シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

めくらのお市 地獄肌

目の見える我々と目の見えないお市が同じ瞳を共有する亜空間!

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1969年。松田定次監督。松山容子、松岡きっこ、近衛十四郎。

 

シリーズ第2作。 お市は、お尋ね者の浪人丹兵衛をぬかるみの中に葬り、つづいて女博賭黒髪のお炎と対決した。お市は勝負に勝ちながらお炎を殺さず、それがために彼女の放った毒蛇にかまれてしまった。

 

はっはよーう。

書くことないわ。僕は僕で生活していて、あなたはあなたで生活していて、僕からあなたに何か伝えたいといったことは今のところないです。というか伝えることが億劫になってきてるな。ここ4年ぐらい。たとえばこないだ、チューハイのことを「こんなもんジュースや」と言う人間への一考を書いたけど、あれだって内心では「こんなどうでもいい主観をつらつら綴ることに何の意味があるんだろう」と思いながら書いていた節はあって、でも何か書かないと記事をアップできないから一応書いてはみたけど、そんなことを書いても僕たちの世界が弾んだり歪んだりすることはないのだろうなあって思うと正直悔しいし、時空の裂け目にホイコーローを投げたいです。薄っぺらい歌詞しか書けないシンガーソングライターの気持ちがわかる気がした。ていうか、どんどん観念的な前書きになっていく。僕は最終的にスターチャイルドになれると思う?

そんなわけで本日は『めくらのお市 地獄肌』です!

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◆お市シリーズ、渾身の二作目なり!◆

ボンカレー女優・松山容子『めくらのお市』シリーズ第二弾!

松山容子を「ボンカレーのおばさん」と認識したまま死にたくないという強い思いから鑑賞したシリーズ第一弾『めくらのお市物語 真赤な流れ鳥』(69年)は私の思いを裏切るような脱力必至の激ユル時代劇であった。

全盲の設定なのに見えてるようにしか見えなかったり、敵の女がナウいギャルだったり、お師匠さまがゆで卵みたいな体型だったり、忍者が松の木に引っかかったり。フラッシュバックやトランジション(場面転換)も無理やりすぎで、破綻したシュールな実験映画のごとき様相を呈していた。

とは言え、ただ低劣な映画というだけではなく、松山容子のカルトじみた妖艶さと亜流作品ならではの放埓さに支えられた極めて稀有な女性剣戟映画、そのB級グルメとしての値打ちはなかなかどうして無視しがたいものがあるのであったのさ!

ちなみに私は一作目を観終えたあとボンカレーを購入してもいる。

だから結局お市の勝ちなんだよね。『めくらのお市』を観てボンカレーを買ったなら、それはもうお市の勝ち。松山容子の掌の上。

 

さて、一作目がとんだ底抜け映画だったので恐る恐る鑑賞した第二作『めくらのお市 地獄肌』。まさか吃驚、こちらの想像を遥かに超えた力作だった! ボンカレー買っといてよかったー。

同じ監督が撮ったとは思えないほどの躍進ぶりだが、もともと松田定次『丹下左膳』(52年)『任侠東海道』(58年)など数々の傑作を世に放ってきた日本映画黄金期の大巨匠なので「躍進」というより「本調子に戻った」と言うべきだろう。きっと前作を撮ったときは体調が悪かったのだ(カレーに当たったのかもしれない)

そして本作は松田定次の遺作でもある。生涯に手掛けた映画本数は約200本にも及び、この信じたい数字によって松田定次に対する無知が相対的に決定づけられた私に松田論なんてとても書けやしないので“シネ刀式”に敬意を表して褒めたいって思ってる。

一作目はお市の壮絶な過去を描いたが、ある意味では二作目からが股旅の本当。

今回の『地獄肌』は、百姓と恋に落ちたお市が普通の女として生きる道を選びながらも剣を捨てきれぬ悲しき業、その鬩ぎ合いをドラマテックに描破した充実の88分! 前作同様に脱力ポイントも多々あるが、総じてタイト、ほどよく湿り気もあり、剣戟も見所沢山、セットも豪華、なんといっても空前絶後の演出という贅沢な一品に仕上がっている。

