シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ウエスタン

マカロニの巨匠がアメリカに捧げた献花

f:id:hukadume7272:20191101081509j:plain

1968年。セルジオ・レオーネ監督。チャールズ・ブロンソン、クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ。

 

荒れ果てた砂漠の土地に敷かれた鉄道の駅。水源を確保できる砂漠の土地を買ったアイルランド人マクベイン一家は、冷酷で腹黒い殺し屋フランクの一味に情け容赦なく惨殺される。悪名高い山賊のシャイアンは濡れ衣を着せられ、そしてこの砂漠にやってきたハーモニカを吹く凄腕ガンマンはある恨みを晴らすため、秘かに復讐を計画していた…。(Amazonより)

 

ちす、みんな。お前さんに撃ち込む「マンダム」の二発目だ。

前回の『デス・ハント』(81年)はそこそこ汗臭い評だったが、今回はそれを上回る熱量で書いたので割とグッタリしている俺がここにいる。でも次回アップする評はかなりライトな文章になっているので安心されたい。

余談だが、ようやく布団が手に入りました。とりあえず凍死コースは免れたので喜んでおります。やっぱり布団ありきだからなぁ、人生って。布団かマンダムかって言えば、そりゃあ断然布団ですよ。そもそも何なんだよマンダムって。わっけのわからん。

そんなわけで本日は『ウエスタン』だ。言わずもがなの歴史的傑作ですな。

f:id:hukadume7272:20191101081636j:plain


◆さらば西部◆

15年ぶりぐらいにセルジオ・レオーネを観返した。のちに『夕陽のギャングたち』(71年)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84年)へと続く「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の一作目『ウエスタン』(英題Once Upon a Time in the West

一般にレオーネといえばクリント・イーストウッドを3連続で起用した『荒野の用心棒』(64年)『夕陽のガンマン』(65年)『続・夕陽のガンマン』(66年)の「ドル箱三部作」が人気だが、マカロニ・ウェスタンの火付け役となった「ドル箱三部作」は、しかしその一方でやや生硬な出来栄えにおさまってもいる。それでなくとも、ついに円熟の域に達した『続・夕陽のガンマン』は大した傑作だが、誰もがこの映画でレオーネの才能は天井を打ったと確信した。

ところが『ウエスタン』では、さらに研ぎ澄まされ、深味を増したレオーネがキャリアハイの爛熟を迎えていた。本作はレオーネの美学と映像技術の粋を集めた作家性の結晶である。どれだけ褒めても褒めすぎることはないので思うままに筆を揮っていく。

 

『ウエスタン』ではこれまでの娯楽性を追求した「ドル箱三部作」から一転して滅びゆく西部への感傷時代に取り残されていく男たちの詩情豊かなドラマを全面に打ち出した超大作である。レオーネは『続・夕陽のガンマン』を最後の西部劇にするつもりだったが、かねてより出演オファーをかけていた名優ヘンリー・フォンダからオッケーサインが出たこと、そしてパラマウントが用意した潤沢な製作費に魅力を感じて「これを最後の西部劇にする。すべて注ぎ込む」と決めて本作の製作に取りかかった。

原案にはレオーネのほかに当時新人監督だったベルナルド・ベルトルッチと無名時代のダリオ・アルジェントが加わった。いずれもイタリア人である。

のちにベルトルッチは『ラストタンゴ・イン・パリ』(72年)『ラストエンペラー』(87年)でイタリアを代表する巨匠となり、アルジェントは『サスペリア』(77年)『インフェルノ』(80年)などでジャッロ映画(グラン・ギニョール趣味に彩られたイタリア製ホラー)の旗手となる。

当時衰退を迎えていたアメリカ製西部劇の伝統と向き合った本作には、レオーネのアメリカ原風景に対する惜別の念が込められている。西部の精神風土を持った古いタイプの男たちが経済発展によって滅びゆくフロンティアの中で最後の瞬間を生きようとする姿が描き出された『ウエスタン』は、いわばマカロニ・ウェスタンを撮り続けてきたレオーネの本家アメリカに対する献花なのだ。

