悪夢のWローレンス伝説再び。
2017年。フランシス・ローレンス監督。ジェニファー・ローレンス、ジョエル・エドガートン、マティアス・スーナールツ。
事故でバレリーナになる道を絶たれたドミニカは、ロシア政府が極秘裏に組織した諜報機関の一員となり、自らの肉体を使った誘惑や心理操作などを駆使して情報を盗み出す女スパイ「スパロー」になるための訓練を受ける。やがて組織の中で頭角を現したドミニカは、ロシアの機密情報を探っていたCIA捜査官ナッシュに近づくというミッションを与えられる。接近したドミニカとナッシュは互いに惹かれあいながらも、それぞれのキャリアや忠誠心、国家の安全をかけてだまし合いを繰り広げていく。(映画.comより)
よっす、みんな。おはようござ。
今日はちょっと話すことがないなぁ。でも前置きを書かないと文句を言う読者が一部にいるからなぁ。
人と話しててもたまに全く話題が浮かばないときがあって、そういうときは「困りました。話題がありません」とだけ言って押し黙ります。それを言われた相手は、たぶん私より困ったと思います。
mixiをしていた頃は話題がないことを話題にした記事をずいぶん書いたものだけど、それも私の中ではすでにやり尽くした感があるので、いま現在、八方塞がりというわけです。
マジで話題がない。さぁどうする。どう出るオレ。
今朝は雨が降っているので雨の話をしてもいいけど、そんなくそみたいな話をしたところで誰が喜ぶんですか。たとえば私が「雨が降ってイヤな心持ちがする。雨は嫌いだ」と言ったとするよね。それを読んで「あー愉快痛快。なんて面白い前置きなんだ。読んでよかったと心から思えたな。今日一日がとびきり輝く気がするな」と思ってくれる読者が果たして何人いるんですか0人です。食い気味で言います0人です。
もしそんな読者がいたとして、それってどんな読者なんだ。会ってみたいわ。会って「何がそんなに面白かったんですか?」って聞いてみたいわ。
ていうか昔から思っていたのだけど、天気の話って何が面白いんですか? なんでみんな天気の話をするんですか?
なんか世間話の代表格みたいに扱われてるけど、たとえば冬場に「今日は一段と冷え込みますねぇ」、「本当ですね。寒いですねー」って当たりめえだろ冬なんだから。
夏場に「今日も暑いねー!」、「ほんっと暑いよね。汗が止まりませんわー」って当たりめえだろ夏なんだから。
なにこれ? なにこの非生産的な言論空間。何も生み出さず、どこにも辿り着かない、馴れ合いという名のイタチごっこ。
それを言ってどうなるのか。そりゃあさ、暑い日に「暑い」と言うことで多少涼しくなるのならいくらでも「暑い」と言うけれど、そうは問屋が卸さねーじゃん。「暑い」とか「寒い」とか「雨イヤだ」とか言っても、どうにもなんねーじゃん。オレたちに世界は変えられねーじゃん。無力じゃん。
私の身近に毎回会うたびに天気の話をしてくる人がいる。その人のことはとても好きなのだけど、「おはよう、ふかちゃん。ちょっと寒くなってきたよねぇ。今年の猛暑とはえらい違いだよ」と言われるたびに「いや当たり前やん、11月なんだから。暑いわけないやん。むしろ爆裂級に暑い11月ってどんな11月なのか青天の霹靂なのかいよいよ世界が終焉を迎えるというのかぁぁぁぁあああああ!」なんてなことを思ってしまうのです。すみません。
というわけで本日は『レッド・スパロー』です。いやなことをいっぱい書きました。
◆二十代にして女傑、ジェニファー・ローレンス◆
ジェニファー・ローレンスは完全に舵を切りそこなったと思う。
全米で20以上もの映画賞に輝いた『ウィンターズ・ボーン』(10年)で突如ハリウッドのど真ん中に降りてきた才女…いや、女傑。
若干二十歳にして大女優のような貫禄とオオカミのような勘と嗅覚を持った、まぁ一言でいえば天才である。
ところが『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』(11年)と『ハンガー・ゲーム』(12年)というシリーズモノのハリウッド大作と出演契約を結んだことで早くも暗雲が立ち込める。
とりわけ、世界中のガキから金を巻き上げるためだけに作られたヤングアダルト映画『ハンガー・ゲーム』はどうしようもないシロモノで、この女傑の貴重な20代をガリガリと食い潰した。あんな映画ごときにジェニロレの才能は引き出せない。
要はオーバープロデュースの生贄なのだ。
おそらく映画会社は「このシリーズに出れば有名になれるよ」などと言って目先の金と栄光をチラつかせて右も左も分からない新人のジェニロレを出演させたのだろうが、この手の映画に出た俳優はその後のキャリアをタイプキャストの払拭に費すことになる。『プリティ・プリンセス』(01年)のアン・ハサウェイや『トワイライト~初恋~』(08年)のクリステン・スチュワートのように茨の道を辿ることが目に見えているのである。
というかすでに辿り始めている。ジェニロレの足の裏は茨で血だらけだよ!
