シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

パシフィック・リム

地響きと咆哮が奏でるロックンロール・ショー。よだれデルトロ!

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2013年。ギレルモ・デル・トロ監督。 チャーリー・ハナム、菊地凛子、イドリス・エルバ。

 

太平洋の深海の裂け目から巨大怪物が突如出現し、サンフランシスコ湾を襲撃。「KAIJU」と名付けられたその怪物によって、わずか6日間で3つの都市が壊滅する。人類は存亡をかけて団結し、環太平洋沿岸諸国は英知を結集して人型巨大兵器「イェーガー」を開発。KAIJUとの戦いに乗り出す。それから10年が過ぎ、人類とKAIJUの戦いは続いていたが、かつてKAIJUにより兄を亡くし失意のどん底にいたイェーガーのパイロット、ローリーは再び立ち上がることを決意。日本人研究者のマコとコンビを組み、旧型イェーガーのジプシー・デンジャーを修復する。(映画.comより)

 

まいどおおきに。

そろそろマフラーや手袋をしない人民が増えてきてるけど、私はまだ無理だね。1月に比べればずいぶん寒さもマシになってきたので、しなくてもいいっちゃいいけど、まぁするに越したことはないじゃない。冷えるのイヤじゃない。

私の場合、すぐに手がかじかんで動かなくなるといった末端冷え性なので、批評を書く前に水道のお湯で手を温めるといった下拵えが必要なんですヨ。一度は手袋をして文章を書いたこともあったけど、誤字率が爆上がりしたのでおすすめはしません。

本日は久しぶりに『パシフィック・リム』を観返したのでそのお話をしたいと思います。今さら感がすごいけど、まぁそう言いなはれや。

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 Image:Legendary


ジャンルの檻から解き放たれしブタ

公開当時はえらいお祭り騒ぎだったが、私は華麗に黙殺している。基本姿勢として「観た映画はすべて批評する」というストロングスタイルを貫いているが、この映画に関しては批評すら書かなかったほど当時の私は冷めていた。

というのもギレルモ・デル・トロはホラー演出の人だという思い込みがあったのである。

このメキシコ生まれの百貫デブは、大まかに分けて二通りの作風を持つ。ひとつは少年心を大いにくすぐる『ブレイド2』(02年)『ヘルボーイ』(04年)のようなアメコミ原作のオタク路線。本作『パシフィック・リム』もこちらに含まれる。とりわけ日本のマンガ・特撮に造詣が深いことから怪獣映画やロボットアニメファンから絶大な支持を得ている作家である。

もうひとつは『デビルズ・バックボーン』(01年)『パンズ・ラビリンス』(06年)といったスペイン内戦を寓話化したファンタジー・ホラー路線で、どうもデルトロの手腕はこちらの方が光る。

とりわけ『クリムゾン・ピーク』(15年)がデルトロ史上最高傑作のゴシックホラーだったので「やはりデルトロの本領はホラーだ!」と確信したのだが、そんな私の論考が狂い始めたのがアカデミー作品賞まで取ってしまった『シェイプ・オブ・ウォーター』(17年)おばはんと半魚人の純愛映画である。

ここで愚昧な私はようやく気づく。

デルトロはジャンルの檻から解き放たれたブタで、何を撮ろうがデルトロなのだ、と。


どうも当時の私が冷めていたのは『パシフィック・リム』に対してではなく、Twitterを中心とした「お祭り騒ぎ」に対してだったらしい。

ロボや怪獣といった日本のサブカルチャーが大フィーチャーされたことで、あたかもこの映画を「日本人への贈り物」と勘違いした日本国民が「デルトロありがとぉぉぉぉ」と拝み倒すことへの気味の悪さ。そうした「西洋人が日本文化を持ち上げることを異常なほど喜ぶ日本人」という構図は『レディ・プレイヤー1』(18年)にも顕著なのだが、当時の私はそれに対する嫌悪感と映画の評価を混同してしまっていたわけだ。

