シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

紳士は金髪がお好き

好対照な美人2人はやがて同化する。これぞホークス。

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1953年。ハワード・ホークス監督。マリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル、チャールズ・コバーン。

 

ニューヨークからパリへと渡る二人のダンサー。金髪のローレライは“金”、黒髪のドロシーは“男”が目的だ。
だがフランスへ向かう客船の中で紳士から貰った髪飾りが、パリについた二人を騒動に巻き込む事になった…。

 

ヘイ、人民。おはモンロー!

引くほどスターが付かなかった 『百万長者と結婚する方法』(53年)に続いて、懲りずにマリリン。めげずにモンロー。

今回取り上げるのはハワード・ホークス作品なので、なるべくラフな文体で書くつもりだけど語るところはしっかり語っていくでぇ。ゆえに『百万長者~』よりも人気が出ないかもな! HAHAHA!

そんなこって『紳士は金髪がお好き』です。参る。

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◆ダイアモンドは女の親友◆

『紳士は金髪がお好き』と間違えて 『百万長者と結婚する方法』(53年)を観てしまったのだけど、ようやく観れましたわ。

この映画、『百万長者と結婚する方法』(53年)『ショウほど素敵な商売はない』(54年)といつも混同してしまうんだよな。タイトルだけなら『お熱いのがお好き』(59年)も似てるし。古典映画の邦題ってホント紛らわしいわ。罪つくりだわぁ。ダマしだわぁ~~。


さて、本作はマリリン・モンローの代表作のひとつではあれど、ハワード・ホークスにとっては『モンキー・ビジネス』(52年)『リオ・ブラボー』(59年)という二つの大傑作に挟まれた小品で、私のようなホークスフリークにとっても割とどうでもいい作品のひとつではあります。

ホークス作品といえば、当ブログでは『暗黒街の顔役』(32年)『教授と美女』(41年)を過去に論じたけど、そこで使われているような超絶技巧を急にやめてしまったのが1948年。つまり『赤い河』(48年)を最後に、いわゆる「神がかった演出」とか「美しい撮影」といったものに興味を失い、それ以降のホークス作品はさらに透明度を増し、どんどん大陸的になっていきます(たとえばスピルバーグのように)。

そんなわけで『赤ちゃん教育』(38年)『ヒズ・ガール・フライデー』(40年)のようなキチガイじみたエネルギーを放つブッ飛び弾丸映画の面影はなく、豪華客船を舞台にフィアンセがいながら金持ちジジイを捕まえようとするモンローとそのお目付け役ジェーン・ラッセルのそれぞれの恋模様をミュージカル仕立てでサラリと描いた作品となっているよなー。


この映画を観たことがなくても、ピンクのドレスを着たモンローが真紅のステージで大勢の男に囲まれながら「ダイアモンドは女の親友」を歌うシーンは多くの人が知っているのでは。マドンナが「マテリアル・ガール」のミュージックビデオでそっくり真似しているほか、『ムーランルージュ』(01年)ではニコール・キッドマンがカバー。AFIが選んだ「アメリカ映画主題歌ベスト100」では『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)『スタア誕生』(54年)に続いて第12位に選ばれるなど、まさにミュージカル映画の名曲。

マリリン・モンローの持ち歌は「ハッピーバースデー・ミスタープレジデント」だけではなかった!

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マリリン・モンローが「ダイアモンドは女の親友」を歌い踊る名シーンであります。

 

「ハッピーバースデー・ミスタープレジデント」…ジョン・F・ケネディの45歳のお誕生日会に出席したモンローが「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の替え歌を艶やかに歌い上げ、その甘い歌声に酔ったケネディは鼻の下を伸ばして「もう政界をやめてもいいー!」とアホなことを言った。そしてモンローはこの2年後に謎の死を遂げる。ケネディとモンローの不倫関係や二人を引き合わせたフランク・シナトラの関与が証言されている。


フランク・シナトラ…「マイ・ウェイ」で知られる世界一有名な歌手、映画スター。米芸能界のドン。イタリアン・マフィアの大ボス達とはすごく仲よしなんだ!

 

◆ジェーンとモンロー◆

ニューヨークに暮らすモンローとジェーンは、いつも二人一組のショーガールとしてステージに立っている。

そんな折、モンローが婚約者のトミー・ヌーナンとパリで落ち合って結婚式を挙げるべく豪華客船に乗りこむが、金品財宝に目がないモンローが資産家に寝取られることを恐れたトミーはジェーンにお目付け役として同行を頼む。

かくして出航した豪華客船のなかには美女二人を狙う助兵衛たちが舌なめずりをしながら待ち構えていた。モンローはダイヤモンド鉱山を所有している色惚けジジイとさっそく急接近。お目付け役のジェーンは「アンタにはトミーがいるでしょ!」とたしなめながらも、オリンピック選手のガチムチ団体に囲まれてそう悪い気はしない。ところが、ジェーンがちょっと目を離したスキに色惚けジジイはモンローの腰に手を回してユラユラと踊っていた。汚い顔したジジイのくせに。

果たして婚約中のモンローは貞操を守れるのか? そしてジェーンにロマンスの予感が…!?

そんな内容を歌とダンスでお楽しみ頂くといったプログラムになっております。

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宝石類をこよなく愛するモンロー。もはや彼女の目にはダイヤモンド鉱山を所有している色惚けジジイがダイヤに見える!