弓ぴゅんぴゅん映画『ハンガー・ゲーム』。
◆ジェニファー・ローレンスがフランシス・ローレンスに丸め込まれた一部始終◆
さて、そんなジェニロレがまたしてもフランシス・ローレンスに騙された(『ハンガー・ゲーム2』以降を手掛けたバカ監督)。
以下は二人が交わしたであろうやり取りを何の根拠もなく推測したものである。
監督 「やぁ、ジェニファー。また一緒に仕事しない?」
ジェニロレ「もうイヤよ。『ジョイ』(15年)とか『マザー!』(17年)みたいなマジメな映画に出て『ハンガー・ゲーム』のイメージを払拭してるんだから。悪いけどほかを当たって」
監督 「ちょい待ち。今度の企画はバカ映画じゃないんだ。『レッド・スパロー』と言って、大人向けのスパイ映画なのさ!」
ジェニロレ「…そうなの?」
監督 「しかも、きみにはヌードやベッドシーンをやってもらいたいと思ってるんだ。暴力描写もかなり過激だし、こういう攻めた映画はきみのキャリアにとって絶対プラスになると思うんだよねぇ」
ジェニロレ「まだちょっと疑わしいナ…。ちなみに共演は?」
監督 「聞いたら目玉が飛び出るぜ。シャーロット・ランプリングとジェレミー・アイアンズを押さえたんだ!」
ジェニロレ「めっちゃ大物やん!!!」
監督 「そうなんだ。あの二人もジェニファー・ローレンスが主演なら出てやってもいいって言ってたよ。とても光栄なことじゃないか」
ジェニロレ「やるわ!」
監督 「じゃあこの紙にサインしてね」
ジェニロレ「伝説作るでぇー(サインする)。ジェニファー・ローレンスとフランシス・ローレンス。Wローレンス伝説の幕開けやでぇー」
監督 「オーケー、契約成立だ」
ジェニロレ「ちなみにスタッフは信頼できるんでしょうね?」
監督 「撮影はジョー・ウィレムズ。編集はアラン・エドワード・ベルだよ」
ジェニロレ「『ハンガー・ゲーム』のスタッフやないか」
監督 「身内がいちばん信用できるんだよ」
ジェニロレ「いや、ダメでしょ。『ハンガー・ゲーム』の二の舞になるじゃん。撮影と編集って映像の要でしょ?」
監督 「信頼してあげようよ。3年間一緒にやってきた仲間じゃないか」
ジェニロレ「ちなみに今回の上映時間は? 『ハンガー・ゲーム』は4作すべて120分超えでダラダラしてて長いって批判が多いのよ」
監督 「一応あれだよ…、『レッド・スパロー』は骨太な映画だから140分を想定してるよね」
ジェニロレ「なっっが!」
監督 「スパイ映画はだいたい長いもんだよ。『007 スペクター』(05年)も『ミッション:インポッシブル フォールアウト』(18年)も140分台なんだしさ」
ジェニロレ「まぁ、そんなもんか…」
監督 「そんなもんだよ。気にしない気にしない!」
斯くしていかがわしい気配を湛えたまま撮影がおこなわれたのであった…。
いいかげんな監督に不安を隠せないジェニロレ。
◆満を持してのぱっつんロング◆
バレエを踊るジェニロレと逃亡するジョエル・エドガートンをクロスカッティングで捉えていくファーストシーン。意図的に状況を説明しないことで、このあとバレリーナのヒロインが何らかの事情によって女スパイに転身することを予感させ、何度も繰り返されるマッチカットはこの一組の男女がやがて結ばれることを無言のうちに公約する。
携帯電話を多用した演出はたいてい失敗するというジンクスを打ち破った秀逸なスマホ活用術や、ラスト・ミニッツ・レスキューを逆手に取った作劇など、至るところにサスペンス装置が仕掛けられていて画面の緊張感を持続させている。
あれ…?
