シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ブライダル・ウォーズ

女の喧嘩はアウトボクシング。ゆえに共演シーン少なめ!

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2009年。ゲイリー・ウィニック監督。ケイト・ハドソン、アン・ハサウェイ。

 

幼馴染みで親友の女性2人が、それぞれに決めていた結婚式の日取りが重なってしまったことを機に険悪となり、壮絶な争いを繰り広げていくロマンティック・コメディ。(Yahoo!映画より)

 

おはようございます。

久しぶりにB'zの「ZERO」を聴いていたのだけど「今あいたい すぐあいたい 砂漠の真ん中で」というサビの歌詞が気になってしまいました。

今すぐ砂漠で落ち合うのはむりちゃう?

だいたい、彼女にLINEでなんと言うのか。「今すぐ会いたいから鳥取砂丘きてよ」って?

むりちゃう?

仮にその彼女がだいぶフットワークの軽い女で今すぐ鳥取砂丘に行く意思があったとして…たぶん「鳥取砂丘のどこよ?」って返ってくるよね。「真ん中だよ。とにかく砂漠の真ん中で会いてえんだよ」と返すよね。

そしたら彼女、「砂漠の真ん中を探し当てることのむずかしさ!」ってなるよね。

その後どうするんだろう。砂漠の真ん中の位置情報をスクショしてLINEで送信、「ここ、ここ! ここに来て!」って言うの? でも砂漠ですからね。360度同じ景色。「何に対してどこが真ん中なのよ!」と彼女。砂漠の迷宮に閉じ込められて彷徨するうちに脱水症状。ようやく会えた頃にはお互いパサパサ。ぬるいアクエリアスを分け合って「じゃあ帰ろっか…」、「ウチら何しに来たん」ってなること請け合いだと思うんだけどなぁ。B'zごめん。

そんなわけで本日は『ブライダル・ウォーズ』です。

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◆本作とは無関係だがジュリア・ロバーツはすごいって話◆

幼馴染のケイト・ハドソンアン・ハサウェイはいつか理想の男と出会って6月にプラザホテルで結婚式を挙げる、というガーリーな夢を抱いてきた大親友なのさ。

ほとんど同じタイミングで恋人からプロポーズされた二人は「まじ奇跡じゃん」と互いを称え合った。さっそく有名ブライダルプランナーのもとを訪ねて6月6日と27日を押さえ「うちら最高じゃん」と再び称え合うが、なんとプランナーの手違いで同じ日時に予約を入れられてしまう。6月6日の方だ。どちらかが別日にずらさねばならなくなったが、プラザでの6月の式場予約は3年先までいっぱい…。

プランナー「で、どっちが6月6日に挙式するの?」

友情決裂、喧嘩勃発! …そんな映画である。なんて高度な脚本なんだ。

 

ケイト・ハドソンとアン・ハサウェイといえば当時最も勢いのあったロマコメ女優で、本作はそんな二人を共演させれば大儲けできると考えた20世紀フォックスがゲイリー・ウィニックに撮らせた映画である。

ゲイリー・ウィニックといえばダコタ・ファニングと食用ブタの心温まる交流を描いた『シャーロットのおくりもの』(06年)でブタ映画シーンに新たな金字塔を打ち立て、その後『ジュリエットからの手紙』(10年)を撮った直後に49歳で死んでしまったという…どんな顔して紹介すればいいのかよく分からない監督である。

『ブライダル・ウォーズ』はケイト・ハドソンとアン・ハサウェイを大きく飛躍させた。ロマコメ一辺倒だったケイトは本作出演後に新境地を切り開き、フェリーニを愚弄しているとしか思えない『NINE』(09年)や、欲望と犯罪が渦巻くノワール作『キラー・インサイド・ミー』(10年)を興行的惨敗へと導いた。

一方のアンは『アリス・イン・ワンダーランド』(10年)『ダークナイト ライジング』(12年)『レ・ミゼラブル』(12年)『インターステラー』(14年)など一丁前に金だけは掛かったハリボテ超大作で一躍セレブ女優の虚栄に浴した。

 

セレブの病症とは知名度が上がるにつれて作品の選定眼が衰えることである。ここ10年、ケイト・ハドソンもアン・ハサウェイも出る映画を間違え続けている。それはもう綺麗なまでに。

片や、セルフプロデュースに長けたジュリア・ロバーツやシャーリーズ・セロンなんかは作品の規模や話題性よりも「自己実現に役立つかどうか」で出演作を選び理想のキャリアを構築しているので「セレブ」という言葉は適当ではない。

とりわけジュリア・ロバーツの巧妙に設計され着実に実現されゆくキャリアは映画スターのロールモデルを示してもいる。「女優としての生き方」と「女としての生き方」と「世間が求めるイメージ」をうまく擦り合わせ、各年代ごとに代表作を持ち、各時代ごとにアプローチを変えた芝居・役柄で年相応に輝く。ウィキペディアで「主な出演作品」を見てみるといい。

列記された出演作がひとつのドラマになってるから!