したがって劇中ではさまざまなアメリカ製西部劇が引用されている。『真昼の決闘』(52年)『大砂塵』(54年)『捜索者』(56年)『決断の3時10分』(57年)『ワーロック』(59年)etc…。

 

最後はキャスティングである。

当時マカロニ・ウェスタンが色物扱いされていた頃に『荒野の用心棒』のオファーを断ったチャールズ・ブロンソンヘンリー・フォンダが三顧の礼に応じて出演を承諾した(尤も、二人が役を蹴ってくれたお陰でイーストウッドにお鉢が回ってきたのだが)。

主演がブロンソンで悪役がフォンダだ。『荒野の七人』(60年)『大脱走』(63年)で国際的スターになったブロンソンは最も脂の乗っていた時期で、片や全盛期を過ぎた63歳のフォンダは枯れた味わいをスクリーンに塗りたくった!

だがファーストシーンで最初にクレジットされたのはクラウディア・カルディナーレ。フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(63年)やルキノ・ヴィスコンティの『山猫』(63年)などイタリアの巨匠に重宝され、ブリジット・バルドー(BB)とマリリン・モンロー(MM)と並んで「CC」と称されたおっぱい女優である。ヒロインのクラウディアが最初にクレジットされた理由は、おそらく本作の物語が『山猫』に着想を得たためと思われます。

また、中立の立場をとる脱獄囚役にはジェイソン・ロバーズ。サム・ペキンパーの『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(70年)『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73年)を代表作に持つ男臭い役者だ。『大統領の陰謀』(76年)ではワシントンポスト編集長ベン・ブラッドリーを演じている『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』ではトム・ハンクスが演じた役)

音楽は両三部作すべてを手掛けた大家エンニオ・モリコーネ。撮影は『続・夕陽のガンマン』で一度組んだトニーノ・デリ・コリ『続・夕陽のガンマン』というあまりに巨大な自作を超えるためには同じカメラマンでケリをつけるしかない…ということか。

まさに空前絶後の布陣。役者は揃った。

f:id:hukadume7272:20191101083030j:plain

チャールズ・ブロンソン(左上)、ヘンリー・フォンダ(右上)、ジェイソン・ロバーズ(左下)、クラウディア・カルディナーレ(右下)。

 

◆プ~プ~プ~で返事すな◆

アリゾナ州の寂れた駅で3人の悪党がひたすら誰かを待つオープニングシーン。ようやく現れたのはハーモニカ吹きのガンマンで、彼は駅に呼び出したはずのある男が来ていないことを怪訝がっている。また、このガンマンは相手が言ったことに対してハーモニカを吹いて返事をする奴だった。プ~プ~プ~。なんと間の抜けた音色であろうか。

三人組はハーモニカ吹きを男のもとまで案内するつもりはないらしい。「俺の馬がいないようだが」とハーモニカ吹きが言うと、三人組は「おかしいな、どうやら一頭足りねえようだ」と返して含み笑いを浮かべた。するとハーモニカ吹きは…

いや、二頭あまるな

三人組はホルスターから銃を抜き取る間もなくハーモニカ吹きの銃弾を胸に受けて即死した。やれやれといった挙措で埃を払い、テンガロンハットから覗かせた顔はチャールズ・ブロンソン、その人であった。

唾でベトベトにしたハーモニカをしまい、馬に跨ったブロンソンは「ある男」の行方を追う。二頭あまった馬を残して…。

 

その頃、切り開いた山の家で再婚相手の妻を迎える支度をしていたある一家がダスターコートを羽織った5人組に虐殺される。首領はヘンリー・フォンダ。ブロンソンが駅に呼び出した男だ。フォンダは鉄道成金のガブリエーレ・フェルツェッティにぶら下がっているやくざで、土地を売らない人間とガブリエーレの「仲介」をしてトラブルを片付ける始末屋である。

