シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

静かなふたり

静謐ながら眠くはならないフランス映画。

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2017年。エリーズ・ジラール監督。ロリータ・シャマ、ジャン・ソレル

 

田舎からパリへ越してきたばかりの27歳のマヴィ。不器用な彼女は都会でのせわしい生活になじめないでいた。ある日、従業員募集の張り紙を頼りに訪れたカルチェ・ラタンの小さな古書店で謎めいた店主ジョルジュと出会う。書物を通じて心を通わせた2人は互いの孤独を共有し、祖父と孫ほどの年齢差がありながら次第に惹かれあっていった。しかし、ジョルジュには謎に包まれた過去があった…。(映画.comより)

 

先日、テキトーに買ったボディソープが保湿に命懸けてますみたいなタイプですっげえヌルヌルして嫌な気持ちがします。洗っても洗ってもヌルヌルが残るんよ。

私はね、私というのはね、風呂にせよ食器洗いにせよ洗い残しというのが大嫌いで、断固ヌルヌル反対という思想信条の人間なのです。ヌルヌルいや。キュッキュしたい。肌も食器も、キュッキュしたい。

ちなみに私が購入したボディソープはクラシエから出ている「ラメランス」という商品で、お肌のラメラを守ってくれる世界初の洗浄技術「ラメランス・テクノロジー」とか言うわけのわからないテクノロジーを導入した画期的な商品らしく、イメージキャラクターの竹内結子「ラメランスはええでー。みんな買うてやー」なんつってクラシエの回し者になっているのだけど、私はラメランスがダメダンス

でもお風呂に入るたびに竹内結子に見つめられているようで、ちょっとドキドキするランス。

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みんな、こういうシールって剥がしてますか? 剥がすもんなんですか? 剥がさなかったらどうなるんですか?

 

というわけで本日は静かなふたり静かにひとりでレビューして参ります。よろしくどうぞ。

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フランス語ぼそぼそ問題はクリア◆

たとえば、趣のある雑貨屋とか頑固爺がいつも一人で店番している古書店などにフラッと入って何を買うでもなく店内を漫ろ歩くとき。あるいは、好きな音楽を聴きながら夕暮れの商店街をぶらついて家路に着く人々の少しくたびれた顔を視界の端に捉えたとき。たまたま白い野良猫と目が合って「あ、かわい」と思ったとき。

静かなふたりは、そうした日常の瞬間に宿る情緒を切り取って丁寧に積み上げたような「生活の品」とでも言うべき清涼感を含んだ小品である。

 

田舎からパリに越してきた女性が本屋を営む老人と知り合って恋に落ちる…という筋だが、ここには絵葉書になるような壮麗なパリなど一瞬たりとも顔を覗かせはしないし、男と女が歳の差(40歳以上!)を乗り越えて愛し合うようなプラトニック・ラブが下品にスクリーンを湿らせることもない。

もしもこの評を読んだあとに本作を観る人がいたとして、私が映画.comからパクってきたあらすじ紹介とはまるでかけ離れた内容に驚くかもしれない。

フランス映画とは大体そういうもんだ。

「物語のおもしろさ」よりも「叙情の豊かさ」に第一義が置かれるため、「この映画はこういう話で…」なんてストーリーを語ったところでそれは何も語っていないのと同じなのだ。

だから「フランス映画が苦手」とか「何を観ても退屈で眠くなる」という人が多いけれど、そういう連中の感覚は要するにトロい。

とはいえ「何を観ても退屈で眠くなる」という主張はわからなくもない。フランス語はぼそぼそ喋るから眠くなるのだ。「ジュテーム…ジュテーム…」なんつってな。かくいう私もそれで何百回居眠りしてきたことか。一度フランス人の頭をフランスパンでシバいてやらねばなるまい。

だが本作はフランス語ぼそぼそ問題をクリアしているので安心されたい。男も女も無口ではあるが、まぁハキハキ喋る。おまえは弁論大会決勝戦の高校生か? というぐらいハキハキ喋ってくれるので、大いに助かるわけだ。寝ずに済んだ。