贅沢といえばキャストも豪華で、近衛十四郎松岡きっこが出演してるんだよねー。

松方弘樹と目黒祐樹のリアルパパンとして知られる近衛十四郎は『柳生武芸帳』(61年)『座頭市血煙り街道』(67年)を代表作に持つ剣戟スターだ。殺陣の美しさは当代随一と言われており、勝新太郎や三船敏郎より高く評価する時代劇フアンもいる。本作ではマスター長門のポジションで、お市に力を貸すハートウォーミングな剣豪をドラマテックに演じた。

一方、松岡きっこは『007は二度死ぬ』(67年)で端役ながら海女さんを熱演。最高視聴率30%越えの大ヒットTVドラマ『キイハンター』(68年)『アイフル大作戦』(73年)が代表作らしいのだが私はドラマを見ないのでこれに関しては知らん。きわめてバタ臭い女優で、国生さゆりとベッキーを足してフライパンで焼いたみたいなエキゾチックな美貌を売りにしている。本作では時代考証ドン無視ギャルのポジションで、しつこくお市を襲う敵役をジューシーに演じた。

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近衛十四郎(左)と松岡きっこ(右)。

 

◆お手玉に加えられた悲嘆の斬撃◆

映画は、なんと玉川良一のクローズアップに始まる。「昭和キネマ特集」のヘヴィ読者には「ダメ虫」でお馴染みの喜劇役者である。

さて。ダメ虫率いる賞金稼ぎ6人を酒場で返り討ちにしたお尋ね者の浪人・中丸忠雄が店先で出会ったは笠をかぶり大八車を引いた赤い着物の女。わずか一太刀で斬られた中丸が「貴様何者…」と敗者特有の四字熟語を残して泥濘の中に倒れると、笠を取った女、あはんと笑って…

「世間じゃめくらのお市で通ってる流れ者…。女だてらの賞金稼ぎさ!」

そこへボンッとカレーにコールドオープン!

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天晴れなアバンタイトルだ。

すでに事切れた相手に笠を取って名乗る…というイムズもさることながら、やはり「6人も倒した強敵を瞬殺する」というパワーインフレ表現のハッタリズムに痺れる。いわば、せんど剣豪ぶりを見せつけた仲代達矢が0.1秒で三船にぶった斬られる『椿三十郎』(62年)、並びにそこから派生したマカロニ・ウェスタンにも通じる時代劇特有の“一瞬の美学”ってやつよ。

大八車に乗せた死体を番所に運ばせた車引きから「姉さん、顔に似合わねえ凄腕だな!」と褒められ「おだてるんじゃないよォ~。私なんかさ…モジモジ」とお市が照れていると「うんにゃ、貶してるだ!」と言われてしまうギャグなんて今じゃ完全に差別表現だが、そのあとの掛け合いから「貶してるだ」という言葉も含めて冗談だと分かるのでまったく嫌な気はしない。それどころか粋なダイアローグとさえ言える。

 「顔に似合わねえ凄腕だな」「めくらにしては凄いな」という意味。

 

番所で中丸討伐の賞金25両を得たお市に「姉ちゃん!」と愛らしく駆け寄ってきたのは自称みなしごの岩村百合子。お市とは義姉妹の仲だが、実は越後屋の家出少女で、見つけてくれた者には200両の賞金が支払われることになっていた。これに目をつけた悪女・松岡きっこ(通称キッコ)はダメ虫と結託して百合子誘拐の絵を描く。

キッコもまた『真赤な流れ鳥』の荒井千津子と同じく「時代劇にお前みたいな奴がいるか」と思わずにいれない時代考証ドン無視ギャルで、女たちの毛髪で作った鞭を武器にする。いわく世界中の女の恨みが込められているらしい。ちなみに前作の千津子はコマを釣糸で操っていたが…なぜこのポジションの女悪党は紐状の武器を好むのだろう。

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人毛鞭を操るキッコ。

 

ダメ虫から百合子を奪還し「どんなことがあっても離さないよ!」と涙で抱擁したお市だったが、百合子が200両の価値を持つ家出少女だということを知らないお市は今度の一件が自分の命を狙った者の仕業だと思い込み、このまま共に生活していれば百合子に危険が及ぶと危惧。越後屋の使い・田中春男が「頼むからお嬢さんを返してくれ」といって200両を差し出して来たことで百合子には帰る家があるのだと知り、「どんなことがあっても百合子を離さないと約束したじゃないかぁ!」と泣きすがる彼女をわざと突き放すのだった…。

