二大イカレ俳優の兄弟愛に萌えよ。
2009年。ジム・シェリダン監督。トビー・マグワイア、ジェイク・ギレンホール、ナタリー・ポートマン。
アフガニスタンで兵役に当たっている夫・サムの帰りを待つグレースの元に、サムの訃報が届く。絶望の淵にいるグレースと二人の娘を慰めてくれたのは、サムの弟、トミーだった。そんなある日、まさかの帰還をしたサムだったが、まるで別人のように変貌していて…。(Yahoo!映画より)
おっすー、みんな。エアコンの効いた部屋で反復横跳びしてる?
以前、やなぎやさんから「観ないと頭がへこむまでシバきます」とリクエストされたので『マイ・ブラザー』というさくひんを観ました!
これでへこまないはずだ、俺の頭。
尤も『マイ・ブラザー』とは言ってもウォンビンとシン・ハギュンが兄弟兄弟してる方の『マイ・ブラザー』(03年)ではなくトビー・マグワイアとジェイク・ギレンホールが兄弟兄弟してる方の『マイ・ブラザー』なので、韓流ババアの皆さまにはご容赦願いたい。
履き違えんな!
ちなみにリメイク元であるスサンネ・ビアの『ある愛の風景』(04年)は未見です。ごめんなさいね。
◆間接的なビア映画◆
話は簡単。
妻ナタリー・ポートマンと二人の娘を家に残してアフガニスタンに出征したトビーの部隊がアフガン上空で撃墜される。トビーの訃報が届いて悲しみに暮れるナタポーは、刑務所から出所したばかりのトビーの愚弟ジェイクと交流を重ねることで夫を失った悲しみを埋めていたが、実は死んだはずのトビーはテロリストの捕虜としてがっつり生きていた。
ようやくアフガンの悪夢から解放されてアメリカに帰国したトビーは、しかし戦場でのトラウマによって別人のように変わり果てていた。どうなるブラザー、どうなる夫婦!?
…といった中身である。けっこうヘヴィな中身と言えるよなぁ。
以前に評したスサンネ・ビアの『悲しみが乾くまで』(07年)と似ているなー、と思いながら前情報ナシで鼻水垂らしながら観ていたのだけど、観終わった後にこれが『ある愛の風景』のリメイクであることを知って、その監督がスサンネ・ビアだったんだよね。
「道理でね」つって。
鼻かみながら「道理でね」つって。
夫を亡くした妻。そこへ現れた一人の男と疑似家族を形成していく…って『悲しみが乾くまで』とまったく同じだもの。
つまりこの映画にはスサンネ・ビアの血が流れているというわけだ。
トビーの弟とトビーの妻が悲しみが乾くまで互いを癒し合う。
◆カットバックが退屈◆
さて、『ディア・ハンター』(78年)や『アメリカン・スナイパー』(14年)の系譜に連なるPTSDを扱った映画だが、それが分かるのはトビー生存が確認された中盤から。中盤に差し掛かってから、ようやく物語の骨格が見えてくるのだ。
それまでは「ナタポー×ジェイクのほっこり疑似家族っぷり」と「トビーの拷問捕虜生活」が繰り返しカットバックされるが、これは悪手ではないかなぁ。悪手だと思うなぁ。カットバックしたところでふたつの物語は結節せず平行線を辿るだけで、説話的な推進力にはならないからだ(むしろ退屈感を助長している)。
それに、わりと早い段階で観客だけにトビー生存が知らされるので、生存報告の電話を受けたナタポーが困惑と喜びに打ち震えるシーンがまったく活きない。また、それを察した監督は、本来ならばナタポーとジェイクが抱き合ってトビー生存を喜ぶシーンをバッサリ省略してしまっている(シナリオの構造上やむを得ないことではあるが)。
※さらに大人の事情を酌むなら、トビーの見せ場を確保するために無理やりにでも拷問捕虜生活をカットバックしなければならなかったのでしょう。
