バボンと一緒にボンババボン!
2018年。月川翔監督。竹内涼真、浜辺美波。
恋に恋する16歳の元気娘・佐丸あゆは。現在のところ告白7連敗中の彼女は、ふとしたことがきっかけで、ひねくれ者の新任数学教師・弘光由貴を好きになってしまう。感情がすべて顔に出てしまうため、告白する前から「高校生相手の恋愛なんてない」と弘光にフラれてしまうあゆはだったが、それでもくじけない彼女は「先生を落としてみせます」と宣言。猛アタックするあゆは、冷たくあしらう弘光に、それぞれの幼なじみも加わって恋の攻防が繰り広げられる。(映画.comより)
おはようございます皆。
開けたばかりのティッシュペーパーの1枚目ってたいがい犠牲になるよね。
特に私みたいに安物を使っていると、引っ張ってもなかなか出てこずに破れちゃったりしてさ。あれすごく勿体ないのよ。2枚目以降は割にスルッと出てくるのに、1枚目ってほぼほぼ破れるんだよね。いわば彼はティッシュボックスを本調子にするための生贄なんだ。「200枚組はキツいて。パッツパツになってるから誰か破れてこいや」というボックス内のティッシュ会議で必ず矢面に立たされるのが最初の1枚目。水槽を立ち上げた人にだけ分かる喩えをすると、濾過サイクルが安定するまで試験的に投入されるパイロットフィッシュなんだ(お魚さんの暮らしに必要なバクテリアの増殖を促進するために最初に飼育される本命でない魚。死亡率が高い)。パイロットフィッシュならぬパイロットティッシュなんだ。あの1枚目の魂に寄り添える人間に俺はなりたい。
まぁ、たまに2枚同時に引っ張っちゃって両方破ってしまうこともあるのだが。
その場合、1枚目の子は「まぁ、どの道ボクは捨て駒ですから…」と破れの運命を受け入れるが、2枚目の子は「わし関係あらへんのにー」と叫びながら破れていく。なんて過酷な世界なんだ…。
そんなわけで本日は『センセイ君主』です。 ガチ恋したら胸ボンババボンだっつーの!
◆バカが一生懸命がんばる話◆
累計発行部数140万部を超えて憚らない同名少女漫画を、今を時めいて憚らない竹内涼真&浜辺美波のダブル主演でお送りして憚らない月川翔が憚ることなく映画化。
これは嬉しいめっけもの。
開幕10分は浜辺美波のハイテンションお馬鹿キャラと突き抜けた顔芸に「あー、しんどいかも」と思ってたけど、愛嬌よし、テリングよし、演出も手堅く、終始洒落のめしながらも撮るべきものは撮っていて、技術の面でも性格の面でもちゃんと人好きのする映画に仕上がっている。そこらの真面目ぶった日本映画より遥かによく出来てるんじゃない?
漫画の実写化―それも少女漫画の実写化と聞くと、一部のターゲット層の為だけに作られた商業製品というイメージから「だから日本映画はダメなんでい」なんて思う人も多かろうがその先入観こそが日本映画をダメにしてることに一刻も早く気付けバカって話なんだよねぇ。たしかにパッケージは軽薄だが、パッケージなんて見なくていい。映画を観ろって話。
さて映画を観ますと、『君の膵臓をたべたい』(17年)で儚げな美少女を演じた浜辺美波が気のいいナマズみたいな顔をしてスクリーンを占拠していた。『膵臓たべ』のイメージをご破算にしかねない顔芸のオンパレードだ。
高校1年生の彼女はとにかく惚れっぽい性格で、誰彼構わず告白して現在7連敗中なんだと。私は美形俳優がモテないキャラを演じるたびに「ウソをつけよコノヤロー!」なんて思ってしまうのだが、本作の浜辺美波はいい感じにブスだし、野原しんのすけ級のバカでもあるので、ちゃんと「こりゃ本当にモテないわ」という感じがする残念女子。「胸ボンババボン!」などと騒ぎながら風神のごとく校内を疾駆する子だからな。薬物中毒すら疑えるレヴェル。
そんな彼女が数学教師の竹内涼真に一目惚れして「絶対に先生を落としてみせます!」と宣言したが、冷酷でひねくれ者の涼真先生は難攻不落。即行で断られた挙句「漫然と生きるのやめたら?」と自分の生き方を根底から否定され「るるおー」と言いながら泣きます。翌日にはケロッとしてるんだけど。そんなバカが一生懸命がんばる映画です。
なんちゅう顔してんだ。
◆バボンは全方向に間違える◆
