シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

さらば愛しのアウトロー

明日に向って撃つ男、なお逃亡中。

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2018年。デヴィッド・ロウリー監督。ロバート・レッドフォード、ケイシー・アフレック、シシー・スペイセク。

 

1980年代初頭からアメリカ各地で多発した銀行強盗事件の犯人であるフォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)は、15歳で初めて投獄されて以来、逮捕、脱獄を繰り返していた。彼は発砲もしなければ暴力も振るわないという風変わりなスタイルを貫き、粗暴な強盗のイメージとはほど遠い礼儀正しい老人だった。(映画.comより)

 

皆さま、おはようございます。ふかづめ人生相談室のお時間です。

第二回目のゲスト……ゲストっていうかお悩み相談者は岐阜県にお住まいの「宝島」さんです。

 

Q. ふかづめさん、こんにちは。いつも楽しいレビューをありがとうございます。

さっそく相談なのですが、耳の中に虫がいます。

一週間ほど前に右耳の中に入ってきて、それからずっといます。耳鼻科にも行きましたが「いますね」と言われて、それきりです。そう悪い虫ではないらしいのですが、やはり気になります。ふかづめさんにはこういう経験がありますか? もしあれば、どのように解決したのか知りたいです。

 

A. 「右耳の中に虫がいる」と思うから気になるんです。左耳にも入れてしまいましょう。つり合いが取れます。

 

はい。というわけで本日は『さらば愛しのアウトロー』。気合いを込めて書きました。

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◆さらば、愛しのレッドフォード◆

言うまでもなく『明日に向って撃て!』(69年)の変奏である。

本作を以て俳優を引退すると明言したロバート・レッドフォードが満を持して銀行強盗を演じると聞いたとき、あるいは指で象った拳銃からクリント・イーストウッドへのテレパシーが放たれたとき、われわれは何を感じるか?

そう、幸せだね。

この映画がほとんど無条件で人を幸せにしてしまうのは、映画愛好家がほとんど無条件で郷愁を駆り立てられる70年代アメリカ映画の空気をたらふく吸い込んでいるからにほかならん。

70年代アメリカ映画といえば当然のごとくニューシネマの季節だったわけで、いわば本作はレッドフォードが一人きりで明日に向って撃つ話。

奇跡的に生き残ったサンダンス・キッドが81歳になってもまだ銀行強盗を繰り返してた…みたいなバカげた世界線の話が真剣に映画化されており、まるで何かの間違いで“オレたちの妄想”が本当に映画になってしまったような錯覚(すなわち幸せ)へと人を招き込むのだ。

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ロバート・レッドフォード…ハリウッド最強の色男。「ほぼブラッド・ピットじゃん」と言われるが、違う、ブラッド・ピットがレッドフォードなのだ。

『明日に向って撃て!』(69年)『スティング』(73年)『華麗なるギャツビー』(74年)『大統領の陰謀』(76年)『愛と哀しみの果て』(85年)など代表作は数知れず。監督・製作もおこない『普通の人々』(80年)ではアカデミー賞作品賞を含む4部門をさらった。また、『明日に向って撃て!』で自身が演じたサンダンス・キッドから名前を取り、すぐれたインディーズ映画の発掘を目的に「サンダンス映画祭」を設立。ジャームッシュ、タランティーノ、コーエン兄弟、ソダーバーグらを有名にするなど業界貢献度No1俳優である。

 

現に、レッドフォードと恋仲になる女性を『地獄の逃避行』(73年)でヒロインを務めたシシー・スペイセクが演じており『キャリー』におけるキャリーである)、二人がデートで入った映画館にはモンテ・ヘルマンの『断絶』(71年)が掛かっていた。ニューシネマへの郷愁がスクリーン全域に充満している。

そんな“時代の逆行”を最もシンプルに謳っているのがフィルム撮影だ。「せめてレッドフォードぐらいフィルムで撮らないとバチが当たる」と言うようなフィルム時代への畏敬。その徹底ぶりこそが畏敬!