『ハンガー・ゲーム2』に比べれば出来は上々だ。わりと良いじゃん。
やるじゃない!
バレリーナの道を絶たれた彼女が「国家の美しい武器」として色仕掛けを使って諜報活動をおこなう過程で、エドガートンと出会い、ロシア政府の闇を知り、権謀術数が渦巻くポリティカル・サスペンスが展開される『レッド・スパロー』。
男のように暴れまくる『アトミック・ブロンド』(17年)のシャーリーズ・セロンとは対照的に、本作のヒロインは女の色気と機知を使って相手を騙す。ジェニロレの蠱惑的な表情と扇情的なプロポーション、そしてリッチな美術衣装の数々も相まってなかなかに典雅な物語世界を醸成しています。
自称・髪型評論家としてはブロンドのぱっつんロングを評価しないわけにはいかない。
ジェニロレといえば何かにつけてデコを見せたがるデコ女優として知られており、特に近年はデコ丸出しのミディアムパーマを気に入っているようだが、私は『ウィンターズ・ボーン』を観たときからぱっつんロングを推奨していました。
そして今回、ようやく私の要望が通ってぱっつんロングを披露。
奇しくも『アトミック・ブロンド』のシャーリーズ・セロンがぱっつんミディアムだったので、その意味でも『レッド・スパロー』と『アトミック・ブロンド』は好対照をなす姉妹編なのである(こじつけ)。
『レッド・スパロー』のジェニロレ嬢(左)と『アトミック・ブロンド』のシャリセロ様(右)。同じ年に作られた女スパイ映画。
◆エロのためのエロ◆
DA・KE・DO!
やぁっぱりフランシス・ローレンス。この男の処女作『コンスタンティン』(06年)はお気に入りの作品だけど、その後の作品を見るにつけ『コンスタンティン』の成功はビギナーズラックだったのでは…と邪推したくなるほど、基本的に能力はめちゃめちゃ低い監督です。
なんといっても、第一幕でジェニロレが強制的に入学させられるスパイ養成学校のシーケンス。20~30分ぐらいあるのかな?
丸ごと要らん。
この学校ではスパイ技術や戦闘訓練ではなく色仕掛けを身に付けさせるためにシャーロット・ランプリング演じる教官のもとで美男美女の諜報員たちが性的奉仕とか羞恥心を捨てる訓練を課せられるのだが、まぁはっきり言ってジェニロレのヌードシーンをフィーチャーする為だけに誂えられたシーケンスである。
したがってジェニロレがめちゃめちゃ乳放り出してます。2014年のセレブゲート事件*1で大量のヌード写真が世に出回った後なので、良くも悪くも開き直っているのだろうか…?
