シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

レイニーデイ・イン・ニューヨーク

折しも養女に手を出した疑惑の過去を蒸し返されてる時期に幼女趣味を前面に押し出したロリコメを発表してしまうという間の悪さ。

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2020年。ウディ・アレン監督。ティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメス。

 

学校の課題として著名な映画監督ローランド・ポラードのインタビューをマンハッタンですることになった大学生のアシュレー。彼女と恋人のギャツビーは、それを機に週末をマンハッタンで楽しむことに。ニューヨーカーのギャツビーは、アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内しようと張り切るが、ポラードに新作の試写に誘われた彼女が約束をキャンセルするなど、次々と予想もしていなかった出来事が起きる。(Yahoo!映画より)

 

おはよう、住民のみんな。

今日は前書きのネタがないのでそのまま評に移りたいと思います。苦し紛れでひねり出した「歯ブラシにおける硬さの話」なんて聞きたくないだろうし。

そんなわけで本日は『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』です。

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ウディ・アレン流の『軽蔑』?

MeToo運動の余波を受けて過去のスキャンダルを蒸し返されたウディ・アレンの最新作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』のアメリカ公開は絶賛中止となった。主要キャストのティモシー・シャラメエル・ファニングセレーナ・ゴメスらが本作のギャラをこぞってTime's Up基金に寄付し、本作への出演を悔いるような声明を発表したのだ。

それにしてもこの件、なんかいつの間にかウディが推定有罪扱いされてるのよねぇ。不起訴になった27年前の事件に何かしら進展があったならまだしも。まあ、俳優陣にしてみれば火だるまになってるウディから離れて明日の自分を守らなきゃいけないのでしょうけれど。それにしても世知辛いねえ。

 

さて本作。内容としてはティモシー・シャラメとエル・ファニング扮する大学生カップルの破綻を皮肉っぽく描いた、ビターなファッション映画ってところかな。

大学でジャーナリズムを専攻するエルは、週末にマンハッタンで著名な映画監督リーヴ・シュレイバーにインタビューするチャンスに恵まれ、その話を聞いた恋人のティモシーは生粋のニューヨーカーなので最高のデートプランを練って彼女を街案内することに。

ところがテキサス娘のエル、インタビューするうちに知的で繊細なリーヴに惹かれてしまい、彼に誘われて見た新作映画のラッシュの最中に「やっぱり駄作だ、僕には才能がない!」と嘆いて逃げ出したリーヴを追って雨のNYを彷徨う。その道中で離婚危機に瀕した映画脚本家ジュード・ロウや、売れっ子俳優のディエゴ・ルナと出会い、あれよあれよという間にショービズの世界に魅せられていく。

一方レストランで待ちぼうけを食らったティモシー。「そう。俺はロンリーウルフ」などと漏らし、雨にけぶる街を漫ろ歩けば元カノの妹セレーナ・ゴメスや、高級娼婦のスキ・ウォーターハウスと出くわし、エルへの未練を残しながらも心は飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで回って回って回って回る。そんな中身です。

f:id:hukadume7272:20201215075112j:plainティモシー・シャラメとエル・ファニングの大学生カップル。

ひょんなことから身も心もすれ違ったカップルが、互いに別の異性と出会いながら雨のNYを駆け回る都市彷徨型ロマンティック・コメディ。

なんとなく思ったのは、これはウディ・アレン流の『軽蔑』(63年)なのかなと。アンナ・カリーナとギクシャクしてた頃のゴダールが愛の不可能性について物申した映画だよ。晴天のカプリ島と雨のNYも対照的だし。

まあ、どーでもこーでも、どこを切り取ってもウディ、ウディ、またウディの金太郎飴だったわ。

気の利いたナレーションに始まり、洒落たNYの街並みが映し出される。人々が好むのはジャズと煙草と映画。それに酒。登場人物はみんな早口で、神経症的で、自己陶酔気味。一見インテリ風だが、喋ってる内容は嫉妬と快楽と自己憐憫のことだけ。要するに甘ったれ。必死でボディランゲージしようにも傘を持つ片手が邪魔で、とても忌々しそうにしている。そう、ここは欲望が服をきて歩く街、ニューヨーク。本日雨天なり(脳内でジャズを再生して下さい)。

ウディ・アレンだナァ。

f:id:hukadume7272:20201215075018j:plain元カノの妹(セレーナ・ゴメス)と急接近するシャメ坊。ゴメスでゴメス!

◆いつものロリコメ映画。されどタイミングが悪かった◆

『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』はウディ・アレンの毎度おなじみ60点映画だが、ここ1~2年はアメリカ映画全体がもんどりうって失神するぐらいつまらないので、かえって安定の美学を感じるというか、このくらいでも十分楽しめちゃったワ。業界内で総スカンを喰らって監督生命が危ぶまれてる現在、改めてウディ・アレンの手垢を見つめ直して、そこに楽しみを覚えるという…一周回って良しとしていくスタイルね。

ハリウッド内幕騒動の滑稽さは『さよなら、さよならハリウッド』(02年)っぽいよねとか、いろんな有名俳優が次々と現れては消えてって…みたいなスター名鑑絵巻は『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(96年)を思い出させてやまないよねとか。今を時めくティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメスを中心に据えたキャスティングの初々しさは、撮影がヴィットリオ・ストラーロという点からも前々作の『カフェ・ソサエティ』(16年)の精神的連作という感じだし。

