シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

氾濫

離れた心は接着剤でもくっ付かへんねや。

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1959年。増村保造監督。佐分利信、沢村貞子、若尾文子、川崎敬三。

 

画期的な接着剤を開発した科学技師の真田は、一躍ヒラから会社の重役の座に就いた。しかし環境ががらりと変わったことで、妻は生活が派手になり、ついには不倫の道へ。同じく放蕩を繰り返すようになった娘は真田にとりいって貧しい生活から抜け出そうとする学生と関係を持つに至る。そして真田はかつての恋人と密会を重ねるようになるが、やがて接着剤が売れなくなり、一転して彼は窮地に追い込まれていく…。(Amazonより)

 

ヘイ、ベイビー。

世の映画好きがどうかは知りませんが、私はSNSでこそ映画論じみたことを書きまくっているけどリアルでは映画の話なんてほとんどしません。

不遜な言い方になって申し訳ないけれど、話したところで伝わらないという諦めとそもそも口頭でモノが伝えられない口下手という意識が手伝って、どうにも話す気が起きないのであります。好きなことを好きなだけ話せる人が羨ましい。

こないだも人に「『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(19年)を観てきたんですよ! 最高でした!」と言われたのですが「あ、そうですか」で会話が終わってしまいました。せっかく話しかけてくれた人に対してこの仕打ち。申し訳ないことをしたと思います。

この場合、なんと返せばよいのだろうか。

こちらが「どうでした?」と訊く前に「最高でした!」と結論されてしまったので、こうなるともう二の句が継げぬ。SNS上だったら「どこがどういう風に最高だったんですか?」と具体論を促して話を広げるところですが、リアル日常会話でそんな訊き方をしてしまうと、こりゃもう質問というより尋問。あまつさえ私はゴジラに疎い。引き出しはおろか箪笥自体がない。八方塞がりだ。

かと言って「最高でした!」と言う人に「よかったですね」と祝福するのは何か違うし、「ゴジラは出てくるんですか?」なんてわざとバカな質問をして諧謔味を出すという秘策もあるけれど、マジに受け取られた場合は本物のバカと思われるので悲しい。

このブログのように一人語りなら幾らでも出来るけど、人と話すのはとんでもなく下手だなぁ。どうしたものかしら。

そんなわけで本日は『氾濫』です。一人語りの始まり始まり。

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◆接着剤映画◆

いやぁ、おもしろいなァ。欲望が『氾濫』する戦後日本の乱脈を生々しく描いたドロッドロの愛憎劇だなァ。

監督は「純日本的な旧価値観」として巨匠・成瀬巳喜男や今井正を痛烈に批判した増村保造

若尾文子を一躍トップスターに押し上げた監督であり、『妻は告白する』(61年)をはじめタッグ作は20作品に及ぶ。また『卍』(64年)『刺青』66年)など、耽美派・谷崎潤一郎のスケベ文学の映画化にも意欲的で、性を扱った作品がやたらに多い。篠田正浩や大島渚らと共に日本ヌーヴェルヴァーグに与した作家のひとりである。

かと思えば、そうした思潮をまるで無視するごとく勝新太郎の『兵隊やくざ』(65年)や市川雷蔵の『陸軍中野学校』(66年)など大スターを配した土臭い映画も撮ってみちゃったりなんかもする。『からっ風野郎』(60年)では作家生活に行き詰まっていた三島由紀夫を主演に迎えてみちゃったりなんかもした。

大映に所属しながらも新興芸術派のATG*1のもとで攻めた映画を撮りまくった増村は伝統と革新の橋渡しとなった人物とは言えまいか。たぶん言えるんじゃあないだろうか。


さて、日本ヌーヴェルヴァーグといえば大島渚の『青春残酷物語』(60年)が有名だが、そのわずか前年に増村が撮った『氾濫』日本ヌーヴェルヴァーグの胎児とも言える前身でありました。

ちなみに日本ヌーヴェルヴァーグというのは、本家フランスの映画運動ヌーヴェルヴァーグに影響を受けた日本の若き映画作家たちが「まねっこしようぜ」、「しよ、しよ」と言い合って起こした乱痴気映画革命で、性の乱れ、若者の苦悩、政治不信といったテーマを中心に、非行・犯罪・不倫・裏ぎりといった戦後日本の歪みがぐちゃぐちゃな映画文法で描かれている。鈴木清順や大島渚に見られるサイケかつシュールな三半規管ぶっ壊れ映像を想像してもらえるといい。

だが増村保造は伝統と革新の狭間にいる作家なので、鈴木や大島ほどムチャはやっておりません。あくまでパッと見は「古きよき映画日本」の体裁を取っているようで、そこから徐々に映像も物語も狂い出していく…といった非常に嫌らしい映画が『氾濫』なのである。これぞ増村の毒。人は彼をポイズン増村と呼んでみちゃったりなんかして!