恐らくわれわれは20年後も30年後もスクリーンでジュリア・ロバーツを見続けるだろう。どちらかが死なない限りはな。ハリウッドバビロンの消費構造から見事に抜け出した賢い女優だ(シャーリー・マクレーンなんかもその典型よね。60年前の白黒映画の女優なのに未だに主演作が作られてんだぜ!)。

何故この映画に出もしないジュリア・ロバーツの話をしているんだろう。

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アン・ハサウェイ(左)とケイト・ハドソン(右)。下はおまけのジュリア・ロバーツ。

 

で、何の話だったか。

そうそう。ケイトとアンが結婚式場を取り合って揉める…って映画なんだよ。

どうでもいいがケイト・ハドソンとドリュー・バリモアを混同してしまう。どちらも恋多きふっくらセレブ。おまけに私は両者のロマンティック・コメディをあまり観ていない。

でもケイト・ハドソンは親が有名なので、それで辛うじて識別してるわ。カート・ラッセルとゴールディ・ホーン。奇しくも二人が共演した『スイング・シフト』(84年)『潮風のいたずら』(87年)もロマンティック・コメディである。

カート・ラッセルといえば『ニューヨーク1997』(81年)とか『バックドラフト』(91年)みたいな男臭い作品ばかり挙がるが、実はかわいい映画にもちょこちょこ出てるんですよ、奥さん。

やべえ、何の話だったか!

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ケイトより、普通に、ラッセルが好き。

ホーンより、普通に、ラッセルが好き。

 

心が離れれば身体も離れる

映画は冬から春にかけてのニューヨークの景色を収めながら主演二人をさまざまな表情やファッションで彩っていく。下品で過剰なものはどこにも見当たらず、必要最低限のキャラクターとシーケンスだけで構成されている。89分というコンパクトな尺も気持ちいい。パッケージからは想像もつかないが、まるで糖尿病を患った老犬のように慎ましい映画なのだ。

ちなみにアンの婚約者役を『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14年)で銀河を救う前のクリス・プラットが演じている。腹が出ていた。下積み時代のクリス・プラットは手当たり次第にヘボいロマコメに出まくっていたのだ。また話が脱線して申し訳ないが『運命の元カレ』(11年)という映画にはクリス・プラットの他にクリス・エヴァンス、マーティン・フリーマン、アンソニー・マッキーも出ているのでMCUファンはチェックしてみたらいいと思う。

 

さて、この映画の見所は女同士の戦争である。当たり前だ。『ブライダル・ウォーズ』と言っているのに戦争しないでどうすんだ。確保した日程は6月6日だけ。双方譲らぬまま結婚式に向けて着々と準備を進める二人が6日の挙式をめぐって妨害工作を仕掛けあう!

おもしろいのは、確保した6日を取り合うまえに失われた27日を取り返そうとする二人のムーブである。

ブライダル会社のミスにより27日は見知らぬ女の挙式で埋まってしまった。腹を立てた二人はその女に直接交渉して日にちを変えてもらおうとするも、プランナーは「守秘義務があるので」と言って27日女の連絡先を教えてくれない。ならばと受付のおばさんを脅しつけて27日女の身元を聞き出したが、街でたまたま彼女を見つけて説得をかけた二人はけんもほろろに断られてしまう。

この時までは二人はまだ仲良し。それどころか嘗てないほど強固に結託して27日女の説得を試みた。だが、はっきり断られたことで「6日しかない」というシビアな現実を突きつけられる。この瞬間、長年の友情はいとも容易く崩れ去り、醜い対立が始まるのだ。

言わんとすることがわかりますか?

あまりズケズケ言うと女性読者の顰蹙を買ってしょうもないコメントが付きそうなので一言でまとめるが、「女同士の友情」と書いて「同じ目的意識」と読む。

こうした女の生態がさりげなく活写された良いシーンだった。これが男だったら即刻いがみ合って6日を取り合うだろう。だが女はいがみ合う前に27日にワンチャンを懸ける。

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プランナーから手違いを聞かされたときは「まだどうにでもなる」と思って笑顔で結託する二人(その後どうにもならないと知った途端に関係悪化!)。

 

そして見せ場の妨害工作シーケンス。

結婚式でダンスを披露しようとしたアンはケイトに雇われた偽のダンスコーチにバカ丸出しのダンスを教わり、式に向けてダイエットを始めたケイトはアンが婚約者のフリをして届けたお菓子を食べすぎてドレスが着れなくなるほど太ってしまう。

