画◆
この映画を観たのは二度目だがほとんど覚えてなかったので新鮮なきもちで観ることができた。
観てもすぐ忘れてしまう映画には2つのパターン(原因)があって、本作はその2つを見事に網羅している。
ひとつは内容が無味乾燥であること。現代を生きるわれわれは基本的にあまり暇ではないので、薄っぺらい物事や経験はメモリから自動的に消去されるようにデザインされている。どうでもいい映画だと翌週には観たことすら忘れてしまう。
あるいは、映画というのはイメージの産物なので、たとえ内容が薄くても印象的なショットが幾つかあればイメージとして記憶に残るし、その断片を紐づければ映画の全体像が自ずと脳内に甦るものだが、本作には印象的なショットがひとつもない。
物語の舞台はピッツバーグの赤茶けた裏通り。水と橋の都だというのにロケーションがことごとくキッタネェのである。人物も然り。ヌーリーはヌリヌリしていて気持ち悪いし、ジェニファーのダンスシーンも大部分がボディダブル(ショットによって肩幅や足の長さがぜんぜん違う)。
有名な水被りダンスやスモークの中で舞い踊るところなど「シーンとして印象的」な部分は沢山あったし、全体的にはエモーショナルな作品なのだが…、結局それも映画が生んだものではなくMTV手法の産物に過ぎないわけで。
本作の代名詞ともいえる水被りダンス。『デッドプール2』のポスターでネタにされてたね。
そして全世界大ヒットの秘密はエロです、エロ。
『ナインハーフ』(86年)の監督でもあるエイドリアン・ラインは光と影のコントラストで官能美を追求するエロ作家である。私はグングンに評価しているし、最後に撮った『運命の女』(02年)なんかはゼロ年代米映画の中でもTOP10に入るほどの傑作なのだが、悲しいかな『フラッシュダンス』ではプロデューサーの操り人形。
ダンスシーンがいちいちエロいのだ。唯一そうでないダンスではポリゴンショックかというぐらい激しく光が明滅する。いずれにせよ「過激なものを詰め込んで客を飽きさせない」というブラッカイマー×シンプソンの俗物根性が剥き出しになった作品である。
だって、ジェニファーとヌーリーがレストランで食事するシーンにすらエロを混ぜ込んでくるからね。
ジェニファーがヌーリーの顔をジッと見つめたままカニか何かを妖しい舌使いでぺろぺろ舐め、ヌーリーに「美味いか?」と訊かれて「しゃぶるとね…」と呟く。するとヌーリー…
「僕のはどう?」
やかましいわ。
そういうことは家でやれ。レストランだぞ、ここ!
しかしジェニファーの欲情はとまらない。テーブルの下で足を伸ばしてヌーリーの股間をまさぐるのだ。だからここレストランだって。そんな場所でヌーリーのヌーリーをまさぐるな。一事が万事この調子。むだエロ映画の金字塔である。
カニをしゃぶりながらヌーリーのヌーリーをまさぐるジェニファー。
まぁ、こいつらの色恋なんてどうでもいいのだが、私が気になるのはジェニファーと同じナイトクラブでウェイトレスをしている親友サニー・ジョンソンだ。
彼女はフィギュアスケーターを目指していたが最後の競技会でハデにすっ転んで夢破れ、好きな男とも心がすれ違ってヤクザと付き合いストリップクラブで乳を放り出す…という悲劇的流転の人生を辿る。ジェニファーから一喝されてストリップから足を洗うことには成功したが、最後までヤクザの女から脱することはできず、二度と氷の上に立つこともなかった。やたら不憫。
片やジェニファーには生まれ持った才能と「オーディション受けなよ!」と言ってくれる応援者がたくさんいる。それなのに行くかどうかでウジウジ悩んでるの。
いいから行けよ。ジャズダンサーがクラシック・バレエのオーディション…という点は依然わけわからんが、そこはもう突っ込まないから…とにかく行け。
そしてようやく行った! 受かった! 喜んだ! で終わり。もちろん最後のダンスシーンでは「Flashdance... What a Feeling」が流れる。
なんだったんだろうな、この映画…。
まぁ、ある意味ではWhat a Feeling(何この感覚…)なのだけど。
皆さんお馴染みの「Flashdance... What a Feeling」。シンセ苦手だけど曲自体は好きです。