シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ワース 命の値段

ある程度ほっといても勝手に解決するハナシ。


2019年。サラ・コランジェロ監督。マイケル・キートン、スタンリー・トゥッチ、エイミー・ライアン。

アメリカ同時多発テロ被害者の補償金分配を束ねた弁護士の実話を映画化した社会派ドラマ。


お~うっしゃうっしゃ。やろけぇ。
京都・四条近辺では今日も今日とて滑稽モスが走ってる。なにをそんな滑稽なモスグリーンの電動キックボードで走ることがあるんよ。愚昧な若者(フール・ヤンガー)がスカした顔してぷいぷい走って。理解ができねえ。最近名前を覚えたのだが、なんやLUUP(ループ)ゆうの?
完全におれの感性の外側に置かれた問題だ!



おれは街中であれを見ると笑ってしまう。
滑稽すぎるだろ。端的に。エメラルドグリーン? モスグリーン? …の電動キックボードに乗ってる、輝けるまぬけ野郎ども。「未来を先取り~!」みたいな顔してぷいーんって走ってるさまの、なんと滑稽なこと。
なにが滑稽って、とんでもなくダサい見た目もさることながら、令和6年時分、それを乗ることがトレンドであり、かかるトレンドを先取りしてる俺ってイカすぅ!と思っている自意識それ自体がなにより滑稽なのだ。
自分のことオシャレと思ってるやん。ただ直立不動で水平移動してるだけの珍奇移動体生命なのに…。
なんですのん、これ。
屁みたいなエンジンで、ぷいーん…ゆうて。
ループに乗ってる人って『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(99年)に出てくるバトル・ドロイドに見えるんだよね。線の細っそい細っそい、直立不動のスルメみたいな。
おもろい。
まっすぐおもろい。
だから近ごろは、ループに乗るフール・ヤンガー、通称ループ・ヤンガーを見るたび、割と声に出して「ははは!」と笑ってしまう。ただ街を歩いてるだけのおれに笑いを提供してくれてありがとう、とさえ思う。好きよおれ。こういう笑い。こないだなんて、赤信号の前で佇んでいたおれの目の前をサッと横切っていったループ・ヤンガーに対して「オッケイ、滑稽!」と反射的に快哉を叫んだほどだもん。
今や、おれはループ・ヤンガーのことが好きになったんだと思う。以前までは「すさまじい感性だな…。わざわざバカみたいな恰好して『私は新しいものにすぐ飛びつく頭からっぽのミーハーです』って街中に宣伝して回るようなものなのに」と冷笑していたが、今は考えを改めました。
街で人々を笑顔にする移動型道化師。
それ以上でも以下でもない。こういうのも流行り廃りなのだろう。文字通り「ループ」する文化なのだとしたら、嘆くよりも楽しむほかあるまい。
ぷい~ん。

