シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

オリエント急行殺人事件

 オールスター映画として物足りない。

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2017年。ケネス・ブラナー監督。ケネス・ブラナージョニー・デップミシェル・ファイファー

 

トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行で、富豪ラチェットが刺殺された。教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人という目的地以外は共通点のない乗客たちと車掌をあわせた13人が、殺人事件の容疑者となってしまう。そして、この列車に乗り合わせていた世界一の探偵エルキュール・ポアロは、列車内という動く密室で起こった事件の解決に挑む。(映画.com より)

 

どうもこんにちは。

エレファントカシマシの新譜をひねもす聴きまくっている私が、今日を闊達に生きています。ハロー人生。

一度エレカシについて徹底的に語ってみたいけど、映画ブログで映画以外の話をするのはちょっとしたルール違反みたいな雰囲気があるので、私はエレカシの話ができないわけです(まぁ、過去に一度思いきりルールを破ってるんだけどね)。

なまじ『シネマ一刀両断』なんてブログ名にしてしまったばかりに、このような自縄自縛、自家中毒、自分で作ったコンセプトが枷となる、コンセプトの裏切り…みたいな因果な状態に陥っているわけで、私は『シネマ一刀両断』なんてブログ名を思いついた2018年1月14日の自分を呪う。

こんなことになるなら『シネマを皮切りにいろんなものを一刀両断』みたいなブログ名にすればよかった。多ジャンルについて語れる土壌を確保すればよかった。

 

というわけで、エレカシの話がしたい…という気持ちを引きずったまま映画評に入っていきます。

今回俎上に載せたるはオリエント急行殺人事件

この映画にまったくノレなかった理由について推理してみます。

 

もくじ

 

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①誰もが結末を知ってる古典ミステリーを映画化する法。

否が応でもシドニー・ルメットが手掛けた74年版との比較論になってしまいます。

もともとアガサ・クリスティの原作小説オリエント急行の殺人』(34年)はあまりに有名すぎるため、シドニー・ルメットはこれを映画化する際に「でもなぁ…、原作から40年も経っている有名ミステリーを今さら映画にしたところで、大部分の観客は筋を知ってるしなぁ…」とウジウジ悩んだ結果、ひとつの結論に辿り着いた。

「お祭り映画にすりゃいんじゃね!」

まさにポアロのごときひらめき。

そんなわけでオリエント急行殺人事件(74年)空前絶後のオールスター映画として作られた。

アルバート・フィニー

アンソニー・パーキンス

ショーン・コネリー

ヴァネッサ・レッドグレイヴ

ローレン・バコール

イングリッド・バーグマン

ジャクリーン・ビセット

一言でいえば猛烈『荒野の七人』(60年)オーシャンズ11(01年)よりも遥かに豪華なメンツです。

この神算鬼謀の奇策によって、原作を知らない人はもちろん筋で楽しめるし、すでに原作を知ってて「ハイハイ、犯人は〇〇でしょ」と余裕ぶっこいてる奴は空前絶後の豪華キャストを見てひっくり返る…という盤石の二段構えで大ヒットを記録。今なおオールスター映画の代表格に挙げられる名作となった。

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シドニー・ルメットによる74年版。かったるいけど楽しい映画です。

 

これを踏まえて、最初の映画化からさらに40年が経った今回の現代版『オリエント急行殺人事件厳しく論じていきます。

 

②監督としてのケネス・ブラナーは凡才。

監督はケネス・ブラナーポアロ役として主演も兼任している。

ケネス・ブラナーといえば『から騒ぎ』(93年)ハムレット(96年)など、シェイクスピアの映画化とあらば真っ先に飛びついて監督・主演をせねば気が済まないシェイクスピア俳優として有名。

シェイクスピア以外にもマイティ・ソー(11年)『シンデレラ』(15年)といった近年の話題作も監督しているコテコテのイギリス人俳優だ。

ちなみに私は、俳優としてはともかく、監督としてはあまり評価していません。ごく普通のことをごく普通にしか撮れないごく普通の監督だと思っています。

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たとえば本作でも、ケネス・ブラナー演じるポアロエルサレムでの難事件を鮮やかに解決する…という導入部によって「ポアロが世界一の名探偵である」という大前提を観客と共有する掴みのシーンがあるのだが、推理もアクションもいまいちパッとしなくて特にポアロの凄味を感じないという…。

「大丈夫か、この映画。開幕早々に躓いてない…?」と不安になったよ、私は。

そのあと、トルコ発の列車に乗り込むシークエンスを使って各キャラクターを紹介していく…という流れは、74年版を律儀に踏襲。ここでも顔が撮れてないから登場人物が把握しづらい…とか言いたいことは色々あるけど、もういいよいいよ!

