一撃必殺の原萌え映画。
1949年。木下惠介監督。佐野周二、原節子、佐田啓二。
自動車修理業で成功した圭三のもとに、華族の令嬢である池田恭子との縁談が持ち込まれた。身分が違いすぎると圭三は興味を示さなかったが、お見合いで実際に会ってみると恭子は高慢なところがなく、すっかり彼女を気に入ってしまった。結婚の承諾を受けた圭三は舞い上がり、池田家を訪問。そこで恭子の父が詐欺事件の巻き添えで刑務所にいること、池田邸も抵当に入っていることを知る。金目当ての結婚かと失望する圭三だったが、恭子への愛は深まるばかり…。(Yahoo!映画より)
どうも、おまえたち。実は数日前から鼻風邪を引いているのだけど、そんなことをおくびにも出さずに日々更新し続ける『シネマ一刀両断』ってすげぇブレイブハートだと思います。
とにかく鼻水が留まるところを知らないので一日にティッシュを60枚ぐらい使用、喉もイガイガするので美声を響かせて広瀬香美の「ゲッダン」を歌うこともままなりません。薬を飲もうとしたら使用期限が2年過ぎていました。仕様がないので酒を飲みながら煙草を喫んでいます。
揺ーれるまーわる振ーれる切なーい気持ちー。
つうこって『お嬢さん乾杯!』を久しぶりに観返したので、本日は此れをレビューして参ります。とても乾杯する気分にはなれないけれど。
◆メグ、クレしん、木下惠介◆
戦後、GHQの統制下にあって日本映画がガチガチに管理されていた頃の作品だ。親しみやすいですねぇ。
本作は没落華族の令嬢と新興成金の青年の恋を描く爽やかなロマンティック・コメディなのでメグ・ライアンの映画を観る感覚でお楽しみ頂ける(マジでマジで)。
主演は木下映画初出演の原節子と、戦後のスター佐野周二(関口宏のリアルダディ)。
原節子といえば小津映画の常連だが、今回の木下映画ではまったく新しい表情を見せてくれる、原萌えに満ちた作品なのだ。
そんな原節子、なんと栄えある『古典女優十選』において第2位にランクインするという功績も残している。2015年に亡くなったときはトイレにこもって90秒泣いたほど好きな女優だ。
さて。木下惠介が「人情と感傷の人」であるかのように認識されているのは、多分に『二十四の瞳』(54年)が独り歩きしたことによる。ところが『花咲く港』(43年)、『破れ太鼓』(49年)、『カルメン純情す』(52年)などに垣間見える狂ったコメディセンスとシニカルな才気こそが彼の本領。『破れ太鼓』でも情緒むちゃむちゃの親父がカレーを食ったり投げたりしていたように。
劇場版『クレヨンしんちゃん』で知られる原恵一が初の実写監督として木下の自伝映画『はじまりのみち』(13年)を撮っていたが、木下のコメディには『クレヨンしんちゃん』にも通じる狂った笑いが通底しているのである。
『クレヨンしんちゃん』は観るのになんで木下惠介は観ないんですか?って話になってきますよね。こうなってくると。
◆喜びすぎて危うく自殺◆
自動車修理業で一財産を築いた佐野周二のもとに得意先の専務が縁談を持ち込み、半ば強引に華族の令嬢・原節子とお見合いをさせられる。天女のように美しい原を見て自分には分不相応だと乗り気になれない佐野だったが、周囲から背中を押されて「やったるでー、結婚!」と一念発起、原と順調にデートを重ねていく。
それまで結婚願望がなく恋にも奥手だった佐野にようやく訪れた春を、映画は過剰なまでの演出で祝福する。
佐野は、義弟の佐田啓二がアコギを爪弾きながら歌ってくれた「お嬢さん乾杯」というわけのわからない曲をベッドに横臥して聴きながら「いいなぁ、原ちゃん。可愛いなぁ、原ちゃん」などとニヤついて原に想いを馳せるのだ。
義兄が原に想いを馳せてる間も、義弟はアコギをぺろぺろ弾きながら「ラララー」なんつってずっと歌ってる。
仲よすぎ。
恋愛モードに入った兄貴を祝福するために弟が恋愛ソングを弾き語ってあげるとか(しかもいい年した大人が)。
また、その曲をいたく気に入った佐野は「自分でも歌えるようになりたーい」などと言ってギターを練習して完コピするまでに至るのである。
『破れ太鼓』でも思ったけど…キャラの心理がよくわからんわ。
ちなみに義弟役の佐田啓二は、ミキプルーン俳優としてお馴染みの中井貴一のリアルダディ。すげえ二枚目である。したがって以降はミキプルーンダディと呼ぶことにする。
