シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

死霊の盆踊り

楽しい夏がぶち壊し。珍奇タコ体操の無間地獄! ~虚脱、失神、熟睡、放屁。さあキミが見せるリアクションは何か?~

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1965年。A. C. スティーヴン監督。クリズウェル、ファウン・シルヴァー、パット・バリンジャー、ウィリアム・ベイツ。

 

ホラー作家のボブは作品のインスピレーションを求めて恋人シャーリーとドライブしていたが、事故を起こして墓地に迷い込んでしまう。2人はミイラ男と狼男に拉致されて墓石に縛り付けられ、死霊たちの裸踊りを延々と見せられることになり…。(映画.comより)

 

うん。まあ、おはよう。

久しぶりに他人様のブログを渉猟していると、みな思い思いのことを伸びやかに書いておられて、その様があたかも水面で自由闊達に日々生きんとするフナガモのやうで、思わず彼らの成長を願うと同時に「伸び伸び書きやがって」という限りなく嫉妬に近い憧憬の念を禁じ得なかったので、その念のパワーを追い風にして、私も諸君みたいに明日に羽ばたいていこうかなーと思ったけれども、そもそもフナガモは空を飛べないことを思い出して、せっかくの希望溢るる論理が潰れてしまいました。がっくし。

そんなわけで本日は『死霊の盆踊り』です。

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◆最低映画の金字塔が満を持して復刻! ~メガネ越しに見るブスは過不足なくブス~

あの伝説の映画『死霊の盆踊り』がHDリマスターで蘇ったとあらば“観ない”という選択肢から逃れることのできる人間もそういまい。

言わずと知れた「最低映画」の頂点に君臨し続けるゴミの中のゴミ。これより酷い映画を作ることは困難とされ、公開から55年が経っても今なお語り継がれる駄作ぶりはまさに神話。あまりに酷い内容から1980年代にリバイバル上映されてカルト的人気を博したが、それでも米最大手の映画レビューサイト「ロッテン・トマト」では驚異の満足度0%を叩き出しており、キング・オブ・ゴミとしての貫禄をまざまざと見せつけた。

ちなみに、我が国のユルくてアマい映画レビューサイトの星評価でさえこの平均点である。

Yahoo!映画  1.39点 (5点満点)

映画.com   1.5点   (5点満点)

Filmarks     1.7点  (5点満点)

ぴあ映画生活  1点   (5点満点)

みんシネ     0.68点(10点満点)

 

目を見張る快挙。これだけ多くのレビューサイトがありながら、どれひとつとして2点を超えられないというちょっとした奇跡に目頭を熱くしての祝福。

そもそも『死霊の盆踊り』は2点など望まない。そんな中途半端な点数ならこっちから願い下げだ、というのだ。むしろ星など1つもなくていい。なぜなら星のように光り輝く映画群とは比ぶべきもないゴミだからである。

では肝心の内容はどのようなものか。

女がパンツ一枚で踊り続ける。

以上が本作のあらましだ。それ以上でもそれ以下でもないし、誇張も謙遜もなしで女がパンツ一枚で踊り続ける。それが90分続くだけのフィルムの連続体、それが本作である。

そもそも『死霊の盆踊り』は内容など望まない。そんなモノより安いストリップさえあれば映画は成立する、というのだ。むしろ内容などなくていい。なぜならゴミだからである。

監督はA. C. スティーヴン。本作を世に送ったあとは特にこれといった作品を残すことなく2005年に自身があの世に送り込まれた伝説の一発屋だ。

そして脚本を手掛けたのがエド・ウッド。そう、ティム・バートン×ジョニー・デップの伝記映画『エド・ウッド』(94年)でお馴染みの“史上最低の映画監督”である。史上最低の映画監督が脚本を手掛けているのだから“史上最低の映画”にならないわけがない。そもそも脚本を必要とするのかさえ疑問なほど無内容なのだから。

 

人は『死霊の盆踊り』をHDリマスターで観れる喜びに涙すると同時に、果たしてHDリマスターで観るほど値打ちのある映画なのだろうかと自問し、ひそかに身震いする。ほかにリマスター化を優先すべき映画など星の数ほどあるのではないか。リマスタリングに使った時間と労力は何によって還元されるのか。誰にもわからない。

