シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

裏切り者

若き天才による『ゴッドファーザー』の現代的変奏。

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2000年。ジェームズ・グレイ監督。マーク・ウォールバーグ、ホアキン・フェニックス、シャーリーズ・セロン。

 

ニューヨークのクィーンズ区。仲間をかばって服役していたレオが晴れて出所。レオは女手ひとつで育ててくれた母のためにもまじめに人生をやり直す決意を固め、さっそく叔父フランクの経営する会社で仕事を始める。そこはニューヨークの地下鉄の修理などを請け負う大手企業。そこではレオの親友ウィリーも働いていて、将来フランクの片腕として期待される存在となっていた。ある日、レオはウィリーに連れられ地下鉄工事の入札に立ち会った。しかし、そこは政界をも巻き込んだ陰謀、汚職の巣窟となっていた。やがて、ひとつの裏工作が彼らの人生を狂わす事件へと発展する…。(Yahoo!映画より)

 

おはようございます。

昨夜、ハーレム・スキャーレムを聴いてノリノリの私、ハンハンハンハン言いながらレンジからスープを取りだした拍子に手を滑らせて思いきりぶちまけた。

あたり一面スープの海。おいしい匂い。

へぇ、と思ったね。

こういうとき私は「あっ」とか「ぎゃあ!」とか騒いだりしない。そもそも感嘆詞を口にしない。叫んだり取り乱したところで意味がないし、私は基本的に意味のない事をあまりしない。

なので内心「へぇ」と思って、そのあと表情ひとつ変えずに床を拭いた。一切はしめやかにおこなわれ、たらふくスープを吸い込んだ雑巾を黙って絞った。ことによると特殊清掃員になれるかもしれない。

そんな私を慰めるようにハーレム・スキャーレムがミディアムバラードを歌い出したが、個人的にはアップテンポの曲が流れてほしかった。こんな時だからこそ。

というわけで本日は『裏切り者』。裏切り者は誰なんだっていう意味内容の作品です。

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◆疑似家族犯罪劇◆

中堅と呼ばれる映画作家のなかで私が最も信頼しているのがジェームズ・グレイだ。

40代のアメリカ人監督のなかではダントツに巧いし、たぶん「映画とは何か?」という質問に答えることのできる数少ない人間の一人だと思う。

もっとも、グレイを真正面から観てしまうと巨匠と呼ばれることに胡坐をかいたマーティン・スコセッシだのリドリー・スコットだのといった怠惰な作家は首を吊るほかはないので、半ば政治的に黙殺されている気の毒な一流作家である。ジェームズ・グレイを認めてしまうことはアメリカ映画の「巨匠」を疑うことに等しく、いわばそれだけ事件的な才能を持ってしまった天才なのである。

また、同世代のウェス・アンダーソンやニコラス・ウィンディング・レフンほど派手な作風を持たないので、いまだ人口に膾炙することなく、作家主義の観点から論じている批評家も少ない。はらたつ。こうなったら私のような一部の映画好きがひたすら褒め倒すことで彼の名前を広めていくしかない。

未来の巨匠ジェームズ・グレイをどうぞよろしく。

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『リトル・オデッサ』(94年)『アンダーカヴァー』(07年)『トゥー・ラバーズ』(08年)『エヴァの告白』(13年)


さて。本作はグレイが2000年に手掛けた長編二作目。グレイ好きなのに見逃していたことに気づいて「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と騒ぎながら慌てて鑑賞した。

1年半の刑期を務めあげて真っ当に生きようと心を入れ替えたマーク・ウォールバーグを、やくざな商売をしているその親友ホアキン・フェニックスがよからぬ計画に巻き込んでしまう…といったハードボイルドな犯罪劇なのだが、ほかのグレイ作品同様に家族を軸としたホームドラマになっているぜ。

