シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

デス・ウィッシュ

シンプルな話だ。悪党は死ぬべき!

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2018年。イーライ・ロス監督。ブルース・ウィリス、ヴィンセント・ドノフリオ、エリザベス・シュー。

 

警察すら手に負えない無法地帯となったシカゴで救急患者を診る外科医ポール・カージー。ある日、ポールの家族が何者かに襲われ、妻は死に、娘は昏睡状態になってしまう。警察の捜査は一向に進まず、怒りが頂点に達し、復讐の鬼となったポールは自ら銃を取り、犯人抹殺のために街へと繰り出す。(映画.comより)

 

おはようございます。ちょっと用事があるので前置きはナシの方向でよろしくお願いします。毎回毎回書いてられるかよ!

本日は『デス・ウィッシュ』ですね。がっつり語っております。

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◆まずは『狼よさらば』の話から◆

ブライアン・ガーフィールドの小説『Death Wish(邦題:狼よさらば)』イーライ・ロスが二度目の映画化。

一度目の映画化はチャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』(74年)で、こちらは「Death Wishシリーズ」として5作まで続きブロンソンの代表作となった。

このシリーズにはちょっとうるさいですよ、私。

 

『狼よさらば』『ダーティハリー』(71年)と並んでビジランテ映画の嚆矢とされる重要作である。ビジランティズム、すなわち自警主義とは「法で裁けない悪人はオレが裁く!」という私刑のことね。

『狼よさらば』『ダーティハリー』が公開されたときは「警察が役に立たないんだから個人が裁いてもいいだろ! 悪党は死ぬべき!」という支持派と「うんにゃ、だからといって法を無視するのはよくねえだ。警察に任せるべきだべ!」という否定派が激しい論争を繰り広げて社会問題になったが、その直後にマーティン・スコセッシが『タクシードライバー』(76年)を撮ったことで「悪党は死ぬべき!」というムードが流れてビジランテ映画が確立した。

生粋のビジランテ映画マニアである私の意見も、当然…

悪党は死ぬべき!

その精神は今なお受け継がれており、近年では『狼の死刑宣告』(07年)『狼たちの処刑台』(09年)といった優秀なビジランテ映画が製作されているし、その勢いは『ダークナイト』(08年)『パニッシャー』(04年)のようなアメコミ映画の姿を借りながらも波及している。もちろん『処刑人』(99年)『キック・アス』(10年)もその系譜。『マッドボンバー』(72年)も忘れてはいけないよ!


『狼よさらば』という映画を一言でまとめるとマンダムおじさんが街のダニどもを殺しまくるというだけなのだが、よくよく見ると怖い映画なのである。

人民はやがて悪党を殺してくれるマンダムおじさんをヒーローに祭り上げ、ついに「身を守るための自警主義」は「犯罪を根絶するための暴力賛美」と化してしまう。

さらに恐ろしいのは、妻を殺され娘を凌辱されたマンダムおじさんが、復讐のみならず世直しという使命に取り憑かれ、夜な夜な街のダニどもに正義の鉄槌をくだすうちに人を殺すことに快感を覚えはじめるのだ。わざと治安の悪い場所に行って悪党を挑発し、ナイフを出させたところへ銃弾をお見舞いする。もはや世直しという大義名分を掲げた単なる殺人者だ。

「自警」と「復讐」はどこで線引きするべきなのか? と問いかけた『狼よさらば』は、だから自警主義を肯定するビジランテ映画ではなく自警主義の是非を問うビジランテ映画なのである。

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う~ん、マンダム。


そしてこの度、我らがイーライ・ロスが現代版『狼よさらば』をお撮りなさった。

チャールズ・ブロンソンから「マンダム」を受け継いだ主演俳優は…

ブルース・ウィリス!!

ニコラス・ケイジと同じく近年ではVシネばかり出ていることでお馴染みの男ォー。

未だに「ブルース・ウィルス」と誤字されてウイルス扱いされてしまうことでお馴染みの男ォー。

アホ丸出しの筋肉映画に対して「中肉中背の冴えないおじさんがブツブツ文句を垂れながらもトンチを利かせてどうにかこうにか悪党を倒していく」という頭脳戦の面白さを見せつけた『ダイ・ハード』(88年)で筋肉の時代にピリオドを打ったことでお馴染みの男ォォォォォォォォ。

私はこの映画の主演がブルース・ウィリスと知ったとき、改めてイーライ・ロスに対して「あ、やっぱこの人わかってる」と思った。

きっと救いようのない監督ならリーアム・ニーソンを打診するはずだ。これは下策。

もう少しまともな監督であればピアース・ブロスナン、ジョン・トラボルタ、ケビン・コスナーあたりを打診するだろう。あるいは60歳を過ぎて急にアクション映画に出始めたデンゼル・ワシントンに声をかけるかもしれない。これが中策。

だがイーライ・ロスは、10年前に比べてずいぶん集客力が落ちたことも気にせず、あえてブルース・ウィリスを起用する。

これが上策!

