シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画 ハイ☆スピード! -Free! Starting Days-

振り落とされてるやろおおおお! 腐女子アニメ讃 ~『Free!』はセカイ系ならぬプール系~

2015年。武本康弘監督。アニメーション作品。

水泳に打ち込むイケメソたちを描いた京都アニメーション制作のテレビアニメ『Free!』の原案となった小説『ハイ☆スピード!』を完全新作アニメーションで劇場映画化したんやて。


おーよっしゃよっしゃ。やろか。
今日は特別に俺のケータイのメモ機能に眠りし「どこがサビかわからん曲5選」を発表したる。
ズバリ、これや。

5位「おもいで酒」小林幸子
4位「(Everything I Do) I Do It For You」ブライアン・アダムス
3位「ヤマトより愛をこめて」沢田研二
2位「パール」THE YELLOW MONKEY
1位「JUMP」ヴァン・ヘイレン

こうじゃああああ。
これが伝説の「で、サビは? サビまだ? サビいつくーん!?」ゆうてる間にアウトロ流れて終わり散らかす曲5選じゃあああああ。
ほな一曲ずつ語っていこか。
さっちゃんの「おもいで酒」は「ええ曲やないの~。ありがと~。しみる~」と思いながら聴いたあと「そういえばサビは…?」ってなるやつ。友だちと楽しくメシ食うて色々話したけど、帰り道で「あ、あの話しようと思ってたのに。忘れてた」みたいな。

ブライアン・アダムスの「(Everything I Do) I Do It For You」もサビ迷子やな。ケビン・コスナー主演の『ロビン・フッド』(91年) の主題歌で、当時む~ちゃくちゃ流行った曲や。覚えてる?
この曲は、なんやもう雰囲気で最後まで持っていきよんな。本当はサビなんて無いのとちがうか。「盛り上がるとこないけど雰囲気で持っていけるやろ」ゆうて。しばいたろかな。

ジュリーの「ヤマトより愛をこめて」に関しては、サビらしき部分はあるけど、果たしてそれがサビなのか、もしサビだとしたら地味すぎやろ、逆にサビ認定したくない…という天邪鬼から、わざと自分でサビを見失ったフリをしてるというか…我がで目隠ししてる。変に「ここがサビ!」と思うよりは「サビどこやねん」と思ってた方が気持ちよく聴けるというか。

イエモンの「パール」は洋楽の構成だから、そもそもサビ云々とかの話じゃないけどな(洋楽はポップソングを除いて原則サビという概念がない。そもそもサビは歌謡曲の文化。洋楽はリフレイン=繰り返しの文化)。
強いてサビを探すなら「目がくらむ朝に溶けてしまう前に」ってフレーズだろうけど、だとしたら…1行ぉ~~。
珍しいことしてる。サビなのに1行しかない…。そもそもサビなのかさえ未確定なのに。そりゃあ目がくらむ朝に溶けてしまいもする。

ヴァン・ヘイレンの「JUMP」は最初のリフがサビです。
俺はもう結論した。
あの、誰もが一度は耳にしたことがあるでお馴染みの世界一有名なシンセサイザーのリフな。
テッ♪ テッ♪ テッテッテッテーテッ!
ありがとありがと。ここがクライマックスよ。あとは尻すぼみ。デイヴの歌は全部尻すぼみ。ほいでまたリフが流れて。
テッ♪ テッ♪ テッテッテッテーテッ!
ありがとぉ~! ゆうて。
結局いちばん盛り上がるのがリフっていうね。これが音楽よ。

だいたい日本人はサビにこだわりすぎ。歌謡文化に根差しすぎ。カラオケ文化に馴染みすぎ。だって未だに「曲」のことを「歌」って言うでしょ? 気っ色の悪い…。普段、鼻歌でなぞるパートも「メロディ」じゃなくて「歌メロ」でしょ? ボーカルが前にいて楽器隊が後ろにいるってパースで空間把握してるでしょ?
歌に支配されてんのよ、脳が。
音楽=歌と思いすぎ。
いっぺん「JUMP」でも聴いて、いかに歌が形骸化した曲かってことを知った方がいいのとちがうか。
こんなもん、おまえっ…リフを取ったら何も残らんぞ。
むちゃくちゃやねんから。「JUMP」。
でも、テッ♪ テッ♪ テッテッテッテーテッ!で「ありがとぉ~」ってなるから。
「なんやようわからんけどありがとぉ~」ゆうて。「こんど梨贈るわ~」ゆうて。


ヴァン・ヘイレン「JUMP」。

そんなわけで本日は『映画 ハイ☆スピード! -Free! Starting Days-』です。アニメですね。
ざんねんでした!!!