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◆やけに切り替えの早いロリータ◆

ヒロインはロリータ・シャマ。当ブログでは折に触れて名前を出すことでお馴染みのフランスの名女優 イザベル・ユペールの娘である。

そんなロリータ、女優としてのキャリアは大家クロード・シャブロル『主婦マリーがしたこと』(88年)でユペールとの親子共演に始まっているようだが、ロリータは当時5歳なので(ロリータだけに)どのシーンに出演していたのかまったく覚えていない。

その後もチラチラと女優業を続けていたらしいが、寡聞にして私はこの映画で初めてロリータを知った。

ていうかロリータて。

なぜこんな名前にしたのか。今年で35歳でっせ。さすがにキツいだろ、ロリータは。

 

そんなロリータと恋に落ちる遥か年上の本屋店主がジャン・ソレル。ジジイです。

ルキノ・ヴィスコンティ熊座の淡き星影(65年)ルイス・ブニュエル『昼顔』(67年)を代表作に持つフランスのベテラン俳優だ。

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ロリータ・シャマ(右)とジャン・ソレル(左)。

 

監督のエリーズ・ジラールはこれまでに中編ドキュメンタリーを2本手掛けたあと『ベルヴィル・トーキョー』(11年)で長編劇映画デビューした女性監督。

本作の特異な点は、親子ほど歳の離れた男女の恋愛を、いわゆる「恋愛」としては描いていないという奇妙な愛の形である。

男は店に来た客を「帰れ」といって追い出し、女は店内に散らばった本や段ボールをせっせと片づけてゆく。二人の間にはエスプリな会話が時おり顔を覗かせることはあっても、距離を縮めようとする男女が交わすような親密な語らいや相手への質問はタブーのように禁じられている。

まるで「何を語るか」よりも「何を語らないか」によって愛を育むように。

f:id:hukadume7272:20181001031633j:plain基本無口なふたり。 つまり静かなふたり

 

そして中盤が過ぎたころ。男は、自分が赤い旅団(イタリアの極左テロ組織)の生き残りで警察に追われているという突拍子もないカミングアウトをして「僕のことは忘れてくれ。グッバイ、ララバイ、売上横這い」と綴った置手紙を残し、売上横這いの本屋を丸投げして国外逃亡する。

このシーンによって急にポリティカル・サスペンスのような劇映画に傾くが、次のシーンでは若い彼氏を早々にゲットした女が、男が残した本屋を継いで幸せそうに暮らしていた。

切り替え、早っ。

去る者追わずの精神、すごっ。

アッという間に女の人生から忘れ去られた男は、束の間の逃亡生活を終えてパリに戻り、新しい恋人と楽しくやっている女を遠目から見て「切り替え、早っ」とショックを受けるのだった。

「たしかに『僕のことは忘れてくれ』とは言ったけど、まさかこんなに早く忘れられるとは想定外でした。ララバイ」みたいな何とも言えない顔のクローズアップで幕引きとなり、エンドロールが静かに流れていく…。

なんやこれ。

 

撮影監督のレナート・ベルタは、ゴダールをはじめ、ストローブ=ユイレエリック・ロメールマノエル・ド・オリヴェイラフィリップ・ガレルなど錚々たる名匠の作品を手掛けてきた名カメラマン。劇中で顔のクローズアップが一度もなかったのはこのラストシーンのためか。

邦題の通り、男と女も、パリの景色も、束の間の愛も、すべてが静かだった。

 

追記

イザベル・ユペールは本作を激賞している。娘の主演作なのだから、そりゃ褒めるか。実際そこそこ良い映画だったけど、イザベル・ユペールの激賞ぶりにはちょっと引いた。

わずか70分の小品なので、本作はフランス映画を苦手とする人にとっての克服のチャンスかもしれません。

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