それは後述!

韻を踏もうとしたけどダメだった。

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年々カメみたいな風貌になっていく男。


◆外科医のブルース・ウィリスに違和感おぼえまくり◆

外科医のブルース・ウィリスの病院に担ぎ込まれてきたのは愛する妻子だった。

外科医のブルース・ウィリスが「メス!」とか「オス!」とか言いながら病院でオペをおこなっている最中に、自宅に押し入った強盗集団が妻と娘に発砲したのである。

愛する妻は死に、大学入試に合格したばかりの娘は昏睡状態。外科医のブルース・ウィリスは手術のときに着用しているエプロンみたいなやつを剥ぎ取りながら「あぁクソ…。そんな…。なんてこった…」ブルース・ウィリスの日本語吹き替えでよく聞く三大ワードをぜんぶ言った。

ていうか、ちょちょちょ。ちょっと待て。

外科医のブルース・ウィリス?

しっくりこないことおびただしい。

来世が何回あっても外科医にだけはならないでしょ、この人。むしろ病院に担ぎ込まれる側、もしくは誰かを病院送りにする側の人であって、間違っても手術をおこなう側の人間ではない。ブルース・ウィリス流の「ヒトの救い方」は外科手術なんかじゃなくて地球に向かった小惑星に爆弾埋め込んでスイッチ押すんだよ! もろともな!

兎にも角にも「外科医のブルース・ウィリス」がパワーワードならぬパワービジュアル過ぎて開幕30分は随分うろたえた。ビビるぐらい似合わない。


そんな似合わなウィリスが顔も知らない強盗集団を特定して復讐の銃弾を浴びせていく…というのがおおまかな中身。

これまでに百万回ぐらい作られてきたハード・リベンジ・アクションの類型かと思いきや、冒頭では銃社会アメリカが自らに警鐘を鳴らすところから始まる。

慌ただしく胎動するシカゴの街並みを映しながら、銃による死亡者がラジオで毎日読み上げられる。そして似合わなウィリスの家族は護身用の銃を持たなかったために強盗を撃退する術もなく撃たれてしまった。捜査に難航する警察に業を煮やした似合わなウィリスは、チンピラが落とした拳銃を偶然拾ったことから復讐心に火がつく…。

「悪党は死ぬべき!」

世界一クールな「べき論」である。

ここからの展開はノリノリで、殺る気満々のノリノリウィリスが銃の扱いに慣れるために射撃や組み立ての練習をする。銃専門店でウィンドウショッピングをしながら「ほっほーん」と呟くといったシーンもある。

このシーンで流れるのがAC/DCの「Back in Black」

世界で2番目に売れたアルバムのリード曲(ちなみに世界一売れたアルバムはマイケルの『スリラー』。この曲を知らないのはアジア人だけで、欧米人なら首をタテにガックンガックン振るような至上最高のロックンロールだ(記事の最後に動画載せてっから絶対聴けよ!?)。

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銃専門店でウィンドウショッピングを楽しむブルース・ウィリス。


こんな調子で、あれよあれよという間に「銃社会への警鐘」は「銃社会の推進」へとすり替えられてしまう。

ノリノリウィリスはYouTubeで「銃の撃ち方講座」の動画を見ながら熱心に勉強するし、銃専門店の姉ちゃんは初心者向けの銃について丁寧に解説してくれる。

さらには、復讐ついでに街のダニどもを殺して回るノリノリウィリスが、やがてメディアやSNSを通して「死神」の渾名でダークヒーローとして祭り上げられるように。ダニ殺しを追う敏腕刑事にマークされながらも咄嗟の機転でゴマかし続けるが、結局は銃で問題解決したノリノリウィリスはお咎めなしで、刑事も「死神」の正体が彼と知りながらも見逃すことで大団円…。

映画全体が「銃を持っていれば何かあったときに安心だよね」というムードに流れていて、畢竟、武器保有の権利を守ろうとするトランプ政権応援映画と化すのである。

見様によっては共和党のプロパガンダ映画とも言えるし、実際『デス・ウィッシュ』は本国での公開間際に起きたマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件と関連づけて厳しく批判されてもいる。

「映画に政治は持ち込まない」が信条なので私個人の意見は控えるが(映画評と関係ないので)、先述した通り『狼よさらば』は自警主義を肯定するビジランテ映画ではなく自警主義の是非を問うビジランテ映画だからこそ意義深いわけだが、本作では自警主義のみならず銃の所持をただ肯定しただけの映画になっていて、ずいぶん単純化されちゃったなー…という印象。そこはちょっとガッカリね。

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何かあるとすぐパンパン発砲するブルース・ウィリス。こんな外科医がいるか!!


