スピルバーグの技巧とトム・ハンクスの前髪が堪能できる贅沢な一品。
2017年。スティーブン・スピルバーグ監督。メリル・ストリープ、トム・ハンクス、サラ・ポールソン。
リチャード・ニクソン大統領政権下の71年、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープし、政府の欺瞞が明らかにされる。ライバル紙でもあるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主に就任していた女性キャサリン・グラハムのもと、編集主幹のベン・ブラッドリーらが文書の入手に奔走。なんとか文書を手に入れることに成功するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目にあうことが危惧された。記事の掲載を巡り会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見は対立し、キャサリンは経営か報道の自由かの間で難しい判断を迫られる。(映画.comより)
よぉ、みんな。機嫌はどう。
こないだ鑑賞中に3回も寝落ちした『ワンダーストラック』(17年)に再挑戦したが、今度は4回寝落ちしたので、もうこの映画は向こう10年は観ないことにした。
『エデンより彼方に』(02年)や『キャロル』(15年)のトッド・ヘインズ(中堅監督の中では最強クラス)だから絶対に観ておきたいのだけど、計7回も寝落ちしたということはこの先何度チャレンジしても同じということなので「もうええわい。くそったれめが」と毒づいて諦めた。巡り合わせが悪かったと思うことにしよう。
実はロバート・ゼメキスの『コンタクト』(97年)も最後まで観たことがない。これまでに4回ぐらいチャレンジしたのだが、必ず30分を過ぎたあたりで居眠りしてしまうのだ。
一度は立ったまま鑑賞に臨んだこともあったが、気がついたら床に倒れていた。
だから『コンタクト』がどういう映画なのか、私はついぞ知らない。ジョディ・フォスターがコンタクトをつけたり外したりする内容なのかもしれない。
というわけで本日はまたぞろスピルバーグ、『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』です。
◆『レディプレ』の陰に隠れたもうひとつのスピルバーグ◆
『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』と『レディ・プレイヤー1』(18年)は、ほぼ同時期に公開された(日本公開に至っては1ヶ月も空いていない)。スティーブン・スピルバーグは二つの映画を同時進行で手掛ける早撮りの名手なので、まぁこういうことが起きてもさほど珍しくはないのだが。
片やエンターテイメントに振り切った映画で、片や社会派映画。
そして一般的にスピルバーグは娯楽映画の監督と認識されているし、『レディ・プレイヤー1』は観たけど『ペンタゴン・ペーパーズ』はスルーしたという人は日本だけでも数十万人以上いると思う。
普段あまり映画を観ない人であれば『ペンタゴン・ペーパーズ』なんて無視してかまわないのだが、この映画を無視した数十万人のうちの1割程度はいるであろう「映画好き」には、ぜひ観てもらいたいのです。
当時の時代背景を知らない人にはちょっぴり難しい作品かもしれないので、なるべく手取り足取り、おんぶに抱っこで概要を説明します。
◆猿でもわかる『ペンタゴン・ペーパーズ』◆
さすがに猿には分からないだろうけど、なるべくラフな感じで概要を説明させて頂きます。
まず、この映画は実話を基にしている(「実話」という言葉がわからない人はもう帰ってください)。
ベトナム戦争が泥沼化した1971年のニクソン政権下のアメリカ。ベトナムでのアメリカ兵はむちゃむちゃに疲弊していた。