そんなことなどつゆ知らず、都会からこの地へ嫁いできたクラウディア・カルディナーレは夫と継子たちが何者かに殺されたと知って悲嘆に暮れた。数日後、夫の家で暮らしていたクラウディアの前に脱獄囚ジェイソン・ロバーズが現れる。町では一家虐殺事件が自分の仕業だと噂されているロバーズは、クラウディアに弁明して「犯人はおそらくフォンダだ」と言う。

かくしてブロンソン、クラウディア、ロバーズにとってフォンダは共通の敵となる。クラウディアはこのドブネズミ野郎に家族を殺され、ロバーズはその濡れ衣を着せられた。唯一、ブロンソンの動機だけは分からないが、これは後ほど明かされる…。

f:id:hukadume7272:20191101085741j:plain

右から順にブロンソン、ロバーズ、クラウディア。

 

15年ほど前にはじめて『ウエスタン』を観たときは、たっぷり間を使ったレオーネの映像感覚がヤケにじれったく思えたものです。

さらぬだに本作の上映時間は165分。当時の私がこの映画に美を見出すにはあまりにノロく長い。だが、ようやくこの映画に深い感動と熱い興奮を覚えるほどには私も成長したということかっ。どうもありがとう。どうもおめでとう。

それはそうと、フォンダの手下3人が駅でブロンソンを待ち続けるオープニングの緊張感は一体なんなのか。

ブロンソンが現れるまでおよそ11分。その間セリフは一言もなし。3人のうちの1人は顔に付いたハエを振り払おうと必死で表情筋を動かし、1人は天井から頭上に垂れ落ちてくる水粒をテンガロンハットの縁に溜め続け、1人は指のストレッチをしている。これが延々11分続く。

もちろん初見者はこの3人がブロンソンを待っていることも知らなければ彼に瞬殺されることも知らないので、ただ意味も状況もわからない「待機」を10分以上見守ることになる。ただひとつだけ分かることはこの3人が只者ではないということだけだ。ハエ払い男は鮮やかな手つきでベンチに移動したハエを銃身の中に閉じ込め、水粒男はハットを脱いで十分に溜まった雨水を飲みほし、ストレッチ男は指の準備運動を終えて列車を睨む。ひゃー、めちゃ強そう。誰もがそう思う。

だがプープーとハーモニカを吹き散らかして観る者の失笑を買ったブロンソンが1秒と経たぬ間に3人を倒した瞬間、人はこの失笑ハーモニカおじさんへの見方を180度変える。こんな強そうな3人組をいとも容易く全滅させたブロンソンにマンダムを感じるのだ。

そしてこれこそがレオーネ流の間の美学だ。

11分もかけて散々われわれの期待を煽った3人を0コンマ数秒で全滅させる主人公。そこに宿る、確かなマンダム!

先述の通り、ハーモニカ吹きのブロンソンは人から話しかけられたり質問されたときには必ずプ~プ~プ~と3つの音色で返事する(どちゃくそ渋い顔で)。だから誰とも意思疎通できない。

そんな彼の役名はハーモニカ。

うそ――――――ん。まんまもまんまである。こんなに強くて渋いのにハーモニカ。音階のレパートリーが3つしかないのにハーモニカ…。

劇中でも皆からずっとハーモニカ、ハーモニカと呼ばれていて少し恥ずかしそうだった。

f:id:hukadume7272:20191101084919p:plain

ハーモニカ超かっけえ。音さえ鳴らさなきゃ超かっけえ。

 

ブロンソン、クラウディア、ロバーズは同一の時間軸の中でそれぞれの行動を取っていくが、かと言ってむやみにカットバックしないのがいい。

私のお気に入りは三者が面識のないまま酒場で顔合わせをするシーンである。家族を殺されたことを知らずに馬車に揺られるクラウディアが水を求めて立ち寄った酒場に、護送警官を撃ち殺した脱獄囚ロバーズが押しかけてきて酒を一気飲みする。店の隅にはブロンソンがいてロバーズと一触即発の空気になるが寸でのところで殺し合いは回避される。

