名匠ペキンパーの底抜けポンコツ映画。
1975年。サム・ペキンパー監督。ジェームズ・カーン、ロバート・デュバル、ボー・ホプキンス、バート・ヤング。
民間援護組織とは名ばかりの暗殺結社“コムテグ”の腕利きエージェント、マイクは仲間のジョージに裏切られ瀕死の重傷を負った。執念のリハビリから復帰したマイクは、台湾の政治家を無事にアメリカ国外へ脱出させるという任務につく。だが、マイクの前には謎の殺し屋集団が現れ、その中には憎むべきジョージの姿もあった…。(Yahoo!映画より)
おはようございます。
ここ2日の映画ライフはまったくもってメランコリーです。映画を観る気にも評を書く気にもなれなくて、昨日はなんと7年ぶりぐらいにマンガを読みました。
でも映画を観ない日に限って映画の夢を見るんですよね。昨夜見た夢はかなり筋がおもしろくて、そのまま映画にすればカンヌ映画祭に出品できるレベルだったんですけど、完全に忘れてしまいましたね。内容を。惜しいことをしました。僕にとって惜しいのではなく映画業界にとって惜しいことをしたなと思います。
どうでもいいけど、何らかのプロフェッショナルでもないのに「ゾーンに入る」って言葉をやたらと使いたがる人ってむかつかない?
居酒屋で飲んでて、バカみたいな顔したサラリーマン二人組が「先輩、今日のプレゼン凄かったですね!」、「いやぁ、ゾーンに入ってたわ~」などと話しているのが聞こえてきたときは殺してやろうかと思いました。もうゾーンから出てくんな。
そんなわけで本日は発掘シリーズ第五弾にしてひとまずの最終章、取り上げるのは『キラー・エリート』 です!
◆豪華おっさん勢!◆
本作は「血まみれのサム」ことサム・ペキンパーがキャリア後期に撮ったあまり血まみれにならない作品で、『ガルシアの首』(74年)と『戦争のはらわた』(77年)に挟まれたこともあってほとんど話題に上らない…というよりかなり評価の低い作品である。
ペキンパーの代表作といえば『ガルシアの首』と『戦争のはらわた』以外にも『ワイルドバンチ』(69年)、『わらの犬』(71年)、『ゲッタウェイ』(72年)など錚々たる作品が名を連ねるわけだが、誰ひとりとして『キラー・エリート』を選ばない。あのパッとしない『コンボイ』(78年)でさえ村上春樹の小説のなかで最高傑作に挙げられていたというのに!
なぜこれほど評価が低いのかという理由は後述するが、たとえどれだけ酷かろうといぶし銀のキャストだけでもお釣りが返ってくる作品である。
民間護衛組織「コムテグ」のもとで要人の救出や暗殺をこなす主人公がジェームズ・カーン! その相棒がロバート・デュバル! '70sマニア垂涎のおっさんコンビである。何を隠そう『ゴッドファーザー』(72年)の長男ソニーと弁護士トムなのだから。たまんねえ!
デュバルに関しては『映画男優十選』や『バッジ373』(73年)のなかで散々語ったからもういいとしてジェームズ・カーンに触れないのは片手落ちというもの。
全身の毛穴という毛穴から男汁を噴出せしむるかのような剛毅で骨太なアメリカン・タフガイ、されど繊細な芝居もできて、意外や意外スタイル抜群。さながらアメリカの松田優作といった風情なのである。
どうも世間ではデンゼル・ワシントンやリーアム・ニーソンあたりが「アニキ」などと呼び親しまれているが、私のなかでアニキといえば断然ジェームズ・カーンなのである。ジェームズ兄貴!
ジェニキだよね、だから。
そんなジェニキ、『ゴッドファーザー』を機にブレークしてからは『シンデレラ・リバティー』(73年)、『ローラーボール』(75年)、『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81年)など主演作のベルトコンベア状態。そしてカーン無双の極点をなすのが『ミザリー』(90年)。狂ったおばはんに監禁される作家役を演じて強面のイメージを刷新したんだジェ!