出所したマー公は実家に戻って母エレン・バースティンとともに新たな仕事を探す。エレンの姉フェイ・ダナウェイが鉄道部品会社を経営する夫ジェームズ・カーンにマー公を雇うよう口添えしてくれたおかげで無事にコネ入社することになるのだが、その会社の競争入札を一手に引き受けるホアキンは鉄道員を買収して電車に細工することでライバル会社を陥れるような邪悪な青年だった。

ホアキンは上司であるカーンの一人娘シャーリーズ・セロンとも交際しており、マー公とも無二の親友。いわば彼らはひとつの大きな家族なのだ。

マー公はそんなホアキンの汚れ仕事を手伝うようになるのだが、思わぬトラブルからホアキンが「フェニーックス!」と叫びながら駅員を殺めてしまい、マー公は警察に重傷を負わせてしまう。この事件を揉み消すためにさまざまな陰謀が交錯し、やがて二人は抜き差しならない状況に追い込まれていく…。

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今やドル箱スターのマーク・ウォールバーグ(左)と映画好きから支持されているホアキン・フェニックス(右)であります。


『ゴッドファーザー』の現代的変奏

大きな「家族」のもとにマー公とホアキンが「義兄弟」の契りを結んで「犯罪」の世界に足を踏み入れていく…というプロットは、グレイの次作にして途方もない傑作『アンダーカヴァー』(07年)でも繰り返されている。

『アンダーカヴァー』では警察一家に生まれたマー公が父(ロバート・デュバル!)の跡を継ぐように優秀な警察官となり、グレて家を飛び出したホアキンはやはりヤクザな商売に手を染めてしまう。まるで正反対の人生を歩む兄弟だが、父がロシアンマフィアに殺されたことで復讐という共通の目的のもとにひとつになる。

設定上は警察一家ということになっているが、そこで描かれている世界はモロにマフィア映画で、本作『裏切り者』にもその血は流れている。

おもしろいのは、家族の「父」にあたるのが本作ではジェームズ・カーンで、『アンダーカヴァー』ではロバート・デュバルだということ。言うまでもないがこの二人は『ゴッドファーザー』(72年)におけるコルレオーネ・ファミリーの一員である。現に『ゴッドファーザー』がチャラチャラした結婚祝賀宴に始まっているように、本作のファーストシーンもマー公の出所祝いと称したバカ騒ぎに始まっており、そこではもっぱら光の影の対比がおこなわれているのである。


つまりグレイが手掛けたこの二作は『ゴッドファーザー』の現代的変奏なのだが、それに伴う責任というか事の重大さも当然グレイは理解している。

『ゴッドファーザー』が影の映画であったように、本作もまた豊かな影がフィルムの全域に落としこまれているのだ。

夜の高架鉄道の明滅を受けてマー公とホアキンの貌がチラチラと間歇的に照らされるリズムは文字通り「光と影」を反復しているし、ホアキンがパトカーの回転灯を顔一杯に受けとめると同時に一粒の涙が頬をつたうショットも絶品(このわずか3秒に満たないショットを撮るためにどれだけの照明テストと角度計算を要しただろう)。

何度もマー公に押しつけられた拳銃は今度こそ発砲されるはずだという気配を漲らせながらも「良心の呵責」というサスペンス装置によってその機会を奪われてしまうのだが、「発射されない拳銃」というモチーフだけで斯くも豊かにサスペンスを醸成するグレイの手つきはあくまで冴え渡っている。

そしてマーロン・ブランドやアル・パチーノの深い彫に落とされた影が、奇跡的に逆三角形の窪みをもったホアキンの目へと落とされた瞬間「ああ、ホアキンはこの影を落とされるための役者なのだ」と膝を打った。反面、マー公やシャーリーズ・セロンなど「影を落としても面白くならない役者」には嫌味なほど光を当てているのだが、一ヶ所だけ、逃亡中のマー公が暗闇からスッと現れて再び暗闇へと消えていくシーンは『牯嶺街少年殺人事件』(91年)に匹敵するほど耽美な影使いで失禁すら禁じえない。尤も、いちいち失禁などしていたら膀胱がいくつあっても足りないぐらいなのだが。