物語はある平凡な家族を中心に動きはじめる。

科学会社に勤める佐分利信、研究漬けの夫に愛想を尽かした妻・沢村貞子、大学生の一人娘・若尾文子。どこにでもいる素朴な家族だったが、ある日、夫の佐分利が世界最強の接着剤を発明したことで生活は一変する。

佐分利が発明した接着剤は、とにかく何でも引っ付く世界最強の接着剤なのだった。金属、シリコン、プラッチック…。この接着剤にかかれば男と女もたちまち引っ付くし、政治家とマスコミも引っ付くというよ(つまり癒着だよ)。

そんな佐分利は瞬く間にヒラ技師から重役に昇進し、会社の株を手に入れ、新築の家も買った。とはいえ佐分利は根っからの技術者で、金と地位を手にしても決して浮かれはしない。むしろ「自分には似合わない」と思っているようで、じつに居心地が悪そうに重役の椅子に浅く腰掛けるような男なのだ。

ところが社長はそんな佐分利に新商品の開発を次々に要求し、仲のいい同僚も金目当てでたかり始める。妻は羽振りがよくなった途端にジゴロ・船越英二(船越英一郎のパパンですね)と逢引きを重ね、真面目だった娘は科学者の卵・川崎敬三にたぶらかされて夜遊び女と化す。そして佐分利自身も、変わりゆく妻にうんざりしていたところへ昔の恋人・左幸子と出会い、生活苦に喘ぐ彼女に経済的支援をするうちに愛の暖炉に火をくべてしまうのだった!

まさに仕事の成功が招いた人生の失敗。大金を手にした途端に関係者がみな欲望の野獣と化し、ささやかな幸せも慎ましい生活も根こそぎ消滅してしまい、あたら成金生活は地獄のどん底へと急転直下。

欲望の氾濫、性の氾濫、裏切りの氾濫…。

一度崩壊した家族はいくら接着剤でも元通りになりません。

離れた心を引っ付けるのは接着剤ではない。愛なのですゥ!

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平凡な家族が崩壊していく…。左から若尾文子、佐分利信、沢村貞子。

 

◆クソ野郎しか出てこないクソまみれのクソ溜めサバイバル◆

この映画がおもしろいのは主人公が佐分利信だけではなく川崎敬三との二枚看板だということ。

貧乏学生の川崎敬三は自分を売り込むべく佐分利に研究論文を読ませ、幼馴染みの恋人・叶順子をあっさり捨てて佐分利の娘・若尾文子をたらし込んで逆玉の輿を狙うような空前絶後のクズ男。それが川崎という生き方。

使えそうな女に偽りの愛を囁いて利用する…という油断も隙もない寄生虫メンズとしてのKAWASAKIをどうかよろしく。

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偽りの愛で若尾をたぶらかすKAWASAKI。

 

若尾は当初、KAWASAKIのわざとらしい口説き文句を訝しがっていたが、どうにか騙し込まねばならないKAWASAKIは「本当さ。殺したいほど愛してるんだ!」と叫んで若尾を押し倒し、首をぎゅんぎゅん締めることで「狂気的なまでの愛」を偽装する。だがKAWASAKIは加減を知らないバカなので本当に殺す気になって首をぎゅんぎゅん締めてしまう。

ぎゅんぎゅん! ぎゅんぎゅん!

そ、その辺でやめておけば…? 若尾の顔がだいぶ赤いんだけど…。

若尾…カハッ…!」

カハッとか言ってるし。

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「愛してるんだァァァァ!」

ぎゅんぎゅーん!!

分かった! 分かったから! もうやめて!

若尾がオチる! 若尾がオチる!

そうこうして若尾をゲットしたKAWASAKIは見事に婚約まで漕ぎつけた(若尾は別の意味で落とされてしまいました)。

だが、新商品の開発が思うように進まない佐分利が自ら重役を降りてヒラに戻った途端「だったらもう利用価値はない」とばかりに若尾を切り捨てるKAWASAKI。

「別れてくれませんか。もうアナタに用はないのです。さようなり」

このド畜生が!!


