シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

トッツィー

70年代を引きずった陰鬱コメディ。

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1982年。シドニー・ポラック監督。ダスティン・ホフマン、ジェシカ・ラング、テリー・ガー。

 

実力はあるも演技への執着から役に恵まれない俳優ドーシーは、女装してドロシーに変身、昼メロ『病院物語』の婦長役でデビューを飾るが…。(Yahoo!映画より)

 

おはようございますな。

昨日散髪したんだけど大失敗に終わりました。サスペンダーがよく似合う育ちのいいお坊ちゃんみたいな頭にされた。特に前髪がひどいんですよ。家に帰って気づいたので鏡の前でセルフカットしたところ、余計にガタガタになってしまって惨澹たる有様です。悔しかった。

これが春の洗礼だというのか。だから春は嫌いなんだ。ロクがことが起きねえ。桜とか散ってもうたらええねん。

 

そんな逆恨みモードでお送りするのは『トッツィー』。懐かしの作品ですね。みんなが知ってる映画だけど『トッツィー』とは何だったのか?ってことを改めて考えてみると意外と難しいっていうか、そもそも内容を覚えてない人も多いのではないでしょうか。

だから『トッツィー』です。今日は。ほないこか。

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◆明かすも地獄、明かさぬも地獄◆

まったく俺というやつは『トッツィー』の内容をぜんぜん覚えてないしシドニー・ポラックも久しく観てないな、と思ったので改めて鑑賞。

この映画はダスティン・ホフマンの女装が話題を呼び全米で大ヒットしたコメディ作品である。1982年の作品ですよ。当時45歳のダスティン・ホフマンの女装姿がベリーキュートなんだ!


完璧主義者ゆえになかなか仕事にありつけない俳優のホフマンが、ソープオペラ『病院物語』の婦長役のオーディションに女装して挑んだところ一発合格。台本を無視したセリフが人気を博して瞬く間にスターになる…というなりすまし型コメディの典型。

ドラマの関係者はホフマンが女性だと信じきっているので、撮影がおこなわれるテレビ局では女のフリをし続けねばならないが、そこで共演者のジェシカ・ラングに惚れてしまったのが運の尽き。彼女はホフマンのことを女性だと思い込んでいるので正体を明かさぬ限りは男女の関係になれないが、そんなことをするとドラマで築いた地位や名誉が崩れ去るどころかヘタすれば契約違反で訴えられるかもしれない。

明かすも地獄、明かさぬも地獄!


なりすまし型コメディが面白いのは話がトコトンこじれていくというところで。

彼はジェシカに惚れるまえに自分が教えていた演劇の生徒テリー・ガーと一夜を共にしたことでテリーをその気にさせてしまったのである。つまりテリーの前では男の姿で、ジェシカの前では女の姿でなければ嘘がバレちまうというわけだ。

さらにややこしいことに、ホフマンが女装姿のままキスを迫ったことでジェシカからレズビアンだと誤解され、テリーからは咄嗟についた嘘のためにゲイだと誤解されてしまう。極めつけはホフマンの女装姿があまりにチャーミングだったせいでジェシカの父親や共演者の老俳優から求婚されてしまうという生き地獄。役者仲間のビル・マーレイやマネージャーのシドニー・ポラック(監督自身が出演)は当てにならない。

果たしてホフマンは雁字搦めの状況をいかにして切り抜けるのか? …といったあたりが見所になっているよなー。ウンウン。なっている、なっている。

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懐かしの女優ジェシカ・ラング(左)。『キングコング』(76年)『オール・ザット・ジャズ』(79年)『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81年)などでブイブイ言わせた。

 

◆80年代アメリカを映す鏡◆

こりゃもう完全にダスティン・ホフマンの一人二役を楽しむ映画でしょう。

当初はウソをつき通すために仕方なく女装していたが、徐々にメイクや服選びが楽しくなってきて女のアドバンテージを満喫するホフマン。

可愛らしい裏声で「タクシ~タクシ~♡」と言っても見た目がおばはんなので素通りされてしまうが、そういう時だけ低い声で「タクシー、コラッ!」と一喝して無事乗車。男と女のアドバンテージを臨機応変に使い分けるホフマンのなんとチャーミンなこと!

ちなみに劇中のホフマンは完璧主義者の俳優という役だが、実際のホフマンも完璧主義者として有名で、本作と同じようにさまざまな映画で何度もスタッフと衝突したんだとか。いつもにこやかなので性格温厚かと思いきや芝居に関しては鬼と化す、このギャップ。

好き!!

