カルト映画とB級映画の非嫡出子、その最終作。
1970年。市村泰一監督。松山容子、目黒祐樹、丹波哲郎。
シリーズ第四弾。悪代官の婚礼に町娘の身替りとなったお市は代官役人を斬ったことから、賞金のかかったお尋ね者となる。賞金稼ぎに狙われながらも、町民達を助け、悪代官一味に秘剣居合切りで立ち向かう。(Amazonより)
はっせよーう。
このブログって『めくらのお市』の知名度アップにものすごく貢献しているんだよ。公開当時ならいざ知らず、もはや今となっては方々のレビューサイトでも0~2件ぐらいしか投稿されてないし、すっかり「忘れ去られた映画」と化した同シリーズ。だから松竹は僕にボンカレーをたくさん贈るべきだと思った。何か間違ってますか。
そんなわけで本日は『めくらのお市 命頂きます』です。明日からはしばらくズル休みします。
◆シリーズ最終作もやっぱり甘口◆
『めくらのお市』シリーズもいよいよ最終作である。これまでチャランポランな駄文を綴って参ったが、いやはや見かけよりは大変で、観るに易いが書けば難儀という、レビュアーにとっては実に非経済的な作品なんである。いや、手こずった。糞真面目に批評したところで誰も読まぬだろうからある程度まで崩さねばならぬし、殊に「昭和キネマ特集」なんてもんは殆どの読者が未見もしくは無関心であろうことなどハナから分かりきっているので筋を追う形の方が…なーんてグチグチ言っても始まんねェーッ。
1970年の春に公開された本作『めくらのお市 命頂きます』は松山容子の引退作となったシリーズ完結編である。監督がどうしようもない前作『みだれ笠』を手掛けた市村泰一なので出来の程はタカが知れているとは言え、もうお市に会えないと思うと一抹の切なさが我が心をキュッと締め付けるのであり、『命頂きます』の鑑賞前に「ボンカレー頂きます」を別れの儀とするべく某スーパーマーケットにてボンカレーゴールドを購入。炊き立ての白米を皿によそい、その上から同商品を電子レンジで約1分半加熱して「熱い熱い…」などと言いながらイン!「ボン!」と言いながらドン! ギュン!と食べて鑑賞スイッチ、オン!
そうして始まった『めくらのお市 ボンカレー頂きます』…あ違った…昭和の笑いをやってしまった…誰も笑ってない…『めくらのお市 命頂きます』は涙の味!
されど映画の出来はやっぱり甘口!
でもお市の暴力は辛口っ。
腹を突いたり、
股間を突いたり。
二作目『地獄肌』では賞金稼ぎだったお市が本作でついに賞金首になってしまう。嫌がる町娘から許婚を引き離して女房にせんとする悪代官・丹羽又三郎を阻止したことで指名手配されてしまうのだ。
結婚式の夜、又三郎が娘の寝ている布団をめくるとお市だったという馬鹿馬鹿しい場面から景気よく始まる『命貰います』。
思えば当シリーズは毎回副題が意味不明で、まあ『真っ赤な渡り鳥』はお市のことを言ってるのだろうなと想像できるが『地獄肌』と『みだれ笠』に関しては内容と関係なさすぎて首を傾げてしまうレヴェル。だけどこのシーンでは、仕込み杖を突きつけたお市が「声を立てると命を貰うよっ」と啖呵を切って早々に副題の答え合わせをしてくれるのでそこだけは評価します(別のシーンでも事あるごとに「命を貰う」を連呼)。
それにしても、力ずくで略奪婚する悪役って何考えてるんだろっていつも思うわ。「これでお前の許婚は生涯牢の中だ。これからはワシに奉仕しろ」とか言うんだけど、するわけないじゃんね。そんなことしても娘から恨みを買うだけで、そんな相手と一緒にいても楽しくないだろ、又三郎サイドも。ケンシロウからユリアを奪ったシンにしてもそうだよ。略奪愛の「略奪」って物理だったのかよ。
現在、なかなかの勢いで話が脱線してるように見えるだろうが、さにあらず。もとより本作には脱線すべきレールなど敷かれちゃいないの。
