飲んで、怒って、評書いて。
2010年。ライアン・マーフィー監督。ジュリア・ロバーツ、ハビエル・バルデム、ジェームズ・フランコ。
ニューヨークで活躍するジャーナリストのエリザベスは、離婚や失恋を経験し、35歳で人生をリセットするために1年間の旅に出る。イタリアで“食”に魅せられ、インドで瞑想にふけり、最後に訪れたインドネシア・バリ島では運命的な恋に落ちるが…。(映画.comより)
るるうッ!
髪がモヘアになってきたのでセルフカットしたところ過去最大級にやらかした私が一夜明けた今も悲しみに暮れております。
いやぁ、右の前髪が根こそぎ飛んだねー。やっちまっただにー。これはもう出していくしかないよ、前髪緊急事態宣言を。二重の意味で人と会いたくない。こうなったら藁にも縋る思いなのでアベノマエガミが欲しい。2本でいいから。早くポスト入れて。
嘆いても騒いでもどうにもならないので、前髪の分け目を変えて騙し騙しやっていくことにします。それにしてもへこむわー。
あっ、話は変わるけど「へこむ」の対義語って何なのかな?
「凹」の逆が「凸」だから、訓読み統一するなら「でこむ」になるのか…?
でこむ。
よしゃ、気分を変えよう。凸(でこ)んでいこう。
そんなわけで本日は『食べて、祈って、恋をして』です。凸むどころかキレてます。
◆恋に臆病なアラフォー(笑)が女子大生みたいに「自分探し」とか言ってるんですけど◆
ハイどうもねー、今日は短めにチャッチャといけたらいいなと思ってる俺がムシャクシャしながら5杯目の焼酎を温めつつコンピューターに向かっている午後11時30分、そう、人によっては「深夜」とも呼ぶが、パーティーは始まったばかりだ。
このたびはジュリア・ロバーツの『食べて、祈って、恋をして』を観ちまったことで「飲んで、怒って、評書いて」なザマになってしまい大変遺憾であるが、俺はこの運命を受け入れてる。なぜならこの10年間、絶えず視界の端にチラチラと本作を捉えながら「俺これ観ない方がいいだろうな。観たら多分キレるだろうな!!!」と思ってあえて黙殺してきたからである。
ところが過日、スーパーの前でかわいい犬とじゃれ合ったことで仏のような気持ちで一日を過ごしていた私が、その夜たまたまNetflixで本作を目にして「今ならいけるやろ」とアルカイックスマイルを湛えながらいい気分で鑑賞に望んだのが運の尽き。見る見るうちに阿修羅のような形相に変わっていくのが自分でも感じられ、挙句の果てには焼酎を頭からドボドボかけて「目に入ったー!」とか叫びながら十分に荒れ狂ったので、映画が終わったころ俺は全身ずぶ濡れでした。嘘だと思うだろ? まあ嘘だよ。
純心な俺に嘘すらつかせた『食べて、祈って、恋をして』は、まさに邦題の通り、ジュリア・ロバーツというロバ顔の女が食べて祈って恋をする中身である。
ニューヨークで作家ビリー・クラダップとの結婚生活に限界を感じたジュリアは、離婚調停の最中に舞台俳優のジェームズ・フランコと恋に落ちるが早くも喧嘩三昧の日々。自分探しのために1年かけて海外を旅することにした。友人のヴィオラ・デイヴィスからは「よしなさいよ、みっともない。あんたのやってること女子大生みたいよ!」(正論)と呆れられたが、友の忠告を無視したジュリアはロイ・オービソンの「Oh, Pretty Woman」を口ずさみながらイタリア→インド→バリと世界中を飛び回るのだった。
夫ビリーや新恋人ジェームズは特に悪い男ではなく、むしろ一途にジュリアを想っているが、なぜか彼らとの関係を断ち切った彼女は勝手に傷心して海外旅行に安らぎを求めた。
イタリアではピザを食べ、ハンサムなイタリア語講師に師事して語学レッスンとは名ばかりのカフェデートを繰り返しイタリア語を中途半端に習得。「何もしない事の素晴らしさ」を知り、隙あらばチーズとアスパラガスを貪り食うような享楽主義に身を委ねていく。
イタリアで知り合った友人たちに別れを告げたあとはインドに向かい、アシュラムで瞑想ごっこを繰り広げ神を見出そうとする。せっかくインドに来たのに米国人のリチャード・ジェンキンスとばかり仲良くなったり、お見合い結婚で嫁がされたインド人の娘に感情移入して「きっとすばらしい結婚生活が待っているよ」と励ましたりもした。おまえが言うな。
インドでの修行もどきを自分の匙加減で何となく終えたことにしたジュリアは最終目的地のインドネシア・バリ島に向かった。バリ島で笑いながら自転車を漕いでいるとハビエル・バルデムのジープにグシャッと轢かれて足がズタズタになったが、バリ島に伝わる神秘の薬草が効き、ものの数時間で治癒(嘘だろ)。その日の晩におこなわれた海辺のパーティーに参加して股間丸出しの太鼓打ちから露骨にセックスを誘われたが、すでに彼女の心はバルデムに向いていた。バールデム、バルデム。
バツイチ子持ちのバルデムと意気投合したジュリアは、インドで身につけたはずの「グルへの祈り」の日課をさっそく忘れて1ヶ月ぶっ通しでセックスしまくって膀胱炎になったがこれもバリ島に伝わる神秘の薬草でどうにかなった。