 

すこし話が脱線するけど、私のように60~70年代のアメリカ映画にひときわ愛着を持っている映画好きにとって、ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソンあたりは神様のような存在で。

なかでもホフマンは代表作の数が異常に多く、キャリア前期だけでも『卒業』(67年)『真夜中のカーボーイ』(69年)『ジョンとメリー』(69年)『わらの犬』(71年)『パピヨン』(73年)『大統領の陰謀』(76年)『マラソンマン』(76年)『クレイマー、クレイマー』(79年)と枚挙に暇がない。

50年代以前のスター神話が滅びてアメリカン・ニューシネマが台頭した60年代後半からは、ホフマンのような決してハンサムとは言えない平凡な男が時代にフィットしたのだ。

そんなホフマンが女性になりきってソープオペラ(俗にいう昼ドラ)に出演する『トッツィー』は80年代アメリカを映す鏡のような作品だ。80年代といえばカルチャー・クラブやデュラン・デュランが真っ赤な口紅を引いてメディアに現れ、VHSの普及により映画とドラマが完全に分裂した時代。

もう「平凡な男」ではいられなくなったホフマンが「別人格を演じる」ことでスターダムにのし上がる…というショービズの形が築かれた時代にあって、『トッツィー』はまさに作られるべくして作られた映画なのだろう。

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言わずと知れた名優 ダスティン・ホフマン主な出演作は『徹子の部屋』(2013年に奇跡の出演)。

 

沈黙の10年間

まずはっきりさせておきたいのは、シドニー・ポラックはコメディに向かないということ。当たり前だ。そんなことは誰だって知ってる。俺だって知ってる。

『雨のニューオリンズ』(66年)『追憶』(73年)『愛と哀しみの果て』(85年)といった演歌みたいな映画ばかり撮り散らしてきたシドニー・ポラックは、そのキャリアを通してロバート・レッドフォードを大事に育て上げた。「男の哀愁」というポラックの世界観を体現したレッドフォードはまさにポラック作品の顔だったのである。

ところが本作ではレッドフォードからダスティン・ホフマンへ…。ニューシネマを築き上げた二人の名優を横断したポラックは、80年代というアメリカが最も軽薄だった時代に合わせて今まで手を出さなかったコメディに挑戦しているのだが…

コメディになってない!

たしかに女装したホフマンの挙措や裏声はユニークだし、誤解が重なるシチュエーションも楽しいのだが、そうした笑いはもっぱら役者陣が生み出したもので、肝心のポラックはと言えば大真面目にカメラを回し続けるのみでユーモアゼロ!

終始映画がしかめっ面というか、シリアス劇を得意とするポラックの重力に押し潰されそうになっているのだ。

たとえば婦長役のホフマンが人気を博した理由は『病院物語』のなかで院長のセクハラを咎める強気な女性像が主婦層の共感を集めたからで、そうした70年代的フェミニズムは物語が進むにしたがってさらに色濃くなる。挙げ句の果てにはドラマの生放送中に正体を明かしたホフマンが「自分らしく生きることのすばらしみ」みたいな大演説をカマすクライマックス。もう社会派映画だよ。

映像面でも「ポラックの重力」はムンムンに働いていて、まずもってキャラクターに元気がない。まるですべての役者が心にダメージを負っているみたいな妙に鬱々とした表情で、しみったれた映像空間に寄与している(寝不足だったのだろうか?)。唯一ホフマンの秘密を知るビル・マーレイに至っては今にも自殺してしまいそうな雰囲気だ。

それにホフマンのアパートは何故あんなに真っ暗なのか(居間の豆電球ひとつ)。全編通して夜間シーンが非常に多く、日中のニューヨークの街並みでさえも鬱気を帯びているので辛気臭いことこの上ない。

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普段のホフマンと友達のビル・マーレイ(若っ)。

 

なぜこんなに辛気臭いのだろう。

ショットを見れば一目瞭然だが、『トッツィー』は華々しき80年代の映画にも関わらず70年代を引きずった作品だ。

この事実は、ポラックの次作『愛と哀しみの果て』が1910年代のデンマークを、そして80年代末に撮ったさらなる次作『ハバナ』(90年)では1950年代のキューバを舞台に選んでいることが傍証している。

つまりポラックは時代を逆行することで80年代アメリカから逃避した作家である。

映画史を我流で研究していると奇妙な発見をすることがある。

70年代に活躍した映画人は80年代に鳴りを潜めがち。

このディケードでポラックは3本しか映画を手掛けていないし、ホフマンやレッドフォードも出演本数が4~5本と激減している(10年間で4~5本ですよ?)。

ポラックのような作家は珍しくない。ベルナルド・ベルトルッチやロマン・ポランスキーに至ってはわずか2本しか撮っていない。まるで80年代に見切りをつけたかのようだ。1980年代が映画史上最悪のディケードであることをいち早く嗅ぎ取った映画人は、来たるべき90年代に備えて「沈黙の10年間」を過ごすことになったのである。

 

尤も、どうにか時代に合わせようとして『トッツィー』を作り上げたポラック&ホフマンの前衛精神は称賛すべきもので、この映画はほとんどその一点のみで成り立っているといっても過言ではないが、それでも70年代に引きずられてしまう…というあたりが70年代映画人の悲しき性なのかも。

とはいえ『愛と哀しみの果て』以降低迷していたポラックは遺作になった『ザ・インタープリター』(05年)で死に花を咲かすことに成功し、ホフマンは本作のあとに出演した『レインマン』で二度目のオスカーをゲットした。

70年代の映画人はしぶとい。

そんなことは誰だって知ってる。俺だって知ってる。スピルバーグやイーストウッドを見れば一目瞭然だろ?

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ヒゲを剃るホフマン。