くしゃみ連発の鉄道映画!
1974年。ジョセフ・サージェント監督。ウォルター・マッソー、ロバート・ショウ、ヘクター・エリゾンド。
ニューヨークの地下鉄が4人の男にハイジャックされた。犯人グループは、乗客と引き換えに現金100万ドルを要求、タイムリミット1時間の中で地下鉄公安部、警察そして市当局はどう対処するのか?(Yahoo!映画より)
おはよう、みんな! 麦茶冷やしてる?
本日は地下鉄の映画を取り上げるけど、私は電車というものがあまり好きじゃないんだ。一途なタイプだから「乗り換え」とかできないし、何事にも決して揺れない心を持ちたいと思っているから振動でガタゴト揺らされたくないし。
ていうかそもそも公共交通機関全般が苦手である。できればバスも飛行機も乗りたくないけど、トロッコだけは乗ってみたいと昔から思っているんだ。知ってた?
トロッコは最高だ。乗ったことないけど。だって名前からして死ぬほどチャーミングだもの。トロッコって。めちゃめちゃ可愛いやないか。形も可愛いし。これはまじでゲロカワと呼ぶに相応しい乗り物ではないでしょうか。違いますか。
かなりどうでもいいけど、「公共交通機関」って言える? 早口で。
私はいつも「公共」で噛んで「強行」と言ってしまう。さも赤信号を無視せんばかりの交通機関になってしまうんだわ。
でもそれより難しいのは「公共広告機構」だよね。何考えとんねんAC。
また、ACといえばDCだよね。オーストラリアが生んだ伝説のハードロックバンド、AC/DC。
ACに続く言葉は「アダプター」じゃなくてDCです。
そしてDCの対義語は「マーベル」じゃなくてACです。
そういうわけだから、まぁ『サブウェイ・パニック』の評を読んでやってくださいよ。
◆鉄道映画の重要作◆
こんなことを言ってもバカと思われるかもしれないけど、70年代には鉄道映画を見直そうという世の中の動きが確かにあったわけです。
ロバート・アルドリッチの大傑作『北国の帝王』(73年)を皮切りに、『大陸横断超特急』(76年)、『カサンドラ・クロス』(76年)、『大列車強盗』(79年)。日本ではオールスター超大作の『新幹線大爆破』(75年)などなど。
「改めて鉄道について考えてみない?」とする謎の動きである。
ジジイみたいなことを言うようで申し訳ないが、そもそも映画の歴史はリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)から始まっている。
いわば列車とは映画最古のモチーフだ(厳密には違うけど)。
そして本作もまた、映画と鉄道の相関関係に釣瓶を落とした鉄道映画の快作である。
決して豪奢とは呼べないが、70年代アメリカ映画特有のタフな作品なので、なかなか見応えがある。
さて。この映画に出てくる列車強盗の一味は「ブルー」とか「グレイ」なんつって互いを色で呼び合う。映画好きの皆さんならすぐにピンと来たでしょう。これに影響を受けたのがクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』(92年)というわけ!
また本作は、故トニー・スコットの『サブウェイ123 激突』(09年)のリメイク元でもある。「金をよこせ!」といって騒ぐ列車強盗のジョン・トラボルタと「落ち着け、落ち着け!」となだめる地下鉄職員のデンゼル・ワシントンが無線越しに怒鳴り合ってるだけの映画です。
そんな『サブウェイ・パニック』を張りきって作ったのはジョセフ・サージェントという監督。特に名匠でもなければ巨匠でもないけど、米ソ冷戦下に開発されたスーパーコンピュータが政府に逆らって人類を支配する『地球爆破作戦』(70年)は掘り出し物の怪作なのでオススメです!
本作が影響を与えた『レザボア・ドッグス』と、本作をリメイクした『サブウェイ123 激突』。
◆ややこし邦題問題◆
交通局の本部長を演じるのはウォルター・マッソー(『突破口!』、『がんばれ!ベアーズ』)。
そして列車強盗のリーダーはロバート・ショウ(『スティング』や『ジョーズ』)ときた。
もはや平成生まれをドン無視した70年代まる出し俳優2人の夢の共演!
まぁ、私はゴリゴリの平成生まれだけど実質的には昭和の人間です。「実質ってなんだ」と言い返されたらぐうの音も出ないのだが。
70年代のハリウッド大作を彩ったウォルター・マッソー(左)とロバート・ショウ(右)。
すこぶるどうでもいい話をちょっとする。
私が『サブウェイ・パニック』を観たのは今回が初めてなのだけど、今までずっと「すでに観た」と思い込んでいたんだよ。
どうしてだと思う?
まあまあ気になるでしょう?
『マシンガン・パニック』(73年)と勘違いしていたんだねぇ。
こっちもウォルター・マッソーの主演作だし。おまけに『サブウェイ・パニック』の翌年に『マシンガン・パニック』に出ているのだ。
俺の頭がパニックだよ!