そもそもこの映画は(トレーラーを見た時点でほとんどの人が察した通り)エロ推しの作品なのだ。「ジェニファー・ローレンスがバンバン脱ぐから観てね!」っていう、その命綱だけ。先刻から私はスパイスパイと言っているが、要するにこの映画のヒロインはスパイというよりハニートラッパーなのである。もはやエロありき。
だからスパイ養成学校とは名ばかりのエロ養成学校シーケンスが無理くり入れられているというわけだ。
おまけに教官役に『愛の嵐』(74年)のシャーロット・ランプリングを配役するという手の込みよう。「どう? 気が利いてるでしょ?」と言わんばかりの監督のドヤ顔が目に浮かぶが… で? としか思いません。
『愛の嵐』は元ナチス親衛隊員とゲットーに収容された美少女(ランプリング)の愛欲をデカダンス趣味で描いたエロティック・ロマンスです。
なぜこのシーケンスが不要なのかといえば、中盤以降はジェニロレがまったく色仕掛けを使わないからだ。
中盤以降のジェニロレはセクシー街道から外れて頭脳戦とかに興じているのである。結局フツーのスパイ映画かよ!
色仕掛けで要人を誘惑して情報を引き出す…という女スパイを主人公にしたセクシュアルな作品にも関わらず、その主題がどんどんボヤけていってしまうので「逆算的に考えて養成学校のシーケンスって何だったんだ?」という大いなる疑問にぶち当たるのである。
本来なら手段であるはずのエロが目的化していてエロのためのエロとして自己完結してしまっていて。エロのためのエロならポルノ動画で済む話である。
なんならコンセプトがブレてないだけポルノ動画の方が志は立派。
前半の乳推しと後半の乳の不在の落差がすげえ。
◆思慮が浅い◆
「ジェニロレが脱ぎます!」というセンセーショナリズムを失った映画後半は、もっぱら暴力描写に傾斜していく。前半エロ、後半バイオレンスという謎の二部構成。
ロシア政府に捕らえられたジェニロレはボッコボコに殴られて「あー」とうめき、エドガートンは皮膚スライサーで皮を剥がれて「うっぎゃー」と叫ぶ。
『ホステル』(05年)ごっこが繰り広げられる大騒ぎの後半戦。ただただ低俗かつ悪趣味である。エロもバイオレンスも即物的すぎて。
また、空港が舞台だというのにクライマックスの人質交換シーンで風のひとつも吹かない。往々にしてCGに慣れた監督に欠けた素質だと思うのだが、風や雨といった自然現象を使って映画のダイナミズムを演出する…というごく当たり前の作法すら身に付けていないというCG世代あるあるにゲンナリ。
一度コンピューターから離れて外の風に当たって来い。
また、ジェニロレの家に電話が掛かってきて受話器を取る…という、ちょっと意味深なラストシーンがファーストシーンと対になっていて一見 気が利いてる風なので、そこで心を掴まれて「巧い!」などと称賛する人が結構いるけど、よく見るとぜんぜん対になってないからね。円環構造ってそういうことじゃないですから。
最初に長所を挙げたように『ハンガー・ゲーム2』に比べればかなり頑張った方だと思うけど、それを差し引いてもなお赤点と言わざるを得ないぐらい思慮が浅い。
そう。フランシス・ローレンスの作品全般に言えることは思慮が浅いのである。
幸い『コンスタンティン』では思慮の浅さがシリアスな笑いになっていたからその意味でもビギナーズラックなのだが、『レッド・スパロー』は思慮の浅さを笑い通すにはあまりにも長すぎる。この内容で140分て…。無駄でしかない養成学校シーケンスを省いたら120分未満に収まりましたやん。
さすがに監督業を10年やってこの仕上がりはちょっとマズいでしょう。伸び代を感じないというか…むしろ『コンスタンティン』の頃より縮んでない?
ちなみに、今さらだけどこの映画…全編に渡ってジェニロレ依存がすげえっす。
ジェニファー・ローレンスだからどうにかこうにか成立した、というぐらい主演女優の命綱がすげぇ。今からチョモランマに登るというのにロープ一本しか持ってこなかった奴ぐらい向こう見ず。「え、道具それだけ? …たぶん無理ちゃう?」っていう。
まぁ、裏を返せばこんな映画でもどうにか成立せしめるぐらいジェニファー・ローレンスは凄いということの傍証でもあるのだけど。
頼む、ジェニファー・ローレンス…。Wローレンス伝説とか言ってないで、今すぐフランシス・ローレンスと袂を分かってくれ。
でないとそろそろキツいよ。そろそろ後がないよ!