アンチDBの私がニュートラルDBになったワケ ~素敵なイラストを添えて~
『ドラゴンボールZ 神と神』(13年)
2013年。細田雅弘監督。アニメーション作品。
破壊神ビルスがずっといらいらする話。
『ドラゴンボールZ 復活の「F」』(15年)
2015年。山室直儀監督。アニメーション作品。
フリーザがたくさんしばかれる話。
『ドラゴンボール超 ブロリー』(18年)
2018年。長峯達也監督。アニメーション作品。
ブロリーがめちゃめちゃ怒る話。
つっかっもっおぜ! ドラゴンボッオル!
はぁーい。
てなこって、本日は異例の3本一斉グミ撃ちレビューと相なるなあ。
ちなみに「グミ撃ち」というのは、ベジータが「ははァはァはァはァ!」とか叫びながらエネルギー弾を立て続けに撃つ連続技のことを言うらしいです。言われてみればドラゴンボールの戦闘ってそのイメージがあるよね。
↑ 秘技・グミ撃ち(よくわかんないけど「王子戦法」とも言うらしいです)。
でも大したダメージにはならず、大体こういう展開を迎えがちだよね ↓
題「グミ撃ちは反撃フラグ ~哀れベジータの末路~」
使用画材 200円の筆ペン。総制作時間 5分。寸法 不明。
◆私とドラゴンボール◆
過日、焼酎のお茶割りをクピクピ飲みながらAmazonプライムビデオで『ドラゴンボールZ 神と神』(13年)、『ドラゴンボールZ 復活の「F」』(15年)、『ドラゴンボール超 ブロリー』(18年)を一気に観たので、今回は当くそブログ初となる十把一絡げ評の暴挙に出てみたい。といっても3本同時に扱うのではなく1本ずつ寸評を加えていく感じなのだが。
しかし、評を始めるにあたってひとつ大きな問題がある。
それは私がドラゴンボールを知らないことだ。
原作ファンでもなければアニメ版を熱心に見ていたわけでもない完全一見の半可通。「じゃあ語る資格ねえよ」とドラゴンボーラーから3倍界王拳でボコボコにされるレヴェルの窮地にいま私は立たされているが、そもそも界王拳が何なのかすら知らんからな。
知らないだけならまだしも、むしろ10代のころの私はアンチDB派で、「だだっ広い荒野でひねもす戦い続けてるだけのパワーインフレ漫画じゃない」と完全にナメていたことを告白せねばならない。
戦闘力の高い方が勝つという単純なパワーゲーム。
後出しジャンケンそのものと言える変身(パワーアップ)の応酬。
潜在しすぎな潜在能力。
エネルギー弾を使えば惑星すら吹き飛ばせる異星人同士が、何を思ってか“しばき合い”でケリを付けようとすることのフィジカル志向。
修行の成果が即フィードバックされる極端さ。
戦闘で蓄積したはずのダメージが形態変化や感情変化によって定期的にリセットされる謎仕様。
蓄積したダメージを即リセットできる都合のいい豆の譲渡および摂取。
死んだり生き返ったりするキャラクター群のゾンビ的習性。
すぐ壊れる地球の脆弱さ。
基本的に私は、力の強い方が必ず勝つ『ドラゴンボール』よりも、ロジカルな駆け引きや運次第ではジャイアントキリングすら実現する『ジョジョの奇妙な冒険』の方が知的でおもしろい、と考えているのだ。
そんなジョジョラーの私をさらにアンチDBへと導いたのが高校入試である。
私が進学したのは美術高校だったのだが、そのときの受験の面接で「好きな漫画家はおるんですか?」と訊かれ、ワケあって少し思案していると「鳥山明とか?」と誘導尋問されたので、咄嗟に「はい」と口走ってしまったのである!