この世にはややこし邦題問題というのが未だ解決されずに横たわっているわけです。
スティーブン・セガールの沈黙シリーズは「もうそういうもの」だからいいとして、法廷モノとかクソややこしいよね。
『評決』(82年)
『評決のとき』(96年)
『告発』(95年)
『告発の行方』(88年)
『真実の行方』(96年)
ひどくややこしい上に、なんのヒネりもないというか、事務的で淡泊な感じがする。「伝えることは伝えましたからね!」みたいな。もうちょっともう…、ぬくもりを込めなよ。
あとアラン・ドロンの映画もひどいですよ。『太陽がいっぱい』(60年)がヒットしたからといって『太陽はひとりぼっち』(62年)とか『危険がいっぱい』(64年)とか『太陽が知っている』(68年)とか…、なに主語と述語の両方にあやかっとんねん。
法廷モノのスチールは大体黒い。
◆風邪っぴきのくしゃみフェスティバル◆
いらんこと喋って脱線しすぎた。鉄道だけに。
話を戻そう。
往々にして鉄道映画とは男臭い作品ばかりで、私のように知性溢れる品行方正な紳士とか、芸術と刺繍を愛する清らかな淑女のみなさんには少しく抵抗があるかもしれないが、案ずるには及ばない。
本作は、乗っ取られた地下鉄にウォルター・マッソーが「マッソー!」と叫びながら単身突撃して力ずくでテロを全殺しにするような筋肉映画ではない。あくまで管制センターにいる交通局本部長のマッソーが、無線越しに「マッソ…?」などといって慎重に犯人側と交渉を進めていくという心理戦が丁寧に描かれてゆくのだ。
刻々と近づくタイムリミットの中で、じりじりとした駆け引きの応酬が続く…。
管制センターから犯人と交渉するマッソー。シャツの襟がおしゃれ。
乗客をマシンガンで威嚇するロバート・ショウは、悪魔のような口調でマッソーに言う。
ショウ「1時間以内に100万ドルを用意しないと人質を殺すでショウ」
マッソーはニューヨーク市警や公安局を指揮し、事態の収拾にあたりながらショウの要求を呑む。
マッソー「わかった。今すぐ100万ドルを用意しマッソー」
だが100万ドルもの大金、おいそれと用意できるものではなく、ニューヨーク市警の皆さんは「新札はダメで、連番もダメで、1万ドルずつ輪ゴムで留めろって…、要求が細かすぎて腹立つ」といって大いにモタつく。
ショウ「遅いぞ! いつになったら100万ドルは届くんでショウ!?」
マッソー「すんマッソーん。すぐ持っていきマッソー」
すると、マッソーとやり取りをしているショウの後ろで強盗一味のヘクター・エリゾンドがくしゃみをした。
ヘクター「ヘッ…ヘックター! あ"~おらぁぁー」
マッソー「お大事に!」
ヘクターは風邪を引いていたのだ。ちなみに地下鉄ハイジャック事件に東奔西走するニューヨーク市長のリー・ウォレスも風邪を引いていて、「リ…、ウォレス!!」なんつって盛大にくしゃみをする。お大事に。
どうして風邪っぴきがこんなに多いんだ?
地下鉄テロよりも風邪の方が心配になってしまう。
身代金の準備に手間取るマッソーに業を煮やしたショウは、ついに人質に銃を向ける。
ショウ「約束の時間はとうに過ぎたので人質を殺しまショウ」
マッソー「マッ、ソー言わずに…!」
またしてもショウの後ろで「ヘッ…ヘックター! あーぉるあ"ァァァァ」とくしゃみをして、4メートル先まで飛沫をとばすヘクター。汚ねえな、こいつ。
マッソー「お大事に!」
マッソー優しいな。
風邪大流行からのくしゃみ大連発映画。大惨事である。
ようやく身代金の受け渡しがおこなわれ、電車を降りたショウの一味は人質に向かって「じゃあ、ショウいうことで!」といってまんまと逃亡したが、一人また一人とニューヨーク市警によってバンバン射殺されていく。だが一人だけ逃げおおせた強盗メンバーがいた…。
風邪っぴきのヘクターだ。
ヘクター、てめえ! くしゃみしかしてないのに一人だけ逃げおおせるって、どういうことだ!
そして『サブウェイ・パニック』といえば未だに語り草になっているラストシーン。アッと驚く方法でクシャラーのヘクターが逮捕されるのだが、そのヒントは「くしゃみ」にあった!
このラストシーンに至って、やけに風邪っぴきが多かったり、やたらとくしゃみを連発していた「意味不明の演出」の謎が一気に氷解するのだ。その仕掛けがとてつもなく洒落ていて。
くしゃみ一発で、かくも鮮やかに事件解決へと至る見事な幕引き。これぞ粋。これぞくしゃみ映画の金字塔。
画像だけ出してもネタバレにはならないだろうから、最後のショットだけ引用したい。
ラストシーンを飾るウォルター・マッソーのいやらしい上目遣いに、観る者は思わず「あ~~~~!」という感嘆詞を漏らすだろう。
その理由は語るまい。是非あなたの目で確かめまショウ!
マッソー、畢生の芝居。