バトルは続く。日焼けマシーンに細工されたアンは世にも下品なレンガ色女になってしまい、毛染め剤に細工されたケイトは世にも奇妙な青髪女になってしまう。

ばか丸出しな映画だが、これはこれで楽しいですよ。

このシーケンス…というか、この映画がおもしろいのは「心の距離」と「身体の距離」が同期しているからだろう。

二人は幼少期からの大親友。仲のよかった開幕30分までは全シーンに渡って同一画面におさまっている。ツーショットってやつだな。しかし戦争勃発した中盤ではすっかり顔を合わせなくなる。両者の妨害工作も決して相手に気付かれないように接近・細工をして忍者のように姿を消すのだ。

要するに中盤シーケンスがほぼ別撮りなのである。

ほとんどの映画サイトでは「ケイト・ハドソンとアン・ハサウェイの共演作!」なんて謳っているが、実は二人が共演しているシーンってそれほど多くないのよね。男同士のインファイトの喧嘩とは真逆の「女同士のアウトボクシング」が描かれているわけだな。ここがおもしろい。

心が離れれば身体も離れる。

この悲しいすれ違いを端的に表しているのが二度にわたるジョギングシーンだ。

映画冒頭ではジョギング中にiPodを聴こうとしたケイトに「あれはモノを考えたくない時だけ聴くの!」と言っていたアンが、のちに大喧嘩して別々にジョギングするようになってからはiPodを聴きながら走るようになり、ケイトが仲直りしようと後ろから呼び止めた声を聞き逃してしまう。そしてアンはスタスタと走っていき、茫然と立ち止まったケイトとの距離が開いていく…。切ない演出でした。

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仲違いしちゃった二人。

 

◆すべて都合よく元通り!◆

クライマックス以降については書かないことにする。これは私の反省点でもあるのだが、あまり筋を書きすぎると「読者を見た気にさせてしまう」という映画評の弊害を招いてしまうからだ!

写真にしてもそうだ。当ブログではショットの解説をするために劇中の画像を引用することが多々あるが、しょせん写真は写真。スクリーンで観ないと意味がないのですよ。写真を何枚あげようが何も伝わらない。読者をして「これがショットかぁ~」などと分かったような気にさせてしまうだけザッツオールなのである。

俳優の画像もまた然り。「この女優は美しい」とか何とか言ったあとにその女優の画像を載せると、それを見た読者は「確かに美しい!」と思ってくれるが、別にこちらとしては外見を指して「美しい」と言っているわけではなかったりもする。つまり、時おり見せる些細な表情や挙措、あるいは佇まいや雰囲気を指して「美しい」と言う場合もあるのだが、そのようなニュアンスは写真では伝わらない。

たとえばミシェル・ウィリアムズという女優は写真で見るとブサイクだがスクリーンで見るとこの上なく美しい。そういうことだ。

要するに「文字や画像を使って映画を論じる」という行為はそれ自体がすでに自己矛盾の産物に過ぎない。私はよく冗談めかして「こんな文章を読む暇あるなら映画を観ろ!」なんて言うが、ありゃ冗談じゃなくてマジだ。評論を100本読むより映画を1本観た方がよっぽど有意義なのだ。

映画評など読むな!!!

 

で、何の話だったか。そうそう『ブライダル・ウォーズ』だよ。今日は脱線が多くてごめんな。

自称髪型評論家の私としては二人のヘアースタイルにも注目したいところである。ケイトはブロンドのストレートで、アンはダークブラウンのゆるふわパーマ。だが映画が進むにつれて両者の髪型はどんどん変わっていく。髪型が時間経過の演出装置になってます。

「身体変化」もきわめて映画的な要素である。

マンガとかだとキャラクターのビジュアルって(基本的には)変わらないでしょ。いつも同じコスチュームでしょ。ましてや小説なんて外見がコロコロ変わると誰が誰だか分からなくなるわけで。

ちょうど私がマンガや小説を描いていた学生時代にこのビジュアル問題にぶち当たったことがある。「人間って毎日髪も伸びるし髭も伸びる。服装も変わる。大怪我を負うと一生傷もできる。だけど『身体変化』を描いてしまうとそのキャラクターがそのキャラクターじゃなくなってしまう気がする…」ってね。

だが映画ではいくらでも身体変化が描ける。キャラクターをキャラクターたらしめるのは「貌」なので髪型や服装がコロコロ変わっても見間違うことはまずないし、先ほども述べたように身体変化そのものが時間経過の演出にもなる。だから美白のアンはレンガ色になり、ブロンドのケイトは青髪になる。

そしてラストシーンではすべてが都合よく元通り。アンは真っ白な肌を、ケイトはかつてのブロンドを取り戻すのだ。そして友情も……おっと、クライマックス以降については書かない約束だったな。

なんにせよデタラメな映画だった。だが、このデタラメさを称揚することが映画を愛することなのかもしれない。

なぜこんなロマコメ映画のレビューで映画愛に着地しているのか。理解に苦しむ。

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残念な感じになった二人。