ランド研究所というクールな研究所でベトナム戦争の戦況を調査しているダニエル・エルズバーグという軍事アナリストは、「アメリカ側の負けはほぼ確定やでぇ」という結論を導き出して、その研究データを「アンタら絶対負けます」といって政府に提出した。
にも関わらず! アメリカ政府のマクナマラ国防長官ときたら、ベトナムの敵情視察から帰ってきた際、戦況についてマスコミから質問を受けて「むっちゃイイ感じっす。絶対勝てるっす」などと大口を叩いて事実を隠蔽。「敗戦した大統領」と思われることが屈辱だから、ニクソンは躍起になって勝ち目のない戦争を続けたわけですね。
「聞けよ、人の話! 負ける言うとるやないか」と激怒したエルズバーグは、「アメリカ側の負け確」を裏付ける国防総省の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」をマスコミにリークするために研究所からパクって、そのコピーをニューヨーク・タイムズに送りつける。
「特ダネが舞い込んできた!」と大喜びのタイムズはさっそく政府の欺瞞をすっぱ抜くが、これにブチ切れたニクソン政権が「なに余計なことしてくれとんのじゃあ」とばかりに機密漏洩罪でタイムズを訴えた。えらいことである。
そう聞くと、タイムズとアメリカ政府が争う…みたいな映画に思えるだろうが、この映画の主人公はタイムズのライバル社であるワシントン・ポストの会長キャサリン・グラハム (メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)である。
かつてワシントン・ポストの会長だった夫が自殺したことでその座を引き継いだキャサリンは、聡明な女性オーナーではあるが仕事の経験がまったくない老婆である(以前までは悠々自適に社長夫人をしていたのに夫がいきなり自殺したせいで急遽会長の座を継いだため)。
そして、タイムズに出し抜かれるたびに血管がぶち切れるぐらい怒りまくる編集主幹がベンだ。
そんなワシントン・ポストに、タイムズに送られた機密文書よりもさらに詳しいことが書かれたレア度MAXの文書が謎の人物から送られてくる。
狂喜乱舞したベン、「これでタイムズに勝つる!」と思って記事にしようとするが、すでに大統領直々の記事差し止め命令がタイムズに下されているので、ワシントン・ポストがこの文書を記事にすると確実に訴えられてムチャムチャな目に遭ってしまう。
会社を守るためにスクープを取り下げようとするキャサリンと、たとえ罰せられても政府の嘘を国民に伝えようとするベンが衝突する!
ベン「なぁ、キャサリンはん。記事にするのがわてらの仕事ちゃいますのん」
キャサリン「記事にしたいのは山々やけど、それをするとうっとこの会社が訴えられて、最悪、ブタ箱行きになるかもしれへんねんで?」
ベン「関係あらへんやん。やってもうたらええねん。しょうもない!」
キャサリン「せやけど、国防長官のマクナマラはんはウチの友達でもあるし…、記事を出したら彼にも迷惑かかるかもしれへんねやわ…」
ベン「煮え切らへん女やで! もうやめさせてもらうわ」
…みたいな話である。
要は、特ダネを記事にするかしないかというワシントン・ポスト社内での葛藤がウダウダ描かれているわけ。京都弁で。
大して難しくないでしょう?
◆『大統領の陰謀』の末裔◆
70年代アメリカを舞台にした政治映画なのでそれなりに予備知識があった方が細部まで楽しめるが、「あまり知らない人は予習してから鑑賞して下さい」なんて言うとハードルを上げてしまうので、あえて言いきろう。
予備知識など必要ない、と。
マクナマラ国防長官が口にする「ジャッキー」なる人物がジャクリーン・ケネディのことだと知らず「…チェン?」なんてファンシーな勘違いをしちゃっても、それはそれで逆にアリっていうか、むしろそっちの方が楽しめるのでは。
かつてキャサリンやマクナマラがジャクリーン・ケネディと交流があった…という史実よりも、ジャッキー・チェンと交流があったという勘違い史実の方が、なんというか、夢があるよね。