このふたつの物語が同時並行で描かれる。
事程左様にカットバックという選択によってずいぶん損をしている映画なのだけど、それを補って余りある美点はいくつか存在します。
ただし、ここからはほとんど妄想の域です。
◆どっちもイカれてるから交換可能◆
この映画の魅力は、トビー・マグワイアとジェイク・ギレンホールという二大イカレ俳優の共演に尽きる。
ジェイク・ギレンホールは『ゾディアック』(07年)以降、『ナイトクローラー』(14年)や『ノクターナル・アニマルズ』(16年)など、次第に狂気に取り憑かれていく男ばかり演じる正真正銘のイカレ俳優だが、トビー・マグワイアの方も『スパイダーマン3』(07年)に顕著なように、実はイカレ・ポテンシャルを秘めた男である。
そんなトビーが捕虜生活でおかしくなった軍人を、ジェイクが銀行強盗をして捕まった憎みきれないろくでなしを演じているのだが、おもしろいのは2人の役が交換可能であるということだ。
この映画、トビーとジェイクの役柄をそっくりそのまま入れ替えても綺麗に成立するんですよ(むしろ入れ替えた方がしっくりくるぐらい)。
なので、帰国後のトビーが目をギョロギョロさせて神経質になってるシーンでは「もしジェイクだったらどう演じるだろう?」とか、反対にジェイクがナタポーの娘たちと遊んでるシーンで「もしトビーだったらどうするだろう?」と想像する楽しさがある。
二大イカレ俳優、トビ―(左)とジェイク(右)。どちらも顔面サイコ。
◆ナタリー・ポテンシャル◆
自称 ナタリー・ポートマンの観察者としては、なかなか興味深い作品だった。
夫のトビーを失ったと思い込んで、その弟ジェイクのサポートを受けるうちにちょっといいムードになってうっかりキスをしてしまったという、複雑なりき未亡人心。
帰国後にすっかり変わり果てたトビーをケアせねばならないが、人を寄せつけないピリピリした雰囲気に気圧されてしまってなあなあな距離感を保ってしまう、微妙なりき妻心。
そうした寄る辺ない心境を『悲しみが乾くまで』のハル・ベリーよりも中間色豊かに演じている。
トビーとジェイクは「わかりやすく名演」だが、真に素晴らしいのはナタポーだ。
ただし綺麗すぎね。
本作のナタポーはヘアメイクに手を入れすぎ&照明凝りすぎで不必要に美しく、やや現実味を欠く。こういう役にはミシェル・ウィリアムズのような生っぽい女優が丁度いいと思う。
こういう役を演じるなら、もうちょっと痩せこけて、キューティクルとか破壊しないと。
入浴中すら美しく気高いナタポー。どうしたらそんなに気高く入浴できるんだ。
◆もはや萌え映画◆
これはもしかしたら歪んだ見方かもしれないが、「萌え映画として享受するという道もあるかな」と思ったので書かせて頂く。
愚弟ジェイクが妙に可愛いので、そこを支点にして本作を観るとジェイク萌えという境地に辿り着ける確率は高い。
映画前半では、「しっかり者の兄トビー」と「問題児の弟ジェイク」というコントラストが、父親サム・シェパードからの露骨な兄贔屓によって強調される。
ところが、戦場で闇落ちしたトビーが帰国してからは「問題児の兄トビー」と「しっかり者の弟ジェイク」へと兄弟関係が反転するのである。
これまで兄に面倒ばかりかけていた弟が、今度は捕虜生活でおかしくなった兄を支える…というジェイク萌え!!
あると思います。否、あって欲しい。
いや、あるべきだ。
というわけで、二大イカレ俳優の兄弟愛とPTSD、そしてナタポーの不必要な美しさを隠れ蓑とした萌え映画が『マイ・ブラザー』である。
どうでもいいけど、ジェイク・ギレンホールって『トイ・ストーリー』のウッディに似てるよな。
スパイダーマンとウッディ。