ぜんぜん七面鳥が焼けない話。
2003年。ピーター・ヘッジズ監督。ケイティ・ホームズ、パトリシア・クラークソン、オリヴァー・プラット。
仲の悪い母親がガンで余命わずかだと知ったエイプリルは、感謝祭に初めて家族をニューヨークの自分のアパートに招待する。彼女は七面鳥を料理し始めるが…。(Yahoo!映画より)
ヘイみんな。夢見てる?
僕は昨日、巨大なアメンボと戦う夢を見ました。ちなみに負けました。水のフィールドで戦っても勝てるわけねえっつーの。だから厳密には巨大アメンボと戦う夢っていうか、8割方はただ溺れてるだけの夢でした。
そんなわけで本日は『エイプリルの七面鳥』です。そろそろ何か特集記事を書かないとな、と思ってます。
◆「話ややこしくさせ」には共鳴できるエイプリルシーケンス◆
感謝祭の日に郊外に住む家族が会いにくるというので、彼氏に叩き起こされたエイプリルが朝から料理の準備に取りかかる。見上げた奴である。
映画は、家族5人が車に乗って娘のアパートに向かう道程と、オーブンが壊れたことでアパートの住人に助けを求めるエイプリルのドタバタ劇を交互に見せ続ける。
仲の悪い母親がガンで余命わずかと知った彼女は、母のためにロースト・ターキーを振舞おうとして生まれて初めての料理と格闘するのだが、まったく思うようにはかどらない。
オーブンは故障するわ、管理人は留守だわ、オーブンを貸してもらおうとアパート中のドアを叩いて回るが半狂乱やベジタリアンの住人ばかりで埒が明かない…。
観ている最中、個人的な経験と重なって非常にやきもきした。
「小さな問題を解決したいだけなのに、なんでこんなややこしい事になるの?」という苛立ちである。わかるよ、エイプリル。
僕もね、エアコンが故障したときやパソコンが不調をきたすたびに必ず業者と揉めるんだよ。物が壊れる、業者が直す、マネーを払う。ただそれだけのことなのに「いっそ買い直した方が早くない?」っていうぐらい、なぜか雪だるま式に話がややこしくなっていって心身ともに消耗してしまうんだ。
だから、たかがオーブンの故障ごときに振り回されてクッタクタになるエイプリルの心中は痛いほど分かるつもりだ。
たぶん俺たちは不器用というか、問題解決能力が異常に低いのだろう。
この世には、俺やエイプリルのように「話ややこしくさせ」と呼ばれし人種がいるわけです。簡単なことをなぜか複雑にしてしまうというか。例を挙げるために「エアコンが故障した話」をしたいけど、それを話し出すと正確に1738文字かかるので割愛します。
◆「合理移動術」実践者には少々キツい家族シーケンス◆
一方、エイプリルのアパートに向かう車も着きそうで着かない。
母親と次女は不良娘のエイプリルを嫌っているが、父親はこれが家族全員がそろう最後の晩餐だからと女性陣をなだめる。長男はなんの立場も主張もなくビデオカメラで皆の様子を撮ってるだけの撮影係。祖母は完全にボケている。
ガンの母親は道中で何度も車を停めさせてトイレで吐くのだが、この嘔吐休憩のたびに「やっぱり帰りましょう」と次女が言いだしたり、機嫌を損ねた母親がどこかへ走って行ってしまうので、一向に目的地に到着しないのだ。
観ている最中、個人的な経験とまったく重ならなかったので、それはそれでやきもきした。
私は脇目もふらずに最短距離と最短時間で目的地をめざす合理移動術の実践者なので、ダラダラ寄り道をしたりチンタラ歩くという弛緩した身振りが許せない、スーパーせっかち人間なのである。
普段、歩くときも早足というか小走り寸前だしね。
だから、毎年40万人もの人民がゾンビよりもノロノロ歩く地元の祇園祭は発狂地獄でしかないし、ファンタヘッドみたいなおばはんが改札の前で立ち止まって「切符、切符…」とか言ってると「前もって用意しとかんかい」といって後ろからシバきたくなっちゃいます。
なので、もし私がこの家族の車に同乗していたらキレすぎて憤死するだろうなぁ。
本作は、別々の場所で起きているエイプリルと家族のストーリーがラスト手前までひたすら描かれていく。家族全員が揃うまでの物語なのだ。
◆本当の意味でのヒューマンドラマ◆
何気ないシーンの細部に目を向けると、そこには麻薬、貧困、難病、人種差別といった
暗いテーマが通底しているが、あくまで表面上はとても温かくてユーモア精神溢れる映画であり、そのバランスの妙に感心しました。
人間の美しい面を見せることがヒューマンドラマだと勘違いしてる映画が多いけど、本来は逆ですからね。人間の醜い面をえぐることでその底部にほのかに輝く美しさを掬い取るのがヒューマンドラマですから。
登場人物がみんな善人で無償の愛を与え合う映画など、私に言わせればホラーである。気味が悪ィよ!
