シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

黄昏

なんかローレンス・オリヴィエがグズグズになってく映画。

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1952年。ウィリアム・ワイラー監督。ローレンス・オリヴィエ、ジェニファー・ジョーンズ、エディ・アルバート。

 

19世紀末のアメリカで、キャリーという美しい田舎娘がシカゴにやってきた。だが生活に困ったキャリーは、汽車で知り合った男にだまされ同棲することに。男に結婚の意志がなく、だまされたと知ったキャリーの前に第二の男ジョージが現れるのだが…。(Amazonより)

 

おはようございます、下界の民たち。

 昨日は更新する予定だったけど歯がずきんと疼いたのでサボタージュしてしまった。歯の痛みというやつはあまねく意欲を無に帰すので、これからも歯が痛むたびにサボタージュすると思います。まあ、歯が痛まなくてもサボタージュはするのだけど。

あと、てっきり死に絶えたかと思っていたとんぬらさんが3ヶ月の沈黙を破って記事を書いたことが嬉しかったし、祝福したいと思った。でも復活した途端にお亡くなりになる有名人とか多いので、その辺だけ気をつけてほしいと思った。やっと復活!と思わせて、しばらくしたあとに死亡とか引退とか逮捕とか活動休止とか…結構あるよねぇ。

だけど私はとんぬらさんのブロガリングを信じています。え、ブロガリングの意味? たったいま思いついた言葉だから意味は追々考えていくよ!

ちゅこって本日は『黄昏』ですが、特にこれという話もしてないので、正味、読まなくていいです。読みしろもなければオモシロもないのでね。でもオレのブロガリングは伸びしろだらけ!

ブロガリングってなに。

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◆君にはウィリアム・ワイラーの顔が思い浮かぶか◆

俗にパンピーと呼ばれる一般大衆は何らかの作品を享受する際に作者をあまり気にしない。

もっとも、繰り返し聴く音楽や、作者の思想的/言語的影響を受けながら時間をかけて取り組む読書においてはどれだけパンピーが怠惰とはいえそれなりに意識もするだろうが、これが映画になると途端に作者は人々の興味から外され、係累を断ち切られた映画は無媒介的に映画であらんとするわけです。テレビ番組のスタッフロールを熱心に見ながら「へえ、プロデューサーが誰それで構成作家がこの人だったのかー。おーん、ほっほーん、参考になったわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」と激烈に頷いてみせる人間などそういないように、人は映画の作者を気にしない。とりわけ「映画作家」と呼ばれる契機を逸した「映画監督(職人監督)」なら尚更である。

 

そんなわけで、ウィリアム・ワイラー『我等の生涯の最良の年』(46年)でアカデミー賞9部門を制した監督だと聞いてもその顔がポンと思い浮かぶ人間はそういないし、もし浮かんだ人間がいたとすればそいつはワイラーの親族である確率が高い。

では『ローマの休日』(53年)の監督だと言えばどうか。

シネマ・コンシェルジュといういかにも怪しい肩書きを持つ吉川明利氏は「若い観客層にはワイラーの名前は意識されていないが『ローマの休日』の監督であると言えば話は何とか通じる。そういった意味ではフォードやワイルダー以上の存在であり、ハリウッドの巨匠と言われて当然なのだが、どうも日本ではその『ローマの休日』が逆に足かせとなって不当に評価されている気がしてならない」と嘆いている。

ハリウッドの巨匠と言われて当然」という一文を除けば概ね同意です。

オードリー・ヘップバーン好きには『コレクター』(65年)『おしゃれ泥棒』(66年)でも馴染みのある監督だし、また私は『ローマの休日』の10倍の製作費をかけてアカデミー賞最多記録となる11部門を奪い尽くした212分の超大作『ベン・ハー』(59年)の圧力にぶっ潰された人間なのでワイラー=おれを圧殺した男として大脳皮質の片隅にメギャンって感じで記憶している。メギャン!

事程左様に、ウィリアム・ワイラーは実績があるのに顔を覚えてもらえない大家ナンバーワンなのだ。私はさておき一般的にはノット・メギャンなのだ。とても気の毒だよなー。私と親族以外にメギャンしてもらえないなんて。

だが、ワイラーの方に「これは覚えないといけないぞ」と記銘を促すだけの作家性がもうひとつ足りないのもまた事実なのである。はっきり言って世の映画好きから気に入ってもらうには技術や感覚より個性を打ち出せばよいのだ。

映画好きほど映像技法には無頓着で、美的感覚にも乏しく、もっぱら映像個性に執着するのですからねっ。

mixi時代の私なら「味さえ濃ければなんでも美味しく感じる感覚麻痺の馬鹿舌どもがダニー・某イルとかペド□・アルモドバルを褒めるのだ」と続けていただろうが、もちろん今の私はそんなこと言いませんよ♡(言ったも同然の身振り)