何といっても浜辺美波のコメディエンヌぶりが快調。膵臓女優であり続けることを良しとせず、清廉なイメージを内側から壊しボンババボン女優としての新境地を開拓することに成功している。
開幕10分のテンションについていけなかった多くのレビュアーも、映画が進むうちに倍増していく彼女のチャームに魅せられ、最終的には満面の笑みを湛えながらこのバカの恋の行方を見守ったように、バボン美波が映画の求心力になっていることは間違いない。
ちなみに私は、バボンがウキウキしながら廊下を小走りしてるときに誰かが間違えてAボタン押したみたいにその場でヒョイとジャンプしてまた走り出す…という不思議なマリオ走法を実践した瞬間「なんだこの映画。わけわからんがオモロイぞ」と心を掴まれた。
そんな彼女の奇行を竹内涼真がパードゥン顔でサラッといなしていく、その温度差が独特なコント空間を形作っていて。トレーラーだけ見るとドタバタコメディに映るが、実際はオフビートな笑いにも接近している本作。しかも全編コント化を試みながら『銀魂』(17年)より遥かにセンスがあるという。
『銀魂』繋がりで言うと、ただ笑いを追求しただけの福田雄一がコメディ映画監督ではなくネタ映像集の人でしかない理由は、本作のように物語の中から自然と生まれた笑いを通じて(当初はドン引きの対象でしかなかった)ヒロインのことが好きになり始めたり、あるいは作り手ではなく登場人物の側が笑いを運んでくる…というようなキャラクターの能動性が皆無で、ただ作り手が用意したネタを演者たちが下請け的に体現しているに過ぎないからだと思いますよオラァ!
「キャラクターから生まれる笑い」や「物語から生まれる笑い」をフィルムのビートに乗せるのがコメディ映画の本分だと思うのだよねえ。
私が堂々と軽蔑してる日本製コメディ映画は、ただ奇抜な格好した役者の奇抜な言動をハイテンションで見せてるだけ。誰とは言わないけどクドカン作品とか(退院おめでとうございます)。でもそれがウケてるわけでしょ? 奇抜な格好した役者が奇抜な言動で笑わすって、そんなもんは宇多丸の言葉を借りれば「ベロベロバー」だからね。変な顔をすれば赤ちゃんは笑う。そして観客も赤ちゃん扱いされてケラケラ笑ってる。なんてことだ。そんな業界人たちには是非『センセイ君主』を見習って頂きたいものです。
先生を振り向かせるには何をすべきか…と真剣に悩んだバボン美波は、しこたま重ねた胸パッドときしょいメイクで悩殺を試みるも「言っとくけど全方向に間違ってるから」の一言で片づけられてしまう。死ぬ程くだらない一幕だが、これは決して単発ギャグではなく、先生攻略というメインストーリーに紐づけながら2人のキャラクターもさり気なく表した経済的演出だ。
そのあと、玉砕したバボン美波がベンチに寝そべって胸パッドで顔を隠し「全方向ニ間違エター」と悔いるショットには「もう…こういう生き物なの?」と思わずにいられない妙な味わいがあった。バボンの味わいが全方向に飛び散っている。
何より、こんなに馬鹿馬鹿しいシーンが月川お得意の淡くボヤけたスフマート(情感豊かな照明法)で撮られてるのだから、まったく正気の沙汰ではない。
全方向に間違えたことを悲しむバボン。
また、映画の端々に散りばめられたパロディが心底くだらなくて快調。
ドラゴンボール、スラムダンク、金八先生、進撃の巨人。何といっても『ロッキー』(76年)ね。
先生攻略と合唱コンクールに燃えるバボン美波がスウェット姿でロードワークに精を出し、フィラデルフィア美術館の正面階段もどきを駆けあがって拳を突き上げる…というアツい場面なのだがちんちくりんの寸胴まるだし体型が予期せぬ笑いを生んだ。
(月川作品常連の北川景子がカメオ出演してもいる)
無性に腹の立つ後姿。
◆バボンともどもYAKIMOKI◆
『響 -HIBIKI-』(18年)でも印象的だった青緑の色彩は、芸術祭で盛り上がる夜の数学準備室を幻想的に染め上げる。この数学準備室は2人の交流の場として何度も登場した舞台だが、これが後に訣別と再会の場になるのよね。
また、バボン美波がさまざまな妄想を書き溜めていた「LOVEノート」も、人知れずバボンに片想いしていた男友達を媒介として涼真先生の手に渡り、卒業式の日に再びバボンの元に返ってくる。涼真先生の真意が書き込まれた状態で。
まさにホークス的循環装置!