本筋の脇で泣かせるこのシーケンスは最小の手数で構成されたメロドラマ。まるで冷蔵庫の残り物でサッと作った料理に舌鼓を打つがごとき経済的説話技法の好例であるが、ここで使われたモチーフがお手玉である。

百合子が連れていかれる際、俯いて涙をこらえるお市に使いの田中がさりげなく会釈する所作が実にすばらしいが、そのあとひとり部屋の中で慟哭するお市が出し抜けに百合子とよく遊んでいた赤いお手玉を宙に投げ「くそっ」と叫んで仕込み杖で真っ二つにするショットが更にすばらしいのだ。

「くそっ」という言葉選びが下品かわいくて思わず笑っちまったが、このお手玉への斬撃は百合子との縁を切ってしまった自身への苛立ち、なにより人並みの平穏すら望めぬ己が業の深さを呪う身振りなのだよなぁ。

f:id:hukadume7272:20200516070555j:plain心を鬼にして百合子(左)を親元に帰すお市。そのブロークンハート。

 

その後、鞭使いのキッコは河原でお市に果合いを申し込むが、実力の差はあまりに歴然だった。キッコの喉元に刃を突きつけたお市は「もう人斬りは厭きたのさ」といって情けを見せたが、刹那、背後から投げつけられた毒マムシに腕を噛まれ、悶絶!

キッコ「私のマムシに噛まれちゃあ、お前さんもおしまいだよ!」

悪役の器というのはこういう時に決まるものだが、キッコは救いがたき小人物であった。助けてもらったお礼がマムシかっ!

すると次のカットではふらふらの足取りで石階段をのぼるお市が「もうむり」とか言って気を失ったが、いかんせんショットが繋がってないのでまったくの意味不明。河原でマムシに噛まれたのになんで石階段にいるのよ。ていうかキッコとの勝敗の行方は?

おそらく脚本には「キッコはマムシに噛まれたお市が死んだと思って河原を立ち去ったが、その後目覚めたお市、余力を振りしぼり河原を離れて石階段をのぼるも、遂に『もうむり』といって意識を失う」とあったのだろうが、河原~石階段の場面転換までに5つぐらいショットを飛ばしてるので、観客にはなぜお市が石階段にいるのか分からない。ゴダールみたいなジャンプカットやめろ。

そこを通りがかりの魚獲り・入川保則に救われたお市は、村で療養生活を送るうちに入川と恋に落ち、剣を捨ててついに結婚。実にエンダーイヤーといえるが、われわれはお手玉斬撃事件の目撃者なので、この幸せな日常がそう長くは続かないことを知っている…。

f:id:hukadume7272:20200516070713j:plain魚を釣って生計を立てている入川(左)と恋に落ちるお市。でかい魚がかかりましたね。

 

◆そして舞台は瞼の内側へ◆

物語後半では悪の地回りに隠し米を搾取されている村人たちが正義の浪人・近衛十四郎にとりすがって地回り親分・安部徹(キッコの兄なのでアニキッコと呼ぶ)を迎え撃つが、あくまでお市視点から物語を見据えることでちゃんちゃんばらばらの中にも抒情豊かなドラマを形作っておりますぞ。

まじで魚を釣ることしか取り柄のない入川と結婚したお市は、初めて手にした人並みの生活にいたく喜んだ。とかくこのようなシーケンスはダレ場になりがちだが、そこをうまく回避したのが2つの妙技。

ひとつは近衛十四郎の存在である。近衛はオビ=ワン・ケノービとクワイ=ガン・ジンを足したような剣豪…というかもはやジェダイで、おまけに盲にも関わらずお酌ができるお市の超感覚を褒める村人たちを「よさんか」とたしなめるジェントルマンでもあった。剣を捨てたお市が普通の女として見られたがっていることを一早く察したのである。前作のマスター長門とはえらい違いだ。

そしてもうひとつは、お市が「あはははははは」と高笑いしながらお手玉遊びをしてるときに現れたマムシ投げのキッコ!