監督のデヴィッド・ロウリー『セインツ -約束の果て-』(13年)『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(17年)でルーニー・マーラを使い倒した1980年生まれの俊才だが(ちょっとした海賊みたいなナリをしている)、70年代の米映画には相当の思い入れがあるようで、毎作何かしらの70s映画に対する目配せを仕込んでいる。今回はレッドフォードの引退作を請け負うということでわれわれ以上に幸せを感じている模様。

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ちょっとした海賊。

かつてはハリウッド切っての二枚目として鳴らしたロバート・レッドフォードも81歳(現在83歳)。顔はヨボヨボのクチャクチャで、シワに水でも垂らせばかなり複雑な流路形状ができるだろう。

そんなレッドフォードが引退作で演じたのはフォレスト・タッカーという実在の犯罪者だ。

タッカーは生涯に渡って90回以上の銀行強盗を繰り返し、18回も刑務所を脱獄した強盗の鑑である。入獄5回につき1回脱獄している計算になる。ショーシャンクの空も真っ青だ(2004年、83歳の若さで惜しまれながらも死亡)。

不思議なことに、タッカーに金を渡した銀行員たちは、異口同音に「とても優しくて紳士的な人だった。抱かれてもよい」、「脅されてない。お願いされただけだ」、「とても幸せそうだったわ。私もあんな風になれたらな♪」と刑事に語ったという。

銀行員から絶賛された銀行強盗という前代未聞の評価軸をぶっ立てた男。

まさにレッドフォードにはお誂え向きの役だったといえる。

コートの中の拳銃をちらり見せたるレッドフォードは、まるで少年のように朗らかな笑顔を湛えて「このバッグに現金を詰めてほしい」とフレンドリーにお願いする。怯えて泣きだした女性行員を「キミは本当によくやってるよ」と慰めると、たちまち涙を拭って俄然奮起した女、「やば…、好きかも。この紳士のためにもっと素早く金を詰めねば! ほら、こんな具合に。しゅっ、しゅっ、しゅっ!」と、まるで何かに取り憑かれたように金詰め作業に精を出す(彼が銀行を去るときにはウットリしながら見送る始末)。

そんなわけで、誰ひとり傷つけることなく生涯400万ドル以上もの大金をせしめた老人の鮮やかにして爽やかな強盗=青春が伸びやかに描かれた93分の小品。

無条件の幸せに浸るには93分はあまりに短い。

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ルパンさながらに心まで盗む優しき強盗。ジジイなので「黄昏ギャング」とメディアに呼ばれた。

 

◆人生ランナウェイ。その逃げっぷり

かつてこの強盗を逮捕した刑事は「もっと楽な人生を送れたはずだ」と言うと、彼はニコリと微笑んで「楽な人生などいらない。楽しい人生が送りたいんだ」と言った。

パトカーとのカーチェイスに始まるファーストシーン。危機的な状況にも関わらず、助手席から捉えたレッドフォードの横顔はとても和やかで、薄っすらとした笑みすら湛えていた。まるで鬼ごっこに興じるワルガキのように「すべてはゲームさ」という悪戯じみた視線を洒落の通じぬパトカーに向けていたのだ。

これが彼のとっての“楽しい人生”なのである。自分を捕まえようとする者から逃げ続けるスリル。あまりに刹那的な生き方、即物的な快楽。すなわちアウトローへの憧憬だ。その憧憬は取りも直さずロバート・レッドフォードのキャリアに照射されている。この男は数多くの出演作で逃げ続ける役を演じてきたのだ。

『明日に向って撃て!』のほか、『ホット・ロック』(71年)『スティング』(73年)『ランナウェイ/逃亡者』(12年)などでも脱獄したり強盗したり金をちょろまかすようなアウトローを演じている。

イーストウッドがチェイサー(追跡者)なら、レッドフォードはランナー(逃亡者)なのだ。

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逃げる81歳。

 