モンローのププッピドゥな可愛らしさと、ジェーンの「ププッピドゥやありゃしまへん!」といった姉御感、その掛け合いこそが醍醐味でしょうね。二人の関係性はまさにアレ。ほら、よくあるじゃない。

チャラチャラした男どもから美人を守ってる女友達。

「この娘をナンパしたいなら私を倒してからよォーッ!」とばかりに美人の友達を護衛する女と、いつもポヤーっとしてて男からすぐナンパされる美人。深田恭子と土屋アンナみたいな。それは『下妻物語』(04年)か。

モンロー&ジェーンはまさにそんな関係性。女ならではの不思議な友情がちょこちょこと描かれておりますよ。ちなみにこの好対照な二人は『シカゴ』(映画版は02年。ブロードウェイでは75年~)の元ネタでしょうね。

とはいえ、モンロー護衛隊長のジェーンも「美人の友達」にしてはどえらい別嬪さんで。それぞれのタイプの違いを楽しむといった助兵衛な見方もまた楽しく。

チョコに喩えるなら、モンローは雪どけショコラ。トロけるような愛らしさだ。

一方のジェーンはアーモンドチョコ。バキッとした歯ごたえのある健康美。

音楽に喩えるなら、モンローは甘ったるいジャズ。ジェーンは幾分ノリのいいボサノヴァ。

文学に喩えるなら、モンローは思いついたままを綴る散文詩。ジェーンはゴツゴツとしたプロレタリア文学やぁ!

 

話は変わるけど、女はバケモノですね。底が知れませんね。わななくばかりですね。安易に「この娘はこういうタイプだ」などと決めつけてはなりませんよ、そこの男子諸君。聞いとるけ?

ジェーンに「あんた…意外と頭いいじゃない!」と褒められたモンローがニッと笑ってこう呟くんだ。

「利口に振舞うと男の人ってヤな顔するでしょ?」

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左でくねくねしているのがジェーン・ラッセルで、右でくねくねしているのがマリリン・モンロー


◆ホークスは見える◆

先にも申し上げた通り、ホークスフリークにとっては割とどうでもいい作品というか、特に見るべきところのない凡作(もちろんホークス作品の中では凡作という相対評価であって、一般的には上質なエンターテイメントである)

そんな中にも「ホークスだなぁ。ホークスしてるなぁ」という点がひとつだけあって、それは見えるということ。

ホークスは見える映画を撮る。

「映画だからそりゃ見えるでしょ!」とお思いか? ノン。ノノン。甘くかんがえるな!

順を追って説明すると、まずは人物設定の面白さから触れていきたい。

金持ちとあらば誰にでも付いて行っちゃうモンローの危なっかしさ…というのが大前提にあって、そこにジェーンが絡んでくるのだけど、彼女はモンローについた悪い虫を追い払うという護衛キャラにも関わらず男に惚れやすいという弱点を抱えている。

これ、かなりヘンなことしてますよ。

普通、モンローが「天然キャラ」ならジェーンは「しっかり者」というのがセオリーだが、ホークスはこれを崩していて、どっちも惚れやすい女として描いている。

したがって、二人の対照性が次第に曖昧になって、やがて「ほとんど同じ性格を持ったショーガールコンビ」として同化してしまうのである。

そうなると二人の対照性は見た目にしか表れないということになる。モンローは金髪、ジェーンは黒髪なので一目瞭然だね(だけど中身はほぼ同じ)。言うてることわかるけ。

ちょうど『教授と美女』の評のなかで「ホークス作品にあって観念的な主題は即物的な道具として消費される(つまり目に見えないものは目に見える形として映像化される)」みたいなことを述べたが、まさに我が意を得たり。ホークス作品にあっては、性格なんて曖昧で非映画的なものは次第に見えなくなっていき、われわれが二人を見分ける術はもっぱら顔や髪色といった可視的な物質でしかなくなってしまう。

そして、この同化現象をホークスは映画終盤でモロに描いている。

色惚けジジイが妻のティアラを無断でモンローに譲ったことで、激怒した妻は「ティアラ返せよ」といってモンローを訴えるのだが、おバカなモンローには裁判などできないと考えたジェーンは髪をブロンドに染め、モンローになりすまして法廷に立つのである。

ついに内面の同化は身体的な同化にまで達してしまった。

ぼくの話についてきてるけ。

要するに ストーリー、テーマ、キャラ設定といった「肉眼では見えないもの(概念)」が、ハワード・ホークスの作品ではすべて見える=物質化されるということ。

だから似た者同士は外見までそっくりになってしまうし、ダイヤモンド鉱山の所有者の顔はダイヤモンドそのものと化すわけだ(さっきの画像ね)。

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モンローになりきって法廷に立つジェーン。これにて同化は完了する。

 

ホークス論はこれにて仕舞い。もちろん「ホークスなんて知らねえよ」という奴でも問題なく楽しんで頂けるので、ミュージカル映画を探してらっしゃる奴は一度ご賞味あそばせ。

ジェーンが筋骨隆々のオリンピック選手に囲まれながら歌い踊るマッスル・ミュージカルが素晴らしくて。プールに飛び込む選手の足に引っかかってジェーンまで水の中に落ちてしまうシーンがおもしろくてクスクス笑ってました。DVD巻き戻して3回見ちゃったわよ。「こんなの振付けにあったの!?」と思って調べたところ、やっぱりアクシデントだったようです。それくらい滑稽ですから、ぜひご覧になってみて下さい。

www.youtube.co3分20秒~!

 

 一度目にこの映画を観たときはモンローにばかり目が行っていたが、いま観るとジェーンの魅力に気づく。

紳士は金髪がお好きでも、オレは黒髪がお好き!