ホークス作品では、ジョン・ウェインの手を離れたライフルは仲間との連携によって再びウェインの手中におさまるのだ。
それに、私がこの映画にやたら惹かれるのはバボン美波がホークス的女性像に近いからかもしれない。特に『コンドル』(39年)のケーリー・グラントとジーン・アーサーを思わせる涼真先生とバボンの関係に「じゃあコンドルやん」と呟いたことを告白しておく。バボンの恋のライバルが涼真先生の幼馴染み(新川優愛)というあたりも似ている。『コンドル』ではリタ・ヘイワースが演じていたけども。じゃあコンドルやん。
『コンドル』の竹内涼真(左)と浜辺美波(右)。
それはそうとなぁ~、近ごろ教師と生徒の禁断LOVEを描いた映画がばかに多いけれども、どうせアレでしょ、青少年保護育成条例に抵触しないようにヒロインが高校卒業するまで手を出さないみたいな小賢しい立ち回りでこっちの留飲を下げにくるような作品ばっかりなんでしょ?
本作も然りで、涼真先生を性犯罪者にしないための配慮が行き届いてて、まぁ当人達にとっては至れり尽くせりのベストな環境が用意されてるわけだが、第一そんなことを気にするような(私みたいな)観客は、その遥か手前で「教師と生徒が恋すること自体が気色悪いんじゃ!」とも思っていて。
でも本作はそこもケアしてくるですねぇ。
涼真先生の真意は最後の最後で明らかになり、それまではバボンのことなど歯牙にもかけず「一人の生徒」としてごく普通に接するのよ。だからこそ我々は、時おり見せる一撃必殺の涼真スマイルに「どっち? この笑顔の意味どっち!?」とバボンともどもYAKIMOKIするわけだが、いずれにせよ「教師と生徒の禁断LOVE」みたいなルックとは無縁のまま映画は進行していきます。
そういう点ではベタベタしたガールズムービーに吐き気を催す私には嬉しい仕様だったわ。考えてみれば、ひたすらコントの鬼と化す浜辺美波と、画面越しにいい香りすら漂ってきそうな竹内涼真だもの。ベタベタどころかカラッとしたもんだわ。
そんなわけで竹を割ったような気持ちいい映画なのだが、トドメの竹割りとしてJUDY AND MARYの「Over Drive」が合唱コンクールの課題曲に選ばれます。ジュディマリ懐かしいなー。私のお気に入りは「くじら12号」と「ラッキープール」なのだけど。
ハイ。そんなわけで、ヘタしたら友達と一緒に竹内涼真目当てで見に行ってその帰りにクレープ食いながら「涼真に頭ぽんぽんされたら死ぬ」みたいな高尚な話題で盛り上がった女子校生たちよりもボンババボンしちゃったかもしれないねぇ(楽しんだって意味)。
いやはや、こういう映画も先入観抜きで観れるようになった今の自分を褒めてやりたいものだ。涼真、頭ぽんぽんしてェーッ。
昔の自分なら、マンガの実写映画は「マンガの実写化」として見てたし、アメコミの映画化は「アメコミ映画」として見てたけど、それこそがジャンルの檻に我が身を押し込む映画差別に他ならないのだよね。マンガの実写映画は「マンガの実写化」である前に「映画」だし、アメコミの映画化もまた「アメコミ映画」である前に「映画」なのだ。物理的な意味からして。
なぜ今こんな話をしてるのかと言うと「しょせん少女漫画の実写化でしょ?」なんて偏見を持ってるナチにも悖るシネマ・レイシストどもの横っ面を引っぱたくためだが、そもそもそういう連中はハナからこんな記事など読まないだろうから言葉が空に消えていって寂しい。
ま、なんにせよ『センセイ君主』はお気に入り映画になりました。
当ブログで扱った月川作品は『膵臓たべ』、『響 -HIBIKI-』ときて『センセイ君主』。これで三安打だよ。やりよんな。
(C)2018 「センセイ君主」製作委員会 (C)幸田もも子/集英社