無理にイーストウッドと比較する必要はないが比較した方が面白いのでさらに論考を進めていくと、追うという行為はきわめて政体的だが、逃げるという行為はただの本能であるという結論に行き着く。

レッドフォードが強盗を繰り返す一方、クロスカッティングで描き出されるケイシー・アフレックは情熱も哲学も生き甲斐もなく日々惰性で事務作業をこなすだけの三下刑事だ(まさにカラッポ俳優としてのケイシーそのまんま)。

だが、レッドフォードが襲った銀行にたまたま居合わせたことで「あの野郎を捕まえるのは俺だ」という宿命に取り憑かれ、妻や子供たちの応援を受けながら、あるいはFBIに指揮権を奪われそうになりながらも一世一代のガッツを見せる。ケイシーにとってのチェイスは自己実現であり名誉挽回であり出世の好機なのだ。人生が懸かってる。

だが、何も懸けずしてランナー足り得てしまうレッドフォードは追われたいからという理由だけで逃げ続ける。彼はたったいま奪ってきたばかりの金を「いらね」とでも言うように家の地下にポイポイ投げ捨てては再び強盗計画に着手するのだ。レッドフォードとチームを組んでいるダニー・グローヴァートム・ウェイツも動機は同じ。追われるために強盗を繰り返すのである。柔らかな笑顔で。

まさに『ワイルドバンチ』(68年)ならぬマイルドバンチとは言えまいか。

『イージー・ライダー』(69年)ならぬイージー・ランナーとは言えまいか。

この「ロマン」という限りなく言い訳がましい誇張法でしか擁護しえない無意味すれすれの青春譚こそがニューシネマなのだ。よろしくお願いします…!

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兄ベン・アフレックとその親友マット・デイモンから事あるごとに役を譲ってもらってる愚弟ケイシー・アフレック

 

そんなレッドフォードが、パトカーとのチェイス中に道路の真ん中でエンストして立ち往生していたシシー・スペイセクと出会う。彼女の車に乗せてもらったことでどうにかパトカーを欺き、二人で向かったダイナーで自分が銀行強盗であることを告げるが、彼女は「またまた」と一笑に付したので、彼も「冗談さ」と微笑んでコーヒーを口を運んだ。

ここでのまろやかな大人の会話がいい。大スターでありながら低予算映画の出演・製作・支援に情熱を傾けてきたレッドフォードとその関連作特有の小さな味わいがクリープのように広がっている。このシーンでわれわれは何を感じるか? 幸せだね!

クリープの役割を担ったのはシシー・スペイセクだ。

過去の出演作では頭から豚の血をかけられたり、トラクターの下敷きになったり、父親を殺されたり、息子を殺されたりと踏んだり蹴ったりな目にばっかり遭ってきた薄幸女優だが、68歳にしてようやく安寧を手にし、穏やかな笑みを浮かべることに成功していたわ。スペイセクのまったりとした雰囲気がニューシネマ的な息苦しさを薄め、ドラマ全体を甘く香ばしい匂いで包んでいる。

二人はたちまち恋仲になるが、やむにやまれぬ衝動から強盗を続けてしまうレッドフォードと、その正体に薄々勘づき始めたスペイセクの戸惑いが鋭い感覚で切り取られてゆく。といっても、スペイセクがショックを受けて別れを切り出したり、強盗をやめるよう涙ながらにレッドフォードを説得するような大作主義的メロドラマには脇目も振らない。なにしろ夫を亡くした悲しみを「7分間にも及ぶパイのドカ食い」で表現したデヴィッド・ロウリーなので、通り一遍のドラマ演出とはおそろしく無縁なのだ。さすが海賊監督といえる。

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シシー・スペイセクが可愛い!

 

◆本当はブルーフォード◆

意識すまいとは思ってもチラついてしまうのはイーストウッドの『運び屋』(18年)だ。

どちらも犯罪を重ねる耄碌ジジイの伝記映画。慌ただしい現代人を「少し落ち着けよ」と窘めるように、彼らの運転は異常にノロい。追跡者とのクロスカッティング。ヒロインは共にまったり系!