さて、ついにオリエント急行が発車すると、トルコからフランスまでを結ぶ旅路の景色が興覚めするぐらいゴリゴリのCGで。

でも、いいよいいよもう!

一応、車窓から見える景色は昔ながらのスクリーン・プロセス(背景合成)だしね。

 

密室劇は映画に適さない。

ただ、「いいよいいよ」では済まされないことが2つある。

ひとつはアップショット主体の是非

本作は列車という密閉空間が舞台のミステリーなので、その性質上、人物のアップショットが主体となる。狭い列車のセットで撮影されているので、カメラの機動力や自由度が大幅に奪われてしまうため、会話する人物の顔をただ大映しにする…という単純な画面構成に陥りやすいのだ。この時点でかなりツラい…。

もともと密室劇というのは映画に適さない。舞台劇を映画化した作品にひとつとして傑作など存在しないように。

とはいえ、列車を舞台にした映画でも、列車=横に長いという特性を活かした北国の帝王(73年)とか『スノーピアサー』(13年)のような傑作は存在する。カメラの可動域が極端に制限されているからこそ、列車=横長という特徴的な空間を活かした画面設計によって自由度の低さを逆手に取っているのだ。

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列車映画の二大傑作。

 

ところが本作はミステリーで、言わば会話劇がメイン。つまり人物Aと人物Bが会話している「アップショットの切り返し」が延々と繰り返されるのだ。

もちろん、画面は単調になる。

巧い監督であれば、構図を工夫したりカット割りに変化をつけたり…、それこそ74年版のようにイングリッド・バーグマンが訛りで喋り続けるさまをひたすら長回しで捉えた鬼気迫るロングテイクで観客を退屈させないように工夫するが、ケネス・ブラナーはただただ人物Aと人物Bの顔をお行儀よく交互に切り返しているだけで面白味に欠けることおびただしい。

しかもアップショットが主体の映画なのに、ペネロペ・クルスミシェル・ファイファーといった女優陣の顔(の撮り方)がとにかく汚い。

もともとケネス・ブラナーは女優が撮れない人とは言え、これはあまりに酷い…。特にペネロペ・クルス。いったい何をどうしたらペネロペをここまで不細工に撮れるのだと逆に感心してしまう。

 

そもそも論だけど、「密室劇のミステリーを映画化する」ということ自体が無理筋なのではないかしら。たぶん誰が撮っても傑作にはならないよ、これ。

したがって本作の単調さはケネス・ブラナー一人の責任ではない。誰が悪いとかではないオリエント急行殺人事件はそもそも映画に向かない題材なのだから。もともと小説という媒体によってしか輝き得ないように巧妙に作られた作品なのだ。

そういう意味では、奇しくもアガサ・クリスティが完全無欠の小説家であることを遡及的に証明してしまった作品と言えるかもしれない。

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 たまに外の空気を吸ってくれるのが救い。

 

④この映画に足りない俳優は〇〇だ!

そしてもうひとつ、「いいよいいよ」では済まされない案件がある。

オールスター映画として物足りないというキャスティングへの不満です。

そりゃあ、たしかに豪華だよ。

ケネス・ブラナーを筆頭に、ジョニー・デップミシェル・ファイファーペネロペ・クルスジュディ・デンチウィレム・デフォーなど…。

普通の映画なら「ありがとぉー! ありがとぉー!」と鼻息荒くして謝意を伝える…みたいな豪華キャストである。

でもさぁ…、あの『オリエント急行殺人事件』のリメイクでっせ?