この度、そのような深遠な問いと取り組みながら鑑賞してみたが、なるほど、なまじリマスター化したことで却って滑稽味がいや増し、内容の稚拙さも一層むきだしになることが判明。昔のVHSで鑑賞していれば(画質の粗さも手伝って)チャチさもさほど感じなかっただろうが、ピカピカに洗練されたリマスター版『死霊の盆踊り』ではチャチな内容が最先端の画質に置いて行かれるという異常事態が発生。

これは、例えるなら作りたてのメガネでブスを見るのと同じ原理である。近視・裸眼でブスを見てもさほどブスとは思わないが、メガネ越しに見るブスは過不足なくブスなのだ。

くっきりと、ブスなのである。

そんなわけで、駄作ぶりが一層くっきりしたリマスター版『死霊の盆踊り』。踊るがよい。恐怖の宴の始まりだ!

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◆珍奇タコ踊り地獄!この踊りいつ終わるんだろう。いいや、終わらない!

踊ってらっしゃるだろうか。今宵ばかりは無礼講だから、ぜひ本稿を読みながらでもいいので軽く踊って頂きたい。

映画が始まると棺桶から目覚めた夜の帝王クリズウェルがわれわれに語りかける。カメラに向かってカンペをガン読みしながら「これから話す物語は気を失うほどに恐ろしい」と言い切ってのけるのだ。

ちなみにクリズウェルという男は1950年代にさまざまなTVで活躍したインチキ霊能者。エド・ウッドのSF恐怖映画にも出演した実績を持つが、どうもセリフを覚えるのが苦手らしく、本作では目をギンギンにしてカンペを盗み見ながらの猿芝居を披露している。

そんなクリズウェルが、闇の女王(ファウン・シルヴァー)に命じて不幸な死を遂げた女たちの死霊を蘇らせ、夜の墓場でタコのような妖しさを放ちながら裸踊りをさせる…というのが大筋だ。

さらには、たまたまそこに居合わせたのがホラー作家のウィリアム・ベイツとその彼女パット・バリンジャーのカップルで、クリズウェルに見つかった2人は木に縛りつけられてなぜか裸踊りの鑑賞に付き合わされる(朝まで)。

f:id:hukadume7272:20200717040215j:plain夜の帝王クリズウェルと闇の女王ファウン・シルヴァー。

 

クリズウェルが「よろしい、次!」と言って手を叩くたびに、闇の女王が「次の女は生前に焼身自殺したので情熱的な踊りをします」と無用な解説を付け、死霊女がみんなの前でやる気のない踊りを披露。

この流れがひたすらループする。

死霊女たちは、人をなめたような気の抜けた音楽がチャカチャカポコポコと鳴りしきる中、なぜか途中で服を脱ぎ、しまいにパンツ一枚になって乳や尻を随意に揺らしながら黙々と踊り続ける。こないな事をすればギャラがもらえるのよ、と言わんばかりの事務フェイスで。しかしその様子はとても踊りと呼べたものではなく、強いて言うなら珍奇タコ体操である。笑顔も引き攣っているし。そのうえ各々のアピールタイムがばかに長い。10分ぐらいは踊り続けていただろうか。タコみたいに。

その様子をとらえるカメラは固定のロングショットが主で、弛緩した女たちの珍奇体操を痴呆老人のように見つめ続ける。そう、これが演出放棄である。

観る者はショボい裸踊りを垂れ流しただけの退屈な映像にかろうじて正気を保ちながら「この踊り、いつ終わるんだろう」という問いをスクリーンに向かって投げかけるが、次の女が現れて先程と同じような踊りを繰り返したとき終わらないという答えに辿り着く。

 

安っぽい墓場のセットには申し訳程度にスモークが焚かれてるが、ちょいちょいスモークで全身隠れて裸踊りが見えないという撮影ミスも頻発。ただでさえ見るに堪えない踊りなのに、もはや見ることさえかなわないのか。

撮影ミスといえば、パットとウィリアムがドライブしているファーストシーンが昼間だったにも関わらず、カメラが車中の二人に寄ると急に背景が夜間になる…というプリントミスも発覚する。さらにはオープンカーを飛ばすこのシーンはスタジオ撮影のスクリーンプロセス(背景合成)が用いられているが、「ブゥーン」という物凄い走行音のSEに合わず髪がまったく靡かない…という凡ミスもしっかり押さえていく。ぬかりない。