ここまで影を使った映画といえば、最近のものだとアントワーン・フークアの『イコライザー』(14年)あたりを思い出したりするのだけど、同世代であるフークアほどの名人を以てしてもグレイとの格の違いを痛感するばかりザッツオールである。『イコライザー』もすばらしい作品だけどね。

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映画を観ることは影を見ること。


それにしても鬼のような豪華キャストであるよなぁ。

主演二人はもとより、今を時めく女傑筆頭シャーリーズ・セロン、『ゴッドファーザー』の荒くれ兄貴とは一転『ミザリー』(90年)ではおばはんに監禁されて半ベソかいていたジェームズ・カーン、かわいらしい映画にいっぱい出てるのになぜか代表作が『エクソシスト』(73年)『レクイエム・フォー・ドリーム』(00年)といった物騒なものばかりでお馴染みのエレン・バースティン。

そして『俺たちに明日はない』(67年)のフェイ・ダナウェイに至ってはほとんど出番がないという無駄遣いっぷり。まぁ、これもひとえにグレイの人徳がなせる業なのだろう。


◆60年代生まれの底力◆

他のグレイ作品と同じくシネフィル監督ならではの強味が存分に出た作品で、『ゴッドファーザー』だけでなくさまざまな古典映画の借景が認められる本作だが、彼はただお行儀よく古典回帰するだけのカタブツ監督ではない。

グレイはそんな奴じゃない!

とりわけクラブのシーンで流れる「Samba De Janeiro」の選曲にグレイの俗っ気を感じるのだが、思い返してみるとこの男は『アンダーカヴァー』のクラブシーンでもデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」をかけていたし、その前のシーンではブロンディの「Heart of Glass」までしれっと使っているのだ。大したポップ野郎だよ。

古典に忠実でありながらも卑近な大衆音楽をまぶすことでアメリカ映画史をリビルドする…という遊び心に『エデンより彼方に』(02年)『キャロル』(15年)のトッド・ヘインズとの類似性を見たり見なかったりするのだけど、いずれにせよ60年代生まれの底力を見せつけてくれる作家だと思う。当然タランティーノもね。

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いぶし銀まるだしのジェームズ・カーン御大(左)。右っちょにいるホアキンはムッとしております。


…と、まぁ、ここまで褒めておいてなんだが『アンダーカヴァー』ほど腰の入った映画ではないし、またしてもホアキン主演の『トゥー・ラバーズ』(08年)ほど詩情豊かな作品でもなく、ましてや最高傑作『エヴァの告白』(13年)のような途方もない密度を湛えた鬼畜なまでの純映画とも程遠い本作。

そもそも『アンダーカヴァー』の警官役でも感じたのだが犯罪劇においてマー公が善人を演じることへの只ならぬ違和感は今回も拭えなかった。実生活では一人ゴッドファーザーだからね、この人。犯罪歴の塊だよ。

あと、黒味が潰れている箇所がいくつかあったので「画面きったねぇ…」という絶望を軽くあじわった。もっと良いカメラ使えよ。ポスプロが原因?


とはいえ渋味全開のハードボイルドはあくまで慎ましく、グレイ自らが書いた脚本も即物的な殺し合いと戯れたりはしない。窮地に追い込まれたマー公が「裏切り者」となって恩人カーンや親友ホアキンの不正を暴くために奔走するポリティカル・サスペンスがノワールのような影をまとって疾走するのだ。

故郷に帰るための電車に始まり、街を出るための電車に終わるという反復もいい。

ただしマー公の髪型は最悪だった。グレイに唯一欠けているものは髪型評論家の素質である。私はそれを持っているぞ!

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英語の教科書に出てくるトム、みたいな髪型である。

 

Image:IMDb