まあ話を続けると、又三郎から娘を救ったお市はお尋ね者になってしまうが、その人相書きがちょっぴり味わい深かった。
もうちょいデッサンどうにかなれ。
この立看板を見たのが3人組の賞金稼ぎ。大極拳の達人、鎖鎌の使い手、医者くずれで手裏剣の名手。
だが最初に剣を交えた手裏剣の名手・目黒祐樹は惜しいところでお市を取り逃がし、後日酒場でやくざ者にいじめられている親子を救った彼女を目撃したが、あえて仲間2人からお市を逃してやった。親子を助けるために御用覚悟で姿を現したお市に情けをかけたのだ。
このナイスガイを演じた目黒祐樹は松方弘樹の弟であり、『地獄肌』でジェダイを演じた近衛十四郎の次男。例によってお市とは両想いになるが、めくらの業ゆえにやがては引き裂かれてしまうという毎度恒例のロミオ枠だ。なお、お市が目黒に惚れたのは腕の傷を治してくれたからだった。あと単純に目黒がハチャメチャなる男前だったからである。
シリーズ4作目ともなるとお市の惚れっぽさも堂に入ったもので、ロクな恋愛心理もなく「はうあっ」と言って目黒と抱き合ってみたりもする。いい加減にしてほしいと思う。
『ルパン三世 念力珍作戦』(75年)や『里見八犬伝』(83年)で知られる目黒祐樹。
◆お市、弱体化してる?◆
主なストーリーは、目黒の故郷である港町に身を寄せたお市が圧政に苦しむ漁民たちを救う…というシリーズ史上最もベタな時代劇フォーマットに則ってほぼ惰性だけで展開される本作。
この港は又三郎の命により再開発されようとしており、岡っ引きの田崎潤は立退料わずか1両で漁民たちを追い出そうと長屋を壊し回っていた。なんでそんなことするの。
又三郎は村入りしたお市を狙うべく剣豪の丹波哲郎を差し向け、一方、田崎は江戸表に直訴しようとする漁民リーダー・曽我廼家明蝶の口封じを目論む。
もはやお市の股旅物語というより悪代官と村人の揉め事にたまたまお市が巻き込まれた…という具合で、話の中心が妙にずれてるのが終始気持ち悪い。キャストはみな陽気で、曽我廼家の娘役を『ずべ公番長』シリーズの大信田礼子が演じるほか、夫婦漫才コンビの正司敏江・玲児がお決まりのどつき漫才を繰り広げて作品世界をぶち壊しにかかっている。
大信田礼子と曽我廼家明蝶のカワイイ親子(画像上)。
ボケを殴りながら突っ込む「どつき漫才」のパイオニア、正司敏江・玲児(画像下)。
世界観を壊すもうひとつの要素、それは襲いくる刺客にいちいち手こずるお市であった。監督が松田定次から市村泰一に代わった前作にもその気はあったが…お市の秘剣がぜんぜん炸裂しない。
それがより顕著になったのが本作で、殺陣に迫力がないあまり「お市、弱くなった?」という疑念が爽快感を欠くことおびただしく、たとえば大極拳と鎖鎌の使い手がいかに強敵かという説明的なアクションに腐心するほどにお市が苦戦している描写が引き延ばされ、その結果 敵が強いのではなくお市が弱体化したように見えてしまうっていう!!!
しかも今回の『命頂きます』が不思議なのは、なぜかここ一番という局面以外では仕込み杖から剣を抜かずに杖のまま敵をぼこぼこ叩くという謎の殴打スタイル。『命頂きます』と言っておきながら命は取らずにおくという二枚舌ぶり。今までさんざん人を斬ってきたのに最終作になって急に剣を出し渋るという勿体のつけ方。何がしたいのか僕にはもう分かりません。
お市自身も確実に弱体化していて、滝の近くで休憩するときに仕込み杖を手放したせいで敵の奇襲を許し「滝壺の音で人の気配に気付かないなんて。ドジだねぇ、私も」などと笑って済ませる。油断がすごいと思った。
そのうえ戦闘中に足を滑らせ「ぎゃあ」つって崖から落ちる始末。
前回も落ちてなかった?