思い返せば、アバンタイトルではクリズウェルが「これから話す物語は気を失うほどに恐ろしい」と豪語していたが、ようやくその意味が分かった。たしかにこんなものを延々見せられたら気を失うかもしれない。

f:id:hukadume7272:20200717041544j:plain死霊の森に迷い込んだウィリアムとパット。

 

映画中盤ではクリズウェルの忠実なしもべとして狼男とミイラ男が登場するが、彼らは草陰から裸踊りを鑑賞していたウィリアムとパットを引きずり出して木に縛りつけることしか物語上の役割がなく、それを終えると楽しそうに肩を揺らしながら裸踊りを鑑賞していた。NHKの教育番組を思い出した。

また、玉座とは名ばかりのただの石のうえに腰かけて、ばかな老人みたいにボーっと裸踊りを眺めてるクリズウェル(たまにカンペも読む)の大根ぶりも相当なものだが、わけてもヒロインのパット・バリンジャーがひどい。死霊女が入れ替わるたびに、なぜか無表情で口だけ大きく開け「きゃあー」と平坦きわまりない大声を発する。悲鳴ではなく大声だ。

どうやら当時、無名の素人だったパット・バリンジャーは「この映画に出れば大スターになれる」と思い込んでおり、自宅で悲鳴の練習をしすぎて撮影当日に喉を潰したらしい。彼女のプロ意識が垣間見えるこの逸話は人を感涙させずにおかない。

しかし「これで大スターになれる」というパットの目論見は大きく外れ、本作出演後にはパッと消えてしまった。

f:id:hukadume7272:20200717041240j:plain学芸会。

 

◆“ネタ映画として見た場合の楽しみ”すら与えない正真正銘のゴミ映画◆

物語も状況もなにひとつ進展しないまま終盤に差しかかると、裸踊りがひとつ終わるたびに「急がないと朝が来てしまいます!」と注意を促す夜の女王と「いや、まだ時間はある」と言い返すクリズウェルの押し問答がしつこく繰り返される。

そもそも、彼らはいったい何のためにこんなことをしているのか?

裸踊りを見て夜をエンジョイしたいだけなのだ。

動機、うす。観る者はただ唖然としながら「こんな映画にここまで付き合った自分を労いたい」と思う。

 クリズウェルたちは太陽光を浴びると消滅してしまうらしいが、それを危惧した夜の女王に対して「まだ時間はある。ワシは夜の支配者であり、時の支配者でもある」と意味のわからないことをのたまうシーンがクライマックスに当たる。クライマックスが“戯言”という映画史初の超絶脚本に前後不覚。

 

なお、私が選ぶ「ベスト盆踊り賞」はブーケを付けた花嫁の死霊に贈られる。

少し前かがみになって両腕を広げ、宙に垂れた乳をこれ見よがしに左右に震わせるのだが、彼女が習得した振付けはこの乳揺らしのみ。よってこの動きだけが約10分間も続くわけだが、次第に笑顔が消えて疲弊しだすあたりが妙に味わい深い。バックで流れる恐ろしく格好悪いサーフ・ロックも相俟って見ているうちに居た堪れなくなること請け合いである。

とはいえ、最も失笑を誘うのはクリズウェルたちの末路。

時が経つのを忘れすぎたあまり朝になって全滅するという馬鹿げた結末には溜息も出ない。

f:id:hukadume7272:20200717040020j:plain乳揺らしだけで10分乗り切った死霊。

 

『死霊の盆踊り』はたいへん危険な映画である。

「史上最低の映画」という触れ込みゆえに却って興味を掻き立てられて手を出す人間も多いが、そうした人間に“ネタ映画として見た場合の楽しみ”すら与えず、もっぱら途方もない倦怠感と精神的苦痛を強いるからこその「史上最低の映画」なのである。

たとえば友だちと集まって死ぬほどくだらないゴミ映画をみんなで突っ込みながら見る…といった(かつてのニコニコ動画のような)映画の楽しみ方は存在するが、結局のところ、そのような環境で消費されるゴミ映画というのは突っ込みながら楽しく見られている時点である種のエンターテイメントとしては成立しているわけだから、厳密にはゴミではない。

本当のゴミ映画とは、冷やかすこともできず、話のネタにもならない、慎ましいほどに退屈な映画なのだ。

それが本作なのである。

なお『死霊の盆踊り』という邦題はゴミ映画発掘者の江戸木純によって付けられたもの。本編のポンコツぶりをよく表した技ありのネーミング。

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裸踊りを楽しむ狼男とミイラ男。