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オリヴィエがオリヴィエだから

さて、ワイラーが『ローマの休日』のひとつ前に撮った『黄昏』だが、これは前回扱った『旅愁』とほとんど同じ内容。クリソツもクリソツである。不倫や略奪愛を描いた貞操観念ガバガバロマンスで、ひょんなことから出世した女が男を捨てて夢を選ぶ…という中身ゆえに男性観客にとってはヒャーってなる映画です。

姉夫婦をたよってシカゴに出てきた田舎娘ジェニファー・ジョーンズ(J・J)が勤め先をクビになって路頭に迷っていると、お調子者のエセ紳士にナンパされ、金銭的援助を受けるうちに成り行きで同棲してしまう。

一方、二人がよく通うレストランの支配人ローレンス・オリヴィエは金持ちの妻とドラ息子との冷え切った家庭生活にうんざりしている一級紳士で、身なりは汚くとも純情可憐なJ・Jに惹かれていく。ついに愛を決断したオリヴィエは店の金庫からビッグマネーをパクり、J・Jの手を引いてニューヨークに駆け落ち。しばしの間はバラ色の日々が続いたが、その先には必然という名の地獄が大口を開けて待ち構えていた。

それでは地獄ツアーに参りましょう。

 

地獄①

これまで羽振りのよかったオリヴィエには極貧生活が耐えられず、上流階級としての自尊心がげしゃげしゃに崩壊。J・Jにも八つ当たりするようになる。不穏っ。

地獄②

シカゴで金庫荒らしを働いたことがNY中に広まり、どこにも雇ってもらえず職業案内所でホームレスと皿洗いのアルバイト権を争奪するまでに落ちぶれる。悲惨っ。

地獄③

J・Jが妊娠するも流産。しかも生活苦のあまりJ・Jの流産を喜んでしまう。修羅場っ。

地獄④

妻と正式に離婚するためになけなしの財産を根こそぎイかれる。不憫っ。

地獄⑤

舞台女優として大成したJ・Jに逃げられ幾年、ついに餓死寸前の浮浪者にまで身を落とし、久々に再会したJ・Jに「今晩だけ助けてくれ…」と泣きすがって食べ物を恵んでもらう。それをムシャムシャムシャッと食って一人姿を消す。おわりっ。唖然っ。

 

あ、きっつー。

これは観ていて相当キツい映画であったなー。なぜなら、残酷な運命が愛し合う二人の仲を引き裂くからではなく、映画が身から出た錆で落ちぶれていくオリヴィエだけをピンポイントで引き裂くからです。

流産の悲しみを乗り越えてスターダムにのし上がるJ・Jと反比例するごとく、オリヴィエの方は一向に仕事に就けず、酒におぼれ、見るも無残に堕落してゆく。シカゴでの栄華は見る影もなく消え失せ、金庫荒らしの罪と妻からの慰謝料はどこまでも追いかけてくる。金もプライドも社会的信用も失い、ついに愛まで失ったオリヴィエ。

二人が出会ったころ、J・Jは貧乏底なしの田舎っぺだったが、やがて女はスターに、男は物乞いと化す立場逆転の悲惨なるつらみ。

まあ自業自得だが、まったく同情できないだけに却って正視に耐えないのだ。わかりる?

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どちゃくそ困窮するオリヴィエ。

 

何より『黄昏』が正視に耐えない最たる理由はオリヴィエがオリヴィエだからである。

この無残極まりない凋落紳士を演じたローレンス・オリヴィエは(今さら改めて紹介しますが)ナイトの称号を得た英国最高峰のジェントルスターで、その甘いルックスで世の婦女子を虜にする一方、シェイクスピアを片っ端から映画化していく根っからの演劇俳優だった。

自ら監督・主演・製作を務めた『ヘンリィ五世』(44年)『ハムレット』(48年)『リチャード三世』(55年)はイギリス映画の古典とされた他、『無敵艦隊』(37年)『美女ありき』(41年)では英国最高峰の大女優ヴィヴィアン・リーとの完璧な調和がスクリーンを超えて二人を結び、やがて結婚。老年期に入ってもキューブリックの『スパルタカス』(60年)やダスティン・ホフマン主演の『マラソンマン』(76年)で強烈な悪役ぶりを見せつけた。

余談だが、同じく英国俳優のケネス・ブラナーとかいう何の才能も持たないシェイクスピアおたくが「ローレンス・オリヴィエの再来」などと言われてきたが、富と権威の象徴たるローレンス・オリヴィエの格式を前にして頭を掻きながらマガイモノであることを自供するだけの分別はあっても、それを超えうる素地など一片たりとも持ち合わせてはいまい。