アニキッコと奸計を巡らせたキッコは青龍刀を扱う凄腕の唐人剣士・永山一夫を雇い「今日こそはカタをつけようじゃないか!」とお市を襲撃。雇われ剣士の一夫は「ありゃりゃりゃりゃ」とかわけのわからないことを言いながら木から木へと無意味に飛び移るサルじみた奴で、円転自在に青龍刀を振りまわす。もう仕込みは抜きたくないと防戦一方だったお市だが、とうとうキッコの人毛鞭に捕まり、やむなく刀をギラリ光らせる。

お市「この野郎ォ~~、とうとう抜かせたね! 抜いたからには容赦はしないっ」

激おこぷんぷん丸と化したお市が怒りの居合いで一夫をぶった斬ると、キッコは「チッキショー! おぼえといで!」と捨て台詞を吐いてランニングで逃げた。 

 

お市襲撃をしくじったキッコはアニキッコと作戦会議を開いて奸計をブラッシュアップする。甘い言葉でお市の夫・入川に近付き、イカサマ博奕で五十両もの借金を背負わせたのだ!

う~ん、騙したキッコも悪いが、騙された入川も入川だと思った。お市という妻があるのにキッコみたいな小悪魔にホイホイ引っかかりやがって。だいたい魚釣りが女に釣られてどうするんだ。いったいどうなってるんだ、下半身の釣り竿は。

キッコ「お市さんとは古い馴染みなんですョ」

入川 「えへへ、そうですか。えへへ、ちっとも知りませんで」

キッコ「ちょうどいいわ。ちょっと付き合っておくんなさいョ」

入川 「へえ。えへへ。そうですか? えへへへへ」

入川…もうおまえは川から出ろ。出川になれ。

博奕でハメられ大借金をこさえた入川に、アニキッコは借金を帳消しにして欲しくばお市にジェダイ近衛を斬らせろと脅す。アニキッコとしては隠し米を根こそぎ奪うには村の守護神・ジェダイ近衛が邪魔だったんである。

f:id:hukadume7272:20200516071105j:plainアニキッコ(画像上・右)と示し合わせて入川(画像下・右)を騙すキッコ。

 

さぁ、顔面蒼白で家路についた入川、「ボンカレーができましたよ」というお市を無視して布団に潜った。あまりの恐怖と自己嫌悪からこりゃもう寝るしかないと思ったのだ。人は極限まで思いつめると一旦寝る…ということがよく分かるシーンだ。

「何かあったん」と訊ねても狸寝入りを続ける入川に、きっと自分が原因で空恐ろしい目に遭っているのだと直感したお市は、黙って同じ布団に入り夜を越える。バキバキにメイクしたまま。

このシーンはとても美しく儚げだ。やはり女の幸福は得られないのだと悟ったお市が寂しげに蝋燭の火を消すと、次のショットでは暁暗。眠っている入川の耳元で「お市はゆきます。楽しかった…。ほんの短い間だったけど、お市は幸せだった…」と言い残し、朝霧の外に出づれば家の中から入川の泣き声。また狸寝入りしてやがったのか。

家の前で待っていたのはアニキッコの子分…略して子キッコたち。お市をアニキッコのもとへ連れて行こうとした矢先、不意に現れたジェダイ近衛が子キッコ4名を叩き斬り「家にお戻りよ、お市。もう旅なんかしちゃダメじゃん」と制止したが、キッコ兄妹に幸せを奪われたお市は忠告を振りきって兄妹の待つ石切場へ向かう。

その道中、藪から棒に鳴り響く扇ひろ子の謎の演歌にズッコケ。なお曲名はクレジットされてなかったので不明ッ。

 

人に見せない私の心ぉ~

あなただけには見てほしかった~

さよなら さよなら お別れなのねェ~ん

世間知らずの あのころ恋し

泣いて泣かせる ああん あん あん!