仕込み杖を置いて川の水を楽しんじゃうお市。
この弱体化現象は予期せぬ不快感を画面に塗りたくりました。
本作のお市は「超然たる女剣士」ではなく「多少剣術の心得がある盲人」程度の描かれ方なので、賞金稼ぎたちが奇襲・猛攻を仕掛けるさまが寄ってたかって盲人を虐めてるように見えてしまうんだよなぁ。
野原でお市を囲ったやくざたちは、音の振動と空気の流れを読ませないために一斉に松明を放り込むのだが、ここでの火攻めを受けながらの殺陣などなかなかのムゴさであった(まさに絶体絶命だが、次のカットでは辛勝をおさめたらしいお市が川辺で一息ついている。『地獄肌』のマムシ事件を彷彿させる無茶苦茶なジャンプカット。一体どうやってあのピンチを切り抜けたのか)。
メラゾーマで大ダメージを受けるお市。
そんなお市なので、悪代官に雇われた剣豪・丹波哲郎に初の敗北を喫して身柄を拘束されてしまったが、彼女の気っ風のよさを大いに買った丹波、「気に入った!」と言ってあっさりお市を逃がしてしまう。
だから気まぐれが過ぎるだろって。
「気分」を理由に味方に転じた前作の栗塚といい…行動原理が気分に基づきすぎっ。
それにしてもこの頃の丹波哲郎は激烈に渋かった。なるほど、パブリックイメージとしては「ショートハットかぶってトンボみたいなサングラスした横分けルックの顔デカおじさん」といった具合だし、現に代表作となったTVドラマでは『キイハンター』や『Gメン'75』のような現代劇が多いことから黒のスーツとショートハットがトレードマークになっているものの、いやいやどうして、時代劇では『バガボンド』の世界観にぴたりと収まるようなミフネ的色気が横溢。でかい図体と硬骨漢然とした迫力は今にもスクリーンを破かんばかりである。破かれると困るのだが。
また、丹波哲郎といえば大霊界の交信者として知られているけれども、撮影現場では背徳の遅刻者、セリフの失念者、カンペの窃視者、郵送された脚本の未開封者として、その豪放磊落…というかデタラメな人柄で有名な俳優である。
一切脚本を覚えず、役作りもしないどころか、自身の出演作品の概要すらロクに知らないまま撮影に臨んだ丸腰の演技者として日本映画史の伝説となった。主な出演作は20本ぐらいあるので書かずにおく。
『第七の暁』(64年)ではウィリアム・ホールデンと、『007は二度死ぬ』(67年)ではショーン・コネリーと共演した丹波哲郎。
◆漁民むかつくわぁ◆
江戸に赴き又三郎の圧政を暴露しようとした曽我廼家をふん掴まえた岡引・田崎は、お市が丹波との大霊界スマッシュブラザーズの際に落とした仕込み刀を使って曽我廼家を殺害。それがために漁民たちから曽我廼家殺害の容疑をかけられたお市は謂れなき誹謗中傷に晒され、あやうく海に放り込まれそうになった!
海に放り込むためだけに大勢でお市を担いで何十キロもある道をエッサホイサと走るシーンはナンセンスかつシュール過ぎて大笑いしたが、この筋運びもきわめて不愉快だ。なんとなればアホの漁民どもが映画における説話論理を無視してお市を犯人だと決めつけるからである。
「曽我廼家さんは命の恩人なのに…どうして私が殺すんだい」と釈明している通り、お市には曽我廼家を殺害する動機がなく、また彼女は漁民とも友好を深めた間柄。貧しい村を救うべく田崎の賭場を荒らして得たビッグマネィを全額寄付すらした。
にィィィィも関わらず! ガイシャの背中に仕込み刀が刺さっていたというだけで目の色を変えてお市を糾弾するのは描写としてあまりに不自然ではありませんかなぁ?
百歩譲って漁民どもの乱心は集団ヒステリーということで納得できても、誰よりもお市を慕っていたガイシャの娘・大信田礼子まで怨嗟の非難を浴びせるのは人間心理の破綻と言わざるを得ないのではござらぬかなあ!!!
漁村のみんなに疑われるお市。
お市を海にほりこむ、という漁民ならではの地の利を活かした残酷私刑に「海を何だと思ってるんだろう、この人たち」と私が小首を傾げていると、寸でのところで目黒が駆けつけ「みんな待ってくれ~。やったのは田崎たちなんだ!」と叫んで誤解を解こうとした。
したところ、あんなに怒り狂ってお市が犯人だと決めつけていた漁民たち…
「エッ、田崎がやったの!?」
それで信じるんだ…。
こんな説明で誤解が解けたら世話ねえわ。ていうか、この村の人たちって5ぐらいしかIQないの?