ただし、刻々と変化するキャラクターの立場や状況が手取り足取りセリフで説明されることはなく、もっぱら俳優陣の芝居に託されているので、ひとつ見逃しただけで「いま何が起きていて誰がどうなっていて誰がどういう心境なのか?」というドラマ的情勢から置いてけぼりを喰らってしまうので要注意。
さて、ウォーターゲート事件の前日譚を描いた本作は、ある衝撃的なラストシーンによって『大統領の陰謀』(76年)へとバトンタッチされる。
トム・ハンクスが演じたベン・ブラッドリーは『大統領の陰謀』でもウォーターゲート事件を追う二人の記者(ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォード)を支援するボスとして登場するので、本作のあとに『大統領の陰謀』を観ればこの一連の事件をより多角的に理解できると思います。
ダスティン・ホフマン(左)とロバート・レッドフォード(左から二番目)。右側の白ハゲ三銃士は無視してください。
『レディ・プレイヤー1』と同時進行で製作されたにも関わらず僅か9ヶ月で完成した本作には、真実の報道を握りつぶそうとするトランプ政権に対するスピルバーグなりの問題提起があった。
思えばニクソン政権下にアメリカで起きた事件は、どの時代にも通じるような普遍性がある。だから『大統領の陰謀』は今なお『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(14年)や『ペンタゴン・ペーパーズ』といった別の映画に姿を変えて21世紀の今日を撃ち続けるのだ。
『レディ・プレイヤー1』と『ペンタゴン・ペーパーズ』に共通するメッセージは「嘘の世界は気楽で気持ちいいが、苛烈な現実にも目を向けろ」ということだ。
スピルバーグはSFやファンタジーを鬼のように手掛けてきた監督だからディズニーランドみたいな世界と一緒くたにしている人は大勢いるだろうが、むしろそんな殺菌された世界に血生臭い現実を突きつけるのがスピルバーグなのだ。
すべからく映画とは現実逃避の為の道具ではなく、現実と向き合うための道しるべである。
◆刷られゆく新聞たちと三つの眼◆
※ここからは技術論めいた話が一生続くので、「堅苦しい話はかなんわー」という方は「ペンタゴン!」と絶叫したあとにページを閉じてください。
印刷工場で記事が作られていく過程が、序盤、中盤、終盤の3つのシーケンスに配置されている。
枠の中に組まれたローマ字が紙型とりの工程を経て鉛版となり、高速回転する輪転機が「ペンタゴン・ペーパーズ」の暴露記事を大量生産する。
無論クライマックスは、印刷された無数の新聞たちがベルトコンベアによって天高く上昇するさまが映され、満足げな笑みを浮かべて工場を出ていくベンとキャサリンの後ろ姿の後景をカメラが捉える。
言うまでもなく、刷られゆく新聞たちはベンとキャサリンそのものだ。
随所に挟まれる印刷工程の短いシーンが「その時々の二人の状況」とリンクしているという仕掛け。
もう巧いとしか言いようがないのだが、しかしスピルバーグでなくとも上手い監督であればこの程度の「超高度な演出」など朝飯前だろう。だが製作期間がたった9ヶ月しかないとすれば、果たしてスピルバーグ以外の「上手い監督」にこれが出来るだろうか。9ヶ月なんて細部の演出など考える暇もないほど短い期間だ。
だが、この演出に驚く遥か手前で、すでに私はヤられてしまっている。
それはメリル・ストリープとトム・ハンクスの裂帛の名演でもなければ、ワシントン・ポストの仕事風景を当時のスーツやタイプライター、果ては吸殻に溜まったタバコの銘柄に至るまで徹底的に再現した美術でもない。
ファーストシーンだ。
スピルバーグの粋(すい)はファーストシーンに叩き込まれている。
現地調査のためにベトナムでの戦闘に参加したエルズバーグが、帰りの飛行機の中で「勝てそうか?」とマクナマラ国防長官に尋ねられて「無理ぽ」と報告したにも関わらず、空港で待ち構えるマスコミに「勝つる!」とビッグマウスを叩いたマクナマラにドン引きの視線を送り、その足で研究所に向かって「ペンタゴン・ペーパーズ」を盗んでコピーを取る。