そんなわけで本日は『ワース 命の値段』です。



◆厳めしサーブで先制すな◆

 公開日に見そびれた作品だったのでU-NEXTでポイントを捧げて鑑賞。
アメリカ同時多発テロ被害者への補償基金プログラムを無償で引き受けた弁護士をマイケル・キートンが演じた実話ベースの社会派ドラマである。
いきなり話は逸れるが、映画の冒頭に「この物語は実話である」という注釈をつける文化はとっとと滅ぶべきだろうな。おん。
あくまで実話を“ベースにしてる”というだけであって、そこには脚色、潤色、意訳、迷訳…なにがしかの換骨奪胎によって物語化された“話者バイアス”が働いているにも関わらず「この物語は実話である」なんて喧伝したらバカは一から十まで鵜呑みにしかねないし、なにより作り手側が「だって実話だから」を盾にシナリオの退屈さを棚上げする保険に加入してるような気がして、いやだ。
あと重厚感が増すよね。
開幕早々「この物語は実話であるッ」なんて拳で机をドン!ってされたら厳めしい感じがするし、こっちも居住まいを正すっていうか「真剣に見いや」とか「茶化しなや」と言われてる気がする。
やかましわ。
拳で机をドンすな。である口調で威圧すな。
何いちびってカマしとんねん。厳めしサーブポイントで先制すなよ。その作品に威厳や品格があるというなら“映画”を通じて表現せえ。なに冒頭の注釈で厳めしポイントを獲得しとんねん。「サーブ決まった!」やあらへんがな。
あと「だって実話だから」の保険に加入すな。
仮に内容がおもんなくても「だって実話だから仕方ないじゃないですかぁ」やないねん。すぐATフィールド張るな。
こんなもん、一石投じたツイートのあとに「あくまで個人の意見です」とか「まあ考え方は人それぞれですけどね」とつけ足して防火服着てるパイロマニア(物申し系という名の放火狂)と同じ地平やぞ。自分は言葉の火炎瓶を投げるくせに、炎上したくないあまり言った端から防火服を着こむ連中な。汚物は消毒ヒャッハーの方がなんぼか甲斐性あるぞ。
生身やからな、あいつ。



あ。どうもすいませんでした。
『ワース 命の値段』を批評するはずだったのに『ギャース 実話は好かん』とばかりに叫んでしまった。ワース、ワース。

マイキーことマイケル・キートンが演じたケネス・ファインバーグは実在する弁護士である。
米政府はアメリカ同時多発テロを受け、同月22日、被害者と遺族救済を目的とした補償基金プログラムを立ち上げた。司法長官ジョン・アシュクロフトの意向により特別管理人に任命されたファインバーグは、長年の経営パートナーであるカミール・バイロスや、世界貿易センタービルの法律事務所に入社予定だった新顔のプリヤ・クンディらとともに「チーム☆ファイン」を結成する。えいえいおーもした。
さっそくファインバーグは約7000人もの被害者と遺族たちに、生涯年収・社会的地位・家族構成などを指標とした独自の計算式により補償金額を算出。“命の値段”を決めていくのであった―…。



◆補償基金を修正せよ!◆

 シンプルながらも好いシナリオだと思うよ。
ファインバーグらの目的は、プログラムの申請期限である2003年12月22日までに補償対象者のうち80%の賛同を得ること。一見すると簡単に思えるだろうが、申請者は補償金をゲットするかわりに航空会社や警備会社への訴訟権を放棄せねばならない。言葉は悪いが、ブッシュ政権から被害者遺族への「この金やるから後でごちゃごちゃ言わんでや」としての保証金なのである。愛する家族を失った者たちは、怒りをぶつける先や無念を晴らす術を未来永劫奪われてしまうわけだ。なめた話である。現に、ファインバーグは補償基金プログラムの説明会で遺族たちから猛非難を受けた。
ぜんぜんファインじゃない。

そして対抗勢力の出現。
妻を失ったチャールズ・ウルフという男は、9.11テロの死亡者のうち70%近くが男性であったことから、残された子供や未亡人への経済的支援が必要だと思い立ち、当時急速に普及しだしたインターネットを駆使して『補償基金を修正せよ!』というホームページを作成。生涯年収や社会貢献度などを鑑みてシステマティックに補償金額を決めていくファインバーグの計算式を批判し、もっと一人ひとりの人生に寄り添い、さまざまなケースに見合った“人道的な”算定基準が必要だと説いたのだ。
数字ではなく“人”を見ろ。
瞬く間にウルフは遺族グループを牽引するカリスマとなり、彼ら「チーム☆ウルフ」は強い団結力で「チーム☆ファイン」に反撥した。
「俺たちは補償金など受け取らない」
「なにさ。ばかにしないでよ」
「補償金額が地位や年収で決まるのはおかしい」
「計算式で命の重さをはかるな」
「もっと個人の事情を斟酌せえ」
「なにさ」

「ぜんぜんファインじゃないバーグのくせに生意気」
申請数は早々に頭打ちとなった。期限までに80%…。どうするファインバーグ!?