ついにバルデムから「バールデム、バルデム」と結婚を申し込まれたが、過去の失敗から恋に臆病になっていたジュリアは「やっぱむりー」と断り、走って逃げたが、バリ島の占い師から「愛を信じんさい」とアドバイスされてコロッと意見を変え「やっぱする」と豪語してのけた。二人を乗せたクルーザーが夕陽の海をぶっちぎります。
ハイ ご苦労さん。
はーい画像でーす(すてばち)。
◆セレブリティの優越を振りかざして貧乏親子に豪邸買い与えてるんですけど◆
金持ちの道楽。これに尽きる。
NYにデカい家を構えたセレブ女がこれといった理由もなく結婚生活に飽きて、離婚も成立しない内から彼氏作って同棲し、その男とも少し喧嘩したぐらいですぐ別れて恋に臆病(笑)になり、「女子大生じゃないんだから!」と叱ってくれる友人をドン無視して自分探し(だいぶ笑う)をするべく金にモノ言わせて世界各国を遊び歩き、イタリアでピザを食ったりインドで瞑想をかじるなど散々ミーハーぶりを見せつけた挙句バリで新しい男をゲットして満足するのだから「勝手にやってろ」もしくは「旅先で死ね」としか言いようがない。いい歳して何やってんだか。
まるでムダに料金の高い歯医者の待合室に置いてあるような都心で働くハイブロー向けの女性雑誌にありがちな「40代からのひとり旅 ~異国情緒があなたをキレイにする~」などと謳ってる気の触れた旅行特集のごとき浅薄さにスルンとおさまっていく本作。
こんなものを見せられた私はどうすればいいのか。なんとなくヨーロピアンな景色とオリエンタルな情緒を感じながら、どことなく美味しい料理と情熱的なロマンスにウットリすればいいのか? それには裕福層のアメリカ人から見たステレオタイプな外国観があまりにノイズ。彼女の目にはもっぱら美食の街としかイタリアは映っていないようで、お見合い結婚させられたインド娘に対しては露骨なほど憐れみの眼差しを向ける。おまけにバリ島の人間はすぐ股間を丸出しにして発情するらしい。
極めつけは仲良くなったバリの貧乏親子に家を買ってあげる…というグロテスクなまでの善行に止まらぬ虫唾。
親子の境遇に同情したジュリアは、イタリアやインドで出会った友人やNYの知人に「バリでは女性が離婚すると家や子供を奪われる。この貧乏親子は私の家族も同然です。みんなで救いましょう!」と綴ったメールを一斉送信して金をカンパしてもらい、その寄付金で豪邸をぶっ建ててやるのだ。
俺の心が狭いだけだったらすまん。
引くわぁ――――…。
今日イチの欺瞞見たわ~~。
これぞ優しさという名の干渉。思いやりという名の憐れみ。救いの手というお節介。異文化交流という名の自分化交流。
もっと違う形で親子を助けることも出来ただろうに、平気で「豪邸買ってあげる」という発想に辿り着けるあたり、さすがセレブ脳。この親子が固定資産税や維持費を払っていけるかどうかなんて考えてもいないんだろうな。
百歩譲ってジュリアが自腹切って家を買い与えるならまだしも、周囲の友人に「バリにおける女性の生き辛さ問題」を訴えて寄付を求める善意の恫喝は勘弁願いたいものだ。あなたの正義に人を巻き込まないで。おねがい。その正義感スクリューで出来てるン? おしえて。
第一、自分の問題に向き合おうとしてるヤツが他人の問題に干渉して気持ちよくなってる時点で「自分探しの旅」とかやっぱ嘘だろ!
はい画像ですッ!!(おこ)
善意といえば、ジュリアの豪邸プレゼントよりもレビュー界隈に溢れた「まぁ、観光映画としてはそれなりに観れる」というフォローの方がよっぽど善意に満ちているが、映画を斬るのに善意など必要ないと考える私は「いや、観光映画としてこそダメだ」と主張せざるを得ねぇ。
料理を映した画が全然関係ないシーンでしつっこくインサートされるイタリアシーケンス。
観光映画だっつってんのに寺院内のせせこましい空間の中だけで話が進んでいくインドシーケンス。
島民の活力は記録されず風すら吹かないバリシーケンス。
これらを爆笑しながら駆け抜けたジュリア・ロバーツ痛恨の選定ミスと相成った『食べて、祈って、恋をして』は、グーグルで拾ってきた海外の画像1枚で旅行気分を味わえるような安っぽい観客を夢見心地にさせるには十分な観光映画だし、交通機関を使うことなく国から国へ瞬間移動してのける時短型ロードムービーにも関わらずランタイムが133分にまで膨れ上がったことにまったく危機感を覚えない監督ライアン・マーフィーに次作の構想を練らせるだけの能天気な性格を備えてもいるが、イタリアをイタリアとして、インドをインドとして、バリ島をバリ島として撮れないようなら今すぐメガホンを置いてガンジス川に飛び込んだ方がいい。修行が必要なのは劇中のジュリアではなく監督自身なのだ(ヴィクトリアの滝から飛び降りると尚良し。ほぼ死ぬが)。
ほっこりした点もある。愚かなヒロインの限りなく独り相撲に近いロマンスに付き合ってわれわれをトキめかせた男優陣…とりわけハビエル・バルデムはラシュモア山のような地質学的な顔面を物ともせずに甘く親しげなロマンスを醸成していたのでステキ。
あと、新米ママという役柄を演じたヴィオラ・デイヴィスは文字通りヴィオラママになっていた。「ヴィオラママになっろーう、弱酸性ヴィオラ♪」という私のギャグが活きる。
ほれ画像!!!