マリリン・モンローの生足を見る為だけの映画。
1953年。ジーン・ネグレスコ監督。ローレン・バコール、マリリン・モンロー、ベティ・グレイブル。
人生は金こそ全てと、最高級アパートに引っ越して金持ち男を見つけようとする3人のモデルたちを主人公に、恋の駆け引きが展開されるぅ。
おはモンロー!
メチャ眠くて頭がボーっとしてるので大した話はできません。毎回そうか。
今晩、ある人からリクエストされた映画を観ようと思っているのだけど、メチャ憂鬱です。なぜならメチャ嫌いな映画だからです。その映画は過去に何度か観ていて、あまりに嫌いなもんだからSNSを通して嫌いだ嫌いだとわめき散らしていたら「なぜ嫌いなのか教えて丁髷!」なんつってリクエストされてしまったという。
お母さん、僕はどうしたらいいですか。
しかもその映画、3時間ぐらいあるんですよ。まじかよ。こっちから拷問受けに行くようなもんだよ。3時間コースの。
というわけで今夜は憂鬱。 本日は『百万長者と結婚する方法』です。
百万長者と結婚する方法はいいからリクエストを撤回する方法を教えてくれ。
◆間違えて観ちゃった◆
現在、マリリン・モンローが出演した作品のDVDは軒並みモンローだけを大写しにした特製ジャケットが使用されている。
↓こんな感じね。
モンローのネームバリューを考慮すれば当然とも言える商品パッケージなのだが、その中にはモンローだけを大写しにしたジャケットにも関わらずモンローが主演ではない作品も存在する。それが本作だ。
ちなみに本作のDVDパッケージがこちら。
あら可愛い。
確かにモンローだけがデカデカと写っているが、本作はローレン・バコール、マリリン・モンロー、ベティ・グレイブルがトリプルヒロインを飾るロマンティック・コメディなのである。
じゃあダマしですやん。
その中でも明らかに特別扱いされているのがローレン・バコール。米映画界のレジェンド女優でありモンローにとっても大先輩にあたるバコールの出演シーンが誰よりも多い本作。正確を期すならば「バコール主演でモンロー&ベティが助演」という座組みなのである。
ダマしですやん、だから。
まぁ、それぐらいマリリン・モンローの影響力は大きいということだ。なんといっても全人類が知っている女優だからな(そして全人類が知らない女優でもある)。
そしてこの映画だが…『紳士は金髪がお好き』(53年)と間違えて鑑賞してしまった。
なんてこった。パッケージが紛らわしいからこんなことになったんだ。ダマすなよ、俺を、だから。
勘違いしたせいで7年ぶりに観返すはめになってしまったが、いま観ても特に語るところのない映画である。
玉の輿を狙う三人の女があの手この手で億万長者を口説き落とそうとするが…といった実に無害なロマコメである。
映画は、姉御肌のローレン・バコール、ド近眼のメガネっ娘マリリン・モンロー、不思議ちゃんのベティ・グレイブルが最高級アパートの一室を借り、そこで玉の輿作戦を計画するシーンから始まる。
大富豪に接近するにはそれ相応の身なりをせねばならないというので備え付けの高級家具を勝手に売り払い、その金でゴージャスなドレスを入手する。そして金持ちが集うパーティーに潜り込み、なるべく死期の近そうな大富豪を見つけて色仕掛けで迫る。ここまでは順調だったが、三者それぞれのまえに貧乏な男が現れ、不本意ながらも貧乏男と共に過ごす時間が増えていく三人…。
そのあとは読者諸君が想像した通り「金より愛情」というベタなイズムに傾斜した三人が「世の中お金がすべてじゃないわ!」などと知ったふうな口を利いて貧乏男と結婚するわけだ。
くだらな。
まぁ、ちょっとしたサプライズエンドがくだらなさを幾らか軽減しはするものの、基本的にはどうってことのない物語がどうってことのない演出で語られていく。
左からベティ・グレイブル、ローレン・バコール、マリリン・モンロー。
◆シネスコの功罪◆
どうにもつまらないのである。
この映画が自らにつけた致命傷は、「玉の輿を狙う女三人組」というなかなか楽しそうな設定にも関わらず女三人組の連帯や野心を描き損なったことだと思う。
この三人組は昔からの友達なのか作戦のために集められたメンバーなのか…といったごく基本的な関係性すら明示されず、仲が良いとも悪いともつかない曖昧な距離感で描かれているので観ていて一個も楽しくないし、もっと言えばトリプルヒロインである意味がない。
ベティがあと一押しで大富豪をモノにできると報告しても、残りの2人はべつだん応援するでも悔しがるでもなく「ああそう」と淡白な反応。
なんなの、お前らの関係どうなってんの?