本当はファンでも何でもないのに。
とはいえ、わざわざ鳥山明を出してくるということは恐らくこの面接官はドラゴンボーラー。であれば「はい」と答えてテキトーに話を合わせておけば「あっ、きみもドラゴンボーラーなの!?」と勝手に親近感を持たれて試験にパスするはずだ、という打算が働いてしまったのである…。
慚愧に堪えん。未だにこの出来事を思い出すと自己嫌悪に陥る。ハァ、ハァ…。忸怩たる思いだ。私ともあろう者が…易きに流れてしまったのだからなああああああああああああああああ
ちなみに「好きな漫画家はおりますか?」と訊かれたときに言い出せなかった漫画家TOP3がこちら(理由付き)。
『ジョジョ』の荒木飛呂彦…「へえ。じゃあジョジョ立ちしてみて?」と言われたら困るので言い出せず。
『デビルマン』の永井豪…『デビルマンレディー』の話をされたらボロが出そうなので言い出せず。
『北斗の拳』の武論尊&原哲夫…修羅の国編はアリかナシかを巡って対立すると思い、言い出せず。
『三国志』の横山光輝…難しいクイズを出されたら確実に答えられないので言い出せず。
『エアマスター』の柴田ヨクサル…「誰それ」と思われそうで言い出せず。
『浦安鉄筋家族』の浜岡賢次…「うんこ好きそうだな、こいつ」と思われたら自尊心が傷ついて脱糞してしまいそうなので言い出せず。
『少女椿』の丸尾末広…「ああ、そっち系ね…」と思われそうで言い出せず。
『刑務所の中』の花輪和一…「ああ、そっち系ね…」と思われそうで言い出せず。
題「あつきたたかい」
使用画材 ペン。総制作時間 6分。寸法 不明。
そんなわけで鳥山明は何ひとつ悪くないのに、高校入試の一件で自己嫌悪に苛まれた私は、なぜか「お前のせいで…!」と氏を逆恨み。魔人ベジータのごとく邪悪化してアンチDBを唱え始めたのである。今にして思えば若干気が触れていた。
そんな私も、今となってはファンでもなければアンチでもないニュートラルDBとしてごく普通に生活しているが、ここでひとつ、アンチDBだった私がニュートラルDBになった経緯についてお話ししよう(いつになったらレビューするんだろう)。
ひとつは原作マンガである。
私は幼少期からマンガを描き続けていて、その趣味が高じて美術高校(のちに美大にも)に進学したのであるが、そこで美術を学ぶうちに『ドラゴンボール』がいかにマンガとして優れているかということを実感し始めたのだ。
と言っても全巻読破したわけではなく、パラパラとページを眺めた程度の半可通に過ぎないのだが、逆にいえば読んだ内にも入らないその程度の観察だけでも鳥山氏のマンガ戦闘力は私の批評眼スカウターにおいて「計測不能」の字を表示せしめたのである!
長くなるので多くは語らないけど、漫画『ドラゴンボール』のうまさは視線誘導と左右構図の天才的活用によってあたかも音楽を聴いてるように画が流れていくエレガンスなコマ運び。映画用語で言うところのモンタージュだな。もちろんデッサンの正確さとか円で捉えたデザインとか線の見つけ方といった絵自体にも特筆すべき魅力はあるが、やはりその精髄はカメラワークと編集にありと睨んだのだ。
題「魅力的なキャラクターたち」
使用画材 ペン。総制作時間 5分。寸法 不明。
それを知ってからというもの、DBへの見方は多少なりと変わったが、そんな私をニュートラルDB最終形態たらしめた決定打こそが友人のプレゼン。
地元では天下一のドラゴンボーラーとして名を馳せし奇妙な旧友からは事あるごとにドラゴントークを聴かされていて、そのたび私は「またDBの話ね」と話半分で聞いていたのだが、歳月を経るごとに友人のプレゼンスキルに磨きがかかっていく。ゆえに「話題自体には興味ないが、単純にトークとしておもしろい」と思うようになり、氏の話術にまんまと嵌った結果、今年2月なんかは京都のお好み焼き屋で2時間近くもドラゴントークに花を咲かせていた。
もういちど言うが私はマンガもアニメも知らないのである。
そんな無知蒙昧の私相手に2時間もドラゴントークをする友人のトチ狂ったDB愛には感心することしきりだが、ロクに読んだこともないマンガの話に2時間も食いついた私の好奇心の旺盛ぶりも評価してほしい。
そのような経緯で、私はアンチDBからニュートラルDBに生まれ変わった。
そして過日、焼酎のお茶割りなんぞ飲みながらAmazonプライムビデオを彷徨っていた折、「そういえば劇場版が沢山あがってたよなー」と想起。2010年代に復活した劇場版ドラゴンボール3部作をめちゃくそ軽いノリで鑑賞したのである。
で、今からそのレビューを書こうと思っていたのだが、すでに3000字も使ってしまったため体力の消耗が著しく、まあ、なんというか…終わりです。
寝るわ。
題「フリーザさま」
使用画材 鉛筆。総制作時間 1分。寸法 不明。