直後、女たちが走ってきて「村が襲われてるよォーう!」と悪代官の襲撃を告げる。慌てて村に戻った漁民たちは、しかし家を打ち壊すやくざ達に抵抗するでも泣きつくでもなく、ただ柱の陰から事態を傍観しては「ちきしょう」とか「いやな気持ちがする」などと呟くばかり。
いっそ潰してもらえ、こんな村。
悪代官が目論む港の再開発に賛成するよ、俺は。
本来なら同情すべき民衆があまりに愚かしいので、命懸けで村を守ろうとするお市と目黒の雄姿にカタルシスを得ることが叶わず「守る値打ちあるのかな、こんな奴ら」なんて悪態を吐きながら迎えたクライマックスは妙に苦々しく。
とにかく漁民むかつく。
目黒の「危ない!」と発した声を聞いてお市が槍をかわすシーンひとつ取っても、たとえばお市を疑っていた漁民のひとりが身を呈して槍を受けでもすれば「お市さん、疑ってすまなんだな……ポクリ」、「漁民~!」みたいな即席のドラマが生まれるのに、奴らときたら呪詛のごとく「ちきしょう。悔しいなあ。いやな気持がするなあ…!」と呟くばかりで一切ドラマに裨益しない。なら死ね。
まあしかし、クライマックスの大乱戦は表長屋のせこいセット撮影だが屋内に移るほどよくなっていきます。別のシーンでも狭い屋内で柱を盾のように利用しながら立ち回る所作が多く、密室剣戟としてはそれなりに楽しめたわ。
お市の殺陣があまりに速過ぎて画面を一時停止すると剣の軌跡だけがクッキリ浮かぶ。こえーよ。
また、腹を刺された目黒がお市の腕の中で死んでいくシーンは実に切ないが、せっかくの愁嘆場を若干台無しにしているのがセリフ。「ちっきしょお。地獄の鬼が……おいでおいで……してやがらぁ~…」といういかにも臭いセリフ。やめてはずいはずい。しかも最期にニッコリ笑って「バッカヤロォ~ウ…」とも言う。はずいって。
セリフと言えばお市と田崎が対峙するシーンもなんだかヒドかったな。
お市「私は今日まで数限りない悪党どもを見てきたけど、お前みたいなド汚い奴は初めてだよっ」
田崎「何を~ぅ。てめえ、この十手が目に入らねえのか。ドめくらっ!」
口が悪い。
ただでさえ地上波では放送できない差別用語に「ド」をつける田崎も田崎だが、「ド汚い」なんてクソ汚い言葉遣いをするお市もお市です。かく言うミーもミー。
お市が田崎をぶった斬り、諸悪の根源たる又三郎がドキドキしていると、そこに丹波が現れ又三郎をしょっぴいた。じつは丹波は浪人のフリをした代官様だったのだ! ズコ~~ッ。だからあのときお市を逃がしたのね。
これにて一件落着。ひとり孤独に旅を続けるお市の後姿と、それを見送る漁民たちの申し訳なさそうな眼差しが苦味を残す。しかしまぁ、それがお市の背負った業なのだろう。
お市を疑ってしまった礼子。
『めくらのお市』シリーズはこれにてお仕舞い。
このあと松山容子は原作を手掛けた漫画家・棚下照生との結婚を機に人気絶頂期にして銀幕を去る。その後TVドラマにはちょろちょろと出ているようだが、スクリーンにカムバックすることは二度となかった(まるで故人みたいな言い方をしてしまったが存命中です)。
当シリーズはインターネットで検索してもロクに作品紹介や評論等の文献が出てこないような珍味ボンカレー時代劇だが、凡庸なようで前衛的、前衛的なようでやはり凡庸という、さながらカルト映画とB級映画の非嫡出子のような一風変わった作品であった。
さんざん文句を垂れながらも、終わったら終わったで名残惜しいシリーズだったなぁ。全作一気に見させただけでなく、この私にボンカレーすら購入・摂取させた松山容子さん(現82歳)には福神漬け少々が贈られます。
さようなら、お市!