三度~笠~~♪

 

うるせ。

f:id:hukadume7272:20200516071320j:plain入川(狸寝入り)に別れを告げるお市。そのブロークンハート。

 

さあ、石切場に着いたころには上映時間が残り5分しかないが、何といっても本作の凄味はラスト5分に集約されておるのだ。かれこれ5000字以上書いてきた本稿……実はここからが本題である。

キッコ、子キッコ、アニキッコと対峙したお市は、もはや激おこぷんぷん丸を通り越してムカ着火ファイアーの領域に突入しており、ギャッと啖呵を切る。

「私はね、二度とこの仕込みを抜くまいと誓ったんだよ。チッキショオ~~ゥ! それをよくも抜かしてくれたねッ。この〇〇だけはせずに置かないよッ!」

〇〇の部分は聞き取れませんでした。

ムカ着火のあまりお市の呂律がほとんど回ってなかったのである。

直後「てやぁー!」、「たぁーっ!」と裂帛の気合いで子キッコ軍団を斬って斬って斬りまくるお市のハードアクションの幕開けじゃああああああああ。

何ともはや…このラスト5分だけで50人以上斬るのである。

お市の居合術は敵の太刀を避けながら懐に飛び込み、逆手持ちの仕込刀ですれ違うように斬りつける…というカウンター斬撃を基本としており、その瞬間身体をクルッと回転させるので背後の敵も同じ仕打ちを受ける。つまり絶えずクルクル回転しながら子キッコたちの間を縫うようにして立ち回るわけだ。独楽の動きに着想を得たのだろうか。知らね。いずれにせよあまりにマンガ的な描写だが、もとより原作は棚下照生のマンガなのだから仕様があるまい。

肝心なのはこの動作がスクリーンに映えるちゅうこっちゃ!

クルクルのたびに髪と袖が激しく揺れ、返り血を浴びるまでもなく朱い着物と仕込み杖が狂った炎のごとく画面をのたうち回る艶姿。殺陣のさなかに歌舞伎の動きを取り入れたかと思えば、女性らしい仕草も忘れない。

f:id:hukadume7272:20200516071453j:plain前作の比ではないハードアクション。ぎゅ~~。50人斬り!

 

今のでラスト5分の凄味を10%説明したことになるが、残りの凄味90%はその直後のシーンに潜む。

不意に背景が変わっちゃうんである。

何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった。頭がどうかなりそうだった…。それはあまりに唐突だった。それまでは昼の石切場でチャンバラしていたロケ撮影が、あるカットを機に薄暗いスタジオ撮影に切り替わったのだ。

どこからともなくヒュードロドロ…という囃子が聞こえ、怪奇映画のごとき妖しさを漂わせる剣戟空間。

そう、ここはお市から見た暗闇の世界なのだ。

f:id:hukadume7272:20200516071611j:plain昼の石切場から「お市の世界」に舞台が変わる。

 

世界がまるごと裏っ返しになっちゃうのだ。わかりる?

我々はこれまで「目利き(健常者)の世界」から全盲のお市を見てきたが、事ここに至っては「めくらの世界」とも言うべき亜空間に引きずり込まれ、ついに「目の見える我々」と「目の見えないお市」が同じ瞳を共有するのである。

この空間演出は衝撃的であり、またそれ以上に感動的だった。だってそうでしょ。映画史上きわめて稀ではなかろうか、盲人の瞼の内側を舞台にした作品というのも。

さァ、これで残りの凄味90%のうちの30%を説明したことになるが、残りの凄味60%はその直後のラストシーンに潜む。

「めくらの世界」でキッコとアニキッコをぶった斬ったお市、残った子キッコを片っ端から叩き斬っていくのだが、スローモーションでおこなわれる殺陣の端々に静止画を混ぜ込み、ついには静止画だけでモンタージュされたお市の顔がパッパッパッパッ…と続いて「終」の字がボンッとカレーに画面を覆う!

この静止画のスライドショーはクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(62年)という短編映画をパクってる可能性が高いが、だとしたら尚更驚嘆するわ。こんな形で、それも時代劇で応用したのだから。

そして本作が200本近くもの映画を手掛けてきた松田定次の遺作である、ということが何よりの驚嘆ポインツ。通俗映画の巨匠が行き着いた果てがこれほど挑発的な反映画だったとは。だって静止画のスライドショーって…もはや映画ですらないからね。

『めくらのお市 地獄肌』は、もうそんじょそこらの映画では度肝を抜くことがない人間が観てもまんまと度肝を抜かれる作品でありながら、そんじょそこらの映画に通じるそんじょそこらの楽しさにも満ちた一級の通俗映画であった。完膚なきまでに面白い。

f:id:hukadume7272:20200516075534j:plain※すべて静止画です。