そして、脇を固めるのが中堅どころ。

一見すると悩める芸術家のように見える映画監督役のリーヴ・シュレイバーは「君はインスピレーションの源だ!」なんつって芸術を笠にエルを口説き続ける俗物で、逃げたシュレイバーを追う脚本家のジュード・ロウも妻レベッカ・ホールの浮気現場を目撃したことで映画製作そっちのけで痴話喧嘩。売れっ子俳優のディエゴ・ルナは恋人の存在を隠しながらエルを口説き、ワインで酔わせて家に連れ帰るようなカス野郎。

そんなエルに未練たらたらのティモシーは芸術とギャンブルを愛する放蕩息子で、役名はギャツビー(まんま)。教養を押し付けてくる文化人気取りのママンに反抗心を抱きながらも、頭の中では喫煙による肺癌のリスク計算をしたり謎の都市論をブラッシュアップするなどコテコテのインテリ脳で。

例によって、この四人の男たちは一人ひとりがウディ・アレンの人格の一側面。

シュレイバーは「芸術」、ジュード・ロウは「生活」、ディエゴは「性欲」を担ったものとして考えて頂きたい。…考えた? 芸術家としての自分、夫としての自分、養女に手を出す自分。そしてそれらを冷めた眼差しで自己相対化する自分こそがティモシーなのである。

だからヒロインたちは徹底的に理想化されてます。頭の中がお花畑のエルと、ツンデレのゴメス。どっちもウディのタイプなのよね。たとえばエルは昔のウディ・アレンにとってのダイアン・キートンで、ゴメスをミア・ファロー(どちらも元恋人)という風に見ると、おお~…お察し。

f:id:hukadume7272:20201215074717j:plain浮気暴露大会に発展するジュード・ロウ&レベッカ・ホール夫妻。with 二人の口論を思わず書き留めちゃうエル(ジャーナリスト志望ゆえ)。

 

事程左様に、キュビスムのごとき手法で自らを精神分析した、その結果報告たる『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』

自らの性分と性癖をサイコロジカルに考察して勝手に発表してるだけのオナニー映画の極北なんだけど、なにぶん映像もセリフも音楽もファッションも超オシャレなので上っ面だけ眺めるぶんには実に可愛らしい映画、まあ本質的にはド変態映画だけどね…っていう。

55年間、ほぼ毎年のようにこんな映画ばっかり撮ってるんだから、まったく正気のサタデーナイトだよ。とはいえ今回は『マンハッタン』(79年)と同じくロリコン趣味が炸裂しまくってるので、なんともタイミングが悪いというか…。

折しも養女に手を出した疑惑の過去を蒸し返されてる時期に幼女趣味を前面に押し出したロリコメを発表してしまうという間の悪さ。

アレレのアレンであります。

 

◆ほぼ新海誠。そう、ほぼ新海誠◆

先ほどチラッと名前を出したが、撮影は『カフェ・ソサエティ』『女と男の観覧車』(17年)に続いてウディ映画3作目となったヴィットリオ・ストラーロ。御年80歳になるイタリアの名カメラマンで、ベルナルド・ベルトルッチとは竹馬の友。『ラストタンゴ・イン・パリ』(72年)『ラストエンペラー』(87年)など、やたらと『ラスト~』と名の付くベルトルッチ作品の撮影を手掛けたし、実際ベルトルッチにとってのラストフレンズでもあった。

あと、一族大事にしすぎ監督としてお馴染みのコッポラ先生の『地獄の黙示録』(79年)も撮っとるな。

ウディ映画におけるストラーロの特徴は、ゆったりと人物を追うドリー撮影と、西日のような強烈な逆光を用いた人工照明。とりわけ光源をガン無視した幻想的な照明に関しては丁度いい例えがある。

新海誠のようなのだ。

ストラーロの手掛けた作品は、ほぼ新海アニメ。

 

いつでも捜しているよ どっかに僕のレフ板を

向かいのホーム 路地裏の窓

こんなとこにあるはずもないのに

願いがもしも叶うなら 今すぐ機材倉庫へ

撮れないものは もうなにもない

僕が駆けてドリーしてみせるよ?

「One more time, ワンモアポン」

f:id:hukadume7272:20201215074347j:plain『君の名は』+『天気の子』=『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』…ということが言えていく。

 

役者の衣装は、ペールトーンとまではいかないが白がちょっぴり混ざっていて柔らかくもシックにまとまっている。そこにティモシー・シャラメとエル・ファニングの爽やかなチャームがよく映えて。街の看板や部屋の調度品もよく拘っており、いつものウディ映画よりも幾分丁寧に作られてる印象です。いやぁ、キュートだわー。

だけど人工降雨は興を削ぐからやめてくれな。ストラーロにあんな汚い雨を撮らすなよ、ウディ。殴るぞ。

あと、やはりウディ・アレンは一人称の作家なのだなぁ。すべてはティモシー目線から進んでいって、救いがあるのもティモシーだけで、エルの方はけっこう手痛い仕打ちを受けたりなんかして(べつに悪い娘じゃないのに)。そもそも彼女には意思というモノがなくて、いわば男にとって都合のいいキャラクター。挙句の果てに下着姿で街に放り出されちゃって。その辺もオシャレな演出で誤魔化してるけど、ウディ・アレン苦手勢を更に遠ざけてしまう要因になるかもなーって。

いずれにせよ、キュートな外面に対してアイロニーやブラックジョークの棘が思いのほか深く刺さっちゃって、それが業界内での向かい風を一層強くしてしまったきらいはあるものの、まぁジジイの小言と妄想をロマンティックにデコった映画として観るぶんには適度にキモ可愛いのではないでしょうか。

f:id:hukadume7272:20201215074417j:plain夕陽のガンマンみたいなポンチョ着ちゃって、エルちゃん。

Photography by Jessica Miglio (C)2019 Gravier Productions, Inc.