そんなわけで『エイプリルの七面鳥』は本当の意味でヒューマンドラマです。
エイプリルが七面鳥の腹に詰めたのは食材ではなく母への感謝。オーブンで熱したのは家族への愛なのでした…(感動してね、このフレーズに)。
低予算丸出しのインディーズ映画だが、鑑賞後の満足度はくだらないハリウッド・メジャーの比ではない。えらく費用対効果の高い映画である。
本作はビデオ屋でよく見かけた作品だが、パッケージがダサくてキッチュだったので「おととい来やがれ!」と言ってスルーしていたのだが、ちゃんと観てよかった。
最後にキャスト紹介を。
◆没落主演女優と素晴らしきバイプレーヤーたち◆
主演のエイプリルを演じたのは、今やすっかり没落女優となったケイティ・ホームズ。
ケイティ・ホームズといえば、嫌でも付きまとうのは「トム・クルーズの2番目の妻」というイメージ。
皮肉にも、彼女のキャリアは「出演作の邦題」が雄弁に物語っている。
2006年にトム公と結婚したケイティは、彼が信仰しているサイエントロジーに入信したが、これは彼女が出演した『洗脳』(98年)そのもの!
女優としてはすこぶる不評で、彼女の芝居はことごとく大ブーイングを浴びたが、トム公の妻に相応しい女優になるべく、(1)トム公のコネを使わない、(2)出演オファーは質で選ぶ、(3)セレブを気取らない…というルールを己に課した。まさに『選ばれる女にナル3つの方法』(10年)。
だが2012年にトム公と離婚。「トム公の妻」という肩書きを失ったことで一気に世間からソッポを向かれたが、その苦悩をぶつけるように監督・製作・主演を務めたのが『私の居場所の見つけかた』(16年)。
もう、モロ。
モロすぎて悪意すら感じる邦題だよ!
『私の居場所の見つけかた』のポスターデザインは、完全に今のケイティの精神状態を反映させている。
がんばれケイティ! アン・ハサウェイから「トム公と結婚したことで有名になっただけの実力のない女優」と悪口を言われてるが、気にするな!
そんなケイティの母親を演じているのがパトリシア・クラークソン。
パパパパ、パトリシア!
キューティーとセクシーが同盟を結んだかのような犯罪的美魔女。
私の中ではローラ・リニーやヴェラ・ファーミガの系譜で、愛嬌のある妖婦というか…、それでいて知性と品性もまとった、だからハイクラスの美魔女ですよ。文法ぐちゃぐちゃでごめんなさいね。そのくらい好きなんです。
『アンタッチャブル』(87年)や『グリーンマイル』(99年)にも出演しているが、だいぶ脇役なのでたぶん誰も覚えてないでしょうね。俺も覚えてねえわ。
彼女の魅力が最もよく出ているのは、本作と『エデンより彼方に』(02年)。あと、珍しく主演を張った『カイロタイム 異邦人』(10年)ですか(観てないけど)。
まだまだ続くざんすよ。
父親役はオリヴァー・プラット。
『三銃士』(93年)や『エグゼクティブ・デシジョン』(96年)など、とにかく色んな映画に出ているバイプレーヤー。90年代以降のアメリカ映画好きなら絶対一度は目にしたことがあるはず。
ニクソン大統領をタテにギュッと押し潰したような顔面の持ち主です。
っていうかパトリシア・クラークソンの時から思ってたけど、バイプレーヤーの代表作を挙げるのって難しいよ!
代表作とはいえ、別にメイン張ってるわけじゃないからね。メインじゃないから、たとえ『エグゼクティブ・デシジョン』を観ている人でも「あー、オリヴァー・プラットってあの人ね」ってなりにくいんだよ! 思いきり脇役だから!
最後は次女役のアリソン・ピル。
ハーヴェイ・ミルクの伝記映画『ミルク』(08年)でのレズビアンの選挙参謀役や、『女神の見えざる手』(16年)でヒロインと喧嘩別れしたかに思えたものの実はヒロインにとって最後の切り札を演じたことでお馴染みの、前田敦子にも負けないぐらいの顔面センター。
だがアリソン・ピルといえば、やはり『スノーピアサー』(13年)だろう。
異常なテンションで白目を剥きながらピアノ弾いて歌いまくるイカレ女教師!
というわけで、素敵なバイプレーヤーたちを改めて見つめ直すにはもってこいの、ロースト・ターキーを食べながら観たい映画が『エイプリルの七面鳥』でした!
映画についてほとんど語ってない気がする。