三人の女が「この世は金!」という考えに染まった理由も描かれなければ「やっぱり金がすべてではない!」と考えを改める契機も描かれない。きわめて没個性で場当たり的なキャラクターとして運用されてるだけ。とにかくストーリーありきで、ストーリーを進めるためだけにキャラクターが動いているという状態で。こういう雑なキャラ運用を称して「脚本の奴隷」と呼んでるんだけどね、私は。
活きたキャラクターというのは物語に引っ張られるのではなく物語を引っ張っていくのだ。ビリー・ワイルダーやハワード・ホークスを見習え!
また、三者の恋模様がオムニバスのように独立したものとして処理されていて、個々のロマンスがまったく絡み合わないのも不満点。
例えばだが、一日の終わりにアパートに集まった三者が玉の輿作戦の進展を報告し合う…といった何気ないシーンを入れるだけでも随分パッとした映画になっただろうに、それすらしてくれないので尚のことトリプル・ヒロインの意味がない。
とはいえ、脚本のナナリー・ジョンソンはそう悪い奴ではないのだ。
ジョン・フォードの『怒りの葡萄』(40年)やフリッツ・ラングの『飾窓の女』(44年)を手掛けているようにそこそこの仕事をやってのける脚本家なのだが、なぜか本作では絶不調。ビタミンが足りてなかったのだろうか? 魚を食え、魚を。
撮影も酷いもんである。
この映画は現代劇としては初のシネマスコープ作品だが、いまいちシネスコを活かしきれてない。
シネマスコープ…2.35:1の縦横比。要するにメチャメチャ横長の画面サイズ。
「大女優3人の横並び。シネスコならではでしょ!?」と言わんばかりにベティ、モンロー、バコールが横並びになった贅沢なショットをこれ見よがしに乱発しているが、せいぜいその程度。
三人一緒じゃないシーンではだだっ広い空間を持て余していてスッカスカ。
シネスコ=リッチな映画なのに、ここまで余白だらけの画面だと却って見すぼらしい。田舎者が無理してブランド服に身を包んだような居た堪れなさである。
ただし「シネスコに耐えうる横長の画面を作らなくちゃ!」と試行錯誤した結果、モンローが生足を晒してカウチに寝そべるショットがやたらと散見されるのでそこだけはよかった。
シネスコの功罪がはっきりと表れています。
ワイドスクリーンを最大限に活かした生足ショットやで!
◆マリリン・萌ンローの近視ギャグ◆
マリリン・モンローの生足を筆頭にいくつか美点もある映画なので、見所を紹介していきたいと思う。
まずは、なんといってもモンローの近視ギャグである。彼女はメガネ姿にコンプレックスを抱えているので必要な時にしか掛けないが、そのせいで数々のドジを踏む。
ターゲットの富豪と間違えて別の男に付いて行ったり、バカと思われないために本を読むフリをしていると隣りの紳士から本を逆さ向きに持っていることを指摘されて赤面したり。あと、バコールが狙っている富豪と間違えてアパートの侵入者に「もう帰っちゃうの?」と笑顔で話しかけたり(そのあと本物の富豪が現れて目をパチクリさせる)。
めちゃくちゃ可愛いからね!!
なんと萌えの詰まった近視ギャグでしょう。しかもカウチで生足ときた。
言うことなしやで!
よその男について行って富豪に腕を引かれるモンロー(ド近眼)。
『古典女優十選』で4位に輝いたローレン・バコールはさすがの風格で、モンローとベティに挟まれながらも「どきな、若いの!」とばかりに画面を掻っ攫っている。こんな可愛らしいロマコメにキツい顔立ちのバコールが出演していることが面白い。
理想の結婚相手を訊かれた際に「ルーズベルトにチャーチル…。それにボガート」と言うセリフも楽しく。大スターのハンフリー・ボガートとは初共演の『脱出』(44年)から彼と死別する1957年まで生涯に渡るパートナーだった。
また、バコールはこの映画でモデルの役を演じているが、実際の彼女も10代の頃から『ハーパーズ バザー』や『ヴォーグ』の表紙を飾るモデルとして活躍していた。豆知識ばっかり言ってごめん。
ベティ・グレイブルに関しては……ヘンな頭をしていた。それ以外のコメントは差し控える。
そんな本作だが、夜のシーンがまったくといっていいほど無い。真っ昼間のニューヨークのスクリーン・プロセス(背景合成)がトコトン間抜けである。後ろの書き割りに人物の影が映り込んじゃってるミスショットまであるのだ。
監督のジーン・ネグレスコはビタミンが足りてなかったのだろうか?
だから魚を食えとあれほど言っただろうが。
それぞれの婚約者と。