愚作。『エル ELLE』の完全下位互換。帰れ。
2018年。ブノワ・ジャコー監督。イザベル・ユペール、ギャスパー・ウリエル。
ベルトランは他人の戯曲を盗作して作家デビューを果たし、成功を手に入れた。周囲から2作目を期待されるものの思うように筆が進まないベルトランは執筆の場である別荘に到着した。するとそこには吹雪で立ち往生した男女が勝手に窓ガラスを割って部屋に侵入し、くつろぐ姿があった。怒り心頭のベルトランはバスタブでくつろぐ娼婦エヴァに文句を言うために近づくが、一瞬にして彼女に心を奪われてしまう。(映画.comより)
みんな、こんにちは。
100円ショップに行ったらついつい余計なものまで買ってしまう…という人は多いが、要するにそういう奴らは夢見がちなんだと思う。
かく言う私も先日スーパーで惣菜各種が半額になっていたので「しめた」と思い、餓鬼のごとき強欲さで買い物カゴにばんばん放り込んでレジスターにゴーしたところ、普段の額をはるかに上回る銭をおばはんに請求されて「やんぬるかな」と思いました。
要するに私は夢見がちだった。半額の惣菜をカゴに放り込みながら甘き夢に酔い痴れていたわけだ。
100円ショップだからつい余計なものまで買いがち…という夢見イムズは理解できるが、夢というのは醒めるから夢なのであって、そこには必ず何かしらの落とし穴がある。
私は学生の時分に100円ショップに従業していたことがあるから分かるのだけど、はっきり言って100円ショップの商品はすぐ壊れるように設計されています。邪悪な罠です。
ていうか100円ショップに限らず、あまねく日用品というのは耐用期間が短めに設計されている。
たとえば針金製のハンガーは使っているうちにヘシャヘシャに曲がるし、プラッチック製のハンガーは急に悲鳴をあげて折れたりする。かしこは最初から鉄製とか木製を購入するが、私のようなビンボッタレのバカタレ愚民は針金製やプラッチック製を買ってすぐダメにして買い換える。死ぬまでこれの繰り返し。紛うことなき資本主義の豚。
もちろん、もっと頑丈に作ろうと思えば作れるけど、それをやっちゃうと世の中のありとあらゆる商品が「一度買えば済むもの」になってしまい、そうなるとモノが売れなくなってスタッフ各種が死ぬる。それは困るっつうんで、ほどほどのタイミングで壊れるように設計されているという寸法だ。
そして消費者たる我々もまた、モノが壊れることを秘かに望んでいるのである。「これを早く使いきって新商品をゲットしたい」という浅ましき欲望。文房具、衣服、化粧品、電子機器、車、家、果ては友人や恋人まで…。
これぞ夢。夢とは人々の果てなき欲望を吸い込んでは吐き出す資本主義そのものである。
It's a wonderful world.
暗い話をしてしまった。
この辺でやめておかないと前置きを超えて一本の随筆になってしまうので、そろそろレビューに参りましょう。本日取り上げたるは『エヴァ』。
んんんんんんゲリオンじゃない方!
◆またこの路線?◆
イザベル・ユペールが魔性の女を演じると聞いて、多くの人は「また?」と思ったはずだ。ついこないだの『エル ELLE』(16年)でも似たような役をやっていたからだ。
しかし、私が発した「また?」はダブルミーニングになっている。
イザベル・ユペールが立て続けに似たような映画に出演したことへの「また?」と、この映画がジェームズ・ハドリー・チェイスの小説『悪女イヴ』を原作にした『エヴァの匂い』(62年)に続く二度目の映画化ということへの「また?」である。
もうええゆうね。
無論、心証はよくない。
似たような役現象でいえば、われわれは最近『女神の見えざる手』(16年)と『モリーズ・ゲーム』(17年)のジェシカ・チャステインに対して「またこの路線?」と思ったばかりだし、歳ばかり重ねて一向に爛熟を迎える気配がないブノワ・ジャコーが『エヴァの匂い』に挑みかかるなど百年早い、とも思うわけだ。
ちなみに『エヴァの匂い』は監督ジョセフ・ロージー、主演ジャンヌ・モロー。名匠と名女優が組んだフランス映画のクラシックのひとつだ(あまり良い映画とは思わないけど)。
『エヴァの匂い』のジャンヌ・モローさん。『古典女優十選』で第8位に輝きました。
そんなわけで、ふたつの意味で「また?」なんです。
さぁ、どうしてくれる。
こちとら本編を観る前からすでにご機嫌ななめ。
ここからどうやって挽回するのでしょうか。どうやって私の機嫌を直すつもりなのでしょうか。最終的にこの映画は私をニッコリさせることができるのでしょうか。
参ります、お手並み拝見。
◆思わせブリトニー◆
たったいま映画を観終えて、こうしてパソコンの前で文章を打っているけどね…、ほぼキレてます。
観る前からすでにご機嫌ななめ…というのがクッションになっていたので全ギレはしないが、せめてほぼギレぐらいはさせてくれ。それぐらいする権利はさすがの俺にもあるだろう?