一方の佐分利は、天才的な技術を持ってはいるが劣悪な設備環境での商品開発を強いられ、ようよう開発した最強接着剤の手柄も根こそぎ社長に持っていかれる…という不憫きわまりない男。この主人公を通して工業発展の名のもとに悪徳企業に搾取される技術者という本作のサブテーマが浮かび上がってきます。

つまり科学の世界に利用される老研究者そんな世界に憧れる若き研究者、という二世代の皮肉を両面焼きした戦後工業化への風刺が通奏低音として流れているのである。

とはいえ佐分利も「悲劇の主人公」を演じるにはオイタが過ぎた。昔の恋人と不倫してしまったのだから同情の余地はなし。

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いっつもこの顔、佐分利信。接着剤のように昔の女と引っ付いてしまう。

 

その他のキャラクターもゲス揃い。

佐分利を重役に就かせた社長は「犬を働かせるにはいい餌を与えんとなぁ」と言うような俗物だし、妻・沢村貞子がその気になった船越英二は貢がせるだけ貢がせたあとに「誰がアンタみたいなババア相手に本気になるのさ。一度自分の顔を鏡でよーく見なよ!」と言って馬鹿笑いする。

わけても佐分利の元恋人・左幸子が大した女なのである。病気の息子を「あなたの子よ」と偽って財産目当てで佐分利に求婚するが、その息子は別の男の子供で健康児そのもの。風の子そのもの。そんなことも露知らず「女房と別れてキミと一緒になりたい…」と決意した佐分利が重役を降りた途端に「うーん、やっぱやめときます」って掌返し。さすが左幸子。左折すると思わせて右折するという裏ぎり。


事程左様に、クソ野郎しか出てこないクソまみれのクソ溜めサバイバルが展開する『氾濫』。生きるためには騙し、裏切り、他人を蹴落とすしかないというのかっ。

1959年の作品とはいえ、50年代日本映画にここまで庶民の闇を抉った作品があっただろうか? まぁ、探せばいくらでもあろうが。

本作はまさに成瀬巳喜男をはじめとした「古きよき日本」のベールを引っ剥がして苛烈な現実を突きつけた戦後残酷物語。ポイズン増村の面目躍如であります。

 

◆唾液橋エロス◆

おもしろいのはプロットだけに非ず。成瀬や今井に弓を引いただけあって、ノスタルジアと戯れる50年代日本映画が決して見せようとしなかった当時の風俗がショッキングに描かれているのです。

ストリップクラブでは半裸の女が謎めいた踊りで客を沸かせ、伊藤雄之助演じる華道の師匠はなぜかオカマ、川崎は部屋の壁にはマリリン・モンローのヌード写真が貼られている。極めつけにランチをする主婦たちは「旦那と月に何回やってる?」という下品な話題で盛り上がる。

1959年の映画で、ですよ?

特に衝撃だったのはKAWASAKIと叶順子のキスシーンで、唇を離すとキラキラとした糸が引いているのである。そのあまりに卑猥なこと!

当時のアメリカ映画ではどれもこれも考えられないよね。当時の日本は映画先進国だったなぁ、とつくづく思うですよ。

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二人のあいだに架かる唾液の橋。


また、ファーストシーンで出世した佐分利が研究室から重役室に移る際に「アンタが重役になってくれて嬉しいよ!」と祝福したヒラ時代の仲間が、佐分利が重役を降りて研究室に戻ってきたラストシーンでは「アンタが戻ってきてくれて嬉しいよ!」と再び祝福する円環構造が楽しい(カメラワークも綺麗に反復されている)。

重役を降りた佐分利もようやく肩の荷が下りて微笑んではいるが、すでに彼の人生は木端微塵と化している。W不倫が発覚した妻とは仮面夫婦を演じるようになり、心のオアシスだった左幸子もとんだ化け狐だと発覚。一人娘の純潔はKAWASAKIに穢されてしまったうえ、接着剤の次に開発した新商品の手柄は同僚と川崎に横取りされ、今度はこの二人をおだて始めた社長はどこまでも腐りきっていた。


佐分利信は小津作品の常連で、そこでは黙って頷くだけの寡黙なキャラクターを演じることが多いが、本作では柔らかくて物静かな男を演じている。「寡黙」と「物静か」の違いを理解している数少ない俳優だと思う。

もう少し増村保造を観たいので、もしかするとまた別の作品を取り上げるかもしれない。ブー垂れる読者は首を締めてやる。「カハッ…!」と言うまで首を締めてやるんだからね。

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(C)KADOKAWA

*1:ATG…日本アート・シアター・ギルド。非商業主義的な芸術作品を製作・配給する映画会社。1992年にぶっ潰れた。