このようにやたらと共通点が多いが、唯一と言っていい違いは三下刑事のケイシーが夜のダイナーでレッドフォードとばったり出くわしてしまう場面だ。『運び屋』での麻薬取締局のブラッドリー・クーパーはダイナーで出くわしたイーストウッドが標的だと気付かなかったが、ケイシーは不意に背後から話しかけてきた身なりのいい老紳士が何者であるかを瞬時に理解した。レッドフォードは何故わざわざこの刑事に話しかけたのか。先にも述べたが、追ってほしかったからである。だがケイシーは、あえてその場で逮捕しなかった。それが分かっていたからこそレッドフォードも彼に話しかけたのだ。

もちろんこのメルヴィル的、あるいはアンリコ的とも言えるブロマンスはニューシネマが過剰摂取してきたものです。『真夜中のカーボーイ』(69年)『スケアクロウ』(73年)『さらば冬のかもめ』(73年)…。

他方、ドン・シーゲルの薫陶を受けたイーストウッドは、『ダーティハリー』(71年)というニューシネマ作品を残しながらもその対岸から渇いた視線を向けていた。

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自分からケイシーに話しかけに行くレッドフォード。大人の余裕!

 

そんなわけでニューシネマ愛好家には垂涎モノの作品だが主役はあくまでレッドフォードです!!!

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(14年)の数少ない欠点のひとつはレッドフォードに馬鹿みたいな灰色のスーツを着せたことだが、さすが青大好き野郎のデヴィッド・ロウリー、ちゃんと青や紺でレッドフォードを包んどります。

名前にレッドが入ってるけどレッドフォードは青なの!

本当はロバート・ブルーフォードと呼ぶべきなんだよ。本当はね。

スペイセクとのプライベートタイムでは紺のスーツ、仕事時には茶色のコートという使い分けは他の出演作にも共通しているが、とりわけ参照したのは『ブルベイカー』(80年)だろう。レッドフォードが刑務所に入る映画である。

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本当はブルーフォードとしてのレッドフォード。

 

また、さまざまな銀行の前に車を停める同一構図のショットを車の動きだけ少しずつズラしながら繋ぎ合わせることで過去の強盗歴が一連の動きの中で簡略化されているぅぅぅぅぅぅぅう、といった技術論を果てしなく語りたい気持ちを抑えつつ、あえて一つだけ美点を挙げるとすれば、やはりロバート・レッドフォードへと向けられたカメラである。

シシー・スペイセクやダニー・グローヴァーらがレッドフォードとの共演を心底楽しんでいるのはビシビシ伝わるが(いつもボーっとしているケイシー・アフレックだけは無感動だった)、カメラまでもがこの81歳の老人に惚れ抜いてしまい、やたらな接写をその身に禁じるという“敬意”に満ち溢れていた。自然光に角度をつけることでものすごく若く見える瞬間を随所に潜ませたあたりが憎い。憎いよ!

「あっ、70年代のレッドフォードだ」、「今のは90年代。こりゃ『スニーカーズ』(92年)の頃かな?」、「もうブラピじゃねえか!」などと全レッドフォードリアンを年代別顔当てクイズに巻き込む謎のコーナーが水面下で進行する新感覚バラエティとしての『さらば愛しのアウトロー』。幸せに包まれていたなぁー。

 

なお、引退表明したレッドフォードは、この映画のインタビューで「心を惹く企画があればまた戻ってくる」早くも復帰の可能性を仄めかしている。

ズコーッ!

ズココーッ!!

いや、別にいいんだけどさ…。こっちも有名人の引退詐欺には慣れてるので真に受けていたわけではないし。なんならイーストウッドも『グラン・トリノ』(08年)で一回やっとるからな。

…にしても早くない?

引退作だっつってんのに、そのインタビューで早くも復帰をチラつかせる男。さすが、レッドフォードという名前なのにブルーをこよなく愛しただけの事はある。この二枚舌っぷり。

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偉人はみんな嘘つきだ。

 

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