大いに反省しております。

そして今回、なんとなく観返した『パシフィック・リム』が素晴らしい出来だったので、その感動をみんなに伝えるという作業を慎ましくおこなっていくね。

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Image:MovieDetails


◆少年漫画より少年漫画してる◆

巨大怪獣が次々に現れて太平洋沿岸都市をメチャメチャに破壊するので、人類はこれを「KAIJU(カイジュー)」と命名、科学の粋を集めて「イェーガー」なる巨人兵器をお作りなさってカイジューを迎撃するのだが、このイェーガーの操縦がひどく難しいようなのだ。

二人のパイロットが互いの神経回路をシンクロさせてイェーガーを操縦するので、阿吽の呼吸が必要っていうか、一人が「右で殴りたい」と思っても、もう一人が「キックしたい」と思うとイェーガーはうまく動かない。「同時に違う命令しやんといて」といってイェーガーが混乱してしまうわけだ。したがって二人のパイロットに求められるのは運動神経や精神力よりも人の気持ちを考えられる優しさ!

お互いの気持ちがシンクロしないとイェーガーは動かせないのである。イェーガーは優しさで動いております。

また、イェーガーは製造国によってデザインも性能もまるで違う。アメリカが誇る「ジプシー・デンジャー」、オーストラリアの「ストライカー・エウレカ」、中国の「クリムゾン・タイフーン」、ロシアの「チェルノ・アルファ」などなど…、千差万別の個性でカイジューに挑むのだ。つよいぞー。かっこいいぞー。

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Image:Fandom


かつてカイジューとの戦闘中に相棒を失ったチャーリー・ハナムが再びイェーガーに乗り込んで世界の危機を救う、といった充実の中身を誇る『パシフィック・リム』

ゴジラ、マジンガーZ、パトレイバー、エヴァンゲリオン、平成ガメラなどを綯い交ぜにした極めて趣味性の高いロボット映画で、日本での大騒ぎも さもありなん。菊地凛子が主人公の相棒を演じており、その幼少期を芦田愛菜ちゃんが演じていることも話題に。

ちなみに日本語吹替版では菊地凛子の声を林原めぐみ『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ)が当てていたりしてオタクへの目配せも抜かりない。

果てはエンドクレジットで示される「レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧げる」の一文でおじさん世代を大号泣させる術も知り尽くしているのだから、やはりデルトロはポーズだけの日本オタクではないのだ。マジモンだよ、このおっさん。


巨大ロボと怪獣がステゴロで殴り合うバトルシーンばかり取り沙汰されるが、個人的には王道の少年漫画のようなアツくて薄っぺらい人間ドラマをこそ見所としたい。

戦線復帰したハナムが菊地と組んでイェーガーに乗り込むわけだが、徐々に親睦を深めていく二人の関係にドキドキ!

わけても菊池がドアスコープ越しにハナムを窃視する…という演出がいい。古典的なホラー演出を押さえているデルトロは、それをロマンスとして応用しているわけだ。

ほぼ無名のチャーリー・ハナムはこの手の熱血主人公には珍しく細やかな表情を見せていて、格好をつけずによく笑うので好感が持てる。菊池は初登場シーンで傘から顔を覗かせる仕草にハッとさせられるし、技斗でなびく髪もいい。こういうところに生身の映画が息づくのだ。傘の使い方や髪のなびき方はド迫力のバトルシーンよりも遥かにスペクタクルだ。

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菊池のリンちゃん(左)とチャーリーハナ坊(右)。


事実上の主演は防衛軍司令官のイドリス・エルバである。

菊池の育ての親であるエルバは、彼女が優秀なパイロットにも関わらずイェーガーには乗るなと言う。子を思う親心なればこそ!

また、数十年前の戦いで放射線を浴びてしまったことで癌を患ったエルバは定期的に鼻血を流すのだが、部下の前では健康を装い毅然とした態度でカイジュー迎撃作戦を指揮する。そうしたエルバ周りのドラマも「窃視」の映画術によってさり気なく描かれています。

カイジューの生態を研究する二人の科学者はコメディリリーフでありながら物語の推進力になっていて、じつに生産性の高い脇役である。「ストライカー・エウレカ」を操縦する親子もライバルとしての輪郭線を持ったキャラクターだし、カイジューを道連れに自爆する末路も激烈にアツい。酒飲みながら観たら泣くレベル。

