シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

女と男の観覧車

やる気なし監督がおくる極上の60点映画。

f:id:hukadume7272:20190118103935j:plain

2017年。ウディ・アレン監督。ケイト・ウィンスレットジャスティン・ティンバーレイク、ジム・ベルーシ、ジュノー・テンプル

 

コニーアイランドの遊園地内にあるレストランで働いている元女優のジニーは、再婚同士で結ばれた夫・ハンプティと、ジニーの連れ子である息子リッチーと3人で、観覧車の見える安い部屋で暮らしている。しかし、ハンプティとの平凡な毎日に失望しているジニーは、夫に隠れて海岸で監視員のアルバイトをしながら劇作家を目指している若い男ミッキーと不倫していた。ミッキーとの未来に夢を見ていたジニーだったが、ギャングと駆け落ちして音信不通になっていたハンプティの娘キャロライナの出現により、すべてが大きく狂い出していく…。(映画.comより)

 

どうもさん。

一昨日はルーターの調子が悪くてインターネットに繋がらず、またしてもルーター爆発事件による無期限活動休止に追い込まれるのかと気が気ではありませんでした。

結局半日後にはネットに繋がって事なきを得たのだけど素直に喜べない。機械製品ってブラックボックスですから、一度起きた不具合はいずれまた起きるわけで、次はいつ起きるのか…という恐怖との戦いが始まるわけです。

いっそ買い換えれば安心なんですけど、ちょっとした不具合が起きるたびに買い替えていては銭がいくらあっても足らない。そんな王者の身振りをしていては立ちどころに破産して死ぬる。というので、ルーター爆発の恐怖に怯えながら私は今日という日を駆け抜け、明日をゴーするわけです。わかった?

ということで本日俎上に載せたるシネマは『女と男の観覧車』。ポスターが非常に美しいですね。

f:id:hukadume7272:20190118110710j:plain


◆アレンフリーク かく語りき◆

ウディ・アレンはやる気がない。

現在83歳。これまでに49作品もの映画を撮ってきたので「巨匠」とか「多作」と言われているが、彼がいまの地位にのぼり詰めて年イチのペースで映画を撮ってこれたのはやる気がなかったからにほかならない。

膨大な過去作のなかでは精神分析に傾斜したりベルイマンを模倣するといった実験的手法によってエスプリ的な悲喜劇を追求してきたし、その結果厳しい批評に晒されながらも一定の地位を築き上げた。それがウディ・アレンの70年代だ。

ところが1985年を境に急にやる気を失ってしまう。これは正確に1985年である。

カイロの紫のバラ(85年)が批評的成功をおさめたことで「これをやり続ければいいんだ」という悟りを開き、以降30余年に渡って毎年のように金太郎飴のような作品を世に送り続けているのだ。

金太郎飴のような作品とは、要するに恋のすったんもんだに消耗する男女の悲喜劇である。


ウディ・アレンは努力や進化の類を徹底して嫌うので、カイロの紫のバラ』以降の作品はすべてパターン化されている。

オープニングとエンドロールには必ずジャズが流れ、金言めいたボイスオーバーが人生哲学を説き、その時期に旬の役者たちが理屈とも屁理屈ともつかない小言をブツブツ言いながら恋したり失恋したりする。

全部これ!

まさに金太郎飴状態。

そしてここが問題なのだが、どれも大して面白くない。

『ブロードウェイと銃弾』(95年)ミッドナイト・イン・パリ(11年)など、一般的に傑作とされているいくつかの映画を除けば大体が40~60点をウロウロしているようなフィルモグラフィなのだ。

あかんではないか。

いや、あかんくないのである。

私はウディ・アレンのことを60点監督と呼んでいるが、それは蔑称ではなく敬称なのだ。人はウディ・アレンを亡くしたときに、ごく普通の出来栄えにおさまる映画を毎年のように見せてくれることがいかに有難かったかを思い知るだろう。もはや伝統芸能の域だよ。

ウディ・アレンに向上心など必要ない。イーストウッドポランスキーといった同世代の映画作家に比べれば才能がないのは明らかなのだから「こうなったら不貞腐れちゃう。まぁ作品数では負けないけどね」という卑屈なスタンスで60点映画を量産し続ける道を選んだのだ。極力やる気を出さずに…。

f:id:hukadume7272:20190118110932j:plain

誰かが作ったスペシャルフォトを盗んできました。


◆赤と青の去来◆

そして本作。

『女と男の観覧車』完璧な60点映画である(褒めてるのやら貶してるのやら)。

どこを取っても過不足なく60点、ケチのつけようがない60点だ。

コニーアイランドの遊園地で暮らすケイト・ウィンスレットジム・ベルーシの熟年夫婦のもとにギャングと駆け落ちした娘が帰ってきた。ジムと前妻の娘ジュノー・テンプルである。

そんなジュノーとの共同生活を快く思わないケイトは、海の監視員ジャスティン・ティンバーレイクと不倫関係にあったが、彼がジュノーに恋をしてしまったことでケイトは悲憤慷慨する。家の中ではジュノーにつらく当たり、外ではジャスティンに怒りをぶつけ「私がオバサンだからなのね!」とヒスを起こす。中年の憐れ炸裂である。

そしてジュノーを追ってこの地に現れたギャングをみとめたケイトは、ある最悪の決断をくだす…。

f:id:hukadume7272:20190118110637j:plain

タイタニックのヒロインも今や43歳。


イタい中年女性が人生のどん底に叩き落とされる…というアレン流のソープオペラが軽快に紡がれた本作はブルージャスミン(13年)の姉妹編と言っていいだろう。大きな観覧車のたもとで4人の男女がそれぞれに幸せを求めて恋愛ゲームに興じる滑稽さと、それゆえの人間臭さがテンポよく描き出されている。