◆どうせ振り落とされてるやろ◆

 アニメ、それもアニオタが好むような“深夜アニメ”にはてんで興味のない皆さんにとって本日の評はハズレ回だろうが、そう気を落とすことはない。映画を観ていくうえでアニメほど好材料なコンテンツはないからな。将棋指しが余技でチェスを嗜むことで却って将棋の見方を新たにするように。
さらに嬉しいお知らせだ。

映画好きはアニメも見るが、アニメ好きは映画を見ない。

この不可逆性。
「なんてこと言うんだい。あたしゃアニオタだが映画だって見るよ、こんガキ!」なんて顰蹙買うかもな。悪い悪い。語弊があるなら言い直そうか。

映画好きはアニメも観れるが、アニメ好きは映画を観れない。

もっと顰蹙買うかもな。わしゃしゃ!
ま、何が言いたいかっつーと、「映画好きが見るアニメ」は「アニメ好きが見るアニメ」よりも意図や演出が多角的に理解できるからおもしろいってことだ。このブログには映画好きが集まってんだろ? じゃあ観ないと。アニメ。せっかく楽しめる土壌の上に立ってんだから。ほらほらぁ。


 てなこって『Free!』TVシリーズ全3期をビャッと見たのが今年5月。
京都アニメーションが制作した『Free!』は腐女子向けの作品として大変な人気を博しており、今年公開された『劇場版 Free!-the Final Stroke- 後編』(22年) が興収9億円を記録するなど、アニメ好きの女性の中でもピンポイントで腐女子にターゲットを絞った作品としては異例の大ヒットを記録したことぐらいは知っていたが、「要するに男同士がイチャついてる話でしょう?」なんて思いつつ試しに見てみたら、すっかり感心しちゃったわ。
よく出来てるよ、これ。
フラットに見た場合、腐女子要素に関しては黒寄りのグレーだな。
限りなくホモセクシュアルに見えるホモソーシャル描写によって直截表現は避けながらも解釈の如何ではモロBL、…否、BLへと解釈を導くモロ演出というキワどい文脈が蛇みたいにシルシルうねってる。ブロマンスとしては非常に危うくも繊細な世界観だが、却ってそれが物語におけるサスペンスの発生源としても活きてるので、なんというか、見る以上はこの共犯関係に乗っかるしかないという強制力が働いてるのよね。
まあ、良きにつけ悪しきにつけ、これが京アニの生存戦略だ。


美男子キャラが腐女子の心をくすぐった。

次に映像言語の妙。
俺は京都アニメーションのアニオタ・オリエンテッドな部分については端的に「きしょい」と思ってる人間だが、まぁ実際、腕がいいから困るんだ。
京アニの強味は“キャラクターの心情を豊かな自然描写を使った比喩によって詩的に表現する文芸性”だと思う。
ちょっとした近代文学ですか、ってくらいキャラクターの心情が複雑できめ細やか。50年代のフランス映画より50年代のフランス映画だよ。すこし専門的な話になるが、ふとしたカットアウェイの中にセリフとは裏腹の芝居を混ぜ込んでみたり、マッチカットによるただ美麗なだけでなく人物の心象風景を映してみせた場面転換、あるいは虫、信号機、踏切りのメタファーなど、ボーッと見てるといろいろ見落してしまうような映像技法の精緻が純アニメとしての矜持を湛えながらドバドバと横溢してるのよ。このへんは映画好きにこそ楽しんでほしいポイントだわね。
で、その粋を集めたのが『Free!』ちゅう話。

京アニの十八番、足だけで芝居させる「足カット」

シネトゥの読者層から想像するに…この時点でもう8割方の読者が振り落とされてるね?
おれ知ってんだ。
振り落とされてるやろおおおお!
でも仕方ねえんだよ。1からアニメについてべらべら喋る紙幅はないからな。一定のリテラシーはそっちで都合せえ。
俺はなんも悪ない。

 さて、誰ひとりとして興味ないだろうがTVシリーズのおさらいでもするか。
幼少期から泳ぎの天才として名を馳せながらもフリーしか泳がないことに拘る七瀬 遙は、岩鳶高校2年の時分に幼馴染みの橘 真琴、1年の葉月 渚に誘われるまま水泳部の創部に巻き込まれる。
その後、まったくもってカナヅチの竜ヶ崎 怜(1年)を陸上部から引き抜いて岩鳶高校水泳部は無事創部を遂げるも、遙のまえに小学校時代のライバル・松岡 凛が現れる…といったところね。