そして『ヘルボーイ』繋がりで出てるだけのロン・パールマン。その顔面力。依然健在。

友情、連帯、淡い恋、それに自己犠牲や玉砕精神といったハリウッド的記号にまみれたありがちなメロドラマは、しかしあくまで慎ましい。メインディッシュはロボと怪獣なので人間サイドの描写はほどほどに…というデルトロの配慮が行き渡っていて、その反動は4年後の『シェイプ・オブ・ウォーター』で狂奔することになる。

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科学者コンビのチャーリー・デイ(左)とバーン・ゴーマン(右)。そして巨人俳優ロン・パールマン(下)。

 

◆マクロ⇔ミクロの去来◆

そもそも私はロボや怪獣といったものにまるっきり興味がないのだが、そんな不埒千万の私ですら「ロボットパーンチ!」などと叫び、自部屋にて一人応援上映の様相を呈していた本作。

なんといっても質感とサイズ感に顕著なフェティシズムこそがすべてである。

バトルシーンのほとんどが夜間で、それも雨が降っていたり海中が舞台だったりして、やはりデルトロは「特撮」を愛する前に「映画」を愛していることがよく分かる。

硬くて分厚い鉄のボディに打ちつける豪雨と炸裂する火花はどこまでも艶めかしく、然るべきモーションの遅さと重量感を湛えてカイジューへと下された鉄拳制裁は気持ちいいなんてものじゃない。こちらの意識まで吹っ飛びそうだ。

まるでヘヴィメタルだよ。

イェーガーの地響きとカイジューの咆哮が奏でるロックンロール・ショーだ!

何を言ってるかわからない? オレだってわかんねえよ、そんなの。

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決戦の舞台は香港だが、これはアジア的なネオンでイェーガーを染め上げるために選んだのだろう(画像上)。

ストリップクラブのごとき艶めき。ことに全身ずぶ濡れのイェーガーがネオンでテカテカと輝きながら激しく動き回るさまの耽美なことと言ったら…まるでストリッパーだよ!

くんずほぐれつするロボと怪獣。もはや疑似セックスである。

香港という巨大なベッドの上で攻めたり受けたりする一夜の逢瀬。ぶん殴られたカイジューからは不思議な汁が溢れだし、損壊したイェーガーは「もうむり。もうむり」とばかりに腰がガクガクになる。

それを大喜びで撮ってるデルトロもよだれデルトロ!

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一夜の逢瀬。


サイズ感を伝えるアオリもたいへん素晴らしく、わけてもイェーガーが巨大貨物船を引きずるロー・ポジションからのショット!

このローポジ、通常の映画であれば「斧」や「バット」を引きずるショットとしてたびたび目にする構図である。だが本作では長方形の巨大貨物船がその代替物となり、角材みたいに振り回してカイジューを滅多打ちにするほか、コンテナまで武器として消費してしまうのだ。
普通の人間なら角材やレンガを武器に使うが、それを巨大ロボがやると貨物船とコンテナになる…というマクロ⇔ミクロの変換がすこぶる楽しい。

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まるで斧のように貨物船を引きずるイェーガー。


そして巨人バトルがおこなわれる最中にフッと息をつくようなミクロ演出の愛嬌。

かろうじて死を免れたカモメがイェーガーの足元からパッと飛んでいったり、かろうじて破壊を免れたカチカチ玉がパンチの風圧で動き始めたり…といった微笑ましいワンショットを紛れ込ませることでマクロとミクロがダイナミックに去来する。これによってデカいものはよりデカく、小さいものはより小さく感じるわけだ(サイズ感の演出)。『アントマン&ワスプ』(18年)に足りなかったのはコレ!

さすがデルトロ。まさに大トロ。

また、アオリすら満足に撮れない『進撃の巨人』(15年)を見るにつけ、もう怪獣文化はアメリカさんに譲った方がいいのでは…という気さえしてしまうが、意趣返しのように『シン・ゴジラ』(16年)が作られる国なので日本はまだまだ大丈夫なのでしょう。

さて、次は『パシフィック・リム: アップライジング』(18年)を観てきます。さいなら!

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 マル・マル・モリ・モリ!