このアヴァンタイトルは完全にエルズバーグの一人称として撮られている。
敗戦を確信した絶望と、分析結果を歪曲された怒り、そして機密文書をリークすることの決意。要するに「事に至る経緯」をセリフやナレーションではなくエルズバーグの感情によって観る者に提示しているのだ。
ピクサーの困った傑作『リメンバー・ミー』(17年)でさえ第一幕では映画内ルールについてベラベラと能書きを垂れていたというのに、ただでさえクソややこしい政治映画『ペンタゴン・ペーパーズ』は、無言のうちに「何がどうなってこうなったのか」という事件の経緯を紐解いてみせる。
また、エルズバーグの3つの感情(絶望、怒り、決意)が眼だけで表現されているというあたりも純映画的だ。夜戦でのマシンガンで暗闇に明滅する目、嘘をまくしたてるマクナマラへの尻目、そしてコピー機が発する青い光に照らされた目。
◆右手にヤヌスを、左手にカーンを◆
撮影監督はヤヌス・カミンスキー。
名前だけ聞くと仮眠をとるのが好きな男なのか? なんて思ってしまうが、仮眠もとらずに『シンドラーのリスト』(93年)以降のスピルバーグの全作を手掛けた名カメラマンだ。まさに右腕。カミンスキーがなければスピルバーグもなし。
『レディ・プレイヤー1』はほぼCGだからカミンスキーの撮影はいまいち堪能できなかったが、本作はまさに面目躍如だ。
画作りに重きを置くことでカミンスキーの真骨頂をたっぷりと見せた『ブリッジ・オブ・スパイ』(15年)に比べて『ペンタゴン・ペーパーズ』はひどく込み入った話を116分で語りきったタイトな作品なので、先述したカミンスキーの撮影に加え、こちらはスピルバーグの左腕である編集技師マイケル・カーンの省略技法が火を吹く。
たとえば起訴されたワシントン・ポストの法廷闘争は、信じられないほどの思いきりのよさで省略される。裁判が始まって、次のショットではベンとキャサリンが口元に笑みを湛えて裁判所から出てくるのだ。
えっ、法廷シーン丸ごとカット!?
『デトロイト』(17年)のキャスリン・ビグローが出来なかったことを飄然とやってのける。そこにシビれる憧れるゥ。
あるいは、ニクソンに顔を与えないというのも省略技法の応用と言えるだろう。
ニクソン大統領はタイムズとワシントン・ポストに圧力をかける重要人物なので、通常であればニクソン役の俳優を登場させるだろうが、本作がしたことと言えば深夜のホワイトハウスの窓から室内でガミガミ怒鳴っているニクソンの後ろ姿をチラッと映すだけ。もしくは通話音声での登場となる。
この引き算の演出によって陰のフィクサー感とか不穏感がうまく出ていて、「良からぬことは夜に起きる」という予兆がラストシーンへと継受されるのだ。
◆髪型評論家として一言◆
まぁ、早撮りするあまり煮詰められていないショットや粗雑な編集も散見されて「園子温みたいだなー」と感じる部分もあるけれど、なんといってもメリル・ストリープとトム・ハンクスの初共演というパワートピックですよ。
メリル・ストリープは相変わらず技巧に走りまくりで「凄い」とさえ感じないのが当たり前なぐらい凄いのだが、驚くべきはトム・ハンクスだ。折に触れて私が提唱している「芝居をしない芝居」という逆説的な演技プランでベン・ブラッドリーという不屈の男を体現している。
…というのは実はタテマエで、ヘアスタイルがカッコイイというのが本音である。
色といい前髪の垂れ具合といい…、トム史上最高のヘアといえる(いつもより毛量多め)。
前髪というビッグウェーブ。この波に乗らない手はない。
というわけで、スピルバーグの技巧が堪能できてトム・ハンクスの前髪にもうっとりできる、そして何より今の情勢にも通じるジャーナリズム映画、それが『ペンタゴン・ペーパーズ』だ!
社会派映画なのにこんなまとめ方でいいのかしら。