TVシリーズ1期では、メドレーリレーの練習にはげむ遥、真琴、渚、怜のまえにライバル高の凛が現れたことで小学校時代の遥との確執が掘り下げられ、TVシリーズ2期では高校3年になった遥たちの(とりわけ凜まわりの)エピソードが紐解かれてゆく。
そして3期で遥と真琴が高校卒業。進学先の大学で中学時代の競泳仲間、桐嶋 郁弥椎名 旭と出会う。大学という名の新天地で遥と郁弥の因縁が描かれます。

七瀬 遙(ハルちゃん)
得意泳法はフリー(クロール)。水場とあらばTPOを弁えずどこでも泳ごうとするスイミーの申し子。口癖は「俺はフリーしか泳がない」。水泳以外に関しては全方向的に不注意かつ無感動。勝ち負けにも興味がなく、ただ泳げればいいと達観していたが、岩鳶高校水泳部に入ったことでチームの為に泳ぐことの大事さを知っていく。

 

橘 真琴(マコちゃん)
得意泳法はバック(背泳ぎ)。遥のよき理解者であり、皆の保護者。ママンのような優しさと懐の深さでチームの潤滑剤となる、気遣いの申し子。メドレーでは第1泳者として爆発的な背泳ぎで流れを作る。背筋の申し子。

 

葉月 渚(なぎさくん)
得意泳法はブレ(平泳ぎ)。周囲の人間をちゃん付けで呼ぶことにかけては他の追随を許さない、甘え上手な弟分の申し子の弟。部内ではムードメーカーのポジションだが、水泳部を創部したり怜を強引に勧誘するなど、すべては渚の一言から始まっており、この物語の大きな推進力を担っている。

 

竜ヶ崎 怜(レイちゃん)
得意泳法はバッタ(バタフライ)。もとは陸上部のエースだったが、渚の執拗な勧誘に折れ水泳部に入るもカナヅチであることが発覚。猛特訓の末、なぜかバッタだけは泳げたのでバッタ一本で全部どうにかしようとした一点特化の申し子。頭脳明晰の理論派だが、いつも机上の空論に終わる。

 

松岡 凛(リン)
得意泳法はバッタとフリー。小学校時代は遥たちと水泳の喜びを分かち合ったイノセントボーイの申し子だったが、オーストラリアでの水泳留学で辛酸をなめ、爾来オリンピック出場のため「1番」にこだわる水泳マシンの申し子に。実力がありながら“仲良しごっこ”にかまける遥にむかつきを覚えている。

TVシリーズも楽しんだけどさぁ…
俺は2期まで派。
3期になると「大学で再会した昔の知り合い」という名目で新キャラが続出して何が何やらなんだよ。
それに、ずいぶん思い切った構成でさ、3期って。
遥の大学進学に伴い、1期ではレギュラーだった渚と怜が1学年下(まだ高校生)だから…という理由でほぼフェードアウトしちゃうのよ。物語の主舞台が大学に移っちゃったもんだから。
思い切った、といえば1期終盤からすでに思い切っていたよ。カナヅチだけど泳げるほどには成長した怜が、幼馴染みである遥と凜のあまりに深い因縁に自分が入り込む余地はないと悟る。いわば「この二人、両想いだ…!」と悟った負けヒロインのごとく、ようやく心を開いて仲間になった凜に「僕はいいから、凜さん。あなたが遥たちと泳いでください」とかいって地方大会の出場権を凜に渡してしまうのである。
あんま見たことない…。
なんだ、この展開。
だから物語クライマックスの地方大会でチームを組んだのは遥、凜、真琴、渚の4人だ。そこに怜の姿はなかった(応援席で寂しそうに拍手してた)。
つまり怜は、自らこの物語のレギュラーを降板したのである。

事程左様に、無情なほど主要キャラがコロコロ変わるフリーダム競泳アニメ『Free!』。その劇場版1作目が『映画 ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-』だ。
本作は遥の中学時代にフォーカスした「過去編」なので、遥、真琴、郁弥、旭の4人が主要人物となる(TVシリーズのレギュラーだった凜は留学中。渚はまだ小学生。怜も小学生で、かつ遥たちとは出会う前…という時系列)。
キャラと時系列がハイ☆スピード過ぎて付いて行けないか?
安心されたい。俺もやよ。

~5秒でわかる怜ちゃんの魅力講座~

泳げないけどヤケに自信たっぷりの怜ちゃん
怜「入水角度は計算済み。泳げます!


「怜ちゃん、いけるよ!」
「がんばれ、怜ちゃん!」
みなから期待の眼差しを受けるも…


クロールの甲斐なく体は沈み


1ミクロンたりとも進まず


みなの目から光が消えた。




プールサイドで乙。

◆『Free!』とはディープ・パープルである◆

 郁弥と旭に何の思い入れもない3期ビミョー勢の私をよそに、『ハイ☆スピード!』は水際立った映像表現と流麗な語り口で110分を泳ぎ切りました。
物語は中学の入学式から始まる。早朝からスイミングスクールでひと泳ぎしていた遥(おぼこい!)に「おはよう、ハルちゃん。入学式遅れるよ?」とプールサイドから手を差し伸べる真琴の構図!
この場面はTVシリーズで何度も繰り返された『Free!』の背骨である。
外界から隔絶されたプールの中でただ水を感じていたい遥を、面倒見のよい真琴がまるでボーイフレンド 世話焼き母ちゃんのような無償の愛をもって外界へと導く。そして差し出された手を握り返してプールサイドに引き上げてもらう…という連帯が「仲間」という語の代替物として爽やかにストーリーに溶け込んでゆくのだ。

水キチの遥と、水から引き上げる真琴。

この冒頭からグイグイ引き込まれていきましたよ。
しかしまぁ、時系列がいきなり中学時代までぶっ飛んた挙句、メインキャラも大幅変更(渚、怜、凜がほぼ淘汰)されてしまうなど、気楽にTVシリーズを見ていた俺にとっては大パニックを起こしそうな本作だが、巧みな交通整理によって初『Free!』が本作でもまったく問題ない作品…なんなら初『Free!』にこそ相応しい作品という、まるでエッシャーの騙し絵をまねして描いたヨッシャーの騙し絵みたいな逆さま現象が巻き起こった『ハイ☆スピード』
とにかく見やすい。
その見やすさは入学式から描いたという始点の聡明さだろうな。
TVシリーズ3期で唐突に現れ「どちらさんですのん」と俺をパニックにさせた郁弥と旭のキャラクター性が、本作ではイチから丁寧に描かれており、遥と真琴を含めた“4人の空気感”が心地よく醸成されていく。つまりこれって1期の語り直しというか…もうひとつの1期でもあるんだよな。
つまり、視聴者にとっての『Free!』のいつメンといえば遥、真琴、渚、怜だが、遥にとってのいつメンは別。小学校時代は真琴、渚、凜と泳いでいたし、中学に上がってからは真琴、郁弥、旭とチームを組んだ。そして高校でようやく渚と合流し、怜が加わるのだ。
学年や環境によって、その時々でその時々のチームメイトがいる。

小学校時代のオリジナルメンバー。
左から真琴、遥、凜、渚。

 

本作で初めて描かれた中学メンバー。
凜→消滅
渚→消滅
旭(右)→新加入
郁弥(右から2番目)→新加入

 

TVシリーズでおなじみの高校メンバー。
渚→再加入
怜→新加入
旭→消滅
郁弥→消滅


早い話が、主人公の遥とわれわれ視聴者とで「いつメン」の定義に齟齬が生じてるわけで、その齟齬がうまく噛み合うまでの過程そのものが“青春”という形でドラマタイズされた作品が『Free!』なのである。
これってロックバンドの変遷をたどる楽しみと似てるよ。
たとえばディープ・パープルといえば「Highway Star」や「Smoke on the Water」なので2期のころが有名だが、1期ではサイケデリック路線で「Hush」のような名曲を残してるし、3期ではタマホームのCMでおなじみの「Burn」が世に送られた…という風に、その変遷を知ればひとつのバンドといえども全く異なる音楽性やドラマを持つことに気付くだろ? 気付かない? 気付くね?
オレは今まで、遥の高校時代の仲間(TVシリーズ1~2期)こそがオリジナルメンバーだと思い込んでいたが…そうじゃないンじゃん!
その時々の“今のメンバー”こそがオリジナルメンバーなんじゃん!
つまり『Free!』はバンドアニメということが言えるとおもう。
水泳部っていうか、だからバンドだよもう。

桐嶋 郁弥(いくや)
得意泳法はブレ。遥の中学時代のチームメイトだったが、のちに精神がぐちゃぐちゃになり個人メドレーの申し子となる。大学で遥と再会したことでぐちゃぐちゃだった心が少しずつ恢復してゆく。

椎名 旭(あさひ)
得意泳法はバッタ。遥の中学時代のチームメイトだったが、親の都合で翌年に転校。大学で遥と再会したことでバリバリだった闘志がもっとバリバリになった闘魂の申し子。

◆真っ先にここへ帰ってこい◆

 物語中盤では4人それぞれが壁にぶち当たるが、“壁”の見せ方がいかにも京アニ。物理的な壁ではなく心の壁なのよね。
バックの真琴、ブレの郁弥、バッタの旭、フリーの遥。個々人の速さは折り紙付きだが、メドレーリレーになると引継ぎ(バトンパス)がうまく噛み合わずに惨憺たるタイムを叩き出してしまう。その原因は身体的なものでも技術的なものでもなかった。
遥は小学校時代のメンバーで泳いだ奇跡的なメドレーに固執するあまり今の中学メンバーとの関係性がしっくり来ておらず、真琴は水泳部マネージャーから「きみは本当に水泳が好き? 遥がいるから泳いでるだけじゃないの?」と核心を突かれたことで泳ぐ意味を見失い、郁弥は水泳部部長の兄に対する愛憎から独りきりで泳ぐヘンコと化し、自称天才の旭は遥の完璧なフリーを目の当たりにしたショックでフリーが泳げなくなるイップスに罹る。

まさにセカイ系ならぬプール系。

その時々のキャラクターの精神状態がパフォーマンスに直結するわけよ。何らかの問題を抱えてると普段の実力が発揮できず惨敗するが、その問題を解消した途端に本領発揮して勝利するっていう、よくあるヤツね。
その「よくあるヤツ」を詩的なまでに研ぎ澄まし、アニメーションとして極限まで昇華させたのが『Free!』。ゆえに当シリーズは間違っても「スポ根アニメ」ではない。むしろ根性ではどうにもならないから一つずつ問題を解決して目の前をクリアにしていく…という作品性なので、いわばスポ根の真逆よね。

元気印の旭がイップスにより自信喪失(自分と向き合う装置としての鏡の活用もいい)。

そしてクライマックスの記録会。
ここでは『Free!』最大の見所とも呼べるメドレーリレーの迫力に満ちた、待ったなし、息継ぎなしの感動に抗しがたく溺れるのみといえる!
旭が、スタート台に立った第二走者の郁弥に向かって「おい! 真琴の開けたボンテージをなくす真似すんなよ!」と生意気なりにエールを送ると、すかさず郁弥、「誰に言ってんの? あとボンテージじゃなくてアドバンテージね」と訂正し、旭を赤面地獄へ叩き落とす。そんな旭がスタート台に立てば、こんだ遥が不器用なりにエールを送る。
「真っ先にここへ帰ってこい」

熱い思いと、ちべたい水!
この対比なのよ。結局。
泳者の帰りを待ちながらスタート台に立った走者が「おれ、このメンバーでよかった…!」など後続チームに熱い思いを吐露する一方、泳者は至って冷静に、ただ黙々と泳ぎ続ける。スポーツものにありがちな競技中に発せられる心の声演出がほとんどナイんだよな。泳ぐ者にとっての“水の中”とは第三者の理解が及ばぬほど特別な世界である、ということを描破した点にこそ『Free!』の精髄があるのかもしれないし、ないのかもしれない。


水から引き上げる真琴と、その手を握り返す遥。ファーストシーンの反復もよく効いている。

また、映画好きのわれわれが映画好きだからこそ目を見張るべきポイントが“水の表現”でよ。
滴、波紋、飛沫、波、さざめき、乱反射。アニメーションにおいて最大の敵というか、最も表現しにくいのが水であるって話はせんどしてきたけどさ。圧倒的な作画で都度々々表情を変えゆく水の気分とも呼ぶべき競泳シーンのスペクタキュラーな映像表現には脱帽、脱衣、裸でドボンだよ、こりゃ。
ときに幻想的なみなも!

さながら鴨川に浸かったカップルのよう。

 今回の評は映画好きのあんたらの為に書いたものなので、なるべく技術論は控えた。そういうのは自分で見て気づいた方が楽しいと思うし。いや、マジでマジで。
近年のアニメ演出のレベルって相当高いし、裏技みたいな手軽さで映画鑑賞眼も鍛えられるので、「映画4段」くらいの人は背伸びしてゴダールとかベルイマンとか見るよりもアニメを見た方がよっぽど真っすぐ、いい子に育つと思います(でも、それきっかけでアニオタにならないでね。映画に帰ってきてね?)
また、本作は『Free!』を知らなくても青春群像として自立した作品なので、かなり見応えはたっぷりって言えるし、猛暑が続く今夏にクーラーの効いた部屋でアイスクリームでもぺろぺろ舐めながら見るぶんには最適の作品だと言い切っておく。
※この記事は8月に書かれたものです。

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