佐田啓二(左)と中井貴一(右)。
そして佐野のアパートに原から掛かってきた結婚承諾の電話。一階の大家が取り次ぐと、カメラが三階の佐野の部屋までクレーンで上昇していき、ややあってガッツポーズで部屋から飛び出す佐野をクレーン・ショットが捉える。
そのあと、あまりの嬉しさにミキプルーンダディをバイクの後ろに乗せて意味もなく町内を周回し、「どこへ行くんだい?」とのプルダディの問いかけに「あの世に行くのさ!」と叫んだ佐野はハンドルから手を放して両腕を広げる。
まさにバイク版『タイタニック』(97年)。まさにただの自殺行為。
肝を冷やしたプルダディは「テメェ、死んじまうだろうが!」と一瞬マジギレする。
イカれてやがる。
この、木下コメディに見られるクレイジーな感情表現は『カルメン純情す』にも顕著だが、その大元にはハワード・ホークスの影響があるのだろう。木下映画のキャラクターは「死ぬほど嬉しい」という物の例えを例えではなくマジで表現するので、傍から見るとアブない奴に映るのである。
若返り薬で幼児退行したケーリー・グラントが奇声を発して駆け回る『モンキー・ビジネス』(52年)のように。
◆一撃必殺の原萌え◆
このように大変慌ただしい作品なのだが、佐野と原がデートするシーンではラブコメ的な愉快活発なトーンは抑制され、男女の機微が細やかに素描されていて、このメリハリが実に巧い。
原は、舞踊を鑑賞してわけもなく涙した佐野の繊細な性格に惚れ込んだかと思えば、大声をあげて拳闘を応援する佐野の粗野な振舞いに戸惑ってみせたりなど、男女の温度差が実に奥ゆかしく表現されているのだ。
しかし、原の父親が刑務所に入っていて、立派な屋敷もすでに抵当に入っていると知った佐野は、この結婚が金目当てだと邪推して、次第に原との関係も疎遠になってゆく。
おまけに彼女には亡き婚約者がいて、未だにその人を想い続けているのだ。
苛立つ佐野。
佐野「あなたは本当に僕のことを愛してくれてるンですか? 本当に結婚したいと思ってるンですか?」
原 「だってあなたほど好い人はいませんもの。素敵な方ですし、経済力だっておありですし…。これで結婚しないと言う女性なんておりませんわ」
佐野「ハイ出たァ、好い人! そこなんですよ! しょせん僕は好い人どまりの成金なんだ。あなたは心から僕に惚れちゃいないンだ!」
原 「めんどくさ」
佐野「えっ…?」
原 「めんどくさ」
佐野「…………」
原 「…………」
没落して家計グラグラの家族を守るために甘んじて資産家に嫁ぐ…という自己犠牲の精神は実に原節子らしい。
だが、木下映画のヒューマニズムは妥協の結婚を良しとしない。
佐野がすっかり意気消沈して身を引いたあとに、原はそこではじめて佐野という人間を理解する。彼に対する確かな愛情を心の内奥に見出した原は、佐野の行きつけのバーに急行し、そこのマダムから佐野がガチヘコみして田舎に帰ろうとしていることを聞かされた。
原はマダムから「あんな好い人と結婚しないなんて女じゃありませんよ!」と嫉妬まじりの説教を受け、「あんた、佐野さんのことをどう思っているの?」と問い詰められる。
佐野が汽車に乗るまであと僅かの時間しかない。急いでバーを出ようとした原は、思い出したようにマダムの方を振り返って凛然と答える。
「惚れております!」
ハイ出た、原萌え!
家族のために結婚を承諾した自我押し殺しウーマンがやっと意思に目覚めて自由に人を愛する喜びを知った瞬間萌え、である。
この一瞬のために本作は作られたのだと誰もが納得するような、鳥肌総立ちモノの痺れるショットとは言えまいか。
このあと、急いでバーを出た原がプルダディの車に乗せてもらって駅に向かうところで幕切れとなるので、無事に佐野と再会できたかどうかは分からない。
しかし原がようやく本心を曝け出したこの一言によって、斯くも鮮やかに二人のロマンスは結実したのである。
不器用だが人がいい佐野周二と、小津映画では決して見せない女性的体温を感じさせる原節子の魅力が炸裂した爆裂キュートな傑作。あとミキプルーンダディが弾き語りもするし。一粒で何度おいしいんだぁ。
木下映画のほとんどを手掛けた楠田浩之のカメラと、監督デビュー前の新藤兼人のシナリオが貢献するところも大きい。何より、現代にも通用する木下惠介のイカれまくったギャグセンスがよく光る。必見の一作。