この時たまたま店に居合わせた三者が、のちにフォンダという共通の敵を倒すために結託するわけだ。三者を引き合わせた運命の酒場とでも言ってみましょうか。

そのあと、夫を失ったクラウディアが鏡に映った自分を睨みつける長回しが二度ある。夫の遺産を使ってこの地に根を下ろすことを決意したのだ。もはや行く当てのない彼女は、荒野の真ん中に駅を作ろうと全財産をなげうった亡き夫の夢を引き継ごうとした。

一方、彼女の家を訪れて虐殺事件の犯人が自分ではないことを弁明したロバーズは、粗野に振舞いながらもクラウディアの母性に心惹かれている様子。

ロバーズおい、コーヒーを淹れろ!

(コーヒーを淹れてもらう)

ロバーズう、美味いじゃねえか…!(大いに照れる)」

あ、ロバーズかわいい。

f:id:hukadume7272:20191101091545j:plain

極悪人だが妙に茶目っ気のあるロバーズ。

 

しかし当のクラウディアは、フォンダを倒して家族の敵を討ってくれるのはロバーズではなくブロンソンなのだと確信していた。

クラウディア絶対ヤツを殺してね。勝算はあるのよね?

ブロンソン プ~プ~プ~

腹立つからハーモニカやめろ。

f:id:hukadume7272:20191101085834j:plain

ハーモニカ馬鹿のブロンソン。

 

その後、フォンダとその雇い主ガブリエーレの隠れ家が豪華列車の中であることを突き止めたブロンソンがあっさり捕らわれてしまい、この窮地を救ったロバーズと共闘しながらフォンダを追い詰めるシーケンスは問答無用の痛快劇である。

一方のクラウディアは、鉄道を敷き、駅を建設する労働者たちに井戸水を与えて労っていた。ロバーズにコーヒーを淹れ、労働者たちには水を与え、さらには後ほどクラウディアが風呂に入るサービスシーンにもあるように、彼女は水の女神として画面を潤す(本作でただひとり「汗だく」になっている人物でもある)。西部開拓期に於ける水は「発展」の象徴。そして彼女はこの地に根を下ろして亡き夫の鉄道建設事業を引き継いだ。クラウディアは「アメリカの未来」を築く女なのだ。

対する男たちは名誉や復讐のために弾丸を放つ時代錯誤の古時計。鉄道など無かったかつての西部を懐かしみ、やれ決闘だ報復だと、資本主義とは無縁の昔ながらの生き方しかできない不器用な奴らである。

三人の男女は互いに結託しながらも目的や志向がまるで違う。ブロンソンは復讐のため(動機は依然不明)、ロバーズは自身の名誉回復のため、クラウディアは未来のためだ。

f:id:hukadume7272:20191101091645j:plain

色気170%のクラウディア・カルディナーレ。

 

また、「結託」は別の形でも描かれる。

ブロンソンたちの予想外の追撃にフォンダが追い詰められたことでガブリエーレは彼を見限って直属の部下を買収、さらなる窮地に立たされたことを知らずに酒場でブロンソン相手に啖呵を切っていたフォンダが部下の闇討ちに遭いそうになっているところをブロンソンが助太刀する展開だ。

酒場二階のブロンソンが店外のフォンダに敵の位置をアイコンタクトで知らせて阿吽の連携で反撃に転ずる無言劇。ロングショットとクローズアップの去来が緊張感を高める。

またこのシーンでは、酒場の別室にいたクラウディアから「なんであんなヤツに手を貸すのよ!?」と訊かれたブロンソンが、この時ばかりはハーモニカで応答せずにこう答えた。

いま死なれちゃあ困るからさ。あいつは俺が仕留める

マンダァァァァァァァァム!!