70年代の天下人、ジェームズ・カーン。
そんなジェニキと共に仕事をしていたかつての仲間が二人いて、そのうちの一人がボー・ホプキンス。
『ワイルドバンチ』や『ゲッタウェイ』にも出演したペキンパー作品の常連であるほか、『アメリカン・グラフィティ』(73年)とその続編でも知られる俳優だ。
本作では精神異常のスナイパーを演じていて、サングラス姿がすこぶる格好いいのである。言ったところで伝わらないだろうが、レインボーやインペリテリでボーカルを務めたグラハム・ボネットというロックシンガーに似ていて、そのグラハムは横山やすしと外見が似ていることから日本のロックファンから「やっさん」と呼ばれている。
したがって本稿ではボー・ホプキンスを「やっさん」と呼ぶことにする。いま決めた。
マシンガンをぶっ放すやっさん。
そしてお待ちかね、バート・ヤング!
皆まで言うな。『ロッキー』シリーズのポーリー!! 俺が言うてもうとる。
さまざまな映画に出てはいるが目立った活躍といえば『ロッキー』ぐらいなので生粋のポーリー俳優といえる(いっそポーリーと呼ぶ)。
話は変わるが、米映画界には「アメリカ丸顔100年史」というのがあって(本当はない)、たとえば私利私欲に走るような悪役や自己中キャラなどはだいたい丸顔と相場が決まっているのである。『ロッキー』のポーリーなんかはまさにその筆頭。これはエドワード・G・ロビンソンやアーネスト・ボーグナインといった悪役俳優たちから連綿と受け継がれてきたフォルム言語なのだ。
だって見て下さいよ、↓の画像。
完全に丸ですからね。
ボーリング顔を誇る球体俳優たち。バート・ヤング(上)、エドワード・G・ロビンソン(左)、アーネスト・ボーグナイン(右)。
このような豪華おっさんメンバーでお送りする『キラー・エリート』。いったいなぜ低評価をくだされてしまったのでしょうか!!
◆チーム♡ジェニキ◆
民間護衛組織「コムテグ」に属するジェニキとデュバルは、要人救出作戦を成功させたあとに打ち上げと称して娼館で一夜を過ごすが、その翌朝、ジェニキと寝た女が性病持ちだったことが発覚する。それを知ったデュバルはひたすら笑い転げ(本当に40秒ぐらい笑い続ける)、不安げな顔をしていたジェニキもつられ笑いして二人で大爆笑。
本作は『キラー・エリート』という題だが、このファーストシーンを観た者は二人がエリートとは程遠いバカなのだと確信する。
性病ギャグを交わし合うジェニキ(右)とデュバル(左)。
ところが金で寝返ったデュバルは護衛するはずの要人を射殺し、ジェニキの左肩と左膝を射ち抜いて逃走。誰もが「なるほど、相棒に裏切られたジェニキがこのあとデュバルに復讐するのか」と思っていると映画は思わぬ方向に舵を切る。
そのあとに描かれるのは瀕死のジェニキが病院に担ぎ込まれて手術を受け、しばらく入院したあとにようやくギブスが外れ、看病してくれた看護婦と恋仲になって自宅でリハビリを続ける…といった何の変哲もない療養生活。
その間なんと1時間。
松葉杖を使った歩行訓練に精を出すジェニキ。
肘と膝の関節を曲げる訓練に汗するジェニキ。
レストランですっ転んで恥ずかしそうに立ち上がるジェニキ。
なんやこれ。
なに見せられとんねんワシは。
本筋とはまったく関係のないジェニキ療養記に1時間も割くなんて。間違いなく酷評された要因の半分はこの途方もなく退屈なシーケンスだろうよ。そういえばジェニキは『ゴッドファーザー』でもマシンガンで撃たれて蜂の巣にされていたし『ミザリー』でも足をハンマーで粉砕されていた。それのいいとこ取りと思えば楽しめなくもないが…やはり退屈である。
怪我の後遺症によってジェニキは身体障害者となる。特に撃ち抜かれた膝は「一生歩けない」と医者から告げられたほどの大怪我なのだが…
なんと中国人の老師から太極拳を習ううちにジェニキの膝は完治した。
そんな話があるかぁ!
松葉杖を使って不器用ながらも太極拳を続けるうちに後遺障害が嘘のように完治してしまうのである。むしろ悪化しそうなものだが。とりあえず東洋の神秘バカにしすぎ。
さて、太極拳で健康を手にしたジェニキは東洋文化全般をリスペクトするようになり、ついでに空手とカンフーと剣道も習得した。たぶん座禅とかも習得したのではないだろうか。ジェニキが瞑想すればするほど映画は迷走するという反比例ぶりに前後不覚。あまりのくだらなさにゲボ出そう。
ジェームズ・カーン! カーン! とばかりに竹刀をぶつけ合うジェニキ(つよい)。
久しぶりにコムテグに復帰したジェニキの新たな任務は、台湾の政治家 マコ岩松を国外に脱出させること。マコ岩松…。えらく懐かしい響きである。『ロボコップ3』(93年)や『パール・ハーバー』(01年)などで知られるアメリカ映画でよく見る東洋人俳優だ。
この任務を受けたジェニキは、はるか昔にコムテグを去ったポーリーとやっさんを集めて「チーム♡ジェニキ」を再結成する。ちなみにやっさんは射撃の名手だが、ポーリーには何の能力もない。ただ丸いだけ。
「チーム♡ジェニキ」が戦うのはマコ岩松の命を狙う謎の暗殺団だ。この集団にはジェニキを裏切ったデュバルが一枚噛んでいるので因縁の対決が期待できるが、われわれの期待はまたしても裏切られることになる。ジェニキとデュバルが対峙して「さぁ、決着をつけようじゃないか」と話しているところを、物陰から狙撃銃を構えたやっさんがいとも容易くデュバルをパキュ―ンと射殺してしまうのだ。
怒るでしかし!
とんだ横槍。あってはならぬ漁夫の利。因縁の対決を台無しにしたやっさんは、当然ジェニキから「余計なことしなはんな!」といって頭をしばかれる。
だがデュバルを倒してもまだ暗殺団がいるので気は抜けない。こいつらとの決戦がクライマックスにあたるのだが、その暗殺団というのが忍者集団なのよね。
NINJA…。
「ニンニン!」、「ニンニン!」と言いながら刀で襲いかかってくる忍者集団。それを拳銃でバンバン撃ち殺すジェニキとやっさん。哀れ、なす術もなくバタバタ死んでいく忍者たち。
接近戦ではジェニキのカラテが火を噴き、なんならポーリーにすら負ける忍者集団は瞬く間に壊滅した。なんという組織力の低さ。
するとそこに忍者の大ボスみたいな奴が現れてマコ岩松に一対一の決闘を申し込む。この申し出になんのメリットも感じないジェニキはボス忍者を撃ち殺そうとするのだが、なぜかマコ岩松は戦わせろと言い、「いや、撃ち殺した方が手っ取り早いでしょ」と合理的な発言をするジェニキを無視して刀を抜き「キェー!」と裂帛の気合いを入れてボス忍者とチャンバラをおこなう。
こいつがボス忍者。
護衛対象であるマコ岩松の決闘を「あいつが死んだらシャレならんでー」と呟きながら見守るジェニキとポーリー(やっさんは戦闘中にこっそり死亡)。
結局マコ岩松が大勝利をおさめ、一同は「やったじゃんかいさー!」と大喜びする。その後、やや悲しげな表情で「やっさんは残念だったな…」と言ったポーリーに、ジェニキはへらへら笑いながら「まぁ、それだけこの仕事は厳しいってことよ!」と一言でまとめ上げた。友を失ったコメントとは思えない薄情ぶり。
おわり。
◆事故と故意◆
ふむ…。納得の低評価である。
この内容で123分はあまりに冗長だし、ペキンパー印のスローモーションやモンタージュの切れ味にも乏しい。つまらない、かったるい、馬鹿馬鹿しいの三拍子をキチンと揃えた劣悪映画の中の劣悪映画だ。
サム・ペキンパーを知らずに本稿だけ読んだ読者が誤解するかもしれないので一応言っておくと、本当はペキンパーってこういうのじゃないから!!!
本来のペキンパー作品はもっと硬派でシャープで泥臭くて、それらが合わさって逆説的な美しさを形成するようなバイオレンス・シンフォニーを奏でるのだ。
まぁ、わずか2年前には『ガルシアの首』を撮っており、本作の翌年には『戦争のはらわた』を撮り得たことから、決して『キラー・エリート』は才能の枯渇、あるいは才能の延命措置が招いた失敗ではあるまい。
だとすれば可能性はふたつ。事故か故意かである。
結論から言うと両方だ。『キラー・エリート』は事故と故意によって大爆死を遂げ、ポンコツ映画を愛する一部の物好きにしか支持されないカルト映画になったのである。
なぜこのような底抜け映画になったのかについて調べていくと様々な要因がいくつも重なっていたことが分かった。なんといっても、脚本を大幅にリライトするために雇われたスターリング・シリファントが『燃えよドラゴン』(73年)の大ファンだったのでカンフーや忍者をやたらに登場させたこと。これが事故の原因。
シリファントといえば『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)や『タワーリング・インフェルノ』(74年)などを手掛けた頭脳明晰な脚本家だが、生前のブルース・リーからジークンドーを直接教わるほどのブルース・リーフリークでもある。何をトチ狂ったのか、『キラー・エリート』では「俺なりの『燃えよドラゴン』を作るんじゃあー」と息巻いて趣味と仕事を履き違えたことからこのような大惨事に至ったのである。
あがった脚本を読んだペキンパーは顔面蒼白。それもそのはずだ。そこに書かれていたのは謎の性病ギャグと妙に長ったらしい療養生活、それに空手と剣道と太極拳と忍者集団なのだから。おまけにシリファントは空手の帯保持者であるベトナム人の妻まで勝手に出演させた。
「なんやこれ…」と言って頭を抱えたペキンパーは逆転の発想に辿り着く。いっそ本作をハリウッド製のアクション映画を風刺したブラックコメディにしようと考えたのだ。これが第二の失敗要因、故意。
計画通りブラックコメディでいっていれば怪作になり得たかもしれないが、これに対してプロデューサーは「真面目にやれ」とペキンパーの打開策を否定したのである。
こんな不真面目な脚本をどうやって真面目にやるんだよ!!
結局、ペキンパーの本懐だったブラックコメディ路線とプロデューサーの意向である正統派アクション路線は見事にかち合い、どちらの旨味も相殺されて実に中途半端なものになってしまった。プロデューサーから反対されて最後の策を失ったペキンパーは会議の場で力なく呟いたという。
「もうやめたい」
結局ほとんど虚脱した状態でどうにか映画は完成したが、出来上がったフィルムからはペキンパーの義務感と疲労感だけが伝わってくるような空疎きわまりない仕上がりに。ペキンパーが映画制作の過程で最もこだわる編集(カット割り)を観ればすぐにわかるが…いかにも投げやり。いかにも捨て鉢。
当初計画していたブラックコメディの精神が多少なりとも反映されているのが唯一の救いではあるが、それでもペキンパーにとって『キラー・エリート』はキャリア最大の汚点となり、苦い記憶を引きずらせる結果に終わった。
どうやらペキンパーの計画では死んだはずのやっさんが何食わぬ顔で現れてジェニキとポーリーを驚かせる…という型破りなラストを想定していたらしいがプロデューサーの意向で現行のものに差し替えられたという。なるほど。ペキンパー案を勘定するとジェニキがへらへら笑いながら心無い一言を発したことにも合点がいくが、ここでもプロデューサーが「真面目にやれ」とその案を否定したせいで、まるでフリだけでオチがないみたいなラストになってしまったのね…。
そんなわけで『キラー・エリート』は底抜けポンコツ映画になってしまったが、中にはこのつまらなさがクセになって本作のファンになる人民も少なくないというので、ぜひゲテモノ料理を食べる感覚で試食してみてはいかがだろうか。