また、演劇的でありながら豊かな動態を含み持っている点もさすがの一言。海辺、遊園地、日本庭園といった豊かなロケーションはアレンがさんざっぱら撮ってきたニューヨーク中心部とは一風異なる表情をカメラに向けている。


そうしたロケーションの数々を抜群の感度でショットにおさめたのがヴィットリオ・ストラーロ御大。ラストタンゴ・イン・パリ(72年)地獄の黙示録(79年)などを手掛けてきた大ベテランが齢77歳にしてコニーアイランドでカメラを振り回しております。

アレンとは『カフェ・ソサエティ(16年)に続いて二度目のタッグとなる。この二作品は強烈なコントラストとハイキーが特徴的で、とにかく画面がテカテカパキパキと輝き散らしているため、人によっては「たまんなーい。眩しすぎて見ていられなーい」と弱音を吐いてしまうかも。甘えきった奴だ。

もはや映像美というより美の暴力に近いストラーロの撮影は、誇張された色彩がマジックリアリズムのように空間を歪めまくる。

異常なほどまっかな夕陽が何度もケイトを染め上げたかと思えば、次の瞬間には明け方のように深く青味がかっていく。

赤はジャスティンへの情熱青は彼の心移りに対する猜疑心としてケイトの精神状態を表しているわけだが、この女は躁鬱と片頭痛と神経衰弱を抱えていて心のバランスがぐちゃぐちゃに崩壊している。だからワンショットのなかで赤と青が何度も不安定に去来するのだ。

まばゆいばかりの光芒と力任せの潤色。名匠ストラーロの剛腕がうなる!

f:id:hukadume7272:20190118110035j:plain

画面が真っ赤になったかと思えば急に青くなります。


肉食系薄幸熟女ケイト◆

本作はごく控えめにいってかなり苦い余韻を残す有毒映画だが、本作のケイト・ウィンスレットブルージャスミンケイト・ブランシェットはその毒に耐えうるパワフルな女優なので、アレンは愉悦に浸りながらこれでもかとばかりに虐め倒す。

それでも潰れないどころか、アレンの毒を跳ね返すあたりがケイト・ウィンスレットの本領。リトル・チルドレン(06年)といい愛を読むひと(08年)といい、今やすっかり肉食系薄幸熟女が板についたよなぁ。

たくましい肩幅、意思堅固な眉、ちょっとした木ぐらいなら薙ぎ倒せそうな二の腕。

タイタニック(97年)で海に放り出されたケイトがディカプリオの粋な計らいでドア板に乗せてもらっていたが、ありゃどう考えてもディカプリオに譲ってやるべきだった。

ケイトなら極寒の海でも泳いで渡れたはずなのだし。しかもバタフライで。


それほどの肝っ玉女優が不倫相手の心移りぐらいでグロッキーになる…というあたりがこの映画の微妙な味。

昔の夢を引きずって今でも大女優になれると信じきっていたり、死に分かれた前夫を未だに愛していたりと多方面に未練タラタラの女で、「私は一生ウェイトレスで終わるような器じゃないのよ!」が口癖。まぁサンセット大通り(50年)グロリア・スワンソンをやっているわけだ。

急接近するジャスティンとジュノーの仲を引き裂こうと暗躍したり、現夫のジムから金を盗んでジャスティンへの誕生日プレゼントを購入するなど、とても同情には値しないやりたい放題の女である。

しかも幼い息子は見るものすべてを焼き尽くそうとするパイロマニア。学校に火をつけたり民家に火を放つといった放火活動に日夜いそしむ上級放火魔なのだ。

そんなクレイジー親子に巻き込まれるのがスケコマシでお馴染みのジャスティン・ティンバーレイクと何の印象にも残らないジュノー・テンプルなので、まぁどうなろうと知ったこっちゃないのだが。

夫役のジム・ベルーシが「ウディ・アレン的な脇役」を慎ましく演じていて好印象だったブルース・ブラザースで知られるジョン・ベルーシの弟)

 

ヒロインが身も心もボロ雑巾みたいになっていく神経症的な内容にしてアレン流の機知に富んだジョークも一切なし…というやや深刻な作品ではあるが、不幸を背負うどころかそれを背負い投げするケイトがあまりに逞しいので、結局はいつものブラックコメディとして気軽に楽しめる。

もしこのヒロインが痩せた女優だったなら あまりに居た堪れない鬱映画になっていただろう。ケイトなればこそ「悲劇と喜劇は裏表」を体現せしめたのだ。

f:id:hukadume7272:20190118110546j:plain

粗野な夫にうんざりしているケイト。

 

さて。近ごろのウディ・アレンは、もはや魔女狩りと化したMeToo運動の生贄になって監督生命が危ぶまれている。かつてアレン作品に起用された女優たちがこぞって批判するという逆襲の恩仇返し。そんな中、アレック・ボールドウィンだけがアレンを擁護し、スカーレット・ヨハンソンもまた冷静なコメントを残している。

今年公開予定だった記念すべき50作目『A Rainy Day in New York(原題)』(17年)がお蔵入りになったことに私は怒り心頭だ!

ふざけるな!!

ウディ・アレンのパーソナルな部分はいくらでも批判すればいいが、創作の世界にまで干渉しないで頂きたい。規制大国は日本だけではなかったのか。

もし、いまアレンが死ぬと『女と男の観覧車』が事実上の遺作になるので「この人、毎年新作出すから面倒くさいなー」とうんざりされている方は、ぜひ重い腰をあげてレンタル店に走って頂きたいと思います。

まぁ、60点の映画なんだけどね。