まずもってプロットがしっちゃかめっちゃかである。「しっちゃかめっちゃか」なんて久しぶりに使ったわ。
高級マンションの一室で今にも死にそうな老作家がオレ様トークをおっぱじめ、それを黙って聞いているギャスパー・ウリエルに「風呂に入れてくれ」と要求する。
ギャスパーが老作家の服を脱がせてバスタブに浸からせたので、こちらは「あ、この男は介護士なのね」と思う。普通思うだろ?
すると老作家はギャスパーに金を渡して「実にいい湯だ。君も入りたまえ」と言って狭いバスタブの中に誘い、彼の方も言われるがままに服を脱ぎ始めたので「あ、この男はゲイ専門の男娼だったのね」と思う。普通思うだろ?
ところが、老作家はいきなり「ほぅ! ほぅ!」なんつって発作を起こして死亡。バスタブの藻屑と化す。ギャスパーはこれを好機とばかりに老作家が書いた戯曲の原稿をデスクから盗んでマンションを後にする…。
なんとギャスパーの正体はスランプに陥った劇作家だったのだ!
あ?
なにこの紛らわしい導入。
老作家をスッポンポンにして風呂に入れたから、てっきり介護士と思うじゃない。
そのあと金を受け取って自分も服を脱いだから、てっきり男娼なのかと思うじゃない。
だけど「実は劇作家でした」って。なんやそれは。思わせブリトニーか。
じゃあ金のやり取りは何だったのか。なぜ老人介護みたいなくだりがあるのか。まるで辻褄が合わねぇ。辻と褄が駅でバイバイしてもうとる。
おそらく製作サイドにとってはギャスパーと老作家の関係性が何かしらの形で明確に存在するのだろうが、いかんせん説明不足のうえに紛らわしい描写をしているせいで観る側としてはただただ混乱する。
死んだ老作家の戯曲を盗作して大成功したギャスパーは、次作の執筆に行き詰まるあまりユペール演じる謎の高級娼婦にやたらと入れ込む。
セクシーな恋人がいるにも関わらず、はるか年上の謎めいた娼婦によろめき通しのギャスパーは金を注ぎ込んでユペールとの密会を続ける。一方のユペールは完全に仕事と割りきっており、ギャスパーには無関心。
まるで「遊んで遊んでー」と駆け寄ってくる犬と「ふんっ」とそっぽを向く猫。
まぁ水商売の縮図というか、キャバクラやホストクラブそのものである。
イザベル・ユペール、65歳で娼婦役!
◆つまらなっ◆
そんなわけで中盤以降は劇作家ギャスパーと娼婦ユペールのミステリアスな交流が描かれる。
ところがですねぇ…、これが全然おもしろくないの。
二人が会って取り留めのない会話をして別れて、また会って取り留めのない会話をして別れて…というのが1時間ぐらい延々繰り返されるだけで、二人の関係がまったく進展しないまま映画は終わってしまう。会話の内容も凡庸そのもの。まさに死に時間。
ユペールが獄中の夫の面会に行くシーンが二度繰り返されるが、この夫婦の関係性もいっさい示されず。なぜ妻が娼婦をしていて夫が獄中にいるのか…という疑問は最後まで棚上げされたまま。そもそも夫が物語にまったくコミットしないのでこの面会シーン自体が無用の長物。
次の作品を期待されたギャスパーはユペールとの関係性をそのまま戯曲にするが、事情を知らない恋人から「セリフが凡庸だし進展性がない」とダメ出しを受ける。
その通りだよ!