映画やマンガでよく聞くセリフだが、これが男の世界(マンダム)なのだ。たぶん。

えらいもんで、激しく敵対した相手とは言葉や理屈ではなく感覚的に理解し合える瞬間が訪れるのだ。一周まわって「奇妙な情」が芽生えるわけだな。「別の野郎に殺されちゃあ堪らない」という、恋愛にも似た嫉妬交じりの感情である。もう少し論理的に説明するなら「このオレがここまで執念を燃やした相手がその辺のしょうもない奴にやられてミジメに死なれるとオレの沽券に関わるし、ひいてはオレ自身が殺されたも同然だ」ということである。

つまるところ「ライバル」というのは自分の価値や実力を投影した対象なのである。

ブロンソンにとってはフォンダがそうだった。ライバルとは自分自身なのだ。ライバルが敗北を喫する姿は見たくない、という心理はそうした理由に依る。たぶん。

f:id:hukadume7272:20191101091050j:plain

極悪人フォンダ。ブロンソンと同じく青い目をしていることがライバル関係の証です。

 

◆さらば西部、再び◆

本作は公開当時に批評家から冷たくあしらわれ、「ドル箱三部作」の持つ娯楽性から大きく外れた内容だったためアメリカでは興行的にも惨敗した。まったく皮肉な話である。アメリカへのラブレターみたいな映画なのに。

実際、レオーネの達意はマカロニ特有の仰々しさの中でアメリカ製西部劇の正統性を打ち出すことにあった。鉄道を通そうとする無法者に立ち向かうクラウディアは『大砂塵』のジョーン・クロフォードだし、ブロンソン×フォンダの共闘シーンでは『真昼の決闘』でインサートされたような時計が演出に使われている。そして雲とモニュメントバレーはあくまでフォード風に撮る。

こういうところを観ないで、レオーネの間の取り方に「長いよー。じれったいよー」とブツブツ言って酷評したのがアメリカの素晴らしき批評家たちなのである。

おまえらは15年前のオレか?

エンニオ・モリコーネの叙情的な劇伴と手を取り合うように西部劇のケレン味を網羅していくウエスタン・オペラ。人はただ甘美なフィルムの旋律に酔い痴れ、ブロンソンが吹き散らかすハーモニカに「音色だっせ」と笑っていればよい。

レオーネ印のロングショットとクローズアップの対比はキャリア史上最高のダイナミズムを湛え、冗談としか思えないほど遠近が付けられたパンフォーカスの強度、そこにフレームインするブロンソンの貌…と、まさに全身にレオーネを浴びるかのような165分。神経細胞が破壊されそうだ。モリコーネが鳴っていない間は風車の渇いた回転音や列車の喘ぐような走行音が映像に詩を代筆する。オレはもうダメかもしれない。神経細胞が…。

 

当然クライマックスを飾るのはブロンソンとフォンダの決闘だ。舞台は鉄道建設が進められている荒地。かつての西部が消えゆくその地で二人が対峙するロングショットは本作が最後の西部劇と決めたレオーネにとっても「夢の終わり」だったのだ。

近くの家に籠ったロバーズが「決闘を見にいかないの?」と訊ねるクラウディアに「見る必要はない。勝った者がこの家にやってくる。そして荷物をまとめて出ていく」と答えたセリフが実に微酔的なムードを醸している。ちなみにこのセリフには3つの意味が隠されているが説明はせずにおく。

そして勝負の直前に挟まれるフラッシュバック(回想シーン)で初めて二人の因縁が明かされる。ブロンソンがハーモニカ吹きになった理由も明かされます。

この決闘シーケンスは編集がすばらしく、回想シーンが終わった瞬間に二人が銃を抜き、一切は観客の反射神経の及ばぬうちに決着がついてしまうのだ。目にも止まらぬ場面転換。そして場面転換と同時に決着する二人。

フォンダが銃弾を受けた勢いで真後ろにクルッと回るショットがたまらなくいい。ここは何度も繰り返して観た。ちなみに私を映画の世界に引きずり込んだのは『狼たちの午後』(75年)で銀行強盗に入ったアル・パチーノが箱からライフルを取り出す僅か数秒のショットだが、フォンダの半回転はそのショットに比肩しうる画面の強度を湛えていた。