「74年版なんざ軽く超えてやるよ」ぐらいの気迫があまり伝わってこなかったのが残念すぎて。

初めて本作のキャストを知ったとき、「え、ショボくない? いや、充分豪華だけど…オリエント急行殺人事件』のリメイクにしてはショボくない?と感じてしまったことをここに告白しておきます。

ケネス・ブラナーを含む製作側も74年版に倣って「オールスター」という点を大いに意識したキャスティングであることは間違いないし、おそらくは企画段階で交渉に失敗した大物俳優も何人かいて、いろーんな大人の事情が絡み合った結果このキャストに落ち着いた…という具合なのだろうが、それにしてもオリエント急行殺人事件』のリメイクにしてはあまりに中途半端な豪華さで。

それにミシェル・ファイファーウィレム・デフォーなど、俳優陣の見せ方が拍子抜けするほど薄味で、オールスター映画の醍醐味でもある食い合う感じが全然ないあたりもつまらない。

だいたい、なんでデイジー・リドリーがいるんだよスター・ウォーズ/フォースの覚醒』でヒロインに抜擢されたぽっと出の若手女優)

 

謎はすべて解けました。

この映画に足りないのはジュード・ロウです。

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大御所でいえばアンソニー・ホプキンス、中堅ではイーサン・ホーク、若手だとエディ・レッドメインがいても面白そうだけど、「誰か足りないなぁ…」と考えたときに、それはただ一人、ジュード・ロウなんですよ。

もう鑑賞中ずっと「なぜジュード・ロウを呼び損ねたのだろう」と、キャスティングディレクターのセンスのなさに辟易していたよ、私は!

もしも本作が74年版なんてぶっ飛ばすほどの豪快なオールスター映画だったら、ケネス・ブラナーの退屈な映画術など気にはならなかったでしょう。

あぁ、惜しいなぁ、悔しいなぁ…。

誰かジュード・ロウ呼んでこいよ!

 

ジョニー・デップ不在の存在感。

そんな中、かすかな救いともいえる美点は黒人俳優の起用

これは現代だからこそ実現した、古典ミステリーの傑作を現代風にアレンジすることの意味が感じられる素晴らしいキャスティングだ。

だいたいこの小説って、色んな国籍の乗客がいるのに有色人種が一人もいないんだよね(時代背景を考慮するとやむなし…なのだが)。その点では74年版よりもすばらしい、ウィー・アー・ザ・トレインだよ。

 

次に褒めたいのは、ジョニー・デップの存在。

というか、ジョニー・デップの使い方がまさに理想的。

私は、ティム・バートンのオモチャにされてバカ殿みたいに白塗りしているジョニー・デップや、某海賊映画でのジョニー・デップが嫌いだ。いわゆる道化路線というか。

昔はかなり聡明な性格俳優だったのに、チャーリーとチョコレート工場(05年)から行きすぎた個性派俳優になったことで、この人の根底にあるアーティスティックな感性や色気が却って損なわれているんじゃないか、と。

だからこそ、脱・道化計画 第一弾のブラック・スキャンダル(15年)では、ジョニー・デップの「本当はこういう映画が作りたい」という魂の叫びが炸裂していて、本当に素晴らしかった。進んでジョニデファンを突き放すロック精神というか。

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ブラック・スキャンダルで不細工なマフィアを演じたジョニデ。ファンに対して「嫌え! ドン引きしろ!」と言っているかのような自己破滅的な玉砕精神がベリークールであるよなぁ。

 

そして本作での役は、まさにブラック・スキャンダルの変奏。

オールキャストを銘打つオリエント急行殺人事件において、ジョニー・デップを容疑者ではなく被害者(悪役)に置いた…という見事な采配にはただただ感服するばかり(ブラック・スキャンダルの経験が活きたのでしょう)。

ちょうどこういうジョニー・デップが見たかった、という完璧なタイミングでのこの配役。イイ!

食堂車でケネス・ブラナーと向かい合って話す不穏なシーンは、間違いなく『ヒート』(95年)に着想を得てますね。素晴らしい緊張感だ。

登場シーンこそ少ないが、もしこの映画にジョニー・デップがいなければ本当に救いようのない出来になっていた…と言っても過言ではないほど、ジョニー・デップ不在の存在感が映画の全域を終始支配している。

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また、オリエント急行での事件を解決したポアロが、今度はエジプトに旅立つところで映画は終わる…という幕引きはなかなか洒落ている。

アガサファン、もしくは映画ファンならここで「あっ。このあと『ナイル殺人事件(78年)に続くのね!」といってニヤリとできる、ちょっとしたファンサービスになっていて。

時おりこういう茶目っ気が出ているから、どうも嫌いになりきれない作品だ。

憎みきれないろくでなし映画の急先鋒といえる。