皮肉なことに恋人のダメ出しは本作そのものに対するダメ出しでもある…というあたりが自嘲的でおもしろいけど、作り手はそんなことにも気づいてなさそう。
ギャスパーは書きかけのクソ戯曲をおもしろくするために、自分がユペールを追うばかりではなく彼女を自分に惚れさせようとする。「これまでは彼女の虜にされていたが、今度はオレが彼女を虜にする番だ。オレなしではいられない身体にしてやるー 」などと言って大いに張りきった。
なるほどな、とは思う。そもそも論として劇作家なのに実体験しか書けない時点で想像力皆無なのだが、やろうとしていることは分かる。恋のマウントを取ることで二人の関係(ひいては書きかけの戯曲)をドラマティックなものにしたいわけね。
だが実行に移さない。
いざユペールを目の前にすると緊張してあうあう言っちゃうギャスパー、まったくセックスアピールできないまま結局いつも通りに振舞ってしまう。「オレなしではいられない身体にしてやるー」なんつって張りきってたのに一向に主従関係が変化しないのだ。そもそもユペールはギャスパーとの関係を仕事と割りきっていて完全に脈ナシだしね。
つまり何も起きない。これまで通り、二人が会って取り留めのない会話をして別れて…が延々繰り返されるだけ。
つまらなっ。
まったく進展しない両者の関係。
◆帰れ◆
思えば『エヴァの匂い』のジャンヌ・モローは男を狂わせる妖婦だったが、本作のユペールはギャスパーを狂わせたりはしない。ギャスパーが一人で狂っていくだけ。
この手のヴァンプ(妖婦)映画というのは、なぜか男を惹きつける魔性の女を凄艶に描写するからこそ愛の不条理性とか男女関係の奥ゆかしさが立ち現れてくるものだが、本作はなぜか魔性の女に惹きつけられる真性バカ男の方にスポットを当ててしまっているので、ただギャスパーが妄想症的で滑稽な独り相撲を演じているようにしか見えないのだ。
実際、この映画のイザベル・ユペールはビビるほど精彩を欠いている。まったく魅力的に見えないし、匂い立つような色香もない。それはブノワ・ジャコーに女を撮る素質が1ミクロンたりともない…という悲しい事実もさることながら、映画の視点をギャスパーに寄せすぎたのがそもそもの原因だろう。
現にこの映画には、娼婦を中心とした題材にも関わらずベッドシーンのひとつも見当たらないというあるまじき事態が巻き起こっている。
帰れ。
娼婦の話なのにベッドシーンを撮る度胸もないならもう帰ってしまえ。ブノワ・ジャコー。タクシーで帰れ。
映像的にも「この監督…本当にキャリア40年?」と思うほど酷くて。
突発的なトランジション(場面転換)のせいでシーンの継ぎ目が非常に気持ち悪く、変拍子だらけの実験音楽を聴かされているような居心地の悪さを覚える。
そして静かに会話する二者を切返しショットではなく何故かスウィッシュ・パンでビュンビュン捉えていくという頭のおかしいカメラワークに唖然。
帰れ。ホッピングで帰れ。
スウィッシュ・パン…超スピードでカメラを横振りする撮影技法。「あれを見ろ!」と言った人物のあとにその対象物に一瞬でカメラを向ける…といった使い方をするものであって普通の会話シーンで使うのは頭おかしいです。
ホッピング…注射器みたいな棒を使ってバランスを取りながら縦横無尽に飛び跳ねるオモチャ。1950年代にキッズの間で流行ったが「やり過ぎると胃下垂になる」という噂が広まったことでブーム終了。最近のホッピングは3mも上昇するらしい。
こんな映画を観るぐらいなら『エヴァの匂い』を観た方が遥かにすてきな時間を送れるし、ユペールを楽しみたい人は『エル ELLE』を観た方が充実した気持ちになれるはず。
『エル ELLE』はもう観たよという方には『アスファルト』(15年)か『未来よ こんにちは』(16年)がおすすめです。
あと、本作は『新世紀エヴァンゲリオン』とは何の関係もないのでエヴァファンは間違って観ないように注意されたい。碇シンジ君がヒス起こしながら操縦桿ガッコンガッコンする方のエヴァじゃないからね。
残酷な妖婦のテーゼ。
『エヴァ』を観るぐらいならこっちを観ましょう!