そんなオリヴィエが泥だらけの物乞いを演じることのショック度合いは、例えるならネフェルピトーに瞬殺されたカイト刃牙に軽くいなされたマホメド・アライJr.プッチ神父に全員殺害された承太郎たちへの「え…?」を軽く凌ぐレヴェル。

あの美しく高潔な英国紳士がハエにたかられて悪臭を放つだと?…的なことである。あっていいのか、そんなことッ!…的なことである。

 

ちなみにJ・Jことジェニファー・ジョーンズも戦後ハリウッドで鳴らしたトップスター。

デビュー作『聖処女』(43年)でいきなりアカデミー主演女優賞をゲットし、その後『白昼の決闘』(46年)『ジェニイの肖像』(48年)などで人気を得たが、やはり有名なのはオリエンタル・メロドラマの筆頭株『慕情』(55年)における中国系ヒロインだ(隅から隅までアメリカ人のJ・Jが無理くり中華風メイクに身を預けた勇気の作品)

ジョーン・クロフォードやエリザベス・テイラーのように黒髪にこだわった数少ない女優の一人でもある。黒髪は最高だ。

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ローレンス・オリヴィエヴィヴィアン・リーのビッグカップル(左)、ひとり木に寄りかかるジェニファー・ジョーンズ(右)。

 

◆撮らぬ映画の皮算用◆

ことによると『黄昏』は人を苛立たせもするだろうし、オリヴィエの身勝手さが招いた陰惨な結末にポップコーンを投げつける人民も一定数いるようです。

かくいう私も焦れ込みながら画面を睨みつけ、時おり「ワイラー、この野郎」などと呟きながらの122分を過ごしたわけで、セットの素晴らしさと夜のムードを除けば不満だけが装填されてしまいました。俺のリボルバーに。

ウィリアム・ワイラーに辛うじて作家性がみとめられるとすれば『嵐ケ丘』(39年)でパンフォーカスを、『偽りの花園』(41年)で長回しを用いた撮影監督グレッグ・トーランドのノウハウである。

ウェルズの『市民ケーン』(41年)を手掛けたトーランドだからワイラー作品にもたらした技術的恩恵は計り知れないが、46年の『我等の生涯の最良の年』が最後のタッグ作となったワイラーは彼の残したノウハウに馴致し、その余勢を駆って「トーランドならどう撮るか?」という愚かな視点から本作を手掛けたが、そうして完成したのは“トーランドっぽさ”のパッチワークだけで出来た二流品。

いみじくも前章で「前回扱った『旅愁』とほとんど同じ内容」と述べたように、本作の撮影監督が『旅愁』のヴィクター・ミルナーという点もたいへん興味深い。『旅愁』の監督ウィリアム・ディターレとミルナーが一糸乱れず連携していたのに対し、本作のワイラーとミルナーはそれぞれにトーランドの亡霊を追っていて、監督とカメラマンの紐帯がボロボロに弱化しておるのです。

 

たとえば、駆け落ちを決意したオリヴィエが自宅を飛び出してJ・Jのアパートまで駆けるシーン。オリヴィエの走り方がそれはないだろうとガッカリするほどダサい…という問題はひとまず措くとして、「自宅を出たショット」と「アパートに着いたショット」がほとんど同じ構図におさまっているのは一体どういう了見か。これでは自宅を飛び出したオリヴィエが近所をジョギングして再び家に帰ってきたように見える。観る者をして「駅伝めざしてるのかな?」と思わしめる実にシュールな一幕であった。

また、オリヴィエがシカゴに暮らす息子に会いに行ってるあいだにJ・Jが置手紙を残して姿を消してしまうシーン。カメラはシカゴ~NY間をディゾルブ一発で移動してしまうので、オリヴィエがNYの自宅に帰ってきてもそれがシカゴのモーテルに映りもするので大変に紛らわしい。移動中のオリヴィエをインサートするだけで整理できたはずのごく簡単な画運びは、しかしトーランドの猿真似への執着によって自覚症状なき自壊を迎えちまったわけだ。

 

こりこりした批判ばかりして申し訳ない。

ワイラーの顔を忘れかけております。

ひとまずワイラーの親族でもなければ『我等の生涯の最良の年』『ローマの休日』だけ観ていれば「この監督、知ってるぜ」と威張り散らせるので『黄昏』のことは一旦忘れちゃって下さい(見なければならない映画には優先順位があり、且つ本作は見なくともよい映画なのだ)。

あ。だから僕たち、いつまで経ってもワイラーの顔が覚えられないのか!

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