◆イーライ・ロス絶好調◆

事程左様に物語論としてはやや問題のある作品かもしれないが、映画は映画論で判断されねばならない。それで言えば『デス・ウィッシュ』は非常にすぐれた映画である。

イーライ・ロス、絶好調!!

やがて殺される運命にある妻エリザベス・シューと、一命は取り留めるもののやはり発砲されてしまう娘カミラ・モローネの人柄の良さ、あるいはウィリス家の日常を幸せたっぷりに描く第一幕の底意地の悪さ。このほんわかした日常をいつまでも見ていたい…と思わせたところで強盗の魔の手が伸びるわけだ。これぞイーライ・ロス。

夜間救急に出た夜勤ウィリスを驚かせるためにキッチンで誕生日ケーキを焼くエリザベス・シューが家のなかに何者かの気配を感じ取るシーンが絶品なのは、三流映画がよくやるように強盗の影が横切る瞬間を目撃したからではない。

まず最初にケーキのレシピ本が一人でにパラパラとめくれ、次に近くの窓が開いていることに気づいたエリザベス・シューが窓辺に近づいて外の様子を確認する。次の瞬間に背後から銃を付きつけられて楽しいケーキ作りは急転直下の地獄と化すわけだ。

この画運びの巧さは「本がめくれる」という凶兆のショットを入れたことと、その凶兆が開いた窓から入ってきた風によるものということをロジカルに提示してみせた点にある。

今こそ言うが、イーライ・ロスがやっていることはホラーではなくサスペンスだ。

本、窓、風。この3つのモチーフを使っていとも容易く緊張感を演出してみせるイーライ・ロスの映画術に「だから観てしまうんだよな」と。

これがあるからイーライ・ロスはやめられねえ。

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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのエリザベス・シューであります。


ダニ殺しの際に怪我をした左手を刑事に気づかれまいとして隠す所作、あるいはクラブの個室トイレに強盗犯がいると踏んでドア越しに銃弾を撃ち込んだあとの開閉のサスペンスは言わずもがな、ポケットの活用をはじめ、ボウリングボール、収納棚、服のタグといった小道具を使って小さなサスペンスをジャブのように散りばめる鮮やかな手つき。

もちろんイーライ・ホラーには不可分の拷問シーンもあるで!!

趣味を度外視して技術性だけを見ればイーライ・ロスの最高傑作にして集大成だろう。

元の『狼よさらば』のマイケル・ウィナーなど雑魚同然『狼よさらば』は物語論として優れているのであって、映画としてはあくまで中の下。ファンゆえに認めたくはないのだが…)

また、フードを被ったミステリアス・ウィリスという視座から見ても『アンブレイカブル』(00年)を凌駕している。シャマランも実は相当巧い作家だけど。


正直言って、これまでの私は宇多丸フォロワーが絶賛するほどには大した作家ではないと思っていたし、『キャビン・フィーバー』(03年)『ホステル』(06年)『グリーン・インフェルノ』(13年)もすべて凡作と断じたほどイーライ・ロスのことをナメていたわけだが、前作の『ノック・ノック』(15年)で見る目が変わり、今回の『デス・ウィッシュ』に至って…やはりこう思わざるを得ないのである。

だから観てしまうんだよなって。

同年に製作した 『ルイスと不思議の時計』(18年)は過去最低作だったが、少なくともその原因が実力不足ではないことだけはこの『デス・ウィッシュ』が身をもって証明してくれている。銃規制の声が高まる現代にビジランテ映画をブッ込む勇気も併せて評価したい。

そして着々とメジャーに復帰しつつあるブルース・ウィリス(64歳)。

アンタこそ「Back in Black」だ!


オレは戻ってきた

そうさ 戻ってきたんだ

とにかく戻ってきた

暗闇に帰ってきた

俺はこうして楽しんでるぜ

調子に乗るな

道をあけろ

 

AC/DC「Back in Black」

最強のリフ。それに尽きる。

 

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