決闘に勝利したブロンソンはロバーズとクラウディアが待つ家に現れ、荷物をまとめてロバーズと共に出発する。ひとり残されたクラウディアは、きっとこの地に駅を作り、新時代のアメリカを築いていくのだろう。

道中で落馬したロバーズはガブリエーレ討伐の際に深手を負っており、ブロンソンに「先に行ってくれ」と言い残して絶命する。ブロンソンは表情ひとつ変えず荒野を歩きだした。

f:id:hukadume7272:20191101084426j:plain

 

この映画の見所は主人公の交代劇である。

訊かれたことにハーモニカで返事する凄腕ガンマンという強烈なキャラクターで画面をさらったブロンソンだが、やがてストーリーは西部開拓史の過渡期に立ち会うクラウディアの視点から俯瞰されていく。また、メタ視点を用いればフォンダの映画でもあるのだ。本作は多義的な解釈を許す「広い映画」なので人によって捉え方は異なるだろうが、私は悪党のフォンダこそが真の主人公だと思う。

若い娘や幼い子供を躊躇なく殺害したフォンダだが、結局のところは鉄道成金の傀儡、いわば時代の歯車に過ぎないというやるせない事実が巨視化する。ブロンソンたちが敵とみなしたフォンダは大陸横断鉄道によって工業的発展を遂げようとするアメリカそのものだったのだ。

また、この映画がヒットに至らなかった理由には『荒野の決闘』(46年)『十二人の怒れる男』(57年)などで「アメリカの良心」を体現したヘンリー・フォンダが極悪人を演じることにアメリカ国民が拒否反応を示したことが挙げられる。だが、一俳優が背負った…あるいは背負うハメになった「アメリカの良心」など所詮マヤカシに過ぎないのだ。

というのも、ヘンリー・フォンダの二人目の妻フランシスはフォンダの浮気癖を苦に自殺、二人の間に産まれたジェーン・フォンダとピーター・フォンダは10年以上に渡ってメディアで父を非難し続けたが、初めて善人のイメージを脱ぎ捨てた『ウエスタン』で最低の悪党を演じきった父を見たジェーンはこの役を引き受けたことが自分たちへの贖罪だと感じて涙を流したという。

ちなみに本作とほぼ同時期に公開された『バーバレラ』(68年)はジェーンの代表作となり、『イージー・ライダー』(69年)はピーターの代表作となった。

f:id:hukadume7272:20191101094633j:plain

フォンダ家。ジェーン・フォンダは反戦運動家として過激な政治活動をおこないFBIやCIAから監視されるほどのビッグスターに。息子ピーター・フォンダはマリファナやLSDを服用しながら撮影した『白昼の幻想』や『イージー・ライダー』でヒッピー・ムーブメントのシンボル的存在に。ちなみに孫はブリジット・フォンダ。90年代に人気を博したが成金と結婚して早々に女優を引退した潔い女。

 

『ウエスタン』は最後の西部劇として撮られた作品だが、レオーネは続く『夕陽のギャングたち』でまた西部劇を撮るという裏ぎりに出て「どないやねん」というツッコミを世界中から受け、モジモジしながら照れました。

その13年後、禁酒法時代のニューヨークを舞台にした『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で、ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ、ジェニファー・コネリーといった次代のスターを使った一大叙事詩を完成させたレオーネは過労による心臓発作で60年の生涯に幕を下ろした。

『ウエスタン』で西部開拓時代を描いたあとに『ワンス・アポン~』で大恐慌まで時代を進めたレオーネは、次作にレニングラード包囲戦を題材にした戦争映画を死の直前まで構想していたという。西部開拓時代を描き尽くした彼はクラウディアのように未来を目指したが、志半ばで病に倒れ、その魂は西部に連れ戻された。

「西部劇の名匠セルジオ・レオーネ」という言葉の裏には、だから、こうした意味が込められている。本作に付けられた邦題がすべてを物語っていたのだ。

『ウエスタン』

f:id:hukadume7272:20191109083628j:plain