ウルフを演じるスタンリー・トゥッチ。

割合おもしろそうに思えるよねえ?
あんまりおもしろくないんだよねえ。
いささか頭の固いファインバーグが被害者遺族とは向き合わず計算式ばかり追求していた折、人権派のウルフと敵対/接触するうちに少しずつ良心に目覚めて算出基準を見直していく…って筋なんだけど、監督サラ・コランジェロのヴィジョンがうまく映像に乗らないままヌルッと終わってしまったような。
なんといってもテリング力と演出力が欠けている。
まるで絵コンテ通りに撮っていったかのような映画的起伏に乏しい画面の(きわめて退屈な)連鎖はワンショットとしておれを見惚れさせることもなければ背後から意表を突くこともなく、物語や心理描写はあからさまな説明台詞を用いないまでもかなりの割合で“親切に”誘導されてしまう。

演出にも拙さが目立つ。
デスクに向かって資料と睨めっこばかりしていたチーム☆ファインが自らの足で遺族のもとに赴き“生の声”を聞く…というあたりが一番のブレイクスルーにも関わらず、クライマックスに至ってさえ代わりばえのしない動態なき画面の寂しきこと。
なにしてんねん!!!
ふてぶてしくもデスクの上に投げ出された足は遺族の家に向かうための、そして受話器ばかり取っていた腕は嘆き悲しむ補償対象者を抱きしめるためのこの上なく映画的な動態の好機やろがいいいいいいいい。
なに最初から最後まで椅子に座ってピーチクパーチク喋っとんねん。劇でやれ、劇で。
映画やぞ!!!

奇しくもマイキー出演作&劇中に9.11テロが出てくる『スポットライト 世紀のスクープ』(15年) の完全下位互換やないか、こんなもん。
ボストン・グローブの編集チームがカトリック司祭による性的虐待事件の真相について調査する『スポットライト』はすばらしい出来栄えだったぞ。
新聞社のオフィスを舞台にしながらも、定規を使って名簿を一行ずつチェックする、被害者の話を聞きながら手元のメモ帳に素早くペンを走らせる、膨大な資料を丁寧にファイリングするといった地道な手作業によって事件告発のためのアーカイブを作成してゆき、揉み消された真相を再び紙面に浮上させるべくバチカンという強靭なシステムに立ち向かうマイキーたちの雄姿を見事に映像化していた!
『スポットライト』の驚くべきはその動態にある。被害者宅を片っ端から訪問した玄関先での質疑応答。あるいは神父を弁護した人間の腹を探るべくゴルフ場や酒の席などに出向き、話をしたくても着信拒否で逃げ回られたら直接相手の会社に乗り込むなど、さながら韋駄天のごとくボストン市内を駆け回る“足を使った実地的な取材/調査”が映画を鞭打ち、ドラマを駆動させていた。
ただ喋ってる人間の顔をバカみたいに切り返してるだけの本作とはえれえ違いだ。

マイキーの『スポットライト 世紀のスクープ』。こちらではスタンリー・トゥッチが弁護士役(画像左)。

◆ほな最初からそうせえよ◆

 すまん、言い過ぎた。
前章でコテンパンに貶したほど『ワース』は悪い映画ではない。むしろ世間一般では普通、ないしは割といい映画として映りもするだろうが、どうも映画の評価に関しては、おれと“世間一般”は折り合いが悪いんだ。おれがいいと思った映画ほど世間的には評価が低くて、世間で絶賛されてる映画ほどおれの目には児戯に映る。逆張り、天邪鬼、つむじ曲がり。好きに思ってくれて構わんが、少なくともおれ自身はこう思ってる。
しょせん「世間の評価」などミーハーの凡庸な感性の最大公約数に過ぎぬと!

というわけで、引き続き『ワース』を貶していきます。ワース、ワース。
なにしろ“遺族の声”“役者頼み”がすごいよなぁ。劇中ではワールドトレードセンターに取り残された人々の電話音声や、遺族の言葉を引用したであろう労しい取材シーンといったドキュメンタリー演出が物語に苦みを加えており、その苦みにコクをもたらしたのがマイキー、スタンリー・トゥッチエイミー・ライアンらベテラン勢の説得的な芝居。
まあ…芝居っていうか、ほぼ“貌”ね。
顔面一発で事の重さを表現する苦み走り貌。
この双輪でかろうじて逃げきった作品なのだけど、やっぱり肝心の“映画”がすっぽり抜け落ちてるので、ガワだきゃあ立派だけど生きた映画ではない…という意味ではモデルハウスみたいな空疎な作品だと感じたわけ!

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)ではマイキーの元妻役を演じたエイミー・ライアン。

あと物語のクライマックスね。
結局、マイキーたちは期限までに申請率80%を達成して「やったじゃんかいさ~」つって肩をバンバンしばき合いながら欣喜雀躍するハッピーエンドに帰結するんだけど、その逆転勝利した理由がしょうもないっていうか…いまいち腑に落ちず「なんやねんそれ」みたいなシロモノなのよ。
当初は誰も申請しなかった補償基金プログラムだったが、土壇場で申請ラッシュが起きたトリックのからくり、その1。
心を入れ替えたマイキーが遺族一人ひとりの話を真摯に聞いたから。
ヒューマニズムっていう。
まあ、わかるで。はじめこそデスクに向かって流れ作業的に補償金を決めていたマイキーが、遺族と膝を突き合わせて「うんうん、大変やったな。ルマンド食べるか? きっと旦那さんもな…。うん。天国で…。よう話してくれたな。ルマンド食べ、ルマンド。ありがとうな」つって傷ついた心に寄り添ったことで遺族たちの信用を獲得してゆき、それが結果に繋がったわけよね?
ほな最初からそうせえよっていう。
身も蓋もない話をしてるのは承知の上なんだが、最初からそうしてたら何の苦労もなくパッと終われてましたやんこの話…っていうのは、ほかの色んな(本当に色々な)映画にも当てはまる作劇の陥穽で。
要するに、問題解決の鍵が目の前にあるのに、それを手に取るか取らないかで主人公がひたすら逡巡して物語を引っ張る作劇って安直を通り越して怠慢だよねって話。だって問題を解決できるかどうかが主人公の意思に懸かってるなら、あとはそいつが“やるかやらないか”だけの話なのよね。補償金算定云々の話が、いつの間にかマイキーの気持ちの問題…個人の問題にすり替えられ、矮小化されてるのよ。



当初は誰も申請しなかった補償基金プログラムだったが、土壇場で申請ラッシュが起きたトリックのからくり、その2。
当初からマイキーはこう言っていた。
「何も心配ない。どうせ締切り間近になれば申請率は一気に上がる」
なんだかんだでお金は大事。いま補償基金プログラムに反対している人々の大半も政権批判のポーズとして抗議してるだけであって、いざ締切りが迫ればいそいそと申請してくるはず…という大衆心理を見抜いた読みであった。
その通りになった。
その通りになったん?
その通りになったらあかんやろ…。
なんやねんそれ。締切り間近になれば勝手に上がるんかい、申請率。マイキーたちが頑張ろうと頑張るまいと、どのみち締切りフィーバーでガッサァ~いくんかい。やってることパチンコやんけ。実際、マイキーたちも締切日に「おっけおっけ。確変入った」みたいに大喜びしてたし。
だから、ある程度ほっといても勝手に解決するハナシなのよね、これ。
ある程度ほっといても勝手に解決するハナシであり、主人公がその気になればより迅速に解決できるハナシでもあるという…。

マイキー「日和ってるヤツい~る~~?」

おまえやろ。


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