一泊二日、暗黒の小旅行。
1976年。デヴィッド・リンチ監督。ジャック・ナンス、シャーロット・スチュワート、アレン・ジョセフ。
消しゴムのような髪形をしているヘンリーは、恋人から奇妙な赤ん坊を産んだことを告白され、恋人との結婚を決意する。ところが彼女はおぞましい形相の赤ん坊に耐え切れずにやがて家を出てしまい、残されたヘンリーは1人で赤ん坊を育てることになるが…。(映画.com より)
さて、デヴィッド・リンチ特集、第二回目となる本日は『イレイザーヘッド』について語って参ります。私の映画原体験の核となった個人的超重要作です。
とっても楽しい映画なので、ご家族や友人と観るのもよし。仕事仲間たちと二次会のカラオケボックスの中で鑑賞するのもよし。学校の授業で見せてもいいかもしれませんね♪
※グロい画像を載せてるので閲覧注意。
①リンチの暗黒世界
印刷工場で働くヘンリーという消しゴム頭の陰気な青年が恋人の家に招待され、向こうの母親から娘が出産したことを告げられるが、その赤ん坊はE.T.を約4倍強烈にしたような畸形児。
夜な夜な泣かれて精神がおかしくなったヘンリーは、ラジエーターの中で胎児をヒールで踏み潰しながら歌い踊る女(ラジエーター・レディ)の不気味なパフォーマンスを鑑賞したり、なぜか自分の頭部が切断されて工場で消しゴム付き鉛筆の材料にされる悪夢などにうなされ、精神限界、ついにはハサミで赤ん坊を殺害する…。
このような悪夢的イメージが羅列され、心身症的な気味の悪い映像が延々89分続く作品である。
そう、とってもすてきな映画なんだ。
畸形の赤ん坊。
「私は人とは違った感性を持っているのよ」とか「人に『変わってるね』って言われるのが実は好きなんです」みたいな自称変人の方は、度胸試しに本作を観てみてください。
きっと反省することになると思います。
そしてリンチの世界観に夢中になると思います。
あるいは、ラジエーター・レディみたいに頬にコブをつけて何かグニャグニャしたものを踏み潰したくなると思います。
天井からボタボタ落ちてくる胎児をヒールで踏み潰しながら、ステージの上で陽気に歌い踊るラジエーター・レディ。
これぞまことの地下アイドル。
ヘンリーの赤ん坊に名前はないが、撮影現場ではスパイクというニックネームで呼ばれていた。
作り物にしてはスパイクの動きがあまりに生々しいことと、なぜか医者が撮影協力としてクレジットされていることから、「牛か何かの胎児を使ったのでは?」という憶測が飛び交ったが、これに対してリンチは容疑者のようにノーコメントを貫いている。
状態異常で死にかけのスパイク。これはキツい。
カルト映画の金字塔として一部の物好きから激烈に愛されている『イレイザーヘッド』。
この映画は当時21歳の若さで恋人ペギーの妊娠を知ったリンチ青年の父になることの恐怖を表現主義的に描いた作品だ。
ちなみに、このとき生まれたのが娘ジェニファー・リンチである(劇中では畸形に生まれた上に、腹から山芋をネバネバ沸かせて「オボボボボ…」なんつった挙句にハサミで惨殺される…という酷すぎる仕打ちを受けながらも、ジェニファーは健やかに育って映画監督になり、父に負けず劣らず悪趣味な猟奇映画を撮り続けている。この親にしてこの子あり)。
ジェニファー・リンチの処女作は、性的不能の男が愛した女の両腕両足を切断して自宅に監禁する『ボクシング・ヘレナ』(93年)。江戸川乱歩の『芋虫』じゃないんだから。
フィラデルフィアの工業地帯というリンチ的主題はこの処女作から既に萌芽しているが、これについては『ブルーベルベット』(86年)の評で触れたので割愛。
ここでは、のちにリンチ映画に頻出するラジエーター・レディ的奇怪なキャラクターでも市松模様の床でもなく、もう少し別の角度から本作を論じてみたい。
③リンチのインダストリアル趣味
第一の試論は、劇中ひっきりなしに鳴り響く工場の騒音のようなノイズ。
本作では強迫観念を助長するために使われていて、リンチ自身もそこで数々の不条理を目の当たりにしたフィラデルフィア=工業地帯へのトラウマを自身の映画に照射している…ということは『ブルーベルベット』の評でも指摘したが、矛盾するようだがリンチは機械音というものに魅了されてもいる。
つまりインダストリアル・ロックとの親和性だ(インダストリアル…工業的)。
リンチは『ロスト・ハイウェイ』(97年)で、インダストリアル・サウンドを模索したデヴィッド・ボウイの楽曲「I'm Deranged」を使用している。
ちなみにこの曲が収録されている『アウトサイド』は、猟奇殺人をテーマにした難解かつ欝気に満ちたコンセプトアルバムで、その中にはデヴィッド・フィンチャーの『セブン』(95年)の主題歌にも使われた「The Hearts Filthy Lesson」も収録されている。
ちなみのちなみに、このアルバムの歌詞カードは「ネーサン・アドラーの日記(ベビー・グレース・ブルーの儀祭殺人事件)」と題されてミステリー小説調になっている。その世界観は、さながらリンチの『ツイン・ピークス』だ(実際、ボウイは『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(92年)にも出演している)。
また、2001年からコンスタントに発表しているリンチ自身のアルバムも、暗く無機的なインダストリアル・サウンドである。
ていうか、ミュージシャンしてる暇があるなら映画撮れって。
PVでやりたい放題しすぎてて笑ってしまった。これぞリンチ。
あなたはこれを観て何を思うのだろう。
③好奇心こそが魔界の扉を開く鍵
第二の試論は、絶えずリンチ映画に癒着する浮気願望。
育児に嫌気が差した恋人が実家に帰ってしまうと、ヘンリーは向かいの部屋の美女との情事に耽り(現実か妄想かは判然としない)、白濁したプール状のベッド(精液の隠喩)に抱き合ったまま沈んでいく。
『ブルーベルベット』でも、ローラ・ダーンを恋人に持つカイル・マクラクランはイザベラ・ロッセリーニとのセックスに溺れてゆくし(だけど私生活ではカイルではなくリンチ自身がイザベラ・ロッセリーニと浮気して二度目の離婚に至っている!)、『ツイン・ピークス』(90年)でも姦淫は大きなテーマとして扱われていた。
だが90年代中期を境に、リンチ映画における浮気願望は「男の浮気」から「女の浮気」に変わっていくことが独自の調査により判明。
たとえば『ロスト・ハイウェイ』は妻の浮気を疑うサックス奏者の話だし、『マルホランド・ドライブ』(01年)でも妻の浮気現場を目撃する映画監督が出てくる(もしかしてリンチの実体験?)。
だが、これは単に色恋沙汰を描いているのではない。リンチ映画における浮気とは好奇心の比喩であり、すべてのキャラクターはなまじ好奇心を抱いて深入りしてしまったがために悪夢的世界に滑り落ちていく。
リンチ映画のキャラクターたちは、やたらに好奇心旺盛で欲望を剥き出しにする。そして奇妙な出来事に首を突っ込みすぎて元の世界に帰って来れなくなるのだ。
そういえば小学生の頃、下校途中の私は「いつもと違うルートで家に帰ろう」と思いつき、ひとりで知らない道を探検しすぎて完全なる迷子になり、大いに泣いたことがある。
その感覚なんですよ、リンチ映画って。
気付いたら魔界、みたいな。
探検の途中で「あ、これ以上進んだら戻ってこれなくなるな…」という予感はしていたのだが、結局好奇心に負けて歩を進めてしまうのだ。
好奇心こそが魔界の扉を開く鍵である。
想像力を思いきり発射させた異形のデビュー作、『イレイザーヘッド』。
画面は深いモノクロで、常にドゥ――ン…という重低音が鳴り響いているので、観る者は得体のしれない恐怖と孤独を抱えながらこの悪夢に対峙せねばならない。
いわば、イレイザーヘッド(ヘンリー)の脳内に象られた精神世界を覗き見る暗黒の小旅行である。
一泊二日イレイザーヘッドの旅。今ならビデオ